第8話 添い寝再び
「なっ」
人形姫の部屋で、彼女に渡された寝間着を見ると、呆れたとも驚いたとも言えるような声が漏れて、俺は動揺を隠せなかった。
「昨日、東雲くんが帰ったあとに、ド〇キで買ったパジャマなんだけど」
「お父さんのスウェットでも良かったんだけどね……」
むしろ、今はそっちのがありがたい。
「つべこべいわずにさっさと着替えてください!」
「はあ」
盛大にため息を漏らして、俺は言われるがままに部屋の外で着替え始めた。
「終わりましたか?」
「……はい」
やけくそに答えると、人形姫の部屋に通じる扉が開かれた。そして、あははははと遠慮のない笑い声が聞こえてくる。
「なっ」
「その声、なんだかデジャブですね」
人形姫の部屋にある鏡をちらっと見て自分の姿を確認したら、また動揺した声を発する俺に、人形姫は不思議そうに首を傾げた。
「……老化が進んでるね」
「ピチピチな女子高生に言うセリフ!?」
「じゃ、若年性認知症ってことで―――」
「―――よくないわ!!」
デジャブもなにも、今しがた同じ声を出したのだが、彼女にとっては忘却の彼方にある出来事みたい。
「なんでこのデザインにしたんだ……」
「東雲くん、今は何月ですか?」
「質問を質問で返すな。あと何月かも覚えてないところ、若年性認知症だろうよ」
「ちゃんと覚えてます!! 今が何月かに私がこのデザインにした理由が隠されていますから!!」
「隠すな」
俺が向こうの茶番に乗らなかったから、人形姫の顔はテンジクネズミみたいに丸くなっている。いわゆるモルモットという名のげっ歯類である。
「いいから、答えてください!」
「……10月だよ」
「10月と言えば?」
「秋アニメが始まる」
思ったことを口にすると、人形姫はカピバラのような慈しみのある微笑みを俺に向けていた。ちなみに、カピバラもげっ歯類である。
やめろ! そんな顔で俺を見るな!
「えーと……ハロウィンという発想はないのですか?」
「俺はキリスト教徒じゃないからな」
「……一応、キリスト教と関係ないんですけど」
「そうなの!?」
今日一番びっくりしたことかもしれない。
クリスマスもバレンタインもハロウィンも、カタカナのイベントは全部キリスト教の行事だと思っていた。
「だから仮装というわけで」
「まだハロウィンじゃないだろう」
「10月は毎日ハロウィンですよ」
「訳が分からない……」
どうやら、俺のパジャマをこのデザインにしたのは仮装ということらしい。
どんなデザインかというと、白と黒の縞模様である。着てみると、あら不思議、なにか悪いことをして捕まった人みたいになってしまう。ここでもし身長を測る目盛りが背後にあって、『東雲凪』と書かれた紙を持たされたら、言い逃れのできない囚人像の出来上がりだ。
そりゃ、ため息や文句の一つや二つも出るよ。
「すごく似合ってますよ?」
「似合ってたまるか!?」
「生徒手帳持ってきてます?」
「ちゃっかり持たせようとするな! 名前のあるページを開かせるな! あとこっそり写真を撮るな!」
もはや開き直ったのか、人形姫はお腹を抱えながらスマホで俺の写真を撮り始めた。
これがこの状況じゃなかったら、お腹痛いの? と心配していたところだ。
「少し残念ですね……」
「俺に共感を求めるな!」
俺が生徒手帳を掲げることを拒否したら、人形姫がこれまた冬に備えて蓄えたどんぐりを幸せそうに頬張るリスのようにぷぅっと頬を膨らませていた。
幸せそうに見えたのは、俺に目的の服を着せた満足感からだろう。
「ところで、その、パジャマ、昨日のと違うね」
「東雲くんの中では、私は同じパジャマを二日連続で着るような
「言い方が酷すぎませんか、栗花落さんや!? そうじゃなくて、その、に、似合ってると思って……」
今日の人形姫のパジャマは、もふもふとした生地の象牙色のもの。シンプルなのに、人形姫の体の曲線を強調しているデザインになっている。
ふわふわしていて、かつ丸みのあるその姿に俺は思わず目を逸らしたくなる。
「ほんと、ですか?」
俺が褒めると、人形姫は少し照れたように瞳を伏せて、それからぱぁっとひまわりのような笑顔を俺に投げかけた。
「あの、東雲くん?」
「……」
「ちょっと恥ずかしいかも……」
ベッドの上で、俺に押し倒された体勢で斜めに横たわる人形姫の顔は紅色になっていた。
その上を、俺は膝立ちで覆っていた。
気づいたら、俺は人形姫を押し倒していた。
「ごめん……いまどくから……えっ?」
体をどかそうとした瞬間、人形姫は両手を俺の首に回していた。
華奢と思っていた彼女の腕はやはりとても細く柔らかく感じられた。
重さを掛けられ、重力に従って下がった俺の顔は人形姫の顔に触れそうになる。
人形姫の髪からフローラルの香りがして、思わず動悸が激しくなる。彼女の顔を覗き込むと、心をくすぐられるようなざわめきが襲ってくる。
「いやとは言ってません」
真剣な目で人形姫に告げられたその言葉は、俺の脳内で反響し、今という状況の現実味を奪い去っていく。
心臓の鼓動を恨めしいとすら思う。呼吸がままならない。この感情がどんなものなのかが分からない。
「なに期待してるの?」
「え?」
「囚人の格好にされた仕返しだ」
「……いじわるぅ」
いたたまれなくなったのか、人形姫は目を背けて、顔を横に向けていた。
その姿が可愛らしくて、俺は自然と彼女の頭に手を乗せる。
人形姫の髪を梳かすように、隙間に指を潜ませて、ゆっくり撫で下ろす。
指の間の人形姫の髪の感触が、くすぐったくてもどかしかった。
「寝るよ」
口を人形姫の耳に近づけてそう囁きながら、俺は寝返りを打つように、人形姫の上からずるりとベッドの上に降りて、枕に頭を預けた。
「……ばか」
そんな人形姫の呟きは聞こえないフリをして、俺は静かに目を閉じる。
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