「ハチ兄ちゃーん!一緒に帰ろ!」
甲高い声に振り向くと、お隣のユイちゃんが満面の笑みでこちらを見上げていた。白い頬がほんのり赤い。
「あれ、今日は遅かったんやな?」
「残って遊んでてん。運動場で鬼ごっこやってた」
彼女はスッと滑り込むように僕の手を握った。すべての指を掴めないのに、しっとり温かな小さい手。
その手に、僕は何故か恋人のことを思い出す。絡ませた指に感じる彼女の指の骨。ぐっと引き寄せた腕から伝わる彼女の熱。一緒に居たくて手を握る度、彼女にぎゅっと近づく度に、耳元で聴こえる彼女の吐息。ためらい、微笑み、息を吐く。ただ僕はその音がちょっぴり、いや、すごく――。
「なぁ?聞いてる?」
腕を乱暴に揺すられ我に返ると、不満そうなユイちゃん。お餅みたいなふわふわのほっぺを膨らまし、真っ赤な唇を尖らせる。
「ごめんごめん、何て言ったん?」
「もうすぐお花咲きそうやなぁって言ったん!ほら、あれ!」
その可愛らしい指先を見上げると、道路に突き出た桜の枝。寒々しくもまっすぐ伸びたその枝では、いくつもの蕾がほんのり色づき膨らみはじめていた。
「ちょっとお花見して行こー」
――いや、まだ咲いてへんやん。
と、僕が返事を返す間もなく、公園へ飛び込んだ彼女は、公園の端のあずまやの方へぴゅーっと駆けていった。さっきまで鬼ごっこをしてたって言っていたのに、まだまだこんなに元気だなんて……。その有り余る体力に彼女の若さを思い知らされ、少し情けない気持ちになる。もう僕はおじさんなのかもしれない。
「はよ、こっち来てやー」
あずまやから身をのりだし、澄まし顔で叫ぶ彼女はちょっぴりおませで、いじらしくてって。胸の奥がギューッとなった。
同時に頭の奥がどんより冷える。別に、何も悪いことはしてないはず。近所の子と一緒に帰ってるだけ。感じていない後ろめたさが僕の首を締める気がした。
「何してんの?」
悶々としながらあずまやに着くと、彼女は木の縁を撫でながら、あっちに行ったりこっちに行ったり……。落ち着きなくうろうろしていた。
「どうしたん?お花見すんのと
彼女はぴょんとベンチに座り、自分の隣をポンポン叩いた。言われるがまま隣に座ると、彼女は僕の頬を両手で挟んで「お兄ちゃんを待ってたんやろがぁーっ!」と叫んだ。
ただそれだけ。
年端もいかない女の子に顔を掴まれ、至近距離で叫ばれた。ただそれだけだった。それだけだったのだけれど。僕は彼女の両目を見つめてしまった。何故か目が離せなかった。
キラキラ潤う丸い瞳。ゆっくり僕の方へと迫る。まだ幼い柔らかな手から湿った熱がじっとり移る。瞬きも息も仕方を忘れて、僕はただただ固まった。
「……っ!」
そして、鼻がぶつかった。ただそれだけ。鼻と鼻がぶつかっただけ。それなのに……。
目玉の奥で何かが弾けて、視界が白く染まった気がした。温かい熱が胸から広がり、後ろめたさが首筋をつたう。甘い吐き気が喉で踊った。
そんな僕のことなんて構わずに彼女は照れ臭そうに自分の鼻を触り、誤魔化すみたいにくるっと回った。そのいじらしさに、あの子の吐息を思い出す。胸の熱がスゥーッと冷めて、僕はホッとした気がした。
でも、彼女は嬉しそうに「キャーッ」と叫んで、あずまやを飛び出して行った。僕はそれを可愛いらしいと思ってしまった。胸の熱が再燃した。もう泣きたくなって、うずくまる。
やっぱり僕は最低だと思う。こんなのクズのロリコンじゃんか。
いろんな言い訳が喉の奥から湧いたけど、全部言わずに飲み込むと、腸がぐちゃぐちゃに裂けた気がした。裂けたらよかったと思う。というか、裂けろ。
じんわり熱い目玉も不快で堪らず、両手を突っ込みかき混ぜたかった。頭の奥を整えたかった。だけど、頭はハッキリしていて、熱い鼻には触れなかった。どうしようもない。ただのクズ。もう無理で、まじの最悪。
幸福味の吐き気を飲み込み、やっとの思いで顔をあげると、よく知る女の子の笑顔が僕を迎えた。
「見ーちゃったー、見ーちゃった。ミーヨちゃんに言っちゃーお」
「……マコ」
今は世界で二番目くらいに見たくない顔だった。
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