第8話

 「マキ、あれはなんていうんだ。あれも見たことがないな……」

生まれの村では見ることがなかった、煉瓦で建てられた大きな建物の群れや、縦に並べられたガス灯などの目新しい光景に目を輝かせながら五郎は街を回っていた。

 彼にとってはまるで別世界に来たようなものである。相方のはしゃぐ様子に苦笑いしながら、放っておけばいつまでも浮かれていそうな彼の肩をマキは叩いた。

「もうそろそろ飯にしないと。お昼は蕎麦にしましょう」

「そ、そうね……。お恥ずかしいところをお見せしてしまいました、申し訳ない」

「可愛かったわよ」

「なっ」

 五郎をからかいつつ歩き出すマキの背中を五郎は追う。彼女は慣れた足取りで裏通りに入り、一軒の小さな蕎麦屋ののれんをくぐった。

 店内は狭く、調理場と客を仕切るカウンターの席のみで構成されている。

 店主は筋骨隆々の大男だった。口を一文字に結んで、入店してきた二人に言葉をかけることもなく蕎麦の麵にひたすら注視している様子であった。

「サブちゃん、いつもの2つお願い」

 マキの注文にサブと呼ばれた店長は、やはり麺から目を離さずに頷いた。

「何を乗せる」

「油揚げと豚の心臓」

「あいよ」

 マキの突拍子もない注文に、これから何を食わされるのだろうと顔を青くする五郎にマキはにやりと笑った。

「豚の心臓、美味しいわよ」

「と、都会の人間はそんなもの食べてるのか!?」

 サブは店の外に出ると暖簾を下げ、戸を閉める。

「冗談に決まってるじゃない。これは合図、サブちゃんは情報を売るの」

 状況がいまだによくわかっていない五郎を放置してサブはゆっくり口を開いた。

「榊原と城間のオヤジが部下を集めて会合するのは明日だ、午前十時」

「話が早いわね、場所は?」

「榊原が城間のオヤジを自宅に招いた」

「あの悪趣味な豪邸ね。ありがと、サブちゃん。この前金庫に積んでた金、全部持って行っちゃって。もう私が貴方に依頼することもないでしょうから」

 サブは何も答えず、二人の目の前に蕎麦を置いた。やはり豚の心臓は乗っておらず、黄金色の油揚げと透き通ったツユが湯気とともに香りを運んできていた。

 五郎は何も言わない二人をちらちらと伺いながら、小さな声でいただきますを済ませて箸をつかんだ。

 五郎は空腹に耐えられなかった。その場に漂っていた重い空気もそれで吹き飛んだようだった。派手な音を立てて面をすする五郎にあきれた顔を見せたマキに、サブは尋ねる。

「行くのか」

「行くわ。死ぬっていうんでしょう」

「お前が何かをつかんでいることはわかる。だがお前は、やりすぎた。

 岬も城島も死んで、腕に覚えのある若人もお前たちが全滅させたようなものだ。

 城間のオヤジは怒り狂っている」

「猶更逃げられない。今日はずいぶん喋るじゃない?」

 マキは五郎と異なり上品に麵をすすった。口の中に出汁の複雑なうまみが広がる。

「寂しくなるな」

「そうね」

 五郎は二人をちらちらと見ていた。彼はすでに汁まで飲み干していた。

 食欲に負けて麺を一心不乱に食べていたこともあって、話に入る余地がない。

 気が付けばなんだか非常にしんみりとした雰囲気である。

 五郎は気まずそうにお椀の底を見つめるふりをした。

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