第12話:変態観測 其の2

 四人は呆然とその様子を眺め立ち尽くした。


 今、サンダーランド強制収容所に暴動の嵐が吹き荒んでいるのである!


「所長と副所長を捕まえてカンカン踊りを踊らせたれやっ!」


 囚人たちは所長と副所長を捕らえ、風呂に入る前に素っ裸で行う身体検査、『カンカン踊り』を躍らせろと口々に叫んでいる。そして、皆素手ながらも人数で看守たちを圧倒し、集団で袋叩きにしていく。


 呆然と光景を眺めている三人に向かってシャザーン卿は叫んだ。


「貴様等! 何をモタモタしておる! この好機を逃さず脱獄するぞ! 余に続けいっ!」


 シャザーン卿の言葉に我に返った三人は、ヘンタイロスを駆るシャザーン卿を先頭に、窓をブチ破り正面広場に向かって走って行った。


 囚人たちの中に躍り出たベラマッチャは、皆糞塗れなのに気付いた。おそらく、ベラマッチャたちが便所から出て来たのをヒントに、囚人たちが一斉に脱獄を計ったのであろう事は想像に難くない。


 ベラマッチャとポコリーノは、先頭を行くヘンタイロスの尻を見失わない様に、必死で囚人の群れを掻き分け走って行く。


 揉みくちゃになりながらも、なんとか塀まで辿り着くと、ベラマッチャ達が侵入する時に使った梯子が前方に見えた。


「諸君! あの梯子を使って脱出するんだ!」


 ベラマッチャは叫び、梯子に向かって走って行く。それを見たヘンタイロスとポコリーノも後に続いて走り始めた。


 梯子まで走り、後から来たポコリーノとヘンタイロスと一緒に梯子を動かし、塀に立て掛けた。


 ヘンタイロスとポコリーノを先に登らせ、次いでベラマッチャが梯子を上り、最後に上がって来たシャザーン卿の手を取ると同時に、凄まじい喚声があがった。振り返ると囚人たちが拳を振り上げて大騒ぎしている。


 ベラマッチャたちは驚きのあまり、その光景に釘付けになった。


「副所長を見つけたぞ!」


 建物の二階から、一人の囚人が泣き喚く副所長を抱き上げ、階下に向かって突き出した。その横にいる三人の囚人が、ぐったりしたゴメスを抱え上げて投げ落とした。


 途端に囚人たちから大歓声が上がり、群がってゴメスを足蹴にしていく。中には興奮して喧嘩を始める者まで出ている。


「下に投げろ!」


「カンカン踊りだ!」


 囚人たちは口々にクラスを罵り、下に落とすように要求している。クラスを抱えた囚人は窓の外にクラスを突き出し、階下の囚人の群れの中に投げ捨てるようにして落とした。


 待ち構えていた囚人たちは落下して来たクラスに向かって手を伸ばし、争うようにして奪い合い始めた。囚人たちの手の上で、瞬く間にクラスの衣服は剥ぎ取られ、素っ裸にされたクラスは囚人たちに揉みくちゃにされながら、恐怖と恥辱で震えている。


 囚人たちは素っ裸になったクラスを地面に叩きつけ、輪になってクラスを取り囲んだ。


「おい皆! このチビにカンカン踊りを踊ってもらおうぜ!」


 囚人の一人が叫ぶと、周囲から大歓声が捲き起こった。


 クラスは恐怖で身体を震わせながら、己を取り囲んだ囚人たちを見回し、ヨロヨロとした足取りで立ち上がると、両足を開き両手を頭上に上げ、ピョンと飛んで半回転し、最後に大きく口を開いた。


「カンカン踊りを踊りやがった!」


 それを見た囚人たちから、ドッと歓声が上がった。


 クラスは地面に崩れ落ち、顔を伏せて大声で泣き始めた。


 囚人たちが腹を抱えて笑っている最中、一人の囚人がクラスの傍に歩み寄り、クラスの腕を掴み無理矢理立たせると、周囲の囚人たちに向かって叫んだ。


「みんな! 副所長様は色白でムッチリしてやがるぜぇ! 皆でこのチビを犯っちまえ! 男として最大の屈辱を味わわせてやろうじゃねえか!」


「ひえぇっ!」


 これから起こるであろう事に愕然としたクラスは、声にならない叫び声をあげた。すると囚人の輪の中から、見覚えのある男がクラスの傍らにやってきて、ズボンを下ろし始めた。その男はベラマッチャ達が囚人部屋に侵入した時に、ヘンタイロスの身体を触っていた男だった。


「へっへっへっ、好きなんだろ? 副所長さんよぅ」


 言いながら男は、クラスの後ろから抱きつき、屈辱の行為を始めた。


「うぎゃあぁっ!」


 クラスの尻からは血が流れ出した。


 溢れる涙を拭く事もせず、悲鳴をあげて、逃げようと必死にもがき続けている。


「早く代われ!」


「次は俺だ!」


 囚人たちは口々に囃し立て、日頃の恨みを晴らそうと順番が来るのを待っている。


 大勢の囚人たちが入れ替わり立ち代わりクラスを辱め続けているうちに、とうとうクラスは口から血を吐き、痙攣してぐったりとなった。


 クラスを辱めていた囚人はそれでも尚、暫く腰を動かし続け、自分が果てた後にクラスの心臓が止まっているのを確認してニヤリと笑い、クラスを地面に投げ捨てて周りの囚人たちに向かって叫んだ。


「お偉い副所長様がお亡くなりあそばしたぜ!」


 囚人達は大歓声をあげて喝采し、群がってクラスの亡骸に殺到し、次々に地面に転がっているクラスを蹴り始めた。


 呆然とした面持ちで惨劇を見ていたベラマッチャたちは、建物の向こうから騎馬集団が現われたのを見つけた。


 土埃を上げながら走って来た騎馬集団は三十人程おり、完全武装している。それを見たシャザーン卿が叫んだ。


「暴徒鎮圧隊じゃ!」


 暴徒鎮圧隊は囚人たちの輪の外側を回るようにして正門前に行くと、一列に整列して全員武器を構え動きを止めた。


 囚人たちはその頃になって、やっと暴徒鎮圧隊の存在に気付き、悲鳴をあげて逃げ惑い始めた。


「一気に殲滅する! 突撃!」


 掛け声と共に暴徒鎮圧隊は囚人たちに向かって突撃し、攻撃し始めた。


 囚人たちは散々になって逃げ惑うが、暴徒鎮圧隊は囚人たちを片っ端から殺して行く。ある者は槍で刺されて即死し、ある者は棍棒で叩かれ血の海の中でのたうち回っている。


 クラスへの陰惨な私刑が終わった直後、今度は看守たちによる囚人たちの殺戮が始まったのだ!


 三人は凄惨な光景をただ見つめていたが、ベラマッチャの言葉に我に返った。


「諸君、悲惨な出来事だが止めに入る訳にもいくまい。さあ、脱獄を決行しようではないか」


 四人は梯子を引き上げて反対側に降ろした。ヘンタイロスとシャザーン卿が降り、ポコリーノが降りて行く。


 最後にベラマッチャが梯子を降りようとすると、正門前で看守たちを指揮している馬上の男が、こちらを見ているのに気付いた。おそらく所長であろうと思い、ベラマッチャは軽く会釈をして梯子を降りた。


 ベラマッチャが降りると、ヘンタイロスが不安そうな面持ちで話しかけて来た。


「ねぇんベラマッチャ、また死の谷を通るのん?」


「ヘンタイロス君、日が落ちた後に死の谷を通るのは自殺行為だろう。このサンダーランドは漁村と聞く。海へ出れば船が手に入るかもしれない。それに収容所はあの状態だ。暫くは追っ手も来ないだろう」


「ああ、良かったわん。ワタシ、あんな目に遭うのはもう御免だわん」


「この暗闇じゃあ、ゾンビになるために行くようなモンだぜ。海に出ようぜ」


 ベラマッチャの言葉にヘンタイロスは安堵し、ポコリーノも同意した。


 ベラマッチャはシャザーン卿にも意見を聞いてみた。


「皆は海へ出る事に賛成しとるが、君はどう思うかね?」


「どう思うじゃと? 馬鹿め。この暗闇では海に出るしか無かろう。さあ行くぞ! 余の後に続けいっ!」


 シャザーン卿も海へ出る事に異存は無いようだ。シャザーン卿はヘンタイロスを駆り、東側の森に向かって進んで行った。ベラマッチャとポコリーノも後に続いて歩き始めた。


 森の静寂はベラマッチャたちの侵入で破られ、得体の知れない鳥や動物の鳴き声で騒がしくなる。追っ手が来る事も考え、松明を点けずに進んでいるため、ときどき石ころや倒木に躓き転びそうになる。


 脱獄の緊張感からか、又は暗闇の森に入り込んだ不安からか、一行の会話は少なく、全員が足元だけを見て歩いて行く。


 暫く歩くと、先頭を歩くヘンタイロスが、森の中の道らしき場所に出た。轍の後があり、収容所の方向から東に向かって続いている様だ。


「ねぇん、ベラマッチャ。道があるわよん?」


 ベラマッチャは道の真ん中に立ち、背伸びして海の方向を見た。暗闇で遠くまで見えないが、道は行き止まりにはなってなさそうだ。


「諸君。この道を歩いて行けば海に出られるかもしれん。さあ、行こうではないか」


 ベラマッチャを先頭に、四人は東に向って道を歩いて行く。


 次第に緊張も解れ、収容所での出来事や脱獄の話をしながら歩いていると、森が開けて草原になった。草は腰の高さ程あり、追っ手が迫って来ても十分に身を隠す事が出来そうだ。


 ベラマッチャが空を見上げると、綺麗な星々の中に大きな満月が浮かんでいた。久々に夜空を眺めていると腹の虫が鳴り、脱獄してから結構な時間が経っている事に気付き、一同に小休止する事を提案した。


「諸君、脱獄の緊張と疲労で空腹になっとらんかね? 追っ手が来る気配も無いし、ここらで夜食でも食べようではないか」


 ベラマッチャの提案に、真っ先にポコリーノが賛成した。


「それがいい。もう腹ペコで死にそうだぜ」


「むぅ、余も何も食っておらんな」


「ワタシも賛成よん。何か食べられる物を探しましょうよん」


 シャザーン卿とヘンタイロスも賛成し、一行は食料調達のため、手分けして付近を探索する事にした。


 シャザーン卿を乗せたヘンタイロスが道から離れて草原を奥に進んで行くと、小さな道に出た。道は草原の奥に向かっており、道の向こうから薄っすらと灯りが射している。


 ヘンタイロスが小道を草原の奥に向かって歩いて行くと、道の正面に民家らしき建物が現われて来た。


「まあ。家があるわん。誰か住んでるみたいよん?」


「この辺りの農民の家じゃろう。軒下を見てみよ。魚が何匹も吊るしてあるわい。あれを頂くとするか。貴様はここで待てい」


 シャザーン卿は言うが早いか、ヘンタイロスから降り、忍び足で民家に近づいて行った。その優雅華麗な姿は正にプロの盗賊である。


 後姿を眺めていたヘンタイロスは痺れ、思わず駈け寄って後ろから抱きしめたい衝動に駆られた。


 シャザーン卿は軒下まで辿り着くと、おそろしい早業で吊るしてあった魚を何匹か奪い取り、農民に気付かれない様に気配を消し、魚を抱えてヘンタイロスの元に戻って来た。


「凄い業だわん。ワタシ、痺れちゃったわん」


「この程度で痺れるのは早いわい。余の真の姿を見れば、身も心も捧げようと思うじゃろう」


 シャザーン卿は言い終わると魚を袋の中に入れ、ヘンタイロスに跨り草原の中の小道を戻って行った。


「おぉ、シャザーン卿にヘンタイロス君。何か見つけられたかね?」


 戻るとベラマッチャが声を掛けて来た。


「余は魚を手に入れて来てやったぞ。貴様等は何を手に入れて来たのじゃ?」


「僕は野草を取って来た」


「俺は薪を拾って来たぜ」


「よし、それでは料理せい」


 シャザーン卿はヘンタイロスに言うと、草原の草を足で倒して寝転んだ。


 夜空を凝視しているシャザーン卿を見て、彼は何を考えているのだろうと思いながらヘンタイロスは食事の準備に取り掛かった。


「さあ、出来たわよん」


 ヘンタイロスは皿に料理を盛り付け、三人に手渡した。


 空腹のため、黙々と料理を食べていると、森の方向から何か物音が聞こえて来た。


 四人は緊張し、その場で身体が竦んだ。音に注意して耳を澄ましていると、物音はどんどん大きくなって来る。どうやら馬車が向かって来るらしい。


「火を消せっ! 追っ手の馬車じゃ! 身を隠せい!」


 シャザーン卿は小声で叫び、土をかけて火を消し草の中に隠れた。


 ベラマッチャとヘンタイロスも慌てて草の中に身体を沈めたが、ポコリーノは隠れようとしない。


「ポコリーノ君! 早く隠れたまえっ!」


「大丈夫だ。看守が追って来たなら、もっと沢山の馬車の音がする筈だ。聞こえて来るのは一台の馬車の音だけだ。おそらく、この辺の農民の馬車だろう。俺が行って、海辺まで乗せてくれるように頼んで来る」


 ポコリーノは言い終わると、草を掻き分けて道の真ん中に出た。


「ヘイッ! ストーップ!」


 ポコリーノは右手の親指を立てて高々と掲げて満面の笑みを浮かべ、両足を前後に開きながらピョンピョン飛び跳ね馬車に向かって大声で叫んだ。


 馬車は速度を緩める気配を見せずに向かって来ており、ポコリーノのすぐ近くまで迫って来ている。


「ポコリーノ君! 止めたまえッ!」


 ポコリーノの身の危険を感じたベラマッチャは、堪らず草むらから飛び出した。


「うおぉぉっ!」


 しかし時既に遅く、馬車は全く速度を落とさずポコリーノを跳ね飛ばした!


 ドガッという音を残して、馬車はベラマッチャの目の前を通り過ぎて行った。


「ポコリーノ君!」


 ベラマッチャはポコリーノの元へ駆け寄った。


 ヘンタイロスとシャザーン卿も駆けつけ、ポコリーノを見下ろした。ポコリーノの胴体と手足はバラバラになっており、即死だったと思える。


「お~い! ベラマッチャ! 助けてくれ~!」


 しかし、ベラマッチャの叫びに反応したのか、道端の草叢からポコリーノの声が聞こえて来た!


 ベラマッチャは声を頼りに草叢を掻き分け、ポコリーノの頭を探し出して胴体がある場所まで戻って行った。


「ベラマッチャ、頭と手足を胴体に嵌め込んでくれ」


 ベラマッチャはポコリーノに言われたとおりに頭と手足を嵌め込むと、ポコリーノは立ち上がり、身体を解すように動きはじめた。


「バラバラになっても死なんとは、ザーメインは凄腕の魔術師だな。それにしても、嵌め込み式の身体とは恐れ入ったよ」


「俺の身体はワンタッチ脱着式ボディー、組み立てし易く、一度組み立てれば相当な衝撃を受けない限り外れない。ザーメインはこの発明を、魔術師ギルドに特許出願中だ」


「むぅ、あの時ザーメインが開発しておったのは貴様じゃったか」


 シャザーン卿もヘンタイロスもポコリーノを見ながら、しきりに感心している。


 ポコリーノの身体が大事に至らなかった事に胸を撫で下ろしたベラマッチャは、ヘンタイロスと共に食事の片付けを終え、荷物を整えた。


「さあ諸君、サンダーランドから脱出しようではないか」


 ベラマッチャの言葉に一同は頷き、旅支度を整えて出発した。


 ベラマッチャが夜空を見上げると、雲一つない空に大きな満月と数え切れない数の星々が浮かんでいる。


 振り返れば家族を始め、村の人々や囚人たちが死に、クラス副所長とゴメスが悲惨な最期を遂げた。ゲルゲリーはディープバレー騎士団の統領として、死を覚悟して出征して行った。


 ベラマッチャはこれまでに出会った人たちの顔を思い浮かべながら、カダリカを討ち果たし、必ずイドラ島に平穏をもたらすと夜空の星々に誓った。


 暫くの間、無言で歩いて行くと、ベラマッチャは先頭を歩くヘンタイロスの足取りがフラついているのに気が付いた。ヘンタイロスに跨るシャザーン卿も前屈みになり、力なく騎乗している。


 何だか先程から腹具合がおかしい。横を歩くポコリーノを見ると、額に脂汗ならぬ油樹液を滲ませ、眉間にシワを寄せているのが分かる。


 腹を押さえながら暫く我慢して歩いていると、先頭のヘンタイロスが路上にヘタリ込んだ。


「もう我慢できないわん。降りてよん」


 ヘンタイロスが苦悶の表情を浮かべ、草叢の中に走り去ったその刹那、ラウドな放屁音が鳴り響いた。


「うぅっ……もう我慢出来ねえ……」


「くぅっ! 何か仕込みおったか?」


 その音を聞いた途端、ポコリーノも草叢の中へ走って行き、シャザーン卿も腹を抱えながら、ヨロヨロとした足取りで後に続いた。


 ベラマッチャも我慢の限界を迎え、腹を押さえながら草叢に入った。急いでマワシを外し草叢に身体を沈めると、放屁と共に勢い良く脱糞が始まった。


 便意との格闘から開放されホッと一息つくと、人間の糞とは違う独特な匂いと共に、近くから人の気配がした。


「ポコリーノ君かね?」


「ああ。お前も腹が痛いのか? くっ……」


 そう言ったきりポコリーノは無言になった。


(醗酵している……ポコリーノ君の中で。何かが……)


 ベラマッチャは、木人の糞の匂いはやはり違うものだと妙に感心すると、排泄に神経を集中させた。腹の中に溜まっていた物を全て出し切り、人心地ついたところでマワシを締め、草叢から出て行った。


 少ししてポコリーノが、脱力した面持ちで草叢から出て来ると、ベラマッチャに向かって悪態をつき始めた。


「畜生。きっと魚に中ったに違いねえ。シャザーン卿が手に入れた魚が腐ってたんじゃねえのか? 本当に伝説の盗賊なのかよ、あの野郎は?」


「むぅ……確かにヘンタイロス君の料理なら、僕等は何度も食べている。やはり、魚が問題だったとしか思えんな」


「そう思うだろ? あの野郎、偉そうな口利いておきながら腐った魚を盗ってきやがるとは、とんだ役立たずだぜ。風の旅団の話も尾鰭が付いて大きくなってるに違いねえ」


「ポコリーノ君、彼は本当にシャザーン卿なんだろうか? 本人はそう言っているが、彼がシャザーン卿だという証拠は何も無い。腐った魚を盗んで来るとは、彼はシャザーン卿を騙る三流盗賊なのではないかね?」


「ああ。王宮から王子を拉致した程の男の仕事にしては、お粗末過ぎるぜ」


 この食中りの原因を話していると、草叢からシャザーン卿が現われ、やはり脱力した表情で地面に腰を下ろした。


「フゥ、やっと腹の痛みが治まってきたわい」


 ホッとした様子のシャザーン卿を見たポコリーノは怒りの形相で歩み寄り、疑問に思っていた事を一気にブチまけた。


「おい、シャザーン卿。 腐った魚なんか盗んで来るとは一体どういう了見だ? 盗賊のくせにいい加減な仕事しやがってッ! お前、本当はシャザーン卿を騙る偽者なんじゃねえのか?」


「この木人がっ!」


 シャザーン卿は立ち上がり、いきなりポコリーノを殴り倒した。


「げぇっ!」


 ポコリーノは道の反対側まで吹っ飛び、草叢の中に埋もれた。少ししてポコリーノは起き上がり、シャザーン卿を睨みつけながら歩み寄った。


「ふざけるんじゃねぇっ! このインチキ泥棒がぁっ!」


 怒りが頂点に達したポコリーノは、叫びながらシャザーン卿の顔面を殴りつけた!


「ノオォ~ッ! ポコリーノ君!」


 後方に吹っ飛んだシャザーン卿を目で追いながら、ベラマッチャは叫んだ。


 如何にシャザーン卿が超一流の盗賊と云えども、ポコリーノは殴り合いを生業とするプロの喧嘩屋なのだ。このままではポコリーノの殺人パンチで、シャザーン卿が殴り殺されてしまう。


 だがベラマッチャは、シャザーン卿が薄ら笑いを浮かべながら、むっくりと起き上がったのを見て仰天し、ポコリーノの方を振向いた。


「うっ……うぅっ……」


 ポコリーノは殺人パンチを喰らいながらも、何事も無かったかの様に起き上がるシャザーン卿を見つめながら絶句している。


「こっ、これは一体……」


 ベラマッチャは脳味噌が宙返りをするほどに驚き、ポコリーノとシャザーン卿を交互に見ながら呻くような声を出した。


 確かにシャザーン卿は、ポコリーノの殺人パンチで殴り倒された筈である! 常人なら、その一撃を食らったら死んでいるのだ!


 シャザーン卿は薄ら笑いを浮かべながら立ち上がり、服に付いた泥を払いながらポコリーノに向かって歩き始めた。


「クックックッ……大した剛拳よ。余は今だかつて、貴様ほどの拳を持つ男に巡り会った事は無い。だが殴った貴様なら何が起こったか判る筈。余の『軽業』の前には貴様の殺人パンチとやらも通用せん」


「軽業!」


 ベラマッチャとポコリーノは同時に叫んだ。


 噂に聞く伝説の体術、『軽業』が二人の網膜を直撃し、脳神経を揺さぶったのである!


「たっ、確かに何の手応えもしなかったぜ……俺の拳は確実に奴の顔面を殴りつけた筈だった……シャザーン卿は軽業の達人と聞く。ベラマッチャ、間違いねえ。奴は本物のシャザーン卿だ!」


 ポコリーノは己の拳を見ながら、シャザーン卿が本物である事を確信し、ベラマッチャに向かって叫んだ。


「クックックッ……やっと判ったようじゃな。この場で貴様等をブチのめしてやっても良いが、今はサンダーランドから出るのが先決」


 シャザーン卿は満足げな表情で言い放ち、旅の続行を催促した。しかし、まだヘンタイロスが腹痛と便意との格闘を続けている。


 三人は草叢に座り込んで暫く待った。


「お待たせ~ん。あぁ、やっと腹痛が治まったわん。さあ、行きましょう」


 シャザーン卿は再びヘンタイロスの背に跨り、海に向かって出発した。シャザーン卿とヘンタイロスの後を追い、ベラマッチャとポコリーノも歩き始めた。


 草叢の中の一本道を歩いて行くと、風の匂いが少し変化し始めた。海の匂いが混じって来ているのだ。道も少しづつ砂地に変わってきている。


「諸君、もうすぐ海に出られるぞ」


 ベラマッチャは一行を鼓舞し、歩き続けた。どこからか波の音が聞こえて来る。


 風に押されてか、潮の匂いに引き付けられてか、一行の歩みは次第に速くなる。曲がりくねった道を進む程に波の音が大きくなり、突如、目の前から草叢が消え、大海原が目の前に現われた。


「やったわん! 海に着いたわよん!」


「うひょうっ! これで自由になれるぜっ!」


「さあ諸君、船を捜して日の出前にサンダーランドから脱出しようではないか。」


 一行は浜辺まで走り、手分けして全員が乗船出来そうな船を探し出した。


 幸いにも漁村のサンダーランドでは船を手に入れるのに苦労せず、すぐに何艘か見つかった。その中から四人が乗れそうな船を選ぶと、全員で船を浜から海へ押し運んだ。


 ベラマッチャは船に乗り込み、穴が開いてい事を確認して三人に声を掛けた。


「さあ諸君、船に乗り込みたまえ」


 シャザーン卿、ヘンタイロスと乗り込み、最後にポコリーノが船を押し出して飛び乗ると、ヘンタイロスは櫓を掴んで漕ぎ始めた。


 船はゆっくりと沖に向かって進んで行き、先程までいた浜辺や草原は次第に小さくなって行く。


 ベラマッチャは一人感慨に耽っていた。シャザーン卿を脱獄させ彼の協力を得る為に、これまで幾多の試練を乗り越えて来たのだ。


 ここまで来たら、後はカダリカを見つけ出し復讐を遂げるだけだ。


「諸君、海岸伝いにブックジョウへ出て、そこからディープバレーに向かおうではないか」


 ベラマッチャの言葉にヘンタイロスは船の針路を南へ向けた。


 船は木の葉の様に波に揺られながら進み、人知れずサンダーランドから遠ざかって行った。

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