僕と菅原

大塚

第1話 菅原

 僕の父は大変善良な人で、生前息子の僕を決して自身の実家に近付けようとしなかった。母のことは分からない。僕を産んですぐ死んだ。だが、父が選んだ人物なのだから、きっと善良な人だったのだろう。

 だがその父も死んだ。

 僕は邪悪極まりない父の実家に引き取られた。


 父の実家はを生業としていた。とはいえインチキ稼業である。家に幽霊が出るとか、悪霊に取り憑かれているという顧客は、それっぽい雰囲気を漂わせた父の実家の人々(おもに父の兄、僕から見ると伯父に当たる人物がそれを勤めた)が「ぁっ!」とか言ってポーズを決めて「すべては浄化されました」と宣言すると納得して大金を払って帰って行った。つまり家に幽霊は出ていなかったし、悪霊にも取り憑かれていなかったということだ。

 父が僕を父の実家に近付けなかった理由は、そこにある。


 僕が今暮らしているこのマンションには、幽霊が出る。それも複数出る。僕は17歳で、実家を出てひとり暮らしをしている高校生という設定でマンションの部屋を点々として生活している。僕は幽霊を見ることができる。また、祓うこともできる。。おそらく父も、そうであった。伯父は僕の能力を知っていたらしい。父の葬儀を終え、僕の身柄を引き取った伯父は「おまえにも勤めを果たしてもらうぞ」と言った。勤めとは。

 勤めとは、曰く付きの建物に住んで、その曰くをどうにかすることだ。

 父が放棄した勤めだ。そして本来なら僕も、そんな勤めを果たす必要はなかった。クソがよ。


 時折、僕の暮らしている部屋に別の自称拝み屋がやって来ることがあった。自称の連中は大抵が伯父の部下──候補の人間だった。彼らは皆偽物だった。偽物だと言うことを証明するために彼らは僕の部屋に送り込まれ、本物の怪異に遭遇して、ケツを捲って逃げた。そんなことが起きる度に伯父は大きく溜息を吐き「本物なんてそうそういないもんだな」とまるで僕が何か悪いことをしたかのように吐き捨てるのだった。


 そして今。目の前にひとりの男がいる。僕よりもひと回りは年上だろう。背が高い。猫背だ。前髪が長い。前髪だけじゃなくて髪が長い。黒髪。その長い髪の一部分だけを頭頂部で雑に縛っている。変な男だ。きっとまた偽物だ。僕は溜息を吐く。伯父と顔を合わせる機会が多いせいで、溜息癖が感染してしまった。父が今の僕を見たらとても悲しむだろう。

 この部屋にも、幽霊が出る。13階建てのマンション。16の年から住み始めて、いちばん上のフロアから始めて、今ようやく6階まで降りてきたところ。18歳になるまでには全部の部屋の掃除が終わるだろう。終わってもどうせ、伯父の命令で別の幽霊物件の掃除をさせられるだけだけど。クソみたいな人生だ。


 僕は新人と口を利かない。意味がないからだ。システムキッチンでカップ焼きそばを作る。ソースのいい匂い。


 足元に何かがうぞうぞしている気配を感じる。出てきやがった。この部屋にどういう遺恨があるのか知らないが、こいつはいつも飯の気配とともに這い出てくる。しかし追い払い方が分からない。出現のルールは分かるけど──っていうかうぞうぞうぞうぞ鬱陶しいな、踏み付けるぞ──


 ぐしゃり


 僕の目の前で、スリッパの足がうぞうぞを踏んだ。うぞうぞは悲鳴を上げて消えた。

 目の前に、背が高くて、猫背で、髪の長い男が、その長い前髪の下で両目を大きく見開いて硬直していた。

「か、か、か、か、か、」

「は?」

「怪異ぃいいいいい!?」

 そうだよ。

 と僕が応じるより先に前髪男は冷蔵庫から炭酸飲料を取り出して一気飲みして盛大にげっぷをした。品が悪い。

「嘘でしょ、ほんとにいるなんて、光臣みつおみさんからは甥っ子の様子を見てくれってそれだけしかそんな、そんな」

 あれ。

 この人、伯父の部下候補じゃないんかな。こんなにビビってるって。


 味付けが完了したカップ焼きそばをリビングのテーブルの上に移動させ、軽く部屋を見て回る。何の気配もない。こんなに美味しそうな焼きそばがあるのに。前髪男も飲み物飲んでるのに。ということは、つまり。

「ミッションコンプリートか〜」

「きみ、光臣さんの甥っ子だよね? なんでそんな平然としてるの!? この部屋おかしくない、ていうかさっきのなんなの!?」

 前髪男は結構うるさい。僕は小さく首を傾げて、

「ここ、ユーレイマンション。俺は光臣の甥で、本物の拝み屋。あんたは誰?」

「本物の、拝み屋……? えっじゃあ光臣さんは光臣さんはっ」

光臣アレが本物に見えるんだったら結構おめでたいね、おじさん。で、誰なの、あんた?」

「私は、経理の……経理で雇われる予定の……菅原すがわら、です」

 大きな体を小さく縮めて名乗った男──菅原はたぶん、経理としては雇われないだろうと僕は思った。まずこんなところに送り込まれている時点で経理に向いてない。違和感とか疑いを持つべきだと思う。あとクソ実家では光臣の妻、僕から見ると伯母が長年経理を勤めているので新人は必要とされていない。菅原は、この幽霊マンションに送り込まれ、テイ良く追い払われる予定だったんだ。

 しかし。これはまた、不思議な出会いもあるもので。

「菅原さん、合格したんじゃなーい?」

 焼きそばを咀嚼、飲み込み、僕は笑ってカーテンが開いたままの窓の向こう側を指差す。

 先ほどのうぞうぞとは違う黒い影がべったりと張り付いて、僕と菅原をじっと見詰めている。

「きゃーーーーーーーっ!!!!!」

 悲鳴を上げた菅原が、履いていたスリッパを掴んで投げる。黒い影が霧散する。

 あんまり愉快で、僕は久しぶりに声を上げて笑った。

 何これ、この経理候補、本物じゃん。

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