第三話 猫も杓子も
3-1
(ぼくたちの担任のジン先生は、変な人です)
数学の授業を受けながら、光はぼんやりと黒板の前で説明をする仁を見ていた。
「で、これこれこれでこうなってー」
(いつもジョン・レノンみたいな丸眼鏡をかけて、白衣を着ている、自称永遠の十八歳の年齢不詳です)
「これがこれでこうなってああなって」
(数学を教えてて、割と楽しい授業です。ジン先生の教え方は楽しいけど、数学は、おれにはなんのこっちゃって感じですが)
「で、まあ、これがこうなることによりここがこうで」
(そんなジン先生が、最近おれは気になる)
「それによってこうなってこうでこうで、というわけで答えはこうなるわけであ〜る」
「先生。作者が数学苦手だからっていくらなんでもその教え方はないでしょう」
「まあまあ萬屋。お前さん方が理解できればそれでいいのだから」
光は、思う。
(ジン先生は、もしかして……)
––––とある男子たちの会話。
「あーあ。大黒は北原なんかのどこがいいんだろ」
「守ってあげたいとか思うんかね」
「わからん……大黒の男のタイプがずっとわからなかったけど」
「年下の男が好きみたいな感じなのかね」
「別にイケメンじゃねえじゃん北原」
「大黒が顔で男を選ぶ女じゃなくてよかったじゃん」
「でもブサメンではないんじゃないの」
「畜生、おれのちぃちゃんが……」
「で、萬屋が大黒のこと好きなんだろ」
「萬屋の気持ちはわかる。おれだって大黒ずっといいって思ってたもん」
「あの二人、付き合うのかなー」
「あの二人って?」
「萬屋と大黒」
「大黒は北原が好きなんだろ?」
「北原は男が好きなんだろー。こないだ放送聞いてなんか笑っちゃった」
「ああ、あれは朝から面白かった」
「大黒、北原は無理なんだから諦めりゃいいのに」
「でもそしたら萬屋と付き合っちゃうかもしんないじゃん」
「じゃあいっそ北原と萬屋がくっつけばいいんじゃね?」
「ん? いまかなり画期的なこと言ったなお前」
「ああ、でもそうなりゃ大黒は––––」
とある女子たちの会話。
「あーあ。萬屋くんが大黒千歳好きだったとはねー」
「石川亜弥のグループでしょ。あたしあの四人すげー嫌い」
「わかるわかる。進学組の女子ってウザいよね」
「あたしすっごい狙ってたのよ萬屋くん」
「イケメンの生徒会長なんてねえ」
「陸上部で一番だっけ?」
「坂東とツートップだね。部活上のライバルなんじゃないの」
「坂東くんのことはいいのよ。ていうか坂東くんだって土橋と付き合っててムカつく」
「あの四人、なんか私はあんたら一般女子とは違うんだみたいな感じしてすごい嫌」
「そうそう。なんか上から目線な感じ」
「ていうかあの四人のことなんかどうでもいいのよ。どうにでもなりゃいいし」
「結局あの二人、付き合うのかなー」
「あの二人って?」
「萬屋くんと大黒」
「大黒は北原くんが好きなんでしょー」
「え、でも北原くんってゲイなんでしょ。あたしこないだの全校放送聞いてびっくりしちゃった」
「あんな普通っぽい感じなのにねー」
「じゃあ北原くんと萬屋くんがくっつけばいいんじゃない? みたいな」
「あれ、あんた腐女子だったっけ?」
「そういうわけじゃないけど、大黒なんかに取られるよりはずっとマシ」
「ああ、まあそれはそうねー––––」
昼休み。三年五組の教室。
「というわけで会長、海外移住して結婚しよう!」
コーヒーを飲んでいた和洋はむせた。
喉元をどんどんと叩きながら和洋は言う。
「なんでそうなるんだよ」
「だって学校のみんな、みーんなおれと会長がくっつくのが望ましいって言ってるんだよ。みんなの夢を叶えてあげようよ」
「俺はお前と結婚なんかしない!」
「トライアンドエラーの精神が大切だと思う」
「あのな」
「でも結婚かあ。結婚ねえ。結婚なあ」
と、呟く翼に光は怪訝そうな顔をした。
「翼は結婚願望ないの?」
「あたし、恋愛とかそういうのが人生の優先順位の中でそんなに上位にないんだよね。いい人がいればみたいな」
「翼はBLの世界にいるのが幸せだもんね」くすくす笑いながら乃梨子は言う。「読んだり書いたり」
「趣味があるっていいよ。乃梨子だって裁縫好きじゃん」
「まあ、没頭はできるかな」
「あーあ。結婚できたらいいのになー」
「日本じゃまだなんでしょ?」と、嘆く光に千歳が声をかけた。「いずれなんとかなるんだろうなとは思うけど」
「さすがにもう限界でしょ。他の先進国だいたいみんなオッケーだし」
「いつか日本でも同性婚できるようになるのかな?」と、乃梨子。
「さあ〜。この小説が書籍化されるぐらいにはどうにかなってるといいんだけどね〜」
なにか、光がとんでもなく恐ろしいことを言ったような気がして、その場にいた全員が身構えた。
「まあそれはさておき」と、光。「結婚したら関係性って変わるのかね。結婚した途端パートナーが豹変したみたいな話結構聞くけど」
「結婚したら安心するんじゃないの」と、隆太。「ゴールな感じで」
「とりあえずのハッピーエンドのあと、物語はまだまだ続くのにな」
「いつか結婚できるといいね」
乃梨子のどこか優しげな声に光は満面の笑みでうなずく。
「うん!」
「いいよね結婚。あたし同性婚大賛成」と、翼。
「あたしも賛成」光と和洋がくっつくのは面白くないが、と言いそうになったのを堪えて千歳も答える。「好きならいいじゃないね」
「隆太は?」
「俺はなんか、やりたいやつにはやらせてやればいいじゃん派」
「亜弥は?」
と、千歳に訊ねられ、亜弥はちょっと考え込んだ。
「あたしはなんか、なんでまたそんなに結婚にこだわるのかよくわかんない」
「え、それは––––」
まずい、と、光の頭の中で黄色信号が光り始めた。これは面倒なやり取りになりそうだと思った。それは和洋と千歳にとっても同じだったようで、二人はまっすぐ亜弥を見る。
他の全員に注目されてしまったので、亜弥は答える。
「私はなんか、好き合ってる二人が一緒にいられれば別にわざわざ結婚しなくていいんじゃないのって思ってるってだけで、別に反対派なわけではない」
「法律の問題とかがあるだろ」と、和洋は答えてみた。「遺産相続がどうとか」
「でもそういうのって養子縁組とか、私はよく知らないけど、解決の手段はあるんでしょ。それ使えばいいんじゃないのって」
確かに法的問題はそれでクリアできるだろう。養子縁組という手段にどこまでの力があるのかがわからないし、結婚と同等の権利が得られるかはわからないが、それは裁判でどうにかなるのではないかとも和洋は思う。
「でも、なんか」
なぜか和洋は必死だった。
あ、まただ、と千歳は訝しんだ。同性愛者関連の問題に関してどうしてこんなに和洋が首を突っ込むのか千歳にはわからない。ただ単に光に対する優しさによるものだけではないような気がいつもしていた。
和洋は、なんと説明すればいいのかわからず、しかしなんとか言葉を捻り出した。
「石川が反対派なわけじゃないなら、それでいいじゃん」
「まあね。それはそうなんだけど、単純な疑問なだけ」
“単純な疑問なだけ”という言葉に、光は沈黙を続けることを決めた。おそらく、亜弥の疑問は本当に“なんとなくそう思う”という程度の疑問に過ぎないのだろう、そう思って。
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