第15話 はゆる、クオラル堂へ②

香椎かしいさん、お邪魔しています」


 私は立ち上がって、ぺこりと挨拶をしました。


「邪魔じゃないですっ! 映さんはこのお店の看板娘ですし!」

「よく、私だとわかりましたね。普段の姿ではないのに」

「そりゃわかりますよう! 私の目をめてもらっちゃあ困りますよ?」


 香椎さんはなぜだか機嫌を損ねて、頬を膨らませました。かと思えばすぐに表情をやわらげて、「んんん、どんな姿でも唯一無二! さすがは映さんですねええ」と勝手に抱きついてきました。さらには猫とでも勘違いしているのか、頬をすりすりしたり頭を撫でまわしたり、もうやりたい放題です。はるなちゃんとしては見ず知らずの年上女性から一方的かつ過度な愛情表現を受けて迷惑千万だろうに、一言も文句を言わないのが偉いです。偉すぎます。まあ、私と同じく呆れ果てて言葉も出ないという可能性はあるけれど。


 と、こんなふうに常にふにゃふにゃして言動が読めない奇天烈きてれつお姉さんこと香椎さんですが、普段は音楽大学に通いながら、クオラル堂にて働いています。それも私のようななんちゃって看板娘ではなく、毎月お給料を貰っている、れっきとしたアルバイト店員さんなのです。


 そんな香椎さんは当然ながらこちらの事情など露知らず、普段の調子で嵐のように話しかけてくるので、私は内心辟易へきえきしながら、生返事を繰り返していました。

 しかし――


「そういえば昨日買っていかれたオルゴール、お気に召しました? あれ、実は私も密かに狙ってたんですよね。大学で作曲の課題があって、サンプリングの素材として使えないかなあとか思って……」


 その瞬間、私と汀さんはまったく同時に顔を見合わせました。


「香椎くん、今なんと言った?」


 汀さんがわずかに語気を強めました。


「ふぇっ?」香椎さんは目を丸くしたかと思うと、慌てた様子で身体をくねくねさせました。


「やっ、ごごごごめんなさいただの冗談です! 一介のバイトが職権を濫用してお店の商品を私物化しようだなんて……ど、どう考えても御法度ですよねえ?」

「いやいや、そこに突っ込んだんじゃない。君は昨日、この場所で、映に会ったと――そう言ったのか?」


 汀さんの問いを受けて、香椎さんは未知の外国語で話しかけられたみたいに首を傾げるばかりになりました。私は、もう何度めかもわかりませんが、簡潔に事情を打ち明けました。すると香椎さんは、打ち明けたのを少し後悔してしまうくらい、当事者である私以上に青ざめて狼狽うろたえました。


 それから、私とはるなちゃんと汀さんとで香椎さんをどうにかなだめて、詳しく話を聞いてみたところ、驚くべき事実が明らかとなったのです。


「夕方……というには、まだ日の高い時間でした。汀さんが席を外していて私が店番を任されている間、水色のオルゴールを持って、映さんがレジにやってきました。いつもとまったく同じように、しばらく他愛もない会話をして、お金を受け取って商品を渡して、またお店で会いましょうねと言ってバイバイしたのに……あの映さんは偽物だったなんて! そんなあああ」


 漫画みたいに頭を抱えて右往左往する香椎さんを前にして、私は、経験したことのないような戦慄を覚えました。


 事件発生から一日が経った途端、示し合わせたかのように三人もの目撃者――そして香椎さんに至っては、犯人と会話までしているというのです。

 なにかの足音が、静かに、でも確実に近づいてきています。この事件には、私の想像もつかない奥底のほうで、目に見えない力が働いている気がします。


「お姉さんが会った時、はゆりんごには変わった様子はなかったんですか?」はるなちゃんが尋ねました。


「なかったと思います、としか言いようがないですね……。会話も成り立ってましたし、違和感は、別になにも」

「はるなちゃんの姿をした私には一瞬で気づけたのに、どうして私の姿をした別人に気づかなかったのです?」


 私は思わず顔を強張こわばらせ、つっけんどんな言い方をしてしまいました。


「しょうがなかったんですよう! 映さんが別の誰かに漂意をしてる時は口調とか言い回しとか表情でなんとなくわかりますけど、昨日の犯人は……それはもう完全に、いつもの映さんだったんですもん!」


 香椎さんは負けじと声を張り上げました。こう言われてしまうと、私としては、なるほどと首肯しゅこうして黙るほかありません。しかし、これでは結局身体のはわからずじまいで、振り出しに戻ってしまいます。

 いよいよ本格的に、八方塞がりです。確かにさっきのおみくじには「方角:全方位、最悪」と書いてあった記憶があるけれど、こうも早く効果が現れるとは、ちょっと神様に文句を言いたい気分です。


「――待てよ」


 ふと、汀さんがなにかに思い当たった様子で、天井を軽く見上げました。


「香椎くんが映の偽物に対応した現場を、その場にいなかった私は見てはいないわけだが……」


 汀さんは言いながら鋭い視線を滑らせて、やがて天井の隅のほうに固定しました。私と香椎さんも、同じ場所を見つめます。


「あのカメラなら――はっきりと見ていたはずだよ」

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