34 天津チャーハンと借金女
夢華に同伴に誘われ、孝太郎はアフタヌーンティーが出来るカフェに行った。可愛らしい軽食とケーキのタワーにいつもなら目を輝かせてパクつく夢華だったが、今日は目に見えて沈んでいる。孝太郎がワケを尋ねると、夢華は重い口を開いた。
「愛華が今売り掛けしすぎてヤバいらしいの……」
売り掛けとはツケ払いで飲むことで、ホストクラブではよくあることだった。そういえば店で明を指名して1人で来ている愛華をたまに見かけていたな、と孝太郎は思い出す。夢華が不安そうに口にした。
「……今月の売り掛け300万越えてるらしくて……月末まであと1週間だし、コンカフェでそんなに稼げるわけないのに最近あの子何考えてるかわかんなくて」
「300ってそれはちょっと……」
孝太郎は眉をひそめた。夢華と愛華はコンセプトカフェで働いている。いわゆるメイド喫茶のメイドさんのようなものだ。愛華と夢華はぽっちゃりロリータの店で働いているらしい。普通の喫茶店よりは給料はいいが、キャバクラやクラブのホステスなんかより稼ぎは格段に落ちる。夢華は孝太郎を指名しているが月に1回程度しか来ないし、来ても安いシャンパンしかおろしたことがない。孝太郎は夢華に、ごめんなさい、と謝った。
「愛華さんが店でいくら使ってるか把握してなくて……そんなことになってるとは知りませんでした。すみません、夢華さんのお友達なのに」
「ううん。孝太郎は悪くないの。通ってるのはあの子の意志だし……ただ言っても止まらなくて、孝太郎にこんなの頼むのは間違ってると思うんだけど、それとなく明さんに言ってもらえないかな……? 今の飲み方はあの子のキャパを完全に越えてるの」
わかりました、と約束して孝太郎と夢華は店に向かう。内容が内容だけに夢華の前で話すわけにもいかず、営業中は普通に過ごし閉店してから明と話すことにした。端の席に座ってくつろいでいた明に孝太郎は声をかける。
「明さん……あの、ちょっといいですか」
明はスマホから目を離さないまま言った。
「なんや。おれと喋ったら彼氏に泣かれんで」
「大丈夫です。さっきラインしたし……」
「お前首輪つけられすぎやろ」
そう言った明は顔を上げて笑った。春の件で喧嘩したままだったけれど機嫌が悪くなさそうでホッとした孝太郎は明の向かいの席に座り、切り出した。
「愛華さんの売り掛けの話、夢華さんから相談されました。ちょっと売り掛けしすぎじゃないですか、300万やなんて。あの人の仕事コンカフェですよ」
「ああ。全然大丈夫や。おれ掛けの回収できんかったことないやろ」
明は興味なさそうにスマホを弄りながら孝太郎に返事をした。
「そういう問題じゃなくて、普通にキャパ越えてるじゃないですか。月収の10倍くらいありますよ」
「お前さぁ、素人か。あのくらいの顔と胸あったら別の仕事紹介すりゃ300なんか秒やろ。月末までに掛け払えんかったらもうそっちで面接行くって話ついてる」
そっち、とは風俗店の事だ。売上を上げるため、自分にハマった女の子に風俗の仕事を斡旋するホストは少なくない。潔癖な孝太郎が眉をひそめると明は、なんや、と孝太郎を睨んだ。
「ッ……おれ明さんのそういうやり方、好きじゃありません」
「お前に好かれよなんか思ってないわ。さ、アフター行ってこよ〜」
そう言って立ち上がった明を孝太郎が、待ってください、と引き留める。
「なに。お前には関係ないやろ」
「あります。だって愛華さんのこと明さんに紹介したのおれじゃないですか……それなのに」
「だから何やねん。紹介ありがとう。また枝おったら回して。話それだけやったらもー行くで」
帰ろうとする明の腕を、孝太郎が捕まえた。
「……あの……愛華さんは夢華さんと同郷の幼なじみらしくて、夢華さんすごく心配してるんです」
「だったらなんやねん。もう飲んだもんはしゃーないやろ。自分が飲み食いした金は払わな。ほんまに心配やったらそのお友達が150被ったったええねん。そっちも面接紹介したろか。そしたらお前の今後の売上も上がるやろ。そんな顔のくせに毎月売上低空飛行しやがって。もう抜いてもうたぞ」
「おれのお客さんにそんなんするんやめてください!」
は、と笑った明は孝太郎の腕を振り払い、顔を両手で挟むようにして捕まえて引き寄せた。
「ごちゃごちゃうるさい奴やなー。ほなお前が代わりに愛華の売り掛け全額被るか? お前が300万円借金してくれたら手ぇ引いたるわ」
たじろいだ孝太郎を明は嘲笑った。
「できひんわな。お前大阪で自分の客でもないただの客の連れの女の嘘に同情して掛け被って地獄見たもんな。貯金もないしゲイ公表してるせいで稼ぎも安いくせに人の借金背負ってお前めちゃくちゃ困ってたやんけ」
何も言えなくなった孝太郎の頬を明は可愛がるように撫でた。
「その時お前助けたん誰や。その嘘つき女が他のホスクラで飲んでるの見つけてガン詰めして、お前の代わりに掛け全額回収したんは」
「……明さんです。それには……感謝してます、すごく……。だからおれ逆らってないでしょ」
「飛ぶまではな」
明は孝太郎の頭から顎まで指をツー、と滑らせて、顎をくいっと持ち上げる。
「飛んだ時も、東京来てからもお前何もおれの思い通りならんわ。せやのになんでおれがお前の話聞かなあかんねん」
孝太郎は、すみません、と目をそらす。明は、ははは、と笑って言った。
「お前買ったろか?」
「え?」
「客のツレに身体売らすん嫌やったらお前がおれに身体売れや」
孝太郎はぎょっとしてすぐに、しません、と答える。明は、なんやぁ、と声を上げた。
「お前1発300万くらいふっかけてみろや」
明にそう言われて孝太郎は尋ねた。
「もしかして明さんおれのこと……好きなんですか? その、恋愛的な意味で……」
明は、は!? と言って舌打ちした。そして孝太郎を睨む。
「好きなわけないやろ調子乗んな! そんな趣味悪ないわ。おれより売上あげてから言えや」
「ですよね」
そうや、と明は言った。
「おれとおったら性格悪なるで。もー帰れ」
「……悪くなりましたよ。昔より。結局、ホストにハマるタイプはここでハマらんでもよそでハマるのもわかってます。愛華さんも……明さんが手ぇ引いても他のホストで同じことするかもしれません」
「おお。ちょっとは賢なったな。おれの教育の成果出てるやん」
明がそう言ってGLOWを吸って、煙を吐いた。
「でもやっぱり……おれの知ってるところでそんなんなるのは……嫌やなって思います。それにおれが明さん紹介してなかったらそうはなってなかったかもっていうのもあるし。今回だけ掛け、なんとかしてあげたい気持ちはあります」
「アホか。懲りへんな、お前。ほんならパンツ脱げや」
「それは……できません」
「ほな諦め。おれは掛け回収するし、できんかったらちゃっちゃと稼げる店にリクルートや」
話し合いは平行線のまま、明はアフターに行ってしまった。報告のために孝太郎は夢華に電話をかけた。事の顛末を離すと夢華は、ありがとう、と何もできなかった孝太郎にお礼を言った。しかしその声は泣きそうなのが伝わって、孝太郎はいたたまれなかった。無力感に打ちひしがれながら帰途につくと、家で春が待っていた。
「おかえりなさい」
そう言って出迎えた春に孝太郎はぎこちない笑顔を見せる。ラインでその件を報告を受けていた春は洗面所で手を洗う孝太郎に尋ねた。
「狐塚さんとの話し合い、駄目だったんですね」
「……セックスしたらチャラって言われたんですけど……断りました。おれ、駄目ですね。お客さんの友達の事を本気で心配してたならそのくらい……できるはずなのに。頷けませんでした」
そう言った孝太郎に春は後ろから、こら、と腰をつねった。
「今その話誰にしてるかわかってますか」
「彼氏の春さんです……すみません」
「断って正解です。その子の代わりになんの非もない孝太郎くんが身体を売るのは間違ってます。それに、それが平気なタイプじゃないでしょう。そんなのぼくが恋人でなくても止めますよ」
孝太郎は、ごめんなさい、と甘えるように春の肩によりかかる。
「おれがもっと稼いでるホストだったらパーッとツケの肩代わりできたかもしれませんが……」
「それもよくないです」
「はい。昔お金がない癖にそれを一度やって失敗して、懲りました。返済のために焦ってお金のことばっかり考えて……いつもなら言わないような事を言って自分のお客さんに無理させるような接客もしてしまいました。もう、そんなことしません」
気を取り直すように、ご飯にしましょうか、と孝太郎は言った。冷凍庫から何か丸いものを数個取り出す。
「今日は少し遅くなったので、時短メニューにしますね」
「前に作ったチャーハンですか?」
春がそう尋ねると孝太郎は冷凍したチャーハンおにぎりをレンジで解凍し始めた。
「これを天津飯にします」
電子レンジで解凍しているうちに孝太郎はタレ作りに取りかかる。酒、しょうゆ、鶏ガラのもと、塩コショウ、片栗粉などを弱火で混ぜ合わせてボウルに出しておき、それからかき混ぜた卵を火にかけすぎないように気をつけながら熱する。レンジが鳴ったので孝太郎は春に声をかけた。
「ニ人前に分けて、お皿に入れてください」
春がチャーハンを盛ったお皿を出すと孝太郎はそこにとろっとした卵を乗せて、上からあんをかけた。
「わー、凄い! もうできた!!」
春が感嘆の声を上げる。孝太郎はもう一皿も同じように天津飯にして、ローテーブルに運んだ。向かい合って、いただきます、と手を合わせる。
「チャーハンだけでも美味しかったのにさらに美味しくなってます……」
「餡かけって美味いですよね。簡単なのに」
「簡単じゃないですってこのとろとろ卵もぼくにはできません」
春がスプーンでとろとろ卵をすくって、頬張る。幸せそうな春を見て孝太郎が、ふ、と笑った。
「良かった。帰ってきたときより少し顔色よくなりました」
「酷かったですか?」
「割りと……。ね、孝太郎くんはいつから料理するようになったんですか?」
春に尋ねられた孝太郎が、恥ずかしながら、と前置きした。
「ホスト始めた最初の方はもう全っ然食えなくて、ちょっと稼げるようになったら肩代わりで借金作るわでもう自炊するしか道が無くて……自炊だと腹いっぱい食べられるし……」
春が、ふふ、と笑った。
「向いてたんですね。だって今は普通に稼げてるはずなのに毎日自炊してるじゃないですか」
「おかげで料理に割高な生クリーム多用するようになりましたし、お肉料理のレパートリーも増えました」
「少し稼げてからウーバー多用して文無しになってたぼくと大違いですよ」
そう春が笑うと孝太郎も思い出したように、そうでしたね、と笑う。春が言った。
「お金の使い道って本人が決めることですから……孝太郎くんはあまり気にしないでくださいね」
件のお客さんの話をされ、孝太郎はそうですね、と答える。しかしそれは喉に刺さった小骨のように引っかかり孝太郎を気に病ませた。割り切ろうとしても、割り切れない。愛華の件は自分のせいだと孝太郎は責任を感じていた。
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