第27話 はゆる、電車の旅にわくわく

 五月晴れの空の下を、私たちを乗せた電車が駆け抜けていきます。普段学校までは徒歩ですし、休日に遠出をすることもないので、私が電車に乗るのはずいぶん久しぶりのことです。


 ですから、さっきから驚きを禁じえないのです。まさか電車という乗り物が、こんなにも楽しいものだったとは。


 ほかに乗客がいないのをいいことに子どもみたいに座席に膝立ちをしていますが、大きな窓から見える景色は風よりも早く流れていきます。それから車体が頻繁にがたごとと揺れるのも、私たちを運ぶことに対して公共交通機関としての血が騒いで身震いしているかのようです。擬人化するならば西部劇のバーのシーンでお酒を鯨飲している陽気で恰幅のいいおじさんでしょうか。「さぁさ、姉さんがた、今日はどこまで行きますかい?」と歯を見せて呵呵かか大笑たいしょうしている様子が目に浮かびます。あるいは、ジャージ姿の若々しい熱血漢かもしれません。となると、一人称と二人称はそれぞれオレとおめぇでしょう。「おめぇら、よくぞオレに乗車してくれたな! 大船に乗ったつもりでよォ、旅を楽しんでくれたまえ。つっても、オレは船じゃなく電車だがな! だーっはっはっは!!」ああ、なんと頼もしい――


「おいこら無賃乗車」


 突然の渡くんの声で、私は現実に引き戻されました。見ると、猫用のキャリーバッグを足元に置いた渡くんが、隣の私を睨み上げています。


「なんなのです。せっかくこれから熱血先生とともに夕日に向かって河川敷を走るところだったのに」


「また変な夢でも見てたのかよ?」渡くんは眠たげな声で言いました。

「身体がないのを言い訳に、辻野さんに乗車賃払わせやがって」


「え、いいのいいの! 私からしたら、自分の分しかお金取られてないんだもん!」紅愛ちゃんが目を丸くしてかばってくれました。


「そういうわけで、私が無賃乗車していることに違法性はまったくないのです。そもそもお金を払うことが不可能なのですから」


「うーん……まったくなさそうで、どこかにあるはずだ。論理的な欠陥が……」渡くんは眉をひそめ、両膝に肘をついて手の指を合わせました。


「そこまで言うなら渡くん。私は滅多に電車に乗らないので存じ上げないのですが、例えば妊娠中のお母さんが電車に乗る際はおなかの赤ちゃんの分まで乗車賃を払うのですか?」

「……屁理屈オブザイヤー受賞おめでとう」


 渡くんはそう吐き捨てると、項垂うなだれて目を閉じました。私の勝ちです。


 それにしても、私、受漂者じゅひょうしゃである紅愛ちゃん、そして渡くん、のびしろくんの三人と一匹は、どうして連休の午後に電車に揺られているのでしょう。


 目的の駅まではまだ時間もありますから、今のうちに説明しておくことにします。


    ※  ※  ※


 遡ること二時間ほど、ちょうど正午のチャイムが青空に溶けるように鳴り出した時。

 私たちはクオラル堂に到着しました。


 店頭に置かれた本物の呪いの人形に激しく怯える渡くんを無理やり引きずって、鬱蒼とした森のような店内を奥へ奥へと進んでいくと、精算台には香椎さんの姿がありました。念のために言い添えておくと、ここはやはり紛れもなくクオラル堂で、彼女は香椎さんです。


 台の上には、私の身体が購入し、そして私が煎相いりあい駅の待合室で見つけた、あの水色のオルゴールが置かれています。というより、それは自らの意思でそこにかのようでした。


「えー、オルゴールを調べてみました」


 香椎さんは探偵になったかのように、立てた人差し指を眉間に当て、芝居がかった口調で言いました。私の目には不思議と、黒ずくめの香椎さんが暗闇の中スポットライトに照らされて一人語っている光景が浮かんできました。


「今泉くん、このオルゴールには不自然な点がありましたよねえ?」

和泉いずみです。今泉くんではもう完全にの部下になってしまいます」


 言いながら、私は妖しい光を放つオルゴールにそっと触れました。一種の異様な冷たさが、紅愛ちゃんの指を通して感じられました。


「……ほんのわずかに、音がズレていたはずです。絶対音感を持つ香椎さんにしか聴き取れないくらいに」


「んー、その通りですねえ」香椎さんは腕を組みました。

「調べてみた結果、ええ、やはり仕掛けが施されていたことがわかりましたよ。仕掛けというのは、ほかでもなく――」


 そこで、香椎さんはにわかにエプロンのポケットに手を差し込みました。


 私は、香椎さんの顔を凝視したまま、思わず息を止めました。やがて、ゆっくりと取り出された香椎さんの手には――


「じゃん! これですっ!!」

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