2-2
「ほんと近かったね」
二人は光のマンションの前に到着した。
「築三十年ってところかな」和洋は建築に興味があった。「しかし駅から徒歩五分でこの規模だろ。結構いいお値段な気がする」
「他人のお財布事情に首突っ込むって……」
「い、いや違うよ! 別に俺そんなつもりじゃ……」
「とにかく入ろ。突っ立っててもしょうがないし」
と、千歳は玄関へと入っていった。和洋も慌てて後を追う。
やがて二人は光の部屋の前へと到着した。だが、ここで改めて二人は怪訝そうな顔をして表札を見る。
「
表札には「津山」と書かれている。その情報はさきほどの電話で光から聞いてはいて、親とは苗字が違うのだろうかなどとちょっと気になっていたのだが、こう改めて確認すると更に気になる。
「住所は合ってるんだろ」
「合ってる合ってる」
「詳しい話は本人に聞けばいいんじゃないの。本人が話せたらだけど」
「そうね」
そして千歳はドアチャイムを鳴らした。
「はーい」
若い男の声がした。それは光の声ではなく、二人は顔を見合わせた。
やがてドアが開くと、その声の主たるやたらと背の高い若い男が現れた。
「はい」
二人は緊張した。この人は光の兄だろうかと考える。それにしても似ていないが。その男も不思議そうな顔で二人を見る。
千歳はやや慌てながらも質問した。
「あ、あの。ここ北原光さんのおうちじゃ」
「ああ」と、彼は即座に納得した。「光のお友達か。さっき来るって言ってたね」
「はい。大黒です」
「萬屋です」
二人の自己紹介を聞き、なにか考えるような顔を彼はした。
「“千歳ちゃん”に、“会長”くん?」
「はい、そうです」と、千歳。
指を手元にあて、彼はなにかを考えている。
「萬屋くんね」
自分に注目され、和洋は少し警戒する。
「? はい」
「萬屋錦之介と同じ苗字だね」
「よく言われます」
「でも血縁関係はない?」
「そりゃ、そうです」
「まあそもそも芸名だしね」
「……?」
彼は身を正した。
「
「同居人?」
千歳が追及しようと思った矢先、彼は食い気味に言った。
「詳しい話は本人に聞いてね。俺、これから仕事なんだ」と、君尋と名乗ったその男は後ろを振り返り、右側を指差した。「光は、入ってすぐの右の部屋にいるからね。いまは起きてるから声かけてくれれば大丈夫だよ」
「え。あ。はい」
「うん。じゃあね」
と言って、君尋は去っていった。
二人は顔を見合わす。
「同居人?」
と、今度は和洋。
「まあ、とにかく」と、千歳も困惑している。「入っていいって言われたんだから、入ろうか」
そして、二人はやや警戒しながら部屋に入っていった。
「お邪魔しまーす……」
入ってすぐの右側の部屋。アニメの表札には「ひかる⭐︎」と書かれている。
コンコン、と千歳はドアをノックした。
「光くーん? 千歳でーす。萬屋くんもいるよー」
「はいっ」
と、すぐにパジャマ姿の光が現れた。
「わー。お見舞いに来てくれたんだねー」
満面の笑みで嬉しそうに光はそう言った。こんな天真爛漫な顔をされると千歳も顔が綻ぶ。
「じゃあまあ入って入って!」
光に促され、二人は部屋に入る。
「お邪魔しまーす」
「お邪魔します」
光の部屋はシンプルだった。漫画やアニメのDVDが目立つぐらいで、それ以外では特に雑多なものはない。
「具合はどう?」光に促されそこにあるクッションの上に座った千歳は心配そうに言った。「三日も休んでるけど」
「今日になってだいぶ楽になりまして。明日は学校行こうかなーって」
「元気そうだね」
「元気が最優先!」
千歳は笑った。和洋はなんとなくどういう表情をすればいいのかちょっとわからなかった。
「じゃあこれお見舞い」
「えっ、なーになーに?」
「ジン先生のプリント」
「えっ」
「数学の小テストが三枚」
「えーっ!」
はい、と手渡され、光は混乱した。
「なんでなんで? いままで休んでもこんなのなかったのに!」
「光くん、成績が壊滅的だから……もう高校三年生だし。ジン先生からすれば、もしかすると」
「もしかすると?」
「留年の危機とか」
「そ、そんな」光は頭を抱えた。「赤点は取ってないのに」
「今後のことを考えたんだろ」と、和洋が言った。「先生、ああ見えていろいろ考えてるから」
「むむ……成績を上げなければ……」
本当にこれまでの二年間と比べて別人のようだ、と二人は思う。
千歳は考える。確かに自分がゲイであることは隠さなければならないことなのかもしれなかったが、それにしてもそれでこんなに自分を封印することもないのではないかと思う。はっきりとした友達がいるわけでもなさそうだったし、なぜ光がいままであんなに周囲に埋没しながら学校生活を送っていたのかよくわからない。それともゲイであることを隠すというのはそれぐらいのことをしなければならないということなのだろうか。同性愛者の情報はおよそメディアでしか知らない千歳にはちょっとよくわからなかった。しかしそれにしてもただそれだけの理由ではないような気がする。
もうちょっと仲良くなれたら、訊いてみてもいいのではないか、と、千歳は思った。とにかくこの件に関してはいまは保留にしよう。
だから保留にしなくていいのではないか、と思ったことを、千歳は訊ねてみる。
「さっきの男の人、誰か訊いてもいい?」
「君尋さん?」
「そう、津山さん」
「おれの後見人なんだ」
二人の頭に疑問符が浮かぶ。
「おれ、高一の夏前ぐらいに親が死んじゃって。他に親戚もいなくて。だから君尋さんがおれの、なんとか後見人、っていうのになってくれて。だから君尋さんがおれの保護者」
どうも複雑な事情があるようだ、と、二人は考えた。和洋は覚えていないが、千歳はなんとなく覚えている。確かに二年前、授業中に突然光が職員室から呼ばれ教室を出ていき、そしてカバンを取りに来てそのまま帰っていったことを思い出す。あのとき、親が亡くなった、ということを知らされたのだろうか。
「おれ、法律のことよくわかんなくて。おれバカだから」
「自分のことバカって言ってたら、ほんとにバカになるぞ」
和洋に諭され、光はあからさまに嬉しがった。
「うん、そうだね。ありがと会長」
「いや、別に」
「とにかく、君尋さんが俺の親代わりなわけです。成人するまでだけどね」
千歳はちょっと考え込み、そして言った。
「なんか、いろいろあるんだね」
「まあいろいろあるのは全人類がそうなんだけど」
どこかおかしくなり、千歳は笑った。
「そうね」
光は頭を下げた。
「お見舞いに来てくれてどうもありがとう。おれ、すげー嬉しい。めちゃくちゃ嬉しいよ。ほんとにありがとね」
光は“かわいい”。光のお礼の仕方に、千歳は頭を抱えそうになった。その様子を見て和洋は、もしかしたら女の子って母性本能で男を好きになるのかなあ、などと、ぼんやり思った。
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