プロローグ 戦禍に咲く花(2)

   ◆


 水やりを終えたルーナが一階の一室を覗くと、母──エリーナと父のブラムが怪我人の治療にあたっていた。この部屋は治療室として使っている場所で、ほかにも怪我人が寝ている病室などがある。

 エリーナが手に持っているのは、息吹の花、造血花、やすらぎの花だ。どれも治療などに使われる花で、珍しい部類に入る。数があまりなく育てるのが大変で貴重なのだ。ブラムは包帯などを持っている。

 治療されていたのは、全身が毛で覆われた犬に近い姿の夜人。背中にあった大きな傷は、花で治療し、ブラムによって包帯で手当てされている。花も万能ではないので、怪我の程度によっては本人自身の治癒力も必要になる。

「お母さん、お父さん、水やり終わったよ」

 治療が終わるのを確認してから、ルーナは二人に声をかけた。

「ああ、ルーナ。ありがとう。上手にできたかい?」

「うん! みんな喜んでたよ。ほかに手伝いはある?」

 ルーナはブラムの問いに胸を張って答える。水やりは難しくもあるけれど、花たちが喜んでくれるので好きなお手伝いでもあるのだ。

 そんなルーナを見て、エリーナは嬉しそうに微笑む。

「よくできたわね。そうね、それじゃあ……パンをもらってきてもらえる? お昼ご飯にしましょう」

 エリーナの言葉に、ルーナはぱぁっと顔を輝かせる。お手伝いをしていたこともあって、お腹がペコペコだった。

「任せて!」

 ルーナは元気よく頷くと、部屋を飛び出した。


「わっ、雨が降ってる!」

 さっきまでは晴れていたのにと、ルーナは口を尖らせる。ここ数日は天気がよくなくて、地面もぬかるんでいるところが多い。

 パンは小屋から五分ほど歩いた天幕で焼かれている。戦中ということもあり材料が少なく、食料などは集落で管理され支給されているのだ。

 しかしルーナが天幕へ着くというところで、ドサリという鈍い、何かが倒れるような音が聞こえてきた。

(……? なんだろう)

 気になったルーナは、警戒しつつも音がした方へ歩いていく。ここは戦地から比較的近いため、逃げてきた怪我人などが行き倒れていることが何度かあった。

「確か、ここら辺から聞こえたような──っ!」

 目的の物を見つけたルーナは、ひゅっと息を呑む。視線の先には、体格がルーナの二倍はあるだろうという夜人が倒れていたからだ。顔周りのもさっとした毛はまるで獅子のような風貌だが、頭からは二本の角が生えている。ただ、そのうちの一本は根元から折られてしまっている。おそらく戦いの中で失ってしまったのだろう。周囲にも血が流れて、まるで水たまりのようになっている。

「ぐ、う……っ」

「っ、大変! すぐに運ばなきゃ! って、わたしじゃ重たくて無理だ! お父さん、お父さんを呼んでこなきゃ!!」

 ルーナは慌てて踵を返し、ブラムがいる小屋へと走った。


 木桶の上で湯の花の茎を切ると、たっぷりの湯が溢れ出てくる。ルーナはそのお湯を使い、倒れていた夜人の傷口を優しく拭っていく。雨が降っていたこともあって、泥が酷い。その横では、ブラムとエリーナが治療のための花を用意し、運ぶのを手伝ってくれた男性たちは何か手伝いができればと待機してくれている。

「お父さん、大丈夫だよね? 助かるよね……?」

 ルーナが不安そうにブラムに聞くと、「もちろん」と大きく頷いてくれた。こういうときのブラムは、とても頼もしい。

 先ほどルーナが見つけた夜人は、ブラムと数人の男性とで小屋へ運び込まれた。ベッドへ寝かせ、今から花を使い治療を始めるところだ。時折「うっ」と苦しそうな声をあげるので、ルーナは心配で仕方がない。

「落ち着きなさい、ルーナ。治療もそうだけれど、体を清潔に保つことも大切なのよ。でなければ、治る怪我も治らないわ」

「……うん!」

 エリーナの言葉を聞いて、ルーナは落ちついて夜人の腕を拭いていく。傷口に土などの汚れがついたままがよくないというのは、幼いルーナにもわかる。

「お父さんとお母さんが治療してくれるから、もう大丈夫だよ」

 ルーナが元気づけるように声をかけると、夜人の目がぴくりと動く。どうやら意識が戻ったようだ。

「……っ?」

 夜人の目が自分を見つめたのに気づき、ルーナはすぐに声をあげる。

「お母さん!」

「目が覚めましたか? ここは戦場近くの負傷者や逃げた者が集まり自然にできた集落で、治療を行っている場所です。国の管理下にない場所です。もう大丈夫ですから、安心してください」

「まずは造血花を使うよ」

 エリーナが話しかけ、ブラムが治療を進めていく。夜人は意識が戻ったといっても完全に覚醒したわけではないようで、朦朧としている。おそらく血が足りないのだろう。

「ルーナは息吹の花を持ってきてちょうだい。この怪我だとあと……そうね、五本お願い」

「わかった!」


 二階の自分たちの部屋をバァンと開けると、花たちが『何事?』『ああほら、急患じゃない?』とルーナのことを話しだした。

「そうなの! 息吹の花が五本ないと治療できなくて──あ」

 ルーナが慌てて息吹の花を摘もうとしたが、その数はちょうど五本だった。息吹の花は育つまで時間がかかるので、数が少ない。

『わたしたちを摘んでいきなさいな、ルーナ』

 ルーナの戸惑いを感じたらしい息吹の花が、優しく、けれど諭すように言った。

『一番ルーナと話をしているのはわたしだものね。戸惑ってしまう気持ちもわかるわ。けれどわたしたち花は、使ってもらえることが嬉しいの。いつも言っているでしょう?』

「……うん」

 息吹の花の言葉に、ルーナはコクリと頷く。花はいつも使ってもらうことを望んでいる。それが幸せなのだと言う。以前、なぜかと理由を聞いたこともある。けれど、花はそういうものなのだと優しく告げられるだけだった。

「ありがとう、息吹の花」

『わたしたちをよろしくね』

「うん」

 ルーナは息吹の花を五本すべて摘み、階下の治療室へ戻った。


(よかった、これで助かる!)

 しかしルーナがそう思ったのも束の間で、「人間に治療される謂れはない!」という怒声が響いた。どうやら夜人が目を覚ましたようだ。ルーナは慌てて治療室へ入る。

「これ……!」

「ありがとう、ルーナ」

 すぐにエリーナが息吹の花を手にすると、「押さえていて!」とブラムと男性たちに指示を出す。そう、エリーナはいつでも治療を優先させ、実力行使なのだ。こういうときのために、意識のない夜人が来た場合は手伝いと称して治療室に男性が待機することが多い。

「な……っ、これしき……ぐぅっ」

 夜人はもちろん反抗しようとするが、意識を失うほどの重傷だったのだ。多少回復して意識が戻っただけで、数人の男性が押さえつけるのをどうにかできるわけがない。

(いつもながらパワフル……)

 こうなったら、ルーナは危険なので離れて見守ることしかできない。

「息吹の花よ、この者の怪我を治してちょうだい」

 エリーナの言葉に反応するように、息吹の花が淡く輝いた。そして花の中心から一滴の雫が零れて、夜人の怪我を治していく。

「わああぁぁ……」

 いつ見ても神秘的な光景に、ルーナは胸が熱くなる。いつか自分も両親のように、敵味方と差別することなく人々の怪我を治したり、生活をしやすくしたり、花を使って幸せにしたいと思っている。ルーナにとってエリーナとブラムは、自慢の両親なのだ。

「ぐっ、う……。……なぜ、人間が俺の治療をするんだ」

 息吹の花を三本使ったところで、不可解だというように夜人が口を開いた。彼にとって人間は自分たちを攻撃してくる者で、治療する者ではないのだろう。しかし、エリーナの返事はとても単純だ。

「怪我人がいたら助ける。常識でしょう?」

「じょ、じょうしき……」

 あっけらかんと言ったエリーナに、夜人は意味が解らないといった表情をしている。それを見たルーナはクスクス笑う。今まで助けてきた夜人も、みんな同じ反応をしていたからだ。

「む……? 子ども?」

「私の娘のルーナよ。この子が行き倒れているあなたを見つけたんだから、感謝してちょうだいね」

「この娘が?」

「天幕の近くで倒れてたんだよ」

 ルーナが夜人を見つけたときのことを告げると、思い当たることがあったようで「そういえば天幕を見つけたのだった」と口にした。それが夜人の野営地か確認しようとしたところで、力尽きたのだという。

「……助けられたのは別に本意ではないが、礼は言わねばならぬようだな。ルーナよ、助けてくれたこと感謝する。俺の名前はレーギスだ」

「どういたしまして! レーギスさん、ゆっくり休んでね」

「ああ」

 予想以上に素直に礼の言葉を口にした夜人──レーギスに、ルーナは破顔する。人間は夜人のことを化け物と呼ぶけれど、見た目が違うだけで人間も夜人も同じだとこういうときはいつも以上に思う。

(……戦争なんて、なくなればいいのに)

 そうすれば、レーギスのように怪我をして苦しむ人がいなくなる。しかし子どものルーナにはどうしようもない。両親にだって、どうしようもできないのだから。

「さあ、あなたはもう少し寝ていてちょうだい。今、体にいいものを用意してもらうわ。ほかのみんなもお昼にしましょう」

 エリーナが手を叩いたことで、この場は解散となった。


 ルーナたちが出ていき、レーギスは治療室に一人残された。

「……いくらなんでも、夜人の俺だけを残すのは不用心じゃないのか?」

 もしも先ほどの会話がレーギスの演技で、本当は隙を窺っていたのだったらどうするつもりなのか。しっかり治療まで行われてしまった。

「いや、感謝はしているが……」

 敵国ではあるが、その甘さで大丈夫なのか? と心配になってしまう。本当に自分を一人にしたのだろうかと、レーギスは意識を耳に集中させる。自身のマナを使い、体の機能を向上させることができるのだ。すると、聞こえてくるのは「パンをもらってくるね!」というルーナの声と、「雨で転ばないようにね!」「食事の準備をしますよ」というほかの人間の声。部屋の扉の前で自分を見張っているとか、様子を見ているとか、そんな人間は本当に一人もいなかった。

「はあ……」

 警戒した自分が愚かではないかと、思ってしまう。しかし警戒しておくに越したことはないだろうと、レーギスはそのまま聴力を上げた状態でベッドに横になった。

 ……しばらくして、何頭もの馬の足音が聞こえてきた。集落の入り口辺りだろうか。

「なんだ……?」

 その後、鎧か何かを着用しているだろう大勢が歩く音が耳へ届く。もしかしたら、自分を拘束するために人間たちが騎士団に連絡したのかもしれない。

 しかし、レーギスの予想は外れた。エリーナの「その話はお断りしたはずです!」という声が聞こえたからだ。

「……?」

 レーギスには状況がわからないが、自分を治療した人間がほかの人間に責められているらしいということはわかった。続いて聞こえてきたのは、ブラムの声だ。

「私たちは戦争のために花を作るようなことはしません。花は暮らしを支え、豊かにするためのものです。争うための道具ではない!」

「これは国王からの勅命であるぞ! どういうことだ!! これ以上逆らうというのなら、花師の資格を剥奪するぞ!!」

「ええ、どうぞ!」

 やってきた人間とブラムの会話で、大体のことがわかった。人間の国、コーニング王国の国王が花師であるブラムとエリーナに武器となる花を作れと命じているようだ。

「確かに、人間が扱う花は不思議で神秘的だ」

 完治とはいかずとも、ああも簡単に傷を癒してしまうのだ。戦争をしていることを抜きにしても、喉から手が出るほどほしいだろう。それはエデルとて同じだ。

 エデルに住む夜人は自身のマナを使い身体強化を行ったり、魔法を使ったりすることができる。けれど治癒の魔法というものは存在しない。それに人間のように花を育てることはできないし、そもそもエデルで花は咲かないのだ。

(あの二人は、かなり優秀な花師なのだろうな……)

 しばらく経つと、言い争いの声は小さくなり、国王の使いは出ていったようだ。話が終わったことに、なんとなくレーギスはほっとした。

 それから何事もなかったようにエリーナが昼食を持ってきたのを見て、レーギスはこんな人間もいるのだな……と感慨深い気持ちになった。


 ──しかしまだ、戦争は終わっていない。

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