1-5
翌朝。教室。
「でさあ、昨日買ったBLの帯がマジすごかったの。世の中ほんと天才っているんだな〜って思っちゃった。あたしやっぱ作家になりたいなって思ったよほんと。ねえ千歳、聞いてる?」
「……」
ダメだこりゃ、と、翼は“オー・ノー”と肩をすくめた。
「どしたの? 今朝からこんなんで。なんか聞いてる?」
翼に聞かれ亜弥はわからない、と言った。
「なんかあったのかな。乃梨子はなんか聞いてる?」
「ううん。わたしも声かけてたんだけどずっとこんな感じで」乃梨子は首を傾げた。「昨日、萬屋くんとなにかあったのかな。隆太、なにか聞いてる?」
「いいや? 昨日は部活なかったし。萬屋と話すことなかったから、あいつからもなにも聞いてないし」
「こりゃな〜んかあったな」
翼はどこか面白いことになりそうだ、と、思っていた。
「……」
千歳は昨日からずっと考えている。
恋する乙女に戦いは不可欠。
では、戦うとは具体的になにをすることなのだろう、と、ずっと考えていた。
考えるまでもない、と考えていた。
今日、光は来るだろうか。来てもらわないと困る。万が一このまま不登校、退学なんて事態に陥らせるわけには決していかない。そのために和洋の存在は必要不可欠だった。
「……」
千歳はいま、光と、そしてなにより和洋を待っていた。
「ねえ千歳ったら。あたしの話聞いてよ〜。ってか聞いてる?」
確かに聞こえてはいる。四人が自分を心配しているのもありがたかった。しかし自分には今日やるべきことがある。それをしなければならない。とにかく和洋だ。
そのとき、和洋がやってきた。
視界に彼を捉え、やがて千歳は立ち上がった。四人は、なんだなんだ、とうろたえ、そして誰より自分を睨みつける千歳に和洋が一番うろたえていた。
「萬屋くん。おはよう」
と挨拶されたからには挨拶しないわけにはいかない。
「え。あ。おはよう」
「ちょっと付き合って」
「え?」
「いいから」
と、千歳は教室から出ていく。なんだなんだ、と、和洋は後を追う。
こういう場合、放っておいていいのだろうか、と、四人は思う。が、いまの千歳はまさに刃だった。迂闊に近づけば自分たちも切り裂かれるかもしれない––––そう思って、そのまま再び会話を開始するまで、四人は教室のドアを見つめていた。
廊下を歩く光は、とりあえず登校してきていた。とりあえず、だったが、しかし、今後もこうやって毎日学校に行かなければならない。
自分としては、自分がゲイであることで不登校あるいは自主退学なんてことになったらとんでもない、と思ってはいたが、光にその選択肢はなかった。いま自分が学校に来ることができているのは大切な大切な友達の助けによるものだった。その友達を裏切るわけにはいかない。なんとしてでも通わなければならない。誕生日が来て成人しても、その友達のために、学校に来て、頑張って卒業しなければならない、と、決意していた。
そう決意してはいたが、やはり登校することが怖かった。自分の恋心を恋しい和洋に知られてしまった。千歳にも知られてはしまったが、おそらく千歳は絶対に秘密にしてくれるはずだというぐらいの確信は彼女に得ていた。だが、そんなことは関係ない。本人に知られてしまったのだ。自分の恋が決して叶わないことは理解している。だが、だからこそ絶対に告白なんてバカな真似はするまいと思っていた。
和洋はいい人だ。自分が好きになるぐらいだからとても素敵な人だ。しかしそれとこれとは関係ない。昔だって、そう思った“いい人”が自分を裏切った。そいつだって別に裏切ったわけではなく結果的に光にとっては裏切られたと感じたということだ。だから、和洋だって同じだ。和洋だって、少なくとも距離は置き始めるはずだ。昨日せっかく話しかけてくれて、心の片隅でもしかしたらこれをきっかけに仲良くなれたりするんじゃないかななどと期待した自分が光はいやだった。そんなバカなことにならずひっそりと周囲に埋没して生活してくことが光の全てだった。別にこの高校で密接に付き合う友達を作ってこなかったのはそれだけが原因ではないが、結果的に密接に付き合う友達という存在ができなかったのは光にとっては楽なことだった。
廊下をとぼとぼと歩く。教室に着いて、和洋は自分をどんな目で見るのだろう。どんな目で見られるのだろう。男が好きな男––––それが“拒絶”の対象になることは光はよく思い知っていた。諦めるしかない。このまま恋しい人に拒絶されたまま、あと一年をなんとか過ごしていかなければならない。光は、ため息を吐いた。
そんなため息を吐いた光の前に、千歳と和洋が現れたことに、光はしばし気づかなかった。
「北原くん」
自分に声をかけているらしい女子の声に光は反応する。
「あ。大黒さん……」
「おはよう」
「お、おはよう」
千歳の声はどこか張り詰めていた。
千歳の姿を確認するからには、和洋の姿をも確認するのは当然だった。光は和洋を見る。和洋は困惑している様子だった。そうだろう、そうだろう、と、光は思う。自分は一体何のために生まれてきたのだろう。好きな人に嫌われるのは、怖いことでしかなかった。
「北原くん。ちょっと話があるの。付き合ってくれる?」
「え」
「いいからお願い」
張り詰めた声だったが、自分と再会できたことを千歳が喜んでいるのが光にはわかった。
光はうなずく。
「う、うん……」
「じゃあ––––こっち」
と、千歳は歩く。後ろを二人は追いかける。
光はちらちらと和洋を見る。怖かった。この人は自分を気持ちが悪い存在だと絶対に思っている。いままでだって普通になんて会話しなかったが、いよいよこれから拒絶が始まるのだ。あのときと同じように、悪気なく自分を拒絶するのだ。それだけだ。恋しい人をちらちらと見る自分を光は戒める。光はただ千歳の背中を見ることに集中した。和洋がなにを考えているのか全くわからない。光の方を一切見ずに、ただ千歳の後を追う。
やがて三人は視聴覚室に到着した。
「視聴覚室?」
「ここ鍵が壊れてるの知ってるでしょ?」と、千歳は視聴覚室の扉を開けた。「入って」
「う、うん」
「おう」
そして三人は視聴覚室の真ん中に集まる。
千歳は、うん、と、うなずいた。
「あたし、二人に話があるの」
「話?」と、光。
「話って、なんだよ」と、和洋。
千歳は言う。
「萬屋くんはあたしが好きなのよね」
「お、おう。うん、そうだよ」
「あたしは北原くんが好き。これもいいよね」
「う、うん。光栄です」
「そして北原くんは、萬屋くんが好き」
「う……うん……」
「……」
和洋がなにを思って光を見ているのか千歳にはよくわからない。わからないが、なにか思うところがあるのはわかる。それが不安定で複雑な気持ちであるのは手に取るようにわかった。
だから、できることをする。
千歳は一気に言った。
「あたし、昨日からずっと考えてたの。あたしたち、このまま学校生活を送ってると絶対にいつか限界が来ると思うんだよね。だから、きちんと話をしてケリつけなきゃいけないって思うの。だから、いまから話し合おう」
来た! と、光と和洋は思った。ある種、思った通りだ、と思った。
千歳はいつもこうなのだ。トラブルがあったら絶対に解決しなければ気が済まない。いつも亜弥と翼がなんだかよくわからない理由でおそらくくだらない喧嘩をしている中、そこまでの喧嘩でもないのにその兆候が見られた瞬間一気に登場して問題を解決しようと試みる。その時点で翼たちはいやそこまでのことじゃと怯えるのだが千歳からすれば大事な友達たちの友情の危機が訪れたのだ。とても放っておけるはずがないと彼女はいつも一生懸命戦っている。
だから今回、光と和洋の関係をこのまま傍観しているわけにはいかないと千歳は決意していた。なんといっても自分がきっかけなのだ。自分が光に告白したことからいまこの状況が始まっている。だから自分にはなんとかする義務がある。いま、自分はこのために生まれてきたのだと千歳は確信していた。
「で、萬屋くんはどうするのよ」
「ど、どうするって」
「北原くんのことどう思ってるのよって聞いてるのよ」
「ど、どうって。別にただのクラスメイトだって」
「ただのクラスメイトね。告白までされたのになんかひどいね」
「い、いや大黒さん。いいよ。おれ、いやがられるのしょうがないって思ってるもん」
「ちょっと待てよ。俺、別に北原のこといやがってなんかないぞ」
光は戸惑う。
「え、だって付き合ってくれないんでしょ」
「そりゃそうだけど」
「ほら〜。だから好きなんて言わなきゃよかったんだ〜」
その光の様子を見て、二人はおやと思った。いつもおとなしい光とどこか違う。こんな事態だというのにどこか楽天的な印象を受ける……だが和洋にとってはそれどころではない。
「いや、付き合わないけど友達とか、そういうのになればいいだろ」
「友達〜? どうせキモいホモだって思いながら友達するんでしょ。いいよ無理しなくて。同情とかやだもん」
「同情とかじゃないよ! 俺、お前のことキモいなんて思わない!」
いきなりの大声。
「でもそんなこと言ったって絶対無理がくるもん。会長がいい人なの知ってるけどいい人は人を殺すんだ」
いつの間にか萬屋くん呼びが会長呼びになっている。だがこれもそれどころではない。
「俺、ほんとにそんな風になんて思わない! 絶対に!」
「でも北原くん的に信じられないって言ってるのよ」と、千歳。「それだけ普段差別的に振る舞ってるんじゃないの」
「そ、そんな。い、いや! もしそうなら俺絶対に改善する! 反省するよ絶対!」
「でもさあ〜友達付き合いでそういうめんどくさいこと考えるのもどうかって思うんだよね。おれが会長のこと好きなの動かないんだからところどころで絶対無理が来るって。これは絶対だよ。おれだってそこそこ生きてるもん」
「いままでひどいやつらに出会ってきたんだな」
「いいよそういう優しさ。余計に好きになっちゃう。それ困るでしょ」
「そ、そりゃ困るけど。困るけど!」
「ほら〜。おれもう傷つくのやだ〜」
「ほら萬屋くん。北原くんすごい警戒してるよ。どうするのよ」
「ど、どうするって……って、ていうか大黒だってどうするんだよ」
「あたしがなに」
「俺は大黒が好きなんだよな! だから第三者的に振る舞われても俺は傷つくな!」
「あたしは北原くんが好きなの! 君になんていちいち構ってる暇ないのよ!」
「北原のどこがいいんだよ!」
「あ、ひど〜い。おれをなんだと思ってるんだよ」
「い、いやそういうことじゃなくて……」
「萬屋くんって、ところどころで人を傷つけるよね。さっきから話聞いててそう思う」
「い、いや。だから俺にそんなとこがあるなら改善するから、だから俺の話聞いてよ!」
突然だがここでこの学校の校舎の説明をさせていただく。
この学校の視聴覚室と放送室は隣接している。視聴覚室の中に扉を隔てて放送室があるという構造になっているのだ。そして放送室の扉こそいま閉まっているが、しかし、昨日の放課後、全校放送で移動式のマイクを視聴覚室に動かしてきた。放送室内では収まらない行事があったのである(その行事がなんだたのかは読者諸君がそれぞれに考えてくれたまえ)。そして、放送委員たちは昨日マイクのスイッチをオンにしたことをずっと忘れたままにしてしまっていたのだ。
だから今日、学校に到着した人々はどこかノイズの混じった空間内にいたわけだが、しかしはっきりと放送室の異変だと認識した人間は誰一人としていなかった。そして昨日スイッチを切り忘れた放送委員は自分たちのミスにいまだ気づいていなかった。
そして、いま、スイッチがオンになったままのマイクは三人の方を向いている。例えば三年五組の教室では翼が愉快に音量スイッチを最大にしていた……。
「だって! 俺は! 俺は大黒が好きなんだよ!」
「あたしは北原くんがいいの!」
「おれだって会長がずっと好きだったんだよね!」
「ちょっとあんたたち!」
と、がらっと視聴覚室の扉を開け亜弥が入ってきた。
「なに!? いま大事な話してるんだけど!?」
「聞こえてる聞こえてる! あんたらの声、学校中に聞こえてる!」
「だから––––えっ」
と、三人は、まさか、と思い、恐る恐る目の前のマイクを見る。スイッチがONの文字の方向に。
三人は一瞬呆けたが、一瞬だけだった。
「はあっ!?」
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