第21話 起(2)

「呪い?」


 菖蒲が肘置ひじおきにもたれかかりながら霞のことを見る。日に日に太陽の光が強くなり始める今日この頃。普段は閉じている局も風通しを良くするためにを開け放している。簀子すのこからひさしの間に掛けられた御簾みすが時折風に揺れるのが見えた。

 霞が鋭い目つきを向けると共に咳ばらいをすると菖蒲は慌てて背筋を正す。


「気を取り直してお伺いします。『ひめつばき物語』について何か噂を聞いていませんか?」

「そういえば。この写しを貸してくださった春蘭しゅんらん様がおしゃってましたね……」

「春蘭様が?」


 春蘭というのは帝の第三王妃の名である。穏やかで大人しい姫様のことだ。快活な菖蒲姫とは正反対な性格をしている。


「この物語を最後まで読み終えると正気しょうきではいられなくなる、と」

正気しょうきでは……いられなくなる……」


 霞の頭の中に化け物の術が思い浮かぶ。人を意のままに動かす、恐ろしい術と正気ではなくなる呪い……。何か関連性はあるのだろうか。黙り込んでしまった霞を見て菖蒲が声を上げる。


「怖がらなくても大丈夫よ!借りたのは「写し」の方だから!春蘭様曰く、原本が危ないらしいの」

「なんですか……。その理屈は」


 胸を張って得意そうに言う菖蒲に霞は肩を落とす。幼さの残る愛らしい返答もまた菖蒲らしかった。


「なんですか?呪い?」

「面白そうなお話ですね!私にも教えてください!」


 噂好きの女官達が菖蒲を取り囲んでしまう。


(本当に……噂話好きよね。それと奇怪きかいな話)


 女官達は宮中の噂話だけではなく「現実では考えらない話」も好んで話していた。


「ならばわたくしからお話しましょうか?」


 ほがらかでゆったりとした声が響いて、霞と女官達は慌ててその場に平伏する。


「これは……春蘭様。おひさしゅうございます」


 霞のすぐ横。開け放たれた襖から扇を片手に姿を現したのは春蘭だった。菖蒲よりも細く黒い長髪は絹のように美しかった。丸い顔に少し下がった眉と目尻。薄緑色のうちきが柔らかな人柄を際立きわだたせているように思える。


「霞も久しぶりですね」


 春蘭は眉を下げ、霞の挨拶にもしっかりと答えてくれる。


(私のように地味で目立たない女官の名も覚えてくれている。気遣いのできるお方なのよね)

「本日はどのようなご用件でこちらに?」

「それは勿論。宮中で知らぬ者はいない。『ひめつばき物語』を語りに来たのです」

「……左様でございますか」


 霞は頭の中である考えがひらめく。


(噂のことと、『ひめつばき物語』の原本のことでも聞き出しておきましょうか)

「私も菖蒲様からお借りしたところなのです!ご一緒させて頂いてもよろしいでしょうか?」


 霞の申し出に周りの女官達は驚いた顔をする。霞がこんな風に声を上げるのは珍しかったからだ。傍から見れば物語に夢中になっているようにしか見えないだろう。

 そんな霞の思惑など露知らず。春蘭は柔らかな笑みを浮かべたまま大きく頷いた。


「ええ。構いませんよ。大勢で話した方が楽しいものね」

「霞ってば。かえで様のお陰で『ひめつばき物語』に夢中なのよ」


 菖蒲が着物の袖口を口元に引き寄せて無邪気な笑みを浮かべる。霞は心の中で「余計なことを」と思いながらも曖昧あいまいに微笑んだ。


「まあ。あの蔵人頭殿くろうどのとうどのと……。そちらの話も詳しく聞きたいですね」


 菖蒲と春蘭が目を輝かせて此方こちらを見るので霞はたじろいでしまう。


「私の身の上話など物語に遠く及びませんから……」


 こうして霞達はひめつばき物語について語り合うことになった。




「わたくしはやはり、つばき姫が身分差を気にしているところを影帝えいていが迷うことなく宮中に連れて行く場面が一番好きですね」

「私はつばき姫が影帝を想ってひっそり宮中から出て行こうとした場面が好きなんです!それを影帝が見破って……」

「連れ戻すのですよね」


 菖蒲と春蘭の物語に対する熱量は凄まじかった。霞はふたりの会話に追いつくのに必死だ。


「霞はどんな場面が好き?」


 勢いよく菖蒲と春蘭が霞の方に顔を向ける。霞はびくっと肩を揺らすと、緊張気味に答えた。


「私は……身分差でつばき姫が自信を無くしている所を影帝が手を握り励ます場面がいいと思います」


 恐る恐る二人の反応を伺う。菖蒲と春蘭は顔を見合わせると満足そうに頷いた。


「その場面も素敵ですよね」

「私も好きよ!ああ、それとあの場面も……」


 霞の感想から更にふたりの話が盛り上がっていく。留まることを知らない『ひめつばき物語』の話に霞は冷静になる。


(このままじゃ普通に物語の話をして終わってしまいそうね。そろそろ情報を引き出さないと……)

「ところで春蘭様。『ひめつばき物語』はどなたから借りたのですか?最近人気があって写しを手に入れるのも難しいですよね?」

「この写しはね……水仙すいせんからよ」

「水仙姫様……」


 水仙の名を聞いて菖蒲の顔が少しだけ曇る。それもそのはず。穏やかな春蘭と異なり、水仙はかなり気性きしょうが荒い。菖蒲を第一王妃に押し上げる際、障壁となったのが水仙だったのを霞は思い出す。

 菖蒲に嫌がらせをして宮中から追いやろうとしていたこともあった。それも霞の策によってなんとかしのぎ切ったのだが……。


(殿下にいち早く気に入られてしまえばこちらのもの。第一王妃になってからは一切手を出してこなくなったから)

「ええ。『ひめつばき物語』の原本は水仙が独占してるのです。水仙が水葵みずあおいの一番の読み手だそうです。水葵が書き上げた最新の物語も水仙の手元にあるみたい」


 水仙の話を始めた春蘭は顔をうつむかせる。


「水仙、最近は物語を読んでばかりいて……。少しは行事に参加したらって言っているんですけれど」


 それには菖蒲も霞も黙り込む。水仙がふさぎこんでいるのは明らかに菖蒲達のせいだからだ。帝の寵愛ちょうあいを一身に受ける菖蒲のことを水仙は酷くねたんでいた。それほど自尊心の高い姫君だったのだ。

 そんな水仙と菖蒲の間を取り持つのは第三王妃の春蘭だった。穏やかな性格のお陰か。水仙は春蘭にだけは心を開いているようだった。


「最新の物語を?それは……羨ましいですね」


 菖蒲が笑顔を作って答える。


「本当に。できれば三人揃って物語の話をしたいものです……。難しいことだというのはわかっています。それでもわたくしは三人で殿下を支えていきたいのです」

「そうですね……」


 霞は清らかな春蘭の横顔を見て胸を針で刺されたような気持ちになる。


(水仙様があんな風になられたのは私のせいでもある。私の個人的な益のため他者を蹴落としたんだから)


 一人、心の中で自分をさげすんだ。


(どんなに汚い手を使おうとも私は……かたきを討つまで止まることはできないの)


 霞の瞳の奥が炎にように燃え上がる。着物の袖に隠れて握りこぶしを作った。


「そうそう。呪いのことですけれど、もしかすると原本の最後に書かれている奇妙な言葉のせいでしょう」


 霞は顔を上げると、扇を仰ぐ春蘭に向かい合う。


「奇妙な言葉?」


 春蘭の真剣な語り口に、霞は思わず息を呑む。


「ええ。原本には物語の最後に奇妙な言葉が書いてあるそうなのです。必ずどの巻数にも一言。しかもその文字が……血を使って書かれたように見えるらしいのです」

「血……ですか?」


 霞を含め、周りの女官達が静まり返った。菖蒲は左隣に控えていた霞の腕を抱きかかえている。その様子を見ていた春蘭がくすくすと笑い声をあげた。


「噂ですよ?噂。私も実際に見たわけではないのです」


 春蘭の言葉と共に霞達は肩を落とす。


「もうっ!春蘭様ったら私達のこと揶揄からかっていたのね!」

「ごめんなさい。あまりにも皆、かわいい反応をみせるものですから……。ついね」


 笑い声が巻き起こる、和やかな雰囲気の中。霞は一人、頭の中であることを考えていた。


(もしその原本に血文字が書かれているというのなら、それが化け物に関する情報なのかもしれない。これは早急に原本を手にする必要があるわね)


 そこで問題になるのが水仙だ。


(さて……。どうやってあの気難しい姫様に取り入ろうかしら……)

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