#2 幼馴染で転校生

それから日は流れ、僕は高校二年生になった。


……だから、なんだって言うんだ。

誰もいない真っ青な空に、存在なんかしない神とやらに、しょうもないゴミしかいない世界に、僕は問いかけたかった。


学校や地域の人々全員と既に薄っぺらい関係を築いているこの僕にとって、進学も、クラス替えも、何もかも、新鮮とは程遠かった。灰色の世界は変わらない。


「先生またこの学年の担任になれて嬉しいよ。知ってる人も初めての人もいると思うけど、みんなこれからよろしくな!」


拍手が巻き起こった。


「あ、それと、今年度からこの学校に新しく編入することになった、ええー、転校生を紹介します!」

教師はもったいつけてから、元気よく言った。


拍手が巻き起こった。


転校生。

物語の中なら劇的なキャラクターだ。新鮮な風を吹かせる重要なファクターだ。


だけど、現実の転校生など、ただ転校してきた人でしかない。

それ以上でもそれ以下でもない。

それだけでしかない。

くだらない。

つまらない。

僕の灰色の世界は変わらない。既にわかりきった話だ。


転校生が、ドアをガラっと開けた。


ドアにかかる指。綺麗で長いが、折れそうな細さとはいい難く、ある程度しっかりしている。

華奢な男子かもしれないし、手を使うスポーツをしている女子かもしれない。


直後転校生が踏み入れた足の、白いソックスの輪郭が視認できた段階で、僕は転校生が女子であるという分析を済ませていた。スカートだからだ。男子なら見えない。


案の定、女子生徒が入ってきた。


でもどうせ、僕は彼女とも薄っぺらい友人関係を築くことができて、どうせ嫌われることも好かれることもなく、どうせまたそれまでなんだろう。


「…………え?」

軽やかに歩いて行く転校生の顔を見て、僕はつい情けない声を出していた。言わなかったことにしたい、2秒だけやり直したいと強く思った。


僕はここが夢で、彼女が夢の世界の住人なのかと思った。決して見惚れたわけではない。僕は人を容姿だけで、一目惚れで好きになるような、ちょろく薄っぺらい人間などでは断じてない。明確な理由があった。それは、全くの虚構ではなく、その女子にどこか見覚えがあったからこそ、逆に僕の記憶から生成された夢なのではないかと思った。これは夢だと思った。こんな都合のいいことが起こるはずがないと思った。

頬をつねったが痛かった。でも頬をつねって痛いからといって、まだこれが夢の中でないとは言い切れない。


僕が頭の中で思考を巡らせているうちに、彼女は若葉のように瑞々しい髪を靡かせて教卓まで歩き、そして立ち止まり、黒板にチョークで名前を書き終えていた。


チョークを置く音で、僕はハッと思考の渦から引き摺り出された。


笛乃宮ふえのみや 芽衣めいです。これからよろしくお願いします。」

何の飾り気もないシンプルな挨拶。こういうちゃんとしていそうな感じの女子は、不束者ですがとか、至らない点もあるかとは思いますがご指導ご鞭撻のほどとか、言いそうなものだが、そんなものはなかった。


それでも教室内はざわめく。

僕の心もざわめいていた。


落ち着け桜田永時。僕は分析した。

謙遜さは時に驕りとなり、上品さはかえって下品さとなる場合もある。聡明な彼女はあえて言わない選択をしたのだろう。


「えっ、笛乃宮って、あの質問なんですけど……あの笛乃宮財閥の笛乃宮ですか!?」

生徒の一人が訊いた。


「はい、そうです。でも、そのことはあまり気にしないでください。

気軽に芽衣って呼んでくれたら嬉しいな。」


『ええ』ではなく『はい』、『お気になさらず』ではなく『気にしないでください』、『幸いです』どころか『嬉しいです』を飛び越えて『嬉しいな』!?……やはり彼女は、丁寧さと砕けた口調のバランスを適切に見抜いている。


彼女は天使のように微笑んで言った……なんてみんな思ってるんだろうな。

僕にとって、彼女はよく知る人間だった。


「じゃあ笛野宮さんは一番奥の、桜田、桜田永時君の隣の席が空いてるから、そこで」


最後列の窓際。僕の隣の席だった。


その人物は、こちらへ徐々に近づいてくる。


「久しぶり、永時くん。またよろしくね」

綺麗で、心を撫でてくるかのような声。

幼い頃に引っ越しで離れ離れになったきりだったその人は、再会した僕に言った。


「あー、よろしく。」


「なんか昔より冷たく……クールになったね?」

平静を装った声色の僕に、芽衣は困り眉で笑いながら言った。


その様子を僕は一瞬横目で確認すると、今気づいたという体で返答した。

「何か言った?」


「何でもないよ。」

芽衣は鞄から荷物を取り出すと、机にしまった。


それからも僕がちらりと横を確認するたび、彼女はにっと微笑んできた。


僕はとうとう机に顔を突っ伏した。

「………………」


その時、僕はまったく予想できていなかった。

彼女がやってきたその日から、僕にとって地獄のように真っ赤な日々が始まるなんて。


まず手始めに、芽衣は僕よりも先に学校に来て、教室の鍵を開けた。


僕と同じ水泳部に入り、僕よりも速いタイムを出した。


二年一学期最初の中間テストで全教科100点満点を取り、どう頑張っても99点しかとれない僕を差し置いて学年1位になった。


僕のプライドを、芽衣はズタズタに引き裂いた。


僕だって負けじと頑張った。

だが芽衣よりも先に学校に来ると、門がそもそも空いていなかった。


「おはよう永時くん、先生が来るまでまだ15分はあるよ」

「わあああああ!?」

背後から話しかけられた僕は叫び声をあげた。

絶対変に思われた。

芽衣はにこにこと笑っていた。


部活では負けたくないあまり頭の中を焦りに支配され、フォーム態勢が乱れてむしろ遅くなった。

テストでも同様に動揺し、今まで見たことないくらい低い点数をとった。


「桜田くんテストどうだった?……えっ」

「えっ、お前どうした?大丈夫か?」

「永時ってこんな点数とるやつだったっけ……?」


瞼が熱い。

「ああ、ちょっと……うん。体調悪いから保健室行くね」

涙が出そうな震え声をなんとか抑えて、言った。


「なら連れてくよ、私保健委員だから」


「いいよ!……別に、一人で行けるから」


勢いよく教室の後ろのドアから出ようとすると、ちょうど入ってきた芽衣にぶつかった。

「いたっ」


「いてっ……あ、ご、ごめん!」

僕は言った。


「ううん、大丈夫。どちらかというと、永時くんが大丈夫...?」


僕は、芽衣が普通に心配してくれたのはわかっていた。

だけどそれが煽りのように感じて、苦しくて、辛くて、急いで出た。


まるで逃げるみたいに走っていた。


保健室の前まで来て、冷静になった。


「……怪我もしていないのに、保健室に来るなんておかしいよな。」

僕は独り言を言った。


よく考えたら、授業もさっきので終わりだった。


僕は教室に戻ろうとして振り返る。

目の前に芽衣がいた。

至近距離に。


「わあっ!?」

僕は後退りした。


「そんなお化けを見たみたいに。」

芽衣は苦笑し、荷物を差し出した。


「持ってきたよ、永時くんの荷物。」


時計を見る。

すると、とっくに終礼は終わっている時間だった。


体感よりも長い時間、保健室の前で悩んでいたようだった。


「あっ、鍵閉めに行かないと」

僕は言った。


「じゃあ一緒に行こう?」

芽衣は僕に鍵を見せつけた。


「まあ、いつも一緒に行ってるけど。」

そう言って、芽衣は困り眉で微笑んだ。


「……そうだね。」


渋々一緒に鍵を返し、家路を辿ることになった。


「永時くん、そういえばさ、昔言ってたよね?」


「何が?」


「宇宙飛行士。なるって言ってたよね?」


「……幼稚園の頃の話だろ」


「でも、言ったよね。宇宙飛行士になる!って。だから」


「できるわけないだろ」

僕はつい吐き捨てていた。


「えっ……」


「宇宙飛行士なんか、なれるわけないだろ。そんなの何も知らない子供が考えた幼稚な夢だろ?


俺はもう現実を見てるんだよ!」


僕は鞄を投げ捨てて、それで、気づいたら一目散に逃げていた。


走り去った。


頭の中がぐちゃぐちゃで何も分からなくて、走った。


全てが嫌になった。


死にたいと思った。

死んでいいと思った。


信号を見ずに横断歩道を渡ったけど、こんな時に限って都合よく車に引かれたりはしなかった。今までの人生、何度も信号無視の車に引かれそうになったことがあるのに。こんなときに限って。僕の人生って本当に、クソだ。


僕は息が切れて、地面に倒れ込んだ。


「……」


でもこんな姿をもし、道ゆく人に撮られていたら最悪だ。


〇突然倒れる高校生いてワロタwwwww


ネットでバズって、炎上して、僕がどこどこ都のどこどこどこ区のどこどこのどこの高校に通っている桜田永時って名前なのが特定されて、それで退学になって家に大量のピザが代引きで届いて、就職もできなくなってホームレスになる。


そんなのは絶対に嫌だと思ってすぐに立ち上がった。


「僕は……死にたくなかったのか。」

立ち上がった自分に対して、そんな感想を呟いた。


ずっと、苦しみながら現実を生きてきた。

それをここでやめたら、今まで頑張ってきた全てが無駄になる。これからも現実を生きていかなくちゃならないと思った。


早く戻って、芽衣に謝ろう。


僕は学校の方向へ戻った。


しかし学校まで着いても、彼女の姿は見当たらなかった。


「帰ったのかな……」


またとぼとぼと来た道を戻った。


面倒な往復をするはめになったなと思って、重たい足を運んでいた。

その時だった。


「離してください!」


声が聞こえた。


芽衣の声だった。

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