第一章 不幸の始まり(2)
◆
ガタッという音がして、ルーナはハッと目が覚める。すぐに体を庇うように抱きしめて、周囲を見て……ルーナは伯母のドーラの家へ来たのだったと思い出してほっとする。
(ここは外じゃないから、危険なんてないのに)
両親の死後、洞窟で怯えながら生活してから、ルーナはちょっとした物音にも敏感になってしまっていた。
物音の原因は窓の金具が外れそうになっていて、強い風で音が鳴ってしまっただけみたいだ。窓の外を見ると、ちょうど太陽が昇ったところだった。
顔を洗ったりする水は、家の裏にある井戸を使う。ここら辺の共同井戸なので、ほかの家の人も使うため、汚したり壊したりしないように気をつけなければいけない。
季節は秋。朝の風は冷たいけれど、井戸の水はまだ少し温かく感じる。顔を洗って口をゆすいで、ルーナは大きく深呼吸をした。
「今日から、おばさんの花屋のお手伝いだ!」
ドーラたちは花師ではないけれど、花を売る仕事をしている。花は生活に欠かせないものなので、どの街にもたくさんの花屋があるのだ。
ルーナの夢は、両親と同じ花師になって多くの人を助けること。そのため、花に関わる仕事ができるのは純粋に嬉しかった。
パンとミルクで朝ご飯を済ませたら、ルーナは店の手伝いだ。
ドーラが店番をして、マッシュが花の仕入れを行っているという。店構えは質素だけれど、花があるので華やかに見える。夜の間は店内にすべての花をしまい、日中は花を店先に並べて販売する。高価な花は日中も店の中だ。
「ほら、ルーナ! きびきび動く! 遅いんだよ!」
「……っ、はいっ!」
早くしろとドーラに背中を思いきり叩かれ、ルーナは店内にしまわれていた花を外に並べる。
たっぷりの水が入った木桶に花を移し替えるのも仕事の一つ。花はこまめに水を替えてあげなければいけない。その理由は、水分に含まれているマナが花の栄養となるため、次第に水からマナがなくなってしまうから。なので、こまめに水を替えるというのが花屋にとってとても重要な仕事なのだ。
含まれるマナの量は、水によって異なる。雨水などにはほとんど含まれず、大きな湖や、山の奥の泉など、長く自然と共にあった水ほどマナを多く含んでいる。井戸水にもマナは含まれているが、湧き水などに比べると少ない。
花をすべて並べると、ドーラがルーナを見た。
「明日からはもっと早く準備するんだよ。あんた、花の種類は知ってるのかい? エリーナに教えてもらってたのかい?」
「! わかりますっ!」
ルーナは頷いて、並んだ花を一つずつ説明していく。店で扱っている花は一般的な生活花で、どれも両親が教えてくれていた。育て方も知っている。
「よく使われるのは、この『灯花』! 暗くなると蕾が光って、辺りを照らしてくれる」
ランプのように光る小さな白い蕾がいくつもついている花で、咲いたときがランプとしての寿命。しかしその花が咲く一瞬はとても美しく儚いため、好む人は多い。散った花びらは数時間の間は温かいので、寒い冬は袋などに入れて携帯したり、布団の中に入れたりして温めることもできる。
蝋燭よりも手ごろで使いやすいため、どの家庭も灯花を使っている。もちろん、ほかにも水花や火花など……生活を支える花は数えきれないほど存在する。
「こっちは『幸せの眠り』! 寝付けないときに使うと、ぐっすり眠れて楽しい夢が見れるの。わたしが熱を出して寝込んでるときに、お母さんが使ってくれたことがあって……辛いはずなのに、ちょっと楽しかったの!」
風邪のときに使うことが多いけれど、大人になると疲れたときに使いたくなる花だとも母は言っていた。大きな一輪の水色の花が咲き、三日ほど効果が続く。
「それから、こっちは──」
「何それ、自慢?」
「え?」
次の花の話をしようとしたら、二階の自室から下りてきたマリアがルーナを睨みつけていた。
「わたしだって花には詳しいんだから。そんなにいちいち説明しなくても、お母さんだってちゃんと知ってるんだから。ルーナの声がうるさくて、勉強に集中できないじゃない!」
「あ、うん……。ごめんなさい」
どうやらルーナの声が気になって、店先に来たようだ。
勉強の邪魔をしてしまったのは申し訳ない。そう思ってルーナが素直に謝ると、マリアは「ふんっ」と鼻を鳴らして部屋へ戻ってしまった。かなり機嫌が悪そうだ。
ルーナは申し訳なさそうな顔をしつつ、ドーラに尋ねる。
「……マリアお姉ちゃんはなんの勉強をしてるんですか?」
ここは大きな街だから、学校があると両親に聞いたことがある。しかしその学校は、王侯貴族や一部のお金持ちが通うところだったはずだ。平民のマリアが通うのは難しいだろう。ルーナがそう考えていると、ドーラが「花師の試験だよ」と教えてくれた。
「えっ、お姉ちゃん、花師になるの!?」
「次の試験を受けるんだ。だから、勉強の邪魔はしないでおくれよ」
「はいっ!」
自分だけではなく、マリアも花師を目指していたのだとルーナは驚く。そして同時に、一緒に花師を目指せることが嬉しくなる。
(今度、花の話を一緒にできるかなぁ?)
「なんだい、ニヤニヤして気持ち悪いね……」
「あ、えっと、わたしも花師になりたいんです! だから、一緒なことが嬉しくて」
「あんたが花師に?」
ルーナが夢を伝えると、ドーラは驚いたあと、大きな声で笑った。
「あっはっは! まったく、何を言ってるんだい、ルーナ。エリーナに憧れてるのかもしれないけど、あんたには無理だよ。花師は国家資格だよ。しかもその合格率は千人に一人と言われているんだ。花師になるなんて、無理無理、無理だよ!」
「……っ!」
ドーラの言いように、ルーナはショックを受ける。確かに、難しい試験だと両親から聞いていた。すごくすごく頑張らないと受からないよ、と。
だけどそんな真っ向から否定しなくても……とルーナは思う。花師は給金もいいし、新しい花を生み出したりすることもでき……憧れの職業だ。ルーナを含め、目指す人は年齢問わず多いだろう。
そしてもう一つショックな事実を知ってしまった。
(でも! 千人に一人しか受からないっていうのは聞いてないよ、お母さん!)
思わず心の中で叫んでしまったけれど、花師になるというルーナの目標が変わったわけではない。さらに頑張るだけだ。
今の話を聞いても目を輝かせたままのルーナをドーラは睨みつける。
「花師だなんて言ってないで、あんたは店の手伝いだよ。マリアを勉強に専念させるために、あんたを引き取ったんだからね」
でなければあんたを引き取ったりはしないと、ドーラに言われてしまった。そのことにルーナは傷つくも、引き取ってもらったのだから手伝うのは当然だと自分に言い聞かせる。
(別に応援してもらわなくていい。だって、住む場所を用意してくれたんだから。それだけでわたしには十分だもの……)
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