悪役キャラになっていたが努力して破滅を回避します。――ふざけるな
九芽作夜
第1話 悪役キャラになっていたが努力して破滅を回避します。――ふざけるな
気づけばゲームの悪役キャラになっていた。その悪役はどんなルートを選んでも必ず悲惨な最期を迎えるのだ。
戸惑い、混乱して暫く部屋に閉じこもっていたが、このままでは死ぬ運命であることを受け入れ、どうにか死なないように努力しようと決意した。
幸いなことに物語が始まるのは数年後。今から動けば運命は変えられるはずだ。
その日から、必死になって努力した。
暗い性格を直し、長い髪を切り、弱い『異能』をどうにか強く出来ないかと考えた。
両親はある日を境に変わったのを不思議に思いながらも応援してくれた。
陰キャだった兄を毛嫌いしていた妹は態度を軟化させた。
そして、数年後。いよいよ本編が始まった。
ゲームの舞台となる学園に入学して、主人公と敵対しないように立ち回る。
その甲斐あってか、友好的な関係を築くことが出来た。
「ふぅ、今日のトレーニング終わりっと」
日課の筋トレを終わらせタオルで汗を拭く。
部屋に散らばるトレーニンググッズを片付ける。最初の頃と比べて随分と部屋も変わったなと感慨深く考える。アニメのグッズやラノベ、ゲームと娯楽の類で埋め尽くされた部屋は今や綺麗さっぱりとなり、筋トレ部屋と化している。グッズを売った金でトレーニンググッズを買った甲斐があるものだ。
「お兄ちゃん、ごはんだって」
「あぁ、分かった」
部屋を見渡していると妹が扉を開けて顔を出す。
当初は兄を見下し、嫌悪していた妹であったが徐々に態度を軟化させると今やブラコンとなっている。ま、可愛いからいいけどね。そんな妹の異能は『水使い』。汎用性に優れた素晴らしいものだ。
「あら、おはよう」
「毎日トレーニングとは偉いな」
部屋を出てリビングへ向かえば両親が笑って挨拶してくる。
この世界は『悪魔』と言われる異形の魔物がいる。異世界から来訪する悪魔は人々を襲い食う。
そんな悪魔に対抗するため、『異能』を使い学園に通い強くなるというストーリーのゲームがこの世界だ。そして、悪魔から人々を守る軍人を『退魔師』と呼ぶ。
両親は共に退魔師で異能は父が『風使い』、母が『鷹眼』である。
そんなエリート一家の中で、自分の異能は『滑走』。ただ滑るだけの雑魚異能だ。
自分だけハズレの異能を引いたためか、悪役キャラは性格が歪み暗い性格になった。劣等感に苛まれながら生活する中で、主人公に絡み、負け、復讐に燃えて悪魔にかどわかされる。そういうオチである。
まぁ、ここ数年の努力で異能の使い方をマスターしたから本編のストーリーに沿った形にはならないはずだ。
だけど、まさか――ストーリーが変わったことでイレギュラーが発生するとはこの時の自分は気づくことはなかった。
☆☆☆☆☆☆
本編のラスボスが突然現れ、否応なしに戦闘になった。
ラスボスの異能は『略奪』。文字通り、触れた相手のすべてを奪い取るというチートな存在だ。少女の姿をした悪魔との戦闘は熾烈なものだった。
しかし、咄嗟の機転と仲間の協力でどうにか生き残ることが出来た。相手には逃げられたが。
そして、その場にいた両親や妹に俺の前世についてバレてしまった。理由はラスボスの手が自分に触れ『略奪』を発動させようとした際に記憶を見られたのだ。
どうにか離れることが出来たが、まさかこのような形でバレてしまうとは思わなかった。
事件が終わった後、自分は前世について家族に告白した。
全部話し終わると、両親や妹は笑いながら言ってくれた。
『それでも、あなたは私たちの息子よ』
『立派な息子を持てて幸せだ』
『お兄ちゃんはずっと私のお兄ちゃんだよ』
怒るでも、怖がるでもなく、ただ受け止めてくれた。
それが嬉しくて、今まで死なないように頑張ってきた自分に初めて目的が出来た。
家族を、これからもずっと守り続ける。
そうして、『俺』は強くなろうと思った。
☆☆☆☆☆☆
「――ふざけるな」
その声は怒りに燃えていた。
その声は恨みに満たされていた。
その声は憎悪に染まっていた。
再び君臨したラスボス。彼女が召喚した下級悪魔たちが街を襲った。
しかし、駆けつけた退魔師や主人公たちと協力することでどうにか被害を最小限に抑えることが出来た。
まさに、その時だった。
ラスボスが空間に穴をあけると、一人の少年が姿を現した。
鍛え抜かれた身体、薄黒い肌色。悪魔ではなく、人間のように見えたが何故か純粋に人と断言することも出来ない。
そんな彼が、今や『俺』を見下ろし冷たい眼を向ける。
「ふざけるなよ。人の体を乗っ取った盗人が」
「っ!?」
その言葉に『俺』は、心臓を掴まれた感覚に陥った。
「何が家族のためだ。何が夢は両親のような立派な退魔師だ。何が兄としてのプライドだ」
つらつらと並べられる言葉は、『俺』が口にしたものばかり。
どうしてそれを知っている。どうして『俺』のことを知っている。
混乱する頭で考えるが答えは出ない。ラスボスによる異能『略奪』による『重力』の異能を受け倒れる『俺』に、少年は答えを口にする。
「見たからだよ。あの日、お前に全てを奪われてから、俺はずっと見てきた」
「……も、もしか、して」
彼の後ろでラスボスが面白そうに嗤う。この舞台を楽しむ観客のように。
あぁ、合点が行った。この状況で、『俺』に向けられる憎悪の目。
それらが何よりも答えを示していた。
「――俺こそが
☆☆☆☆☆☆
その日、俺こと藍原恵亮は知らぬ誰かに体を乗っ取られた。
「うわ、嘘だろ。なんで、俺が悪役キャラになってんだよ」
俺の顔で、俺の声で、勝手に喋る誰か。
体を動かそうとするが、全く動かせる気配がない。声を出すが届く気配もない。
慌てて、戸惑って、混乱し、何も出来ないまま時間だけが過ぎていった。
髪を切る? 両親から注がれる憐憫や期待外れといった視線がうざいから伸ばしたんだ。
暗い性格? 小学校の時に冤罪掛けられていじめられたからこうなったんだよ。
異能の強化? 努力したけど無理だったんだよ。
なのに、こいつはゲームの知識とか訳分からないもの使いドンドン俺の異能が強くした。外れだとしていた異能を。
「立派な退魔師になる」
ふざけるな、俺はそんなこと望んでいない。
「よし、ここのもの売ってトレーニンググッズ買おう」
ふざけるな、それは俺の宝物だ。
「とりあえず、トレーニングで掲示板とか見ないから退会するか」
ふざけるな、それは俺の大切な友達だ。会ったことないけど、仲のいい友達なんだ。
何度も、何度も、こいつが意に沿わない行動を取る時に声を出してやめるように言った。
だが、声が届くことはなく。俺の宝も、友も、そして夢も捨てられた。
結局、通いたくもない学校に入学して、いつ死ぬかも分からない日常にそいつは積極的に関わっている。ふざけるな、俺の体だぞ。死んだらどうするんだよ。
そして、ある日のことだった。
少女の姿をした悪魔が街を襲った。こいつの知識曰く、ラスボスと呼ばれるそいつが多くの悪魔を従わせる様は、創作物の魔王と呼べるものだった。
普通は逃げる。俺ならすぐに逃げる。命あっての物種だ。敵わない相手に立ち向かうのはバカのすることだ。
なのに、このバカは戦いやがった。勝てるはずのない相手に「ここで止める!」なんてカッコつけて戦いやがった。ふざけるな、死んだらどうするんだよ。
案の定、こいつは間合いを詰められ悪魔の手が体に触れる。
異能『略奪』。その命も、異能も、魂さえも。この悪魔は全てを奪いとることが出来る。
その瞬間、悟った。あぁ、俺も終わりなのかと。こいつが死んだら俺、元に戻れるのかと。
淡い期待と絶望を抱きながら――
俺は、意識を閉ざした。
☆☆☆☆☆☆
「……知らない天井だ」
目を開ければ、綺麗なシャンデリアが見えた。
体を起こし、周りを見渡す。広く綺麗な部屋だ。家具や装飾は全て高そうなもの。自分が寝ていたソファもふかふかだ。窓を見れば暗闇に都会のネオンが散らばって見えた。
「……えっ、動ける」
呆然とする頭が正常に働き始めた時、ようやく自分の体が思い通りに動くことに気づく。
ペタペタと顔を触る。ソファから降りて立ち上がり、歩く。
「お、おぉ……!」
自分の意志のままに体が動くことに感動した。
「おぉ! 戻った! 戻れたぞ!!」
興奮で思わず声が大きくなる。だが、この数年乗っ取られた体がようやく戻ったのだ、舞い上がるなというほうが無理な話である。
「――喜んでいる所悪いけど、君の考えは外れているよ」
不意にソファの向かい側から聞こえる女性の声。鈴の音が鳴ったような声に導かれ首を回す。そこにいたのは黒いワンピースに身を包んだ小柄な女性だった。
「っ、お前!」
「おや、どうやら私のことを知っているようだね。ふむ、これは興味深い。記憶は共有されているのか」
そこにいたのはゲームでラスボスと呼ばれていた悪魔『ラファエル』。
『略奪』の異能で多くの人間から大切なものを奪う悪魔だ。
そんな彼女は俺を上から下へ、ふむふむ、と視線を送る。
「体に異常はなし。意識に混濁もなさそう。いやはや、実験は成功したようだ」
「実験……?」
「その問いは意識の混濁による混乱から生じたものか? それとも純粋な疑問か?」
「……後者だ」
目の前にいる圧倒的強者に慄きながら口を開く。
落ち着け、どういう状況か理解できないが今、こいつからは敵意も殺意も感じられない。こいつがその気なら俺なんてすぐに殺せるはずだ。そして、ご丁寧に説明してくれるというのなら話を聞くのがベストだ。
「ふっ、どこかの人間とは違って君は冷静だね。自分の置かれた立場を分かっている。だが、安心したまえ、今は君を殺す気はないさ」
そう言って微笑む様は儚げな少女の顔だが、中身が中身なため警戒心は抱き続けた必要があるだろう。対照的に、ラファエルは落ち着いた足取りでソファへと移動するとゆったりと腰掛けた。
「君も知っての通り、私の異能は『略奪』。触れた相手のものをすべて奪い取ることが出来る。比喩ではないよ。文字通り、命も、記憶も、感情も、異能も、私が望めばなんでも手に入れることが出来る」
「お茶は必要かい?」という誘いに首を振る。ラファエルはなんてことないように空間に歪を生じさせ、そこから紅茶の入ったカップを取り出した。
「欲しい物は意のままに手に入れてきた。だが、今日、暇つぶしで人間界に来たら面白い者に出会ったのさ」
カップから温かそうな湯気が漂う。ラスボスと呼ばれる悪魔は優雅に紅茶の匂いを嗅ぐ。
「――1つの体に存在する2つの魂」
ゆっくりと紅茶を口に含み飲む。
「いやはや、長らく人間を見てきたが君たちのような稀有な存在はそうそういまい。あぁ、事情はあらかた彼の記憶を見たから把握しているよ『藍原恵亮』君」
淀むことなく並べられる言葉。俺からの返事など期待していないのだろう。ラファエルは足を組み変え続ける。
「実を言うと、私はあの時彼を殺す気だったのだよ。だが、彼に触れた瞬間、2つの魂があるのを確認して好奇心に駆られて、奥のほうにある蝋燭の炎のような微かな魂を抜き取った――それが君だよ」
「っ! な……」
「ふふふ、いいね。人間の未知なものに遭遇したような驚愕の表情はいいものだ」
クスクス、と俺を嗤う。圧倒的優位な立場の者が浮かべる笑みだ。
驚く俺を嗤う悪魔は先ほどのように空間に歪を発生させると、姿見を取り出した。
「これが、今の君の姿さ」
目の前に出された鏡に映るのは、知らない顔の男だ。
平均より少し高い身長、程よくついた筋肉、日焼けしている肌。
全体的に整った顔立ちの男性の姿に声を荒げた。
「誰だ、こいつ!?」
「くくく、いいね、実に面白い反応を見せてくれる。言っただろ、それは今の君だ」
「な……どういうことだ」
「なぁに、ただの実験さ。魂を奪うなんてこと、普段はしないし、したとしてもすぐに壊すんだけど、君と話をしてみたくなったから入れ物を用意したまでだ」
「入れ物……もしかして、この体は誰かの死体?」
「いいや、魂の抜けた体に新しい魂を入れると拒絶反応を起こすからね。他所から持ってくるより新しく作ったほうが安心さ」
「新しく作った……クローン的なものか」
「私はホムンクルスと呼んでいるが、まぁ、その認識でいいさ」
マジか、と小さく呟いてもう一度鏡を見る。
違う顔、体、声。どれもこれもが非現実的な光景で眩暈がしそうだ。
「ここまでの説明で何か質問は?」
「……いや、ない。戸惑っているけど、とりあえず状況は把握した」
「くくく、君は適応力があるようだね。それは一つの才能さ、大半の人間は目の前の事象を否定する気概があるからね」
「……」
褒められた。が、素直に喜ぶことが出来ない。
「……これから、俺をどうするつもりだ」
これが純粋で善意からの行動なら、お礼の一つするものだが相手は悪魔だ。そんなものは期待できない。
俺の問いに、ラファエルは紅茶を飲み干すとなんてことないように答えた。
「どうもするつもりはないさ。君に体を与えたのは単なる気まぐれだ。こうして話をするのが目的だったからね」
「……」
「疑っている目だね。それも仕方がないさ、なんて言ったって私は『ラスボス』らしいからね。だが、これに関しては本当さ、君がどこに行こうと止めたりしないよ」
「……なら、家に帰る」
悪魔の言葉を全面的に信じることはしないが、どこに行ってもいいのなら俺は帰りたい。
体は変わっても、俺が帰る場所はあの家なのだから。
まぁ、この状況をどう理解して貰おうかという問題があるが。
両親になんて言おうと少し頭を悩ませていると。
「帰る、ねぇ。あまりオススメはしないよ」
「あ……?」
それまで友好的(向こうからしたら犬や猫と接するようなものだろうが)だったラファエルの口から初めて否定的な意見が出た。
「どういうことだ。やっぱり、俺を利用する気か」
「そんなことはしないさ。利用する価値が今の君にはないしね。ただ、これは状況を俯瞰した際に生じた純然たる言葉さ」
怪訝な表情をしていたのだろう。ラファエルは僅かに溜息をつくと、空中に手をかざす。
すると、俺の目の前で巨大なスクリーンらしいきものが浮かんだ。
画面のようだ。どこかの映像が流れ出す。
そこに映し出されたのは、俺の良く知る人物たちだった。
「父さん! 母さん! 千尋!」
画面にいるのは両親と妹。場所は家のリビングのようだ。
何やら全員真剣な表情であるが、そんなこと気にしていられない。
「残念ながら、君の声は届かないよ。あくまでこれは映像に過ぎないからね」
ラファエルの言葉に落ち着きを取り戻す。確かに、映像を見る限り俺の声が聞こえている様子は見えない。
「……これ、捏造とかしてないよな」
「ははは、いいね。咄嗟にその質問が出来るとは、なかなか出来ることじゃないよ。安心したまえ、これは異能『千里眼』と『映写』を使ったものだ。まごうことなきライブ映像さ」
そう答えるラファエルだが、全面的に信用はせず俺は映像へ視線を戻した。
『……俺には前世の記憶があるんだ』
画面から零れる声。父のでも、母のでも、妹のでもない男の声だ。
こんな声だったかと違和感を覚えるが、それはきっと『俺』の声だった。
「あぁ、これは彼の視界を通して映しているから顔を見ることはないだろう」
「……それは、俺への配慮か?」
「いや、私への配慮」
どうやら、戦いの最中で一矢報いられたのが癪に障ったようだ。僅かだが苛立ちの表情が伺えた。
どうやら、あいつは家族に俺の体を乗っ取ったことから話始めたらしい。
『今、ここにいるのは父さんたちが知ってる俺じゃないんだ……』
その真実に家族は驚いた。そりゃ、息子がいつの間にか別人だと知ればそうなるだろう。
もう、彼らの目の前にいる少年は俺ではない。動揺して、戸惑うことに違いない。
だが、ある意味この事実を前知識として持っているのなら帰った時に説明しや――
『それでも、あなたは私たちの息子だ』
『立派な息子を持てて幸せよ』
『お兄ちゃんはずっと私のお兄ちゃんだよ』
――――――――――は?
一瞬、状況が理解できず固まった。
一体、何を言っているんだ?
話を聞いていなかったのか。今、目の前にいる『俺』は俺じゃないんだぞ。赤の他人なんだぞ。顔は同じでも別人なんだぞ。
父さんたちの、本物の子どもである俺はもういないんだぞ。
なのに、どうして。
どうして、そんな笑顔を向けるんだ。
混乱と、困惑と、疑問が頭に溢れる。家族が口にした言葉が信じられず、視界がぶれる。
そんな俺を他所に映像は続く。「ありがとう」と俺ではない『俺』が言う。
それに、俺の家族が笑いながら答える。
『お前が退魔師になると言ってくれた時、嬉しかった』
父さんが言う。
違う。俺は退魔師なんかになりたくなかった。
でも、両親は自分に同じ職に就いて欲しかった。誇りにしている仕事に就いて欲しかったのだ。だが、才能もなく、退魔師に相応しい異能を持っていない俺には無理な話だ。
退魔師の才能がない俺に、笑いかけながらもガッカリしていた目を思い出す。
『あなたが努力したことを誇りに思うわ』
母さんが言う。
違う。こいつの努力はカンニングして得た努力だ。何も知らない状態で始めた訳じゃない。だが、努力する息子だと母さんは思っていたんだろうな。
そういえば、家に閉じこもってアニメやラノベに興じる俺に母さんはいつも小言を言っていた。
暗い性格じゃなく、明るく外に出て行く子どもの方が母さんは良かったんだ。でもさ、小学校の時に虐められてから人が信用できなくなったんだよ、母さん。
その時、アニメやラノベのキャラたちが活躍する様を見て元気を貰っていたんだ。だから、将来は俺みたいな人に勇気を与えられるような人になりたくて、小説を書いていたんだよ。
『どんなお兄ちゃんでも、私はお兄ちゃんの味方だよ』
妹が言う。
どんなって。部屋に閉じこもっている俺を邪険にしていたじゃないか。常日頃、正面から悪口を言っていたのは誰だよ。
それが、ちょっと性格が変わった瞬間に手の平返しかよ。お前、アニメやラノベを下らないって見下していたじゃないか。
『俺』に笑う家族。そこには俺が俺の時には決して向けてくれなかった笑顔がそこにあった。
あぁ、そういうことか。
――――俺なんか、最初からいらなかったんだ。
ピキリ、と音が聞こえた。
それはまるで硝子細工が壊れるように甲高くて。
心が砕ける音だと知るには、時間はかからなかった。
「……なぁ」
「うん? 何かな」
自分でも分かる無感情の声で、悪魔に頼む。
「こいつの顔、映してくれるか」
「……ふむ、何を思っての発言なのか知らないが。まぁ、いいだろう」
俺の頼みを快く引き受けたラファエルは手を空中で、すっ、と横へスライドさせる。すると、映像の角度が変わった。そして、そいつの顔が映る。
知ってる顔だ。鏡でよく見た顔だ。今や自分のではなくなった顔は。
なんとも、晴れやかに笑っていた。
――こいつだ
こいつが、全てを奪った。
体も、夢も、家族も、居場所も。
こいつが全部、俺から奪ったんだ。
腹の奥から渦巻く感情。それが一体なんなのか、考えるまでもなく理解できた。
「……ふざけるな」
これは、憎悪だ。怒りだ。恨みだ。
俺から全部奪ったこいつを、俺は許せなかった。
「…………ふふふふふ」
映像が唐突に終わると、傍で座っていた悪魔の嗤い声が聞こえた。
そちらへ顔を向けると、彼女は肩を震わせてにんまりと、嗤っていた。
「いやはや、面白いものを見た。実に滑稽で、実に愚かなものだ。目の前にいる子どもが実の息子じゃないと知りながらも、笑いかける様。なんとも道化にピッタリじゃないか。実に、人間らしい」
ひとしきり嗤うと、ラファエルは俺へ視線を向ける。
「どうだい、実の息子として先ほどの映像は」
「……別に、なんとも思わない」
不思議だ。つい数分前まではあの家へ帰りたいと考えていたのに、今は心が凪のように静かだ。
「だが、あの野郎に関しては別だ」
俺の体を乗っ取ったあいつ。
俺から全てを奪ったあいつ。
あいつだけは、決して許すことは出来ない。
心の奥から木霊す声。
コロス。コロセ。
それは殺意と呼べるものへと変化して、俺の体中に流れ込む。
「あいつだけは、この手で殺してやらないと気が済まない」
「同じ体だよ?」
「関係ない」
「ひょっとしたら、元の体に戻れるかもしれないよ?」
「そんなもの知るか、今更戻った所で俺に帰る場所はない。だから――」
ラスボスと呼ばれる悪魔に。最強と恐れられる悪魔に。
睨みつけながら、俺は口にする。
「俺にあいつを殺す術を教えろ、ラファエル」
ぶるっ、とラファエルの体が震える。そして、恍惚とした表情を見せた。
「……いい、いいね、いいぞ。君のその憎悪と殺意に満ちた顔。実に……いい」
ゆっくりと立ち上がり、俺へ近づくとラファエルの両手が頬に添えられる。
「興味が出た。一体、君がどんな色に染まるのか見てみたくなってきた。あぁ、いいさ。そんなに欲しいのなら、協力してあげよう」
白い肌と対照的な真っ黒の瞳が俺の顔を映す。彫刻のような美しい顔が近づく。
血のように赤い唇を耳元へ運ぶと、妖艶に囁く。
「君に、力を与えよう」
そう言って、再度見た彼女の表情は。
まるで、恋する乙女のようにうっとりとしていた。
☆☆☆☆☆☆
「――俺こそが藍原恵亮だ。偽物野郎」
俺の言葉に、そいつは目を見開かせて驚く。ラファエルの『重力』によって身動きが取れないこいつに出来るのは見上げることだけ。今なら、こいつの首を切り落とすことも簡単だろう。だが、そんなつまらないことはしない。
「な、なにを言って……」
「おやおや、目の前の現実を受け入れきれないかい『藍原恵亮』君?」
呆然と呟かれた言葉に、背後で俺たちのやり取りを見ていたラファエルが嗤いかける。
黒いワンピースの裾が揺れ動く。向日葵畑にでもいれば映える光景だろうが、彼女の周りにあるのは崩壊した建物の瓦礫や黒い煙だけだ。
「本当は分かっているんだろ? 私があの時、君の体に触れた瞬間、彼の魂を抜いたことも。抜いた魂を新しく作った体に定着させたことも。この状況からある程度察せられるのではないのかね」
まるで、こいつの心を深く抉るかのように、ラファエルはゆっくりと言葉を発する。
分からせるように。目を逸らさせないように。今ある現実を突きつけるように。
ラファエルの言葉が、こいつの心を揺さぶる。
ふと、気配があった。だから俺は、気配の方へ向けて手をかざす。
がきんっ、と鈍い音が背後から聞こえた。次いで、息をのむ気配がした。その正体を確かめるより先に銃声。気づけば、俺の左後方に一発の弾丸が空中で静止していた。
「おやおや、パパとママがお迎えに来たようだね」
余裕の笑みを保ったまま呟くラファエル。未だに俺の目の前で倒れるそいつが先に口を開く。
「父さん! 母さん!」
「ウチの息子を返してもらおうか!」
言われてようやくそちらへ視線を移す。久々に見た父の顔は息子に向けるものではない敵意に満ちた、凶悪な顔だった。そして、奴が父さんと呼んだことが癪に障る。
父さんの異能は『風使い』。風の弾丸を放ったり、体に纏わせて俊敏性を上げたりできる有能な異能だ。父さんの戦闘スタイルは風によるスピードを活かした剣を用いた接近戦。
そして、母さんの異能は『鷹眼』。遠くの物を捉える眼を持っている。父さんとは違い、母さんはその異能を使った銃によるスナイプが戦闘スタイルだ。先ほどの銃声も、母さんのものだろう。
「くくく、息子を返せだとさ。どうするメグル?」
剣を封じられた父さんはすぐに距離を取り、俺とあいつの間に入る。そいつを庇うように前へ出て俺に剣先を向けていた。
ラファエルは父の言葉に嗤う。悪逆な嗤いは、愚者を眺めている見物客のようだ。
彼女の言葉に、俺は静かに答える。
「用があるのはそこで倒れている奴だ。それ以外は興味ない」
「そう言われて、はいそうですかと黙る訳ないだろ!」
俺の答えに、そう言いながら父さんが俺へ突っ込む。
風を剣に纏わせ、切れ味を最大限に引き上げる。そして、正面から俺へ向かって上段から剣を振り抜いた。
だが――
「くっ!?」
俺の頭上で剣は静止する。父さんが剣に力を込めているようだが、剣が動くことはない。
「何故……香織!」
剣が静止したことに驚きつつも、父さんは耳につけた無線機で母さんの名前を呼ぶ。
そして、銃声。音速の弾丸は背後から俺の頭を撃ち抜くはずだった。
「っ!?」
父さんの顔が驚愕に染まる。俺の頭を撃ち抜く弾丸はそれよりも前で静止していた。
驚く父さんに俺は落ち着いた口調で告げる。
「あなたたちと戦う気はない。大人しくしていてくれ」
「くっ!」
……傷つけたくはないが、しょうがない。
「ごめん」
小さく謝罪を口にして軸足を回転、靴底を父さんの腹部へと直撃させる。
瞬間、父さんが吹き飛んだ。
「父さん!」
「ごほっ、ごほっ」
やつの声が響く。吹き飛んだ父さんが苦しそうにむせる姿を見せた。
「あ~あ、実の父親に対して容赦ないねぇ」
「……なんだって」
苦悶の表情を見せた父さんが、ラファエルの言葉に怪訝な表情を見せた。
父さんの言葉に、悪魔は楽しそうに嗤う。
「くくく、呆けるのは分かるがせいぜい自分で考えるんだな」
「ラファエル」
言葉遊びで楽しそうにするラファエルを遮る。
いつまでも遊んでばかりいる訳にもいかない。
「こいつの拘束を解け」
「あぁ、忘れていたよ。でも、いいのかい? このまま首をへし折ることも出来るのに」
「そんなことをしても意味がない」
きっぱりと彼女の提案を断ると、ラファエルがやれやれと首を振った。
「まぁ、君がそれでいいのなら、私は構わないけどね。あぁ、その前にっと」
『重力』の異能を解く前に、ラファエルはすっと優しく振り払うように手を動かす。
「っ!?」
すると、不意を突こうとこちらを観察していた父さんが地面に突っ伏した。
次にラファエルは俺の左後方へ手を向けた。
「「きゃっ!?」」
次の瞬間、どこからともなく二人の女性の声が響く。空気を割くようの、二つの人影が現れ引き寄せられるかのようにラファエルの両手に収まった。
「母さん! 千尋!」
彼女の両手には、首が掴まり苦しそうにもがく二人の女性の姿があった。
片方は退魔師の制服を着て、手にライフルを持つ女性。
もう一方は、近くの中学校の制服を着た少女だった。
母さんと妹だ。久々に拝んだ顔は苦しそうで、特に何の感動も覚えなかった。
「はは、これで家族勢ぞろいだね。よっと」
軽い口調で二人を父さんの傍へ投げる。同時に、彼女は『重力』の異能を使用し二人を拘束した。
「これで、邪魔はもう入らないだろ。それじゃ、この子の拘束を解くけど、いいかいメグル?」
彼女の問いかけに頷く。準備などとっくに出来ている。
俺が頷くのを確認すると、ラファエルは『藍原恵亮』の拘束を解いた。
体が自由になったそいつは、すぐに立ち上がり父さんたちの元へ駆け寄ろうとする。
だが――
「おい、勝手にどこ行こうとしてんだ」
「っ!?」
『藍原恵亮』の足が止まる。止まった自身の足に驚きながらも、必死に動かそうと力を籠める。しかし、彼の脚はピクリとも動く気配はなかった。
「何をした!」
「見て分かるだろ。お前の動きを止めただけさ。そのくらい理解しろよ」
「ぐっ……お前は一体何者なんだ!」
「はぁ……」
激昂して叫ぶ『藍原恵亮』。声を荒げる様子は、こいつがそれほどに混乱していることを表していた。この程度で冷静さを失うなんて、情けない限りだ。
少々ガッカリした。この日を待ちわびて、いざ意気込んで来たはいいものの相手がこれじゃどうしようもない。
まぁ、今は都合よくこいつが大好きな家族が揃っているんだ。
もう一度、今度こそ理解させるために教えてやろう。
「さっき言っただろ。俺は……俺こそが本物の藍原恵亮だ。あの日、突如としてお前に体を乗っ取られたな」
『っ!?』
俺の言葉に、両親と妹が息を飲むのが分かった。
だが、『藍原恵亮』が叫ぶ。
「違う! 俺が『藍原恵亮』だ。何を言ってるんだ!」
「おい、ラファエル。お前、こんな阿呆に負けたのか?」
「何かな、メグル? 聞こえなかったからもう一度言ってみてくれ。そしたら楽に殺してあげるよ」
にっこりと微笑むラファエル。だが、彼女が纏う殺意が一気に上昇するのが分かった。
どうやら地雷を踏み抜いたらしい。下手なこと口にするものじゃないな。
ラファエルから目を逸らし、『藍原恵亮』を開放して向き直す。
「5歳の時に、父さんの誕生日にプレゼントしたものは?」
「え……」
「はい時間切れ。正解は消防車の絵だ。その時は、退魔師を消防士と勘違いしていたからな。ちなみに、勘違いの原因は父さんが火災を異能で抑えた話を聞いたからだ」
「なっ……!」
俺の言葉に、父さんが呟く。
気にせず続ける。
「7歳の時の七五三で、母さんに神社の屋台で唯一買ってもらったのは?」
「えと……」
「時間切れ。正解はりんご飴だ。本当は焼きそば食いたかったけど、その後昼メシがあったから妥協してりんご飴になったんだよ」
母さんが言葉を失って俺を見る。
気にせず続ける。
「10歳の時、デパートで迷子になった千尋を見つけたのはどこだ?」
「……」
「正解は女性服売り場。その時、千尋が視ていた女児向けアニメとコラボしていた服が展示されていて、ずっとそれを見ていたんだよ。見つけた後、泣きながら手を繋いでいた」
「……嘘」
千尋の顔色が青くなっている。
気にせず、俺は続けた。
「どうした? 何故答えられない。前世の記憶があろうとも、『藍原恵亮』として育った記憶があるなら答えられるはずだ」
「……」
奴の顔が強張る。目が泳ぎ、現実を直視することを拒んでいた。
逃がす訳がないだろうが。
「正解は、お前の中にある『藍原恵亮』として記憶は所詮、記録でしかないからだ。時間をかけて辞書を開くように記憶を探れば答えられるだろうが、それはお前が持っているものではない」
父さんが、母さんが、千尋が。
三人の視線が『藍原恵亮』へ向けられる。だが、こいつはそれを受け止めることはせず俺の方を見ていた。
「……恵亮?」
母さんが呟く。果たしてそれは、俺に向けて言ったのか、それとも『藍原恵亮』へ向けたのか。
「どんな気分だった。ゲームの知識を使って、ズルをして強くなった感想は?」
一歩、前へ進み問いかける。
「どんな気分だった。イベントにかこつけてヒロインたちとイチャイチャした感想は?」
『藍原恵亮』の体が震えようがお構いなしに続ける。
「卑怯チートして得た居場所は一体、どんなものだった?」
さぞ楽しかっただろう。さぞ快感だっただろう。
両親から褒められ、人々から称賛され、多くの者から人気を得られたのは、さぞ気分が良かっただろう。
「なぁ、聞いてるのか? 答えろよ」
「黙れ!!」
俺がさらに一歩前へ出て問いかけようとした瞬間、『藍原恵亮』は逆上したように吠えながら接近してきた。
手にはナイフ。運動神経がダメだった当時の俺からは考えつかない接近戦。
しかし、こいつはその異能を持って可能にした。
「ふっ!」
異能『滑走』。通常なら、ものを滑りやすくするだけのなんてことない異能。
それを、こいつは自分の足元にかけ、まるでフィギュアスケーターのように速くしなやかに近づいた。そして、同時に空気中の摩擦を減らしナイフの威力を引き上げる。
初見ではまず避けられない攻撃。証拠に幾度もこいつはこの技で悪魔を倒している。当たれば生身の俺も無事では済まないだろう。
――当たればの話だがな
「な、なんで!」
目の前で起こった現象に『藍原恵亮』が戸惑い叫ぶ。
『藍原恵亮』が放ったナイフは、俺に当たる寸前で動きを止めていた。
「――『遅延』」
懸命にナイフを押し込もうとする『藍原恵亮』に、優しく教えてやる。
「通常は、自分の動きが遅くなる程度の異能だけど、お前のおかげで強くなれたよ」
「っ!?」
こいつが持っていたゲームの知識。
それを使って、俺はラファエルから与えられた異能を最大限にまで引き上げることが出来た。その点だけは、こいつに感謝しよう。
「今、メグルの周囲1m圏内の空間は時の流れが10000分の1になっている。一秒がおよそ三時間。一分はおよそ一週間。普通の攻撃じゃ、彼には当たらないよ」
「解説どうも」
ご丁寧に解説してくれるラファエルは、いつの間にか取り出したティーセットで紅茶を飲み出している。呑気なものだ。
とりあえず、目の前で止まっていられるのも目障りだ。
ゆっくりとした足取りで空中で止まっている『藍原恵亮』に近づく。
近づく俺に焦りを見せ、睨む相手。いつも見ていたフツメンと呼ばれる顔に。
俺は、思いっきり拳を突き立てた。
「ぶはっ!」
当たると同時に異能を解除。カウンターが入り『藍原恵亮』の体が飛ぶ。
地面を滑り倒れる。土煙が上がり、顔を殴れた相手は痛そうに表情を歪めていた。
だが、その目は未だに戦意が籠っていた。まだ、実力の差を理解できていないようだ。
「はっ!」
倒れた状態からもう一本のナイフを投擲。狙いは粗く、俺の頭上を通り過ぎる。
だが次の瞬間、ナイフは軌道を変え俺の脳天目掛けて飛来してくる。恐らく、『滑走』でナイフの方向を操作したのだろう。
「学習しないな……」
まぁ、無駄なことなのだが。
脳天直撃のナイフは、空中で静止――いや、極限までにゆっくりと進んでいた。
「さっき言っただろ。お前の攻撃は効かないって」
「っ……」
こいつの攻撃パターンは知っている。伊達に数年間、同じ体にいたのだから。
こいつは力でゴリ押しするタイプではない。慎重に相手の不意を突く、頭で考えるタイプだ。
油断せず、圧倒的な力をもってすればこんな奴は相手ではないのだ。
「さて、どうやって殺したものかな……」
腕を組んで考える。ただ殺すのでは自分の腹が収まらない。
敵を前に油断しているように見えるだろうが、目は逸らしていないし異能も常時発動させている、不意を突かれるようなことはない。
う~ん、と思考を殺害方法へ向けようとすると。
「ま、待ってくれ……恵亮」
「ん?」
すぐ近くからか細い声が聞こえてきた。首を回してみれば、ラファエルの『重力』に支配されている父さんが俺を見ていた。
「君が、本当に恵亮なら、お願いだ。もう、やめてくれ」
「……」
「人殺しなんてしないでくれ。恵亮は、優しい、子だったはずだ。だから、息子を……その子を殺すのは……」
懇願するように俺を見る父さん。体の自由を奪われてなお、彼は自分よりも子どもを大切にする親なのだろう。
だが、俺は――吐き気を覚えた。
父だった者に近づき、しゃがみこむ。
「なぁ、いつまで目を逸らし続けてるんだ?」
「……え?」
目を丸くさせる男に、苛立ちを覚えながら続けた。
「優しい子? それを捨てたのはアンタたちのほうだろうが」
怒りがふつふつと湧き上がる。
蓋をしていた恨み言が喉へとせりあがる。
「才能のない息子が消えて清々したんだろ。退魔師になろうとしない息子よりも、退魔師になろうとする息子に入れ替わって嬉しかったんだろ」
言葉に力が籠る。無意識に拳を作り、父を睨んでいた。
「ち、ちがっ」
「違わないだろ。証拠に、さっきアイツのこと息子って呼んだじゃないか。本物の息子の目の前で」
「それは! 『恵亮』も君も私たちの大切な子どもだ。中身が違っても、息子に変わりはないんだ!」
「……あのさぁ、話聞いていなかった? 俺は、アイツに数年間体を乗っ取られていたんだよ。そして、乗っ取ったアイツは違う場所、違う親、違う家族の元で育っている。そんな奴をどうやって息子と呼ぶ? 体は変わっても、中身は変わらない俺がいるのに」
あぁ、本当にイラつく。こいつら全く理解できていない。どんな言葉で取り繕ってもアイツは他人だと言うのに。
そして、何よりも――
「言い訳するなよ。だって、アンタらはあいつの前世について話を聞いた時、笑っていたじゃないか。いなくなった俺を心配するでもなく、悲しむでもなく、微笑んでいたじゃないか」
『っ』
父が目を見開く。
なんだよ、今更自分の行いの惨さを理解したのかよ。
「父さんから離れろ!」
「うざ、ちょっと黙ってろ」
背後に回ってナイフを突こうとする『藍原恵亮』に向けて異能を発動。
奴の体がその場で止まる。体の動きを遅延させたが、耳や目は正常なので話を聞くくらいは出来るだろう。
『藍原恵亮』が止まったのを確認して、再度俺は父だった者と向き合う。
「良かったな、立派な退魔師を目指す理想の息子が出来て。元いた暗い性格の息子がいなくなって好都合だろ。安心しろよ、俺もアンタたちなんてもう家族だと思わないから」
「め、恵亮……」
にっこりと父に向けて微笑んでやると、すぐ近くで俺たちの様子を見ていた母だった者が俺を呼ぶ。
「恵亮、恵亮!」
「恵亮はそこで静止してるが?」
「……め、ぐる」
「あのさぁ、捨てておいて俺を見ながらその名前を呼ぶのやめてほしいんだけど」
「捨ててない! 私は捨ててない!!」
ヒステリックに叫ぶ母だった者の声に顔が歪む。何この人面倒くさい。
「捨てただろ。暗い趣味を持つ息子じゃなくて、明るくて社交性に富んだ息子のほうが近所にも自慢できるんだろ」
「違う、違う」
「違わないだろ。いい加減認めろよ。アンタが腹痛めて産んで、育てた息子はもういない。アンタたちが捨てたんだ」
「違う、違う」とブツブツ呟く母だった者。うわぁ、普通に怖いんだが。
「お、おにい、ちゃん」
壊れた母だった者に恐怖を感じていると、震えた少女の声がする。
「君の兄はそこにいるが?」
「本当に、お、お兄ちゃん、なの」
「だから、君の兄貴はそっち。俺はもう君の兄じゃないんだよ」
出来るだけ優しく諭すように言う。だが、話が通じないのか妹だった者は首を振った。
あぁもう、ほんとこいつら面倒くさい。
「『陰キャなアンタが兄貴で恥ずかしい』、『友達の前で兄なんて言わないで』。散々、そんなこと言っておいて何を今更妹ぶってんだ? 優しくて、陽キャな兄のほうが良かったんだろ。陰キャな兄貴が死んで嬉しかったんだろ。だったら、素直に喜べよ」
「わ、わた、しは……」
ガタガタと震える妹だった者。
ここで謝罪の一つでもすれば、まだ情が残っているか分かっただろうが、もはやそれも確かめようもないことだ。
さて、家族だった者たちとの会話も終わった。だったら、もう幕引きでいいだろう。
『藍原恵亮』が投げて空中で止まっているナイフを掴み異能を解除。下へ向かって落ちるナイフを手首を返して収める。
「そろそろ終わりにするか」
いつまでもこの場に留まっていたら援軍が来る。流石に大勢を相手にするのはきつい。
未だに静止する『藍原恵亮』へと近づく。外野が何やら煩いが無視しよう。
ナイフを回し、刃先を向ける。無駄な力は要らない、頸動脈を切ればそれだけで終わる。だが、万が一にも『治療』の異能によって回復されても困るのでめった刺しにしておこう。
ナイフの刃先を向けられた『藍原恵亮』に変化はない。だが、恐らく目を見開かせ、恐怖に震えて、どうにかこの状況を打破しようともがいているのだろう。
けど、こいつがそれをするには遅すぎる。
俺は、力を籠め。
こいつの首目掛けて。
ナイフを振るった。
その、刹那。
ピタッ、と。
俺の振ったナイフは、『藍原恵亮』の首ではなく。
空中で、停止していた。
「……なんの真似だ、ラファエル」
「いやなに、この喜劇を観ていた観客として少々意見がしたくてね」
ピクリとも動く気配を見せない腕を諦め、顔だけ振り向く。
ラファエルはそれは楽しそうな嗤いを浮かべながら俺のほうへ歩み寄る。
「悪いが観客の意見なんて受け付けてない。俺のシナリオだ、どういう結末かは俺が決める」
「くくく、おいおいメグル。観客の意見は取り入れたほうがいいだろう。作家を夢見て、小説を書くために昔から小説の時勢を分析していた君らしくない発言だね」
「それとこれとは関係ない。俺は、今、こいつを殺したいんだよ」
ラファエルを睨みつけ文句を言うが、こいつはヘラヘラ嗤うだけだ。悪魔に人間の言葉が通じるとは思っていないが、言うだけで疲れる。
「全く、ママの言うことを聞かないとは。反抗期かい?」
「誰がママだ」
「君の体を作り、魂を宿したんだから人間が持つ母の定義に合致すると思うのだが」
色々間違っているが、こいつに人間の常識を教えているヒマはない。
俺のそんな意図に気づいたのか、ラファエルはようやく自身の行動について語る。
「ここで彼をあっけなく殺した所で、君の憎悪は晴れるのかな?」
「……何が言いたい」
「憎しみや恨みというのはね、募れば募るほど強大なエネルギーになるんだよ。今、メグルがその子を殺したところで募った憎悪はそう簡単には消えないよ」
「……だったら、どうしろってんだ」
俺の言葉に、ラスボスはニヤリと嗤いながら答えた。
「簡単なことさ、この子がより強く、より逞しく、より大きく育ち。幸せの絶頂とも呼ばれるその瞬間、残酷に、非道に、最悪に、壊してあげればいいのだよ」
ラファエルはゆったりとした足で『藍原恵亮』の前へと踊り立つ。
「当然、相手が強くなるなら、メグルも強くなる。さぁ、君はどうするかな『藍原恵亮』君。君はこれからいつか迫りくる敵に対して、どうやって成長するのかな?」
その目は開いたままだ。『藍原恵亮』が何を思い、どういう表情をしているのか俺には分からない。
ていうか、こいつ。それらしいこと言っているがそっちのほうが面白いと思ってるだけだろう。俺の復讐なんだけどな。
……興が削がれた。
「どうせ、断っても無駄なんだろ。お前がその気になれば俺なんて瞬殺だし」
「アハハ、良く分かっているじゃないかメグル」
声を出して嗤うラファエルに溜息が零れる。現在、『停止』の異能によって空中で固まる腕を見れば誰だって分かるものだ。
「チッ……」
「そう不機嫌にならないでおくれよ。これでも私は、君のこと気に入っているんだよ?」
「悪魔に好かれても嬉しくないんだが」
俺の態度からもう襲う気はないと判断したのだろう。ラファエルは俺にかけていた『停止』の異能を解除した。自由になった腕を数回動かして不調がないか確かめる。うん、問題ないようだ。
「さて、それでは、そろそろお仲間も来るみたいだし。この辺りで退散しようか」
黒いワンピースを翻し、軽快な足取りで近づくとラファエルは俺の手を握った。
指と指を絡ませて、まるで恋人のように手のひらを密着させる。『転移』の異能でこの場から脱するようだ。
「恵亮! 待ってくれ恵亮!」
「行かないで! 待って!」
「お兄ちゃん!」
俺たちがここを去るのを感じ取った元家族が名前を呼ぶ。しかし、彼らの声に心は特に揺れなかった。
俺は、その声を無視して未だに固まる『藍原恵亮』を睨み告げた。
「せいぜい楽しめよ――次こそは、殺す」
刹那、俺の視界は違う場所を映したのであった。
☆☆☆☆☆☆
『個体名〈ラファエル〉と呼ばれる悪魔により、駅前広場の被害は甚大。多くの公共交通機関に影響を与えました』
俺が『藍原恵亮』を襲ってから三日が経過した。
広いリビングに置いてある、これまたデカいテレビからアナウンサーの声が響く。
それを俺は以前眠っていたソファで、淹れて貰ったコーヒーを飲みながら眺めていた。
「ふむふむ、下級とはいえあれだけ悪魔を召喚したのに被害がこの程度か。少し期待外れだな」
そう言って朝からチーズたっぷりのピザを食べるラファエル。
……何故か、俺の膝の上で。
「……邪魔だ」
「えぇ~、なんだいメグル。せっかく美少女が膝の上に可愛く乗っているのに、邪険にするのかい」
「ただの美少女だったらいいが、悪魔を膝の上に乗せるなんて恐怖しかないわ」
こてん、と首を傾げ上目遣いをするラファエルを睨みつけ苦言を呈する。だが、ラファエルは気にした様子もなく、次のピザを手に取った。
「メグルも食べるかい?」
「朝からそんな重たいもの食えるか。ていうか、悪魔に食事は必要ないんじゃないのかよ」
「確かに悪魔のエネルギー源は人が持つ負の感情だけど、食を楽しむくらいは出来るさ」
そう言って、俺に差しだしたピザを食べる。こいつにとって食事とは娯楽の一つでしかないのだろう。
テレビでは駅前で起こった事件を永遠と続けている。悪魔が蔓延るこの世界では特に珍しくもない光景だ。
その光景を目にしながら、呆然と呟く。
「これからどうするかな……」
「ん? 強くなるのではないのかい?」
俺の呟きにラファエルはきょとん、と首を傾げる。
「当然、強くはなるが、復讐が先延ばしにされたからな。なんというか手持ち無沙汰な感じになってしまった」
あの日で全部片づけるつもりだったのに、ラファエルに邪魔をされてしまい肩透かしを受けた。あいつがもっと強くなって、幸福だと思う時期にならない限り襲いに行けない。ラファエルの目を盗んで殺しに行くなんて不可能な話だし。
「ふむ、軽度の燃え尽き症候群のようなものかな。なら、その辺の人間でも殺せば?」
「するかボケ」
まるでコンビニに行けばと言うような軽い口調で提案するラファエル。やっぱりこいつは悪魔なんだなと実感させられた。
「まぁ、ゆっくりすればいいさ。小説を書くなり、人間を襲うなり、好きにするといい」
「人は襲わねぇよ」
「それもまた自由。私は君の主人でもなければ、友人でもない。君が起こす事象を傍で見守る観客、もしくは観測者さ。だから――」
黒いワンピースに身を包む美少女は。
血のような赤い唇を曲げ。
ゆっくりと続けた。
「せいぜい、私を楽しませておくれ」
ラスボスと言われる悪魔の笑みは、永遠にも近い時間俺へと向けられていた。
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