肆
「サラァ、用意できたかァ」
兄が廊下から声をかければ、ややして妹がシャッと障子を開いて姿を見せた。
「どう」
「山吹のにしたのか。昨日は桃色のにするって言ってたのに」
「よく考えたら、桃色じゃあ梅の色に紛れてしまうと思って。おかしいかしら」
サラは山吹色の着物に橙色の帯をして、結い上げた黒髪に桃の花の簪を飾っている。いつもより、口元に差した紅の色も濃い。
「おかしかないよ。でも、桃がいけないなら、空色とか藤色のほうが似合う気もする」
「それじゃあ、あなたと被ってしまうじゃないの」
「いいじゃん、揃いで」
「変よ」
キラは藤色の半着と羽織に紺の袴で、珍しく前髪も後ろの方にやっている。いつもは長めの髪が顔に少しばかり掛かっているので、清々としたようでもあり、落ち着かない様子でもある。
「顔がスッキリと出ていると、なんだか幼く見えるわね」
「えぇッ。大人っぽく見えると思ったのに」
「だって、わたしと似てるってことは、女顔ってことでしょう。童顔なのよ」
「おれが女顔なら、お前はちょっと男顔なんじゃないの」
「着物、交換してみますか」
「いらないよ。ねえ、もう行こう。二人で外出なんて、滅多にないんだから」
「待ってよ。この着物で、本当にいいかしら」
「いいよ。ちゃんと似合ってるよ。ただ、桃色を着ているほうが、可愛らしくて好きだな、ってだけさ」
「それじゃあ、やっぱり桃色のにするわ」
「はいよ。気が済むまで着替えたらいいよ」
屋敷を出るのに、もうしばらく掛かると踏んだキラは、隣の部屋で茶を飲んで待つことにした。
「本当に、満開なのね」
根元の白雪の名残をとかした梅の樹木が、長くまっすぐに伸びる道を、挟んで立ち並ぶ。薄雲さえも晴れた快い空色に、紅梅色が映える。左手側には堀。静かな
「思ったより、人が多くなくてよかった。正月なんか、身動きが取れなかったし、人ごみに押されて、おまえがどこかに行っちまいそうになったから」
「少しくらいはぐれても、あなたの頭は目印になるから、ちょうどいいわ」
「大勢の中に混ざると、思うよ。みんな、小せェなァ、って」
「あなたが大きいのでしょうに」
「いや、分かっているけれど。そう思うってだけだよ」
「お祭りの会場の方は、きっと混んでいるでしょうね」
「そうさな。ここは外れのほうだし。静かでいいけれど、どうする」
「わたし、梅酒が飲みたいのよね。砂糖漬けも食べたい」
「じゃあ、会場のほうに行かないとな。
この土地を栄えさせた、スクナ。スクナ医館の創始者であり、双子の祖先とされるかの者は、今や街の守り神として祀られている。街の西方に建てられた、スクナの
山の斜面を削りだした高台に建てられた、立派な大社の姿が、花咲く梅枝のはざまにちらつく頃、囃子の笛と、太鼓と、鈴と、
「ご先祖さま、楽しんでいるのかしら」
「サァ。眠いところにドンチャンやられて、うるせぇなァ、って思ってるかもよ」
「そんなひどい人じゃ、ないでしょう」
「おれのご先祖だし、ひねくれてるんじゃないか」
「わたしのご先祖だもの。慕われたら素直に嬉しく思うでしょう」
梅の並木道を、ゆったりと歩み進む。風は冷たいが、陽の光は
たわいもないことを言い合いながら、仕事から離れた久々の外界を楽しむ。ゆったりと流れる時間のなか。
(こんな穏やかなときが、続けばいいのに)
サラは、彼女の歩幅にあわせて並び歩くキラの横顔を、チラと見上げる。昨年は見過ごした、梅に彩られた見事な景色。その美しさも背景に、長身の青年は、色と、香りと、空気などといったものを、味わっている様子だが。
(なにを想っているのかしら)
女顔だ、童顔だ、などとからかってはみても、兄は誰もが眼を惹かれるような美男で、彼とほとんど同じ顔立ちをしたサラでさえも、やはり見惚れ、美男であると、そのように感じる。否、おそらく、この世の誰よりも、そのように感じている。
(わたしを狂わせたのは、この人だもの)
サラは、兄の藤色の羽織の袖を、そっと摘んだ。それに気づいたキラは、咎めるでもなく、からかうでもなく、ただその表情を緩ませて妹を一瞥し、また梅花の方へと顔を向けた。
人の多い祭り会場にたどり着くまで、サラはキラの
(いっそ、埋もれるほどの人ごみだったら、絡みついてしまえるのに)
「これって、清酒かい。それとも焼酎かな」
「焼酎だよ」
街の酒屋が開いている出店は、よく繁盛しているようだった。昨年採れた梅の実をつけ込んだ酒は、花見の供になる。
「焼酎で、温かいんだ」
「冷えたのをじっと座って飲んでたんじゃあ、凍えちまうでしょう」
「酒好きはそうなんだろうな。どうする、サラ。おまえ、どのくらい飲むつもりなんだ」
「三合くらい」
「そんなに飲むの。焼酎だよ。おれは五勺
「三合と、五勺ね。足りなきゃ、また買いにきなよ」
酒屋の主人は大小の桧枡を用意して、湯煎された酒瓶の中身を移し替えた。
「足りてほしいな。あ、おれの方はもっと少なめにしてくれ」
双子は代金を置いて、それぞれの枡を受け取った。温い酒を手持ちながら、あたりを見渡して、居心地のよさそうな場所を探す。
「向こうの石段のところ、人がいない」
サラが指し示した方に、キラは目をやって、頷いた。二人は賑わいのなかをすり抜けて、目的の場所に向かう。その途中で、キラが「アッ」と立ち止まった。
「青梅の汁が売ってるや。ねえ、先に行っててくれよ。それで、おれの分は少し冷ましておいてくれ。おまえは飲んで待ってな。ちょっと買ってくる」
「わかった」
サラはキラの五勺枡を受け取って、賑わいから少しばかり距離をおいた石段の方へと歩いていった。
「やあ。青梅の汁、売ってくれ」
「おや、スクナさんのところの兄さんじゃない。元気そうだね」
先客に梅の羊羹を渡す菓子屋の女将が、キラの姿にハリの良い頬をほころばせた。
「おかげさまでね。早咲きのって、もう実をつけてるんだ」
「いや、今年は特別だね。年末に、花が咲いちまったからさ。まだカチカチのかたい実を、むりやり絞って出した汁だから、舐めたら跳ぶほど酸っぱいよ」
「だろうね。マ、飲むわけじゃないから、あまり関係ないかな。三本くれ」
「ねえ、砂糖漬け食っていかないか。今年のはことさら美味く作れたと思うんだ」
「でかい実だな。
「
「どうもね。成人した頃はそれなりだったんだが、去年から悪酔いしやすくなっちまった。妹のほうが強いよ。そうだ、あいつ、砂糖漬けが食いたいって言ってたっけ。一つだけくれ」
「ありゃあ、そうなのかい。気をつけてね。はいよ、一番でっかいのをあげるよ」
「ありがとよ」
青梅の汁が入った小瓶を三つ、袖の中に入れ、筍の皮に包まれた梅の砂糖漬けを持って、キラは示した場所で待っているはずの、妹の姿を探した。
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