第6話 二人の関係

「消えた……?」

「水に溶けたのよ。紙に付いていた色も消えてしまうから、ただの水みたいよね。だから扱うときは、本当に必要なときだけ出して水に溶かすこと。そうしないと誤って飲んでしまうから」


 母の説明に充はこくりと頷く。


「分かりました」

「準備はこれ終わり。茜ちゃん、飲ませられそう?」


 時子は茜に確認する。


「やってみるよ」


 茜は頷くと、痛みによって体を激しく動かす少女を抱きかかえる。


「これが薬」


 充は小鉢を渡すと、彼女は礼を言いながら受け取る。


「ありがとう。――沙羅、薬だ。飲め」


 茜は、痛みに苦しむ沙羅の口元に小鉢を持っていくが、上手くいかない。


(飲みたくないのか……?)


 充はそんなことを思う。折角茜が口元に持っていっても、ふいと顔を背けてしまうのだ。

 茜は小さくため息をつくと、時子を振り返って言った。


「悪い。ここにも入れてくれないか?」

「構わないけど……」


 どうして、と聞く時子に、茜は腕のなかで暴れる沙羅を押さえつけながら、呆れたように言う。


「体のなかの暴れ者を抑えても、沙羅自身が暴れるんじゃ薬を入れても体が休まらないからな」

「……分かったわ」


 時子は何かを悟ったように頷くと小鉢を受け取り、今度は桃色の水薬を入れる。充はそれを眺めながら、初めて聞く薬のことを考えていた。


(「鎮静薬」といい、「睡眠薬」といい、初めて聞く薬の名ばかりだ。「人間」ではない者に投与するからか? いや、さっき茜は確かにこの子は「人間」だと言っていたよな。何だか訳が分からなくなってきた……)


 充が小さくため息をついている間に、時子は茜に小鉢を戻す。


「すまない。ありがとう」


 茜はそう言うと、ぐいっと小鉢をあおり口に含みそのまま沙羅に口移しをするので、充はぎょっとした。


(茜と沙羅ってどういう関係なんだ? 親子にしては似ていないし、年齢も近すぎる気がする。それなのに口移しで薬を飲ませるなんて、茜に正義感があるか、二人の間に特別な関係があるとしか……)


 沙羅は嫌がって先程以上に暴れたが、茜の力が相当強いのか、結局根負けして薬を飲んだらしい。


「もう大丈夫だ。大丈夫……」


 茜は沙羅に薬を飲み込ませると、まだ痛みにもだえる彼女を包み込むように抱きしめ優しくなだめる。そのうちに沙羅の動きが鈍くなり眠ってしまったようだ。


「良かった。。でも、念のためもう少し様子を見ましょう」


 ほっとして言う母に、充はまたも小首を傾げる。


 おかしいのだ。睡眠に関する薬を処方した場合、効果が表れるのは十日を過ぎたころである。それも適量を飲み続けた場合だ。


 人によってはもっと早いこともあるが、半刻(三十分)以内に出ることはほぼない。


 そのため、少女が眠ったのは疲れによるものだと思ったが、時子は確かに「薬が効いたようだ」と言った。ということは、先ほど使った水薬というのは、これまで充が慣れ親しんできた粉薬とは違って、効果が出るのが早いのだろう。


 しかし、それならば何故村人に使っていないのだろうか。そして何故母は自分に教えてくれないのだろうか、と充は思った。


 少女が落ち着いたのを確認すると、茜は小屋の奥に置いてあった布団を敷き、彼女を横たわらせた。


「汗がすごいわね。着替えさせたほうがいいんじゃないかしら?」

「そうだな」

「じゃあ、僕は外で待っています」


 充はそう言うと自主的に外に出て、呼ばれるまで待つことにした。


——————————


「終わったぞ」


 それほど長くない時間の後、茜が充を呼びに来てくれる。


「早かったね」

「時子が手伝ってくれたから」

「そっか」


 再び居間に上がると、少女は規則正しい寝息を立てていた。髪の色は変わらず白いし顔色も青白いが、表情は穏やかだ。


「これで終わりですか?」


 充は母に尋ねる。もし終わったのであれば帰ることができるはずだが、頷かなかった。


「まあ、そうね。でももう少し様子を見ていようかなって。水薬はよく効くけど、あやかしが作ったものだから念のため、ね」

「…………え?」


 さも当たり前に言う時子に、充は首を傾げた。


(アヤカシが作ったもの……? どういうことだ? そんな薬、聞いたことない。取引をしているところだって見たこともないし……。それにさっきも思ったけど、どうして葵堂うちで調合している粉末の薬を使わなかったんだろう。あれだって水に溶かせば同じように使えるのに……)


「あの……、母さん」

「なあに?」


 充は迷いながらも、母に尋ねた。


「聞き間違いでなければ……アヤカシが作った薬っていいましたか……?」

「ええ。妖怪のことね」


 時子はあっさりと頷く。


「それはあの……どういうことですか?」

「どういうことって?」


 きょとんとする母に充は戸惑い、不安感に襲われた。知らないことが多すぎる。


「えっと……だって、それは……」


 充はごくりと唾を飲み込み、自分が何に疑問に思っているかを整理した。


 まず、何故入ってはいけないと言う鷹山ようざんに入ったのか。


 母はどうして、何の疑問もなく少女を助けたのか。


 茜のその姿は何なのか。


 そもそも茜と母は前からの知り合いなのか。知り合いならいつ、どこで会ったのか。


 何故、母はこの状況に驚いていないのか。


 水薬というのは、妖怪が作った代物だと母は言うが、どうしてそれが葵堂にあって、母は知っていて自分は知らないのか――等々……。

 

 すると意外なことに、傍で話を聞いていた茜が助け船を出してくれた。

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