12 麻婆茄子と美しい女
茄子をごま油で炒めてから取り出しておき、そのあとで豚ひき肉を炒めて、甜麺醤や豆板醤、さらに醤油生姜にんにく砂糖を用いて目分量で味つけしていく。そこに炒めたナスを戻してから、水溶き片栗粉を回し入れた。孝太郎が春にワンコールを入れると、春が玄関からひょこっと現れた。
「わぁ、いい匂い。麻婆茄子ですね」
そう言った春に肩を触られフライパンを覗き込まれた孝太郎は、白ごはんお願いします、と春に頼んだ。春は鼻歌交じりに2人の茶碗に白ごはんをよそってローテーブルに運んだ。孝太郎はできた麻婆茄子にすりおろしたホアジャオをたっぷりかけたものを大皿で春に渡した。それに鶏ガラの元で作ったお手軽中華スープを添えて完成だ。向かい合って、いただきます、と手を合わせる。麻婆茄子を一口口にした春が、ん〜! と声を上げる。
「あの……ッ昔接待で1度だけ食べた高級中華の味がします……!! 風味がすごい!」
「よかった。中華は香辛料こだわりたくって、結構揃えてます」
そんな引き出しがあったなんて、と感動しながら春は次々麻婆茄子を口に運んでいく。孝太郎が円香とゲイバーで鉢合わせしてからもう半月が過ぎたが円香は約束を守り、孝太郎がゲイであることをアウティングしていないようだった。春に妙な警戒をされていない事を嬉しく思いつつも近頃孝太郎は別のことに悩まされていた。
「……孝太郎くん?」
箸が止まっていた孝太郎に春が声をかけると、少し考え事していて、と孝太郎は答えた。
「この麻婆茄子もお客さんに?」
見覚えのあるタッパがキッチンに出ていたので、春はそう尋ねた。孝太郎は、はい、と答える。
「手間は同じなのでまた大量に作っちゃいました」
孝太郎はそう笑って答えたが春の目にはどうもいつもより元気がないように見える。それは今日だけの話ではなく数日間ひっそりと続いていた。
「孝太郎くん最近疲れてますか? なにかありました?」
「いえ、何もないですよ。季節の変わり目だからですかね」
そう言って笑う孝太郎の笑顔は浮かない。春は心配していたが孝太郎は元気がない理由を春に言う気はないようだった。春はそっと手を伸ばし、テーブルの上で孝太郎の手を握った。
「は、春さん!?」
「スキンシップです。人の肌に触れるとリラックス効果があるようなので」
そう言って春はにこにこと笑った。春は先日取材で孝太郎と手を繋いだ時のことを思い出す。繋ぐまではもの凄く緊張したけれど、繋ぐと一気に気持ちよくて幸せな気分になれた。ネットで検索したところそれはどうも人の肌に触れたことによるリラックス効果らしかった。何十年も人とスキンシップを取ったことがなく幼いときに母親にハグされた以来のスキンシップ経験だった春にとって目からうろこだった。孝太郎の手を握っているとまた、春は頭の中が痺れるようなふわふわした心地になってきた。春は尋ねた。
「ね、幸せな気分になってきませんか?」
「あ……えっと……」
孝太郎も同じ気持ちになってくれていたらいいなぁ、と春は微笑む。孝太郎の目下の悩みがこの……春からの大胆なスキンシップの激増であることを春は知らない。
――…「それ、誘われてるんじゃないの?」
ホストクラブの店内で孝太郎から麻婆茄子を受け取った果歩は孝太郎の話を聞きそのような感想を述べた。孝太郎は、それはないです、と答える。
「さすがにこの仕事しててそれに気づかないほど鈍感ではないですよ……本っ当に他意がないんです。おそらく高校生くらいの子が友達とじゃれ合うような感覚に近いと思います」
「ああ。女子は女子、男子は男子同士でふざけて抱き合ったりくっついたりしてるのよく見たわね。でもあれって結局無意識下の性欲の発露でしょ?」
性欲の発露、など果歩にあけすけな表現をされて孝太郎は頭を抱えた。果歩は、告っちゃえば、と笑っていつものベル・エポック・ロゼを入れた。乾杯して孝太郎にお酒を飲ませてから果歩は孝太郎に顔を近づけて言った。
「向こうもまんざらでもないのかも……孝太郎、かっこいいし」
孝太郎は、面白がってますね、と顔をしかめて言った。
「告白なんてしません! わかってるんですよ。それに釣られてホイホイ告白なんてしたらドン引きされて縁切られて終わりですから。高校のときに学びました……」
孝太郎が高校生の時、やたらと距離の近くてスキンシップの多い男友達がいた。イケメンだなんだとしきりに触ってくるものだから真に受けた孝太郎が卒業の時に告白したら、フェードアウトされてそれっきりだ。果歩はしれっと言った。
「わからないじゃない」
「わかりますよ。だって果歩さんが女の子に告白されても付き合わないでしょう」
そう言われると果歩は、まぁね、と認めた。
「でもその子が料理上手の美少女なら話は変わってくるかも」
「それ家事目当てじゃないですか」
「違うわよ。私はお料理できないから、料理できる人へのリスペクトが強いの」
孝太郎はシャンパンを飲みながら、でも、と言った。
「セックスはできないでしょ」
うーん、と果歩が考えていると孝太郎は、もーいーんです、と言った。
「おれは一生好きな人とはセックスできないんです」
「あら。好きじゃない人とはセックスしたことあるの?」
そう目ざとく果歩に突っ込まれて孝太郎は少し迷ってから白状した。
「……あります。大阪にいた時にヤケになって、しました。でも余計に虚しくなっちゃって……1度だけ」
1度でやめて偉い、と果歩は孝太郎の頭を撫でた。
「偉くないですよ。ごめんなさいこんな話果歩さんに聞かせて……」
そう呟いた孝太郎の頭を抱えて、果歩は自分の肩に寄り掛からせる。
「私貞操観念がきちんとしてる子、好きよ。それが狂うとおかしくなるもの。でも孝太郎ってホストやるにしてはちょっと真面目すぎない? なんでホストになったの?」
「最初は……かっこいい男の人に囲まれて働きたくて」
不純、と果歩は笑った。
「でも今は、違います。ゲイだとわかっても色恋求めるお客さん以外には比較的受け入れてもらえるし、その上で人間関係を作れるのが魅力です。果歩さんにも会えたし」
「私?」
「東京に来たばかりで右も左もわからない時から至らないおれの事指名してくれて、歌舞伎町の事いろいろ親切に教えてくれて……おれの下らない恋愛の話までキモがらずに聞いてくれるじゃないですか。おれ、果歩さんにもっと返したいのに何したらいいかわからなくて」
「いいのよ〜。勝手に癒やされてるから。それに私の家の冷凍庫孝太郎の作り置きばっかりなのよ。美容と健康に十分貢献してくれてるわ」
孝太郎は果歩の肩にもたれかかったまま言った。
「ありがとうございます……。なんだか、スキンシップがリラックス効果があるって話、今ならすごくわかります。果歩さんの隣、落ち着く……。たぶんあの人がおれに触ってくるのもこういう気持ちなんだろうなって、思いました」
いきなり果歩が、ちょっとごめんね、と孝太郎の肩を押してを遠ざけた。
「果歩さん?」
「今日のあんたなんか弱ってて……いつもよりいやらしい雰囲気がするのよ」
「え! でもおれ完全にゲイなので変なこと考えてませんよ」
そう眉を下げた孝太郎に、そうなのよね、と果歩はこめかみを押さえた。
「私は孝太郎の気持ちがわかってきちゃった……あんたに下心無いってわかってても、今日の孝太郎なんだか弱ってていやらしい感じしてるの。そんなテンションで甘えられたら変な気分になるから離れてて」
ええ! と孝太郎は声を上げて、すみません、と孝太郎は果歩から距離を取った。なるほどねー、と果歩は納得したように言った。
「確かにこれは好きな相手から無防備に日常的にやられたら困るかも〜。その彼にベタベタ触られて、もう襲っちゃいたいってならないの?」
「それはあまり考えないようにしてます……。だって怖いじゃないですか。安全だと思ってたのにこんな図体でかい男が急に迫ってきたら……おれ絶対に不快な思いや怖い思いはさせたくないんです……」
「難儀な子ね……こーんなモテそうな顔してるのになんでノンケの男ばっかり好きになるのよ」
「それはおれも思ってますよ」
果歩のグラスが空いて、孝太郎がシャンパンを注ぐ。そして空になったボトルをびっくり返してアイスペールにさした。
「もしわたしが孝太郎の顔と身体で生まれてたら、ゲイ隠したままホストやって売上ガンガン上げて、ゲイの可愛い男の子をペットにしちゃうくらいするのに」
「……そんなことしません……できませんし」
「その不器用なところが放っておけないのよ。ね、今日はとことん飲む日にしよっか」
慰めてあげる、と言った果歩はそれからベル・エポック・ロゼを2本追加で空けて、朝方まで店にいた。酔ってしまって少しうとうとし始めた孝太郎の頬を果歩はぺしぺし叩いた。
「今日は飲ませすぎちゃったわね。孝太郎が嫌じゃなかったらタクシーで寄って家まで送ってあげようか?」
孝太郎は、お願いします、と果歩の厚意に甘えた。
「おれ、ゲイやのに果歩さんほんま優しい……好きです」
そう言った孝太郎の顔を掴んで、えい、とそっぽ向かせた。
「果歩さん……?」
「ちょっとそのトロンってした感じと大阪弁がさらにエロいからあっち向いてて!! あと好きって言う時はちゃんと『人として』とかつけなさい」
「ええ……」
店を出てから、果歩と孝太郎は2人でタクシーに乗り込み孝太郎は自宅を運転手に伝える。
「微妙に遠いのね」
「内見行った時にあの人見てしもたから……勢いで」
馬鹿ねー、と果歩は笑った。果歩の膝に、孝太郎が頭を置いて横になる。そんな孝太郎の耳をくすぐった。
「ん……こそばい……」
そう言って膝の上で身をよじった孝太郎に果歩は庇護欲をかきたてられていた。孝太郎は無自覚だが、ゲイゆえに女性相手にはひどく無防備だった。ゲイだとカミングアウトした上で指名してくれているというだけで心を許してしまうようだし、何故かすぐ信頼する。今も、こんな風に酔って自宅まで教えてしまっている。果歩はそんな孝太郎が可愛くて、よしよし、と孝太郎の頭を撫でた。孝太郎のハイツについて孝太郎が、ありがとうございました、とタクシーを降りようとするとよろけたので果歩は、しょうがないわね、とタクシーを待たせたまま一緒に降りた。身体を支えて、階段を上がる。
「果歩さん何から何までありがとう……」
「もー! 力抜けるから耳元でエロい声出すな! 落ちるわよ」
「出してへんもん……」
階段を上がり切って孝太郎の部屋について、孝太郎はおぼつかない手つきで鍵を開けた。
「じゃーね。水飲んで寝るのよ」
「ほんまにありがとうございました」
そう言って孝太郎は大型犬が甘えるように果歩に抱きついた。そんな孝太郎の頭を果歩が撫でていたら、ガチャン、と隣の部屋のドアが開いた。そこの住人が顔を出す。なんとも地味な男だけど顔立ちだけは綺麗ね、などと果歩は思ったが同時に、はた、と思い出した。孝太郎の想い人は横の住人だと言っていたことを。
「あ、あ〜! あ〜! ちょっと、あんた離れなさい、こら! ねぇ!」
果歩は焦って孝太郎を引き剥がそうとしたが寝ぼけているのか起きない。そうこうしている間に隣の住人はサッと引っ込んで自分の家に戻ってしまった。
「あ〜……絶対誤解されたわよ……」
知らないからね、と果歩は孝太郎を家に突っ込んで帰った。コツン、コツン、とヒールが階段を降りていく音が外から聞こえてきて、春は少しホッとしていた。2人は親密そうで、あのまま部屋になだれ込んでしまいかねない雰囲気に見えたからからだ。孝太郎が甘えるように抱きしめていた女性は春が今まで見たことないくらい、綺麗な人だった。美しい顔立ちに、ふわっとしたブラウンのロングヘア。すらっとして都会的で、孝太郎とよく似合っていた。春は胸が締め付けられて、何故かわからないが苦しくなった。
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