#28 牧草の上で

公表のおかげだろうか。駆け付けた現地の警察への引き継ぎ処理は三十分程度で完了し、僕らはすぐに宿泊予定のホテルへとチェックインすることができた。


朝目が覚めると、僕は叫びながら飛び起きた。

「牛乳っ!」


荒い呼吸を落ち着けながら、額に触れる。寝汗がびっしりだった。


明晰夢ではなかったのだが、夢の中で僕はずっと昨晩のことについて考えていた。

寝ている間に、僕は思い出せたみたいだった。


カブラパチュリには大きな二本の牙があった。

もしあの時の痛みが、小さいカブラパチュリに噛まれたからだとしたら……


僕は仮説を確かめるため、あの時痛かった手首を確認すると、何かに噛まれたような痣が二つ並んでいた。


「これ、大丈夫かな……?」

僕はついそう口に出した。


……


鈴木兄妹は、山盛りにした朝食バイキングを頬張っていた。


「そっか。もしその仮説が正しいのであれば、カブラパチュリの幼体……かどうかはわからないけど、小さい個体が最低一件は逃げ延びている可能性が高いってことだね。」

笛野宮さんが言った。


「はい。それに大きな個体を切った後最初出てきた一件……それを刃先で潰そうとした時も、一瞬頭がくらっとして、自分が今何をしようとしているのかがわからなくなって、動きが止まってしまったんです。その時は、すぐに気が付いて仕留めましたけど。」


「なるほど。意識を混濁させているのか、それとも記憶自体を封じているのか、実際どっちなのかはわからないけど、そういう能力もありそうだね。」


「すみません。あの時気づいていれば……あれが幼体だとすれば、増殖・成長してしまう恐れもありますし……。」


「いいや、そんな能力を持っている相手なんだ。一度で撲滅するのは限りなく不可能に近かっただろう。むしろ桜田君がこんなにも気づいてくれたおかげで、手遅れになる前に対処できそうだ。もうあとは楽勝だよ。」


「うーん…………」

僕はうなった。


すると笛野宮さんは付け足した。

「楽勝楽勝。フラグとかじゃなくて、確信を持って、ね!

……ほら!」


笛野宮さんが僕の口に何かを入れてきた。

租借し、飲み込む。チョコレート味だ。


「ほらってなんですか。」


「いや、このチョコケーキ美味しいよねって。糖分補給しときなー。

ふふっ。それともチョコより、法螺貝の方が良かった?」


…………


「わあ、本当にいた。可愛いですね」

笛野宮さんが言った。


「ですよねっ!カパチュ、かわいいって」


店員さんに抱きかかえられた生物は「チュパ」と鳴いた。


「触ってみますか?」


「いいんですか?それじゃあ早速」


「笛野宮さん」

はしゃいだ様子の笛野宮さんを、僕は制止した。


「いいじゃないか。触る分には問題ないはずだ。」

笛野宮さんはそう言うと、カパチュと言われているその生物を撫でた。


「おお~かわいいねえ~っ!」


笛野宮さんは店員さんに訊いた。

「ところでこの子、何という動物なんですか?ほら、犬とか猫とか……」


「なんでしょうね?ワンちゃんなのか、おさるさんなのか、よくわからない不思議な生き物なんです。」


店員さんが答えると、笛野宮さんは続けて言った。

「お姉さん、知ってますか?フェノメノンって。最近流行ってますよね。」


「え?」


「前は未確認生物とかって言われてたやつ。あれですよ。」


「……あ、あー!なんかテレビでそんなのやってましたねー」


「この子って……」


「カパチュはぬいぐるみなんです。フェノメノンとか、そんなんじゃありませんから……!!」

店員さんはそう声を荒立てた。


「っ……」


笛野宮さんは振り返って、僕らに言った。

「ほらね、やっぱり気づかれてないでしょ?」


「えっ、まあ……そうなんでしょうか」

僕は、自分自身でも意図がよくわからないような感じの返事をしていた。


「別に私とお兄ちゃんは疑ってない。不安がってたのはエイジだけ。」

ユウリが言った。


「そうだそうだ。でもそんなことより腹減った、なんか食おうぜ。それこそ、腹が減ってるから不安な気持ちに苛まれてるのかもしれねえし。」

レイジが言った。


僕らはレストランに向かった。


「注文が決まりましたら、そちらのベルでお呼びください」


ウェイトレスが去ると、メニュー表を見ながら笛野宮さんが口を開いた。

「私、さっきなんて言った?」


「おお~かわいいねえ~っ!」

レイジが言った。


「違う違う!最後に言ったやつだよ!」

?」


「それ

「わあ、本当にいた。可愛いですね」

ユウリが言った。


「違う違う!それは最初に言ったやつだよ!」


「ほらね、やっぱり気づかれてないでしょ?……ですかだ!さっすが桜田君!」


「周りがふざけてる時に真面目な答えをしなきゃならないのって、辛いです。

それで褒められたりすると、尚のこと。」


「いいじゃん、私は純粋に褒めてるんだからさ!」


「それはありがとうございます。」


どれにしようかな、とメニュー表を眺めた。

せっかく牧場に来たんだし、この乳牛のステーキでも食べてみるか。


「注文決まったー?」

笛野宮さんが訊いた。


「うん、決まった。ハンバーググラタン。」

ユウリが答えた。


「私赤身ステーキ~」

笛野宮さんが言った。


「僕は乳牛ステーキにしようと思います。」


「乳臭そう」

笛野宮さんが言った。


「そんなこととっくに想定済みです。というよりやめてください、食べる前からネガキャンをするのは。」


沈黙が走った。


「……お兄ちゃんは?」


「………………ペ、ペペロンチーノ。」

レイジは険しい顔で言った。


「お兄ちゃん、ペがひとつ多いよ」

ユウリが言った。


「なんでそんな掠れそうな声なんだ?お腹でも痛いのか?」

僕は訊いた。


「いや、そういうわけじゃないが……」


「あっ、そうか。牧場で牛を見たから、牛は食べれないってわけか。

そういうの、前から結構気にしてるもんね。」


「ち、違っ……!わねえけど……」


「まあいいんじゃないか。僕らは好きなように食べるけどね。」


「せっかくだし桜田君が注文言ってよー!」

笛野宮さんが言った。


「えっ、なんでですか……」


「みんなの注文覚えたでしょ?」


「それはまあ……」


次の瞬間ユウリがベルを鳴らしていた。

「あっ!?なんてことを……」


僕は、ユウリにドヤ顔を、レイジに険しい顔を、笛野宮さんに笑顔の圧を向けられながら、注文をした。

誤りなく注文を終えると、三人から拍手が起こった。


料理が届き、僕らは食べ始めた。

それに合わせて、途中だった話を再開した。


「”ほらね、やっぱり気づかれてないでしょ?”って、まるでラボ制服の個人識別能力阻害機能を初めて使ったかのような発言だよね。」

笛野宮さんが言った。


「はい。もう既に僕たち四人とも、効果のほどは確認した上でフェノメノン被害もこの半年間で何十件も対処してきたわけですし。……僕ら北海道に来たの、去年の9月ですよ!?今2月ですよ!?」

僕が言った。


「そうだね。」


「そうだね。じゃないですよ!半年って結構な期間ですよ!?」


「そうかな?まあ、だからこそカパチュの正体がカブラパチュリだって気づけたわけだけどね。幸い成長速度も思ったよりは緩やかで、繁殖増殖もしてないみたいでよかった。

勿論、採取済みのカブラパチュリのフェノメナルフィブラを利用して、具体的な位置はわからずとも個体数の推移の確認はしていたわけだけど。1、1、1、1......って。


フェノメナルフィブラを参照しても具体的な位置がわからなかったのは、今思えばカブラパチュリの意識や記憶を混濁させる能力が働いていたんだろうね。」


「でもどうしような。あんな大事そうにしてるの。」

大盛りのペペロンチーノを飲み込んだレイジが言った。


「そうだな。だからといって、対処しないわけにはいかない。」

僕は言った。

「直売所の店員さんの手首、僕が噛まれた時と同じ、二つの傷跡があった。人の血の味を覚えたカブラパチュリが今後人を食べないという保証は、どこにもない。」


………………


2021年2月14日日曜日17:18。

牧場の直売所は閉店前の、比較的閑散とした夕暮れに染められていた。


「今日はおやすみなんです。チョコを食べてしまうかもしれないので。すみません……!」

私はどうにか笑顔を作って言った。


「あっ、そうなんですね」

「それじゃあ仕方ないか」

「え~やだ~!」

小さな女の子が、母親の背中でだだをこねた。

「じゃあソフトクリームでも食べようか」

両手が荷物で塞がった父親が、女の子に言った。

「ソフトクリーム!」

女の子は「チョコ!ソフトクリーム!チョコ!ソフトクリーム!バレンタイン!バレンタイン!」と歌うように言った。


そのまま、家族の声は遠のいて言った。


「バレンタインフェアか~!カワイイ装飾ですね。」


「ありがとうございます!いらっしゃいま……」


私が向くと、そこにいたのはこの前の変な四人組の、白髪の女性だった。

今日は三人だけど……


「今日はいないんですね、カパチュちゃん。昨日も……いなかったみたいですけど。」


私は笑顔を作って言った。

「カパチュは私と一緒ですから、私がこの直売所の担当じゃない日はいませんよ。」


するとその女性は言った。

「実はその前も来ていたんです。あなたの姿は見えましたが、カパチュちゃんは……」

私は思わず叫びだしそうだったが、どうにか押し込めた。


「おっと。覗くような真似をしてしまってごめんなさい。ただ、あなたがなんだか慌ただしそうな様子だったので。」


「……何が言いたいんですか?」

すると女性はおもむろに、着ていたコートのジッパーを下げた。


私は目を見開いた。

その瞬間、その女性が見覚えのある人物であることを思い出した。

悪い動機がした。


その人物、笛野宮フィブラは名刺を出した。

わたくし、こういう者です。……金田静さん、少しお話しませんか?」


「……ああ、父から聞きました。この辺にフェノメノンが出没するかもって。」


「ええ、もしかしたら人が食べられてしまうかもしれませんから。」


「それはこわいですね。でも、大丈夫です。ご近所でも、怪物を見たとかそんなことは、誰も言っていませんから。噂話すらありません。そんな怖い話を広めているのは、あなた方だけですから。」


「ご両親とはもうお話をさせて頂きました。牧場の責任者であるあなたのお父様に話をつければ、本当はそれでもうあとは……。ですが、あなたとも話をしておこうと思いまして。」


「……はい?」

嫌な予感が最高潮に達して、震え声が出た。


「あなたがカパチュちゃんと呼んでいるフェノメノン、カブラパチュリを」

「カパチュは人を食べたりしません!」

私はとうとう堪えきれないくらい気が動転して、その場を逃げ出した。


走った。


カパチュが危ない。


私は倉庫へと走った。


カパチュのいる倉庫が見えた。


「カパチュ……!」


私ははっとして後ろを見る。

よかった。誰も追ってきていない。


倉庫の扉を少し開け、入るとすぐに閉めた。


そこにはカパチュが横になっていた。

大きないびきをかきながら。


私はほっとした。


「カパチュ……」


少しだけ巨大になってしまったけど、真っ白だった体毛には何故か黒ぶち模様が増えてしまったけど、それでも君は私の大事なカパチュだ。


やけに明るいなと上を見ると、電気がつけっぱなしになっていた。

「電気消し忘れてた……でも寝れてるみたいだし、いっか。」

私は独り言を言った。


「丸呑みすると色が反映されるんですね。」

横から声がした。


私は驚いて後退ると、そこにはさっきの三人と同じ上着を着た人がいた。


「勝手に入ってこないでください!」


「許可証はお貸しいただいていますよ。」

その男は、首から下げた見学許可証を見せた。


「その許可証は、倉庫に好き勝手入っていいという意味ではありませんよ!」

私は怒って、その人を押し返そうとした。

「出ていってください!」


「静!」

そこにやってきたのは父だった。


「お父さん!お母さん!この人追い出して!」


「違うんだ。お父さんとお母さんはその人たちと話をした。それで」


「なんで……?なんでそんなことしたの?……ねえ!?」


「この傷跡、見覚えありませんか」

その男は、私に手首を見せた。


二つの赤い点……私はつい自分の手首を見た。


「……あっ」

しまった、と思った。


「……すみません!でも、ここに来てからは私だけです!私以外の血は吸ってないんです!だから……」


その男は首を横に振って言った。

「カブラパチュリに吸血された痕……あなただけじゃありませんよ。ご両親にも、あります。」


「……えっ?」

血の気が引いた。


「黙っていてすまない。カパチュは夜な夜な布団に潜り込んできて……静がかわいがっていたカパチュのこと、心配させたくなくて言い出せなくて……。」

「でも、静もされていると知ったら話は別だわ。」


「…………」


「牛が一頭消えたと聞きました。食べましたよね、きっと。」


私はカパチュを見た。白黒の巨体に変貌したカパチュ見て、私は気分が悪くなった。


それでも声を振り絞った。

「でも、カパチュは悪い子じゃないんです!私が牛さんにぶつかって転んじゃったから、きっとそれを私が攻撃されたんだと思って、それで……」


「……そうですか。」

男は頷いた。

「そ、それじゃあ……!」


「人の血の味を憶えたカブラパチュリが、人を食べてしまわない可能性は著しく低いです。たとえばあなたがご両親やご友人と喧嘩したら?それがたとえ本気の喧嘩でない、お風呂に入る順番や、ピザの最後の一ピースの取り合いだったとしても、カパチュはあなたを守るために人を食べる……と思います。

悪い子じゃない。いい子だからこそ、そうなりえるんです。」


「……………………………………………………」


私は乱れる呼吸を、どうにか整えた。すーっと息を吸って、吐いた。


「カパチュを、連れていくんですか。」

わかっていた。きっと殺されるってこと。もう会えないってこと。でも、気になっていたのに、殺すんですか?とは、直接的には聞けなかった。


「はい。」


「……………………わかりました。ご迷惑をおかけしてしまい、誠に申し訳ありませんでした。私が浅はかでした。怪物から助けていただいてありがとうございました。」

私は途切れそうになる声を振り絞って、涙が滲みかけてか顔がよく見えないその人に、ほとんどやけになって言った。


「静……」

そう言って私に触れた両親に首を振り、扉に手をかけた。


するとその人は言った。さっきとはなんだか違う声色で。

「あの、まって」


「なんですか?」

私は苛立ちながら振り向いた。


すると、その人の手に握られていたのはキーホルダーだった。私が手作りした、カパチュのキーホルダー。


「こんなことを言うのは変かもしれませんけど……買いました、昨日。

かわいかったので。」


「なんなんですか?」


「書いてましたよね、”カパチュは精巧なぬいぐるみです。フィクションです。”って。

だから、これからもグッズを売ったって良いんじゃないかって思います。

本当にぬいぐるみとしてカパチュを作って、この牧場のマスコットキャラクターとして売り出したって、いいと思うんです。牛はともかく、人は幸いまだ死んでませんし、牛のことも公表しなければ誰も文句は言わないでしょう。


何より、静さんが嫌じゃなければ、ですけど。」


「……………………そうですか。」


私はそのまま倉庫の外へ出た。そして走った。

走って、走って、走って、走って。


そして膝から崩れ落ちて、牧草の上で泣き叫んだ。

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