第20話 居場所。

 風香ちゃんへのプレゼントは、どうやら大成功と見てもいいのだろう。


 俺と莉奈を見送る時でさえも、ずっと被りっぱなしのクロスバケットに、2人で鼻を鳴らした。


 そして、その後はやはり、莉奈の風香ちゃんに対する惚気話をひたすら聞いて。


 でも、なんだか全然嫌じゃなくて。


 別にただの幼馴染なんだけど、なんだか莉奈の自然な笑顔は、安心した。


「それじゃ湊。また学校で」


「あぁ。気をつけて」


「ふふっ。私んち、すぐそこなんだけどね」


「今のご時世分からんだろ。攫われたらすぐ助ける」


「うん。期待してる」


 そうやって、2人でくすりと笑い合って、背中を向けて歩き出す。


 今日は5月5日。もう、ゴールデンウィークが終わる。


 特に何をしていたのかと言われれば、莉奈との買い物に行って、風香ちゃんの誕生日を祝ったぐらいしか無いが。


 しかし、それでも、やはり連休が終わる時独特の、寂しさのようなものを感じた。


 マンションの前に着くと、カードを通し中に入る。


 エレベーターで8階まで上がると、自分の部屋へと向かった。


 すると……。


「ん〜? あれぇ〜? 湊くんだぁ〜。やっほ〜」


 文乃さんがいた。俺と彼女の部屋の間の壁に背中を預け座っている。


 こちらに顔を向け、ひらひらと手を振る彼女に言葉を返した。


「はい、こんばんは……って、酒くさ……結構飲みましたね」


「うん、いっぱい飲んだー」


 えへへ〜。とふにゃふにゃな声で笑う。そんな彼女にため息を吐き、「さっさと部屋に入った方がいいですよ」と促す。


 すると文乃さんは、


「それがね〜、飲んでた時にはあったんだけど〜、ここに来たら鍵無いなったー! あっははは!」


 鍵消失マジック〜♪ と、久々にキツイ酔い方をしている文乃さんに、思わず頭を抱えた。


 そうだ、そう言えばそうだった……よくよく考えたら、この人との出会いも、泥酔して部屋を間違えたのがきっかけだ。

 

 ……つーか、今思えばこの人、どうやって俺の部屋に入り込んだのだろう?


 ……まぁ、考えるだけ無駄か。


「またですか……はぁ……とりあえず、俺の部屋上がってください」


「わぁ〜! 湊くんにお持ち帰りされたぁー!」


「いてこますぞ」


 俺の体に抱きつこうと、腕を伸ばす彼女の顔を手で押す。


 んん〜〜! と可愛らしい声を上げた文乃さんだった。




 

 

 シャワーを浴びて、以前貸していたブカブカのスウェット姿になった文乃さん。


 しかし、シャワーを浴びたことによって若干酔いも覚めてきたのか、文乃さんはソファーに寝転びながら静かに言った。


「ごめんね……湊くん……いつも頼っちゃって」


「いえ、まぁ……俺も暇なんで」


「そっか……ありがと……」


 ウトウトした声が、リビングに響き、鼻を鳴らす。


「ちゃんと歯磨きはしたほうがいいですよ」


「うん……したよ。湊くん、まだ私の歯磨きセット置いといてくれたんだね」


「まぁ……どうせ、そのうちこうなるんだろうなって、思ってましたから」


「なーんだ……でも、私……ここにいていいんだね……」


 そして消えそうな声はやがて、華奢な寝息へと変わり、リビングには静寂が訪れる。


 やれやれ……と、息を吐いて、彼女が寝転ぶソファーへと近づいた。


「文乃さん。そんなところで寝ると、体痛めますよ」


「……」


「文乃さん、起きて……」


 俺の声がそこで止まる。


 ブラウン色のソファーの上に乱れる、長い黒髪と、彼女の白い肌。


 美人半分、かわいい半分みたいな顔も、目を閉じて口を半開きにしている顔は、なんだか子供みたいで。


 そんな無防備な姿に、俺はくすりと鼻を鳴らす。


「ほんと、警戒心なさすぎだろ……この人」

 

 今まで、こういう経験がなかったから、あまり分からないけど。普通は男性と2人でいる時に、こんな無防備にはならないと思う。


 そこそこ酔ってて、ソファーで仰向けだなんて、防御力もゼロに等しいだろう。


 仮に俺が悪い人だったとして、襲われたりなんかしたら、文乃さんはどうするつもりなのだろうか。


 ……。


 今、この瞬間にも俺が、この人の体に触れて、唇を一方的に重ねたとして、文乃さんは受け入れてくれるのだろうか……。


 ……俺は、この人のこと、どう思っているのだろうか。


 その瞬間、ハッと意識が戻り、彼女の唇に伸びていた指を引っ込める。


 どくどくと脈打つ心臓と、ぶり返すような頬の熱に、思わず息を詰まらせた。


「何やってんだ……俺」


 いつの間にか、文乃さんの体に手が伸びていた。あれだけ、文乃さんを無防備だと、心の中で思いながらも、俺の体は彼女に触れようとしていたのだ。


 訳が分からない。いや、これはもう一種の思考のバグなのだろう。


 だけど、これだけは分かる。


 今この一瞬、自分が抑えられなくなるような感覚が、怖かった。


 これまでの文乃さんとの関係を、全て壊してしまうかもしれない。そう考えると、伸びていた手が恐ろしく感じた。


 自分を落ち着かせるように、深呼吸をして、再び文乃さんへと顔を向ける。


 先ほどのような高揚感は感じない。大丈夫。


 ゆっくりと立ち上がり、寝室から毛布を持ってくると、彼女にかける。


 おやすみ。の一言も言わないまま、リビングの電気を消した。


 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る