透明な同居人
たまに、幽霊屋敷に住んでいると勘違いされる。
それは大いに間違いだ。幽霊とは死者であって、ここの同居人は死者では無い。が、人間でもない。
ただ、透明なだけである。姿は見えず、影もない。でもたしかにそこに存在する、透明な同居人である。
きっかけは煤けた手紙だった。
住居・お仕事募集中~なんて道端で謳っていたら、じゃあこれ試してみる?と通りがかりのおじさんに渡されのである。
その街じゃ有名な謎の手紙らしく、たまに落ちてくるそうだ。
多ければ週に一通、よく分からない依頼が書かれた手紙が撒かれる。それを見かけたのが親切なひとであれば、拾って掲示板に貼っておいてくれたりする。気づかなければ遠慮なく踏まれる。
内容は大抵、危険なことではない。どこそこの空き家へ薔薇の花束を、とか。真夜中に時計台の階段清掃を、とか。
危険では無いが、誰が依頼しているのかも誰のための依頼なのかも分からない。控えめに言って不気味である。切羽詰まってなければ、あるいは相当暇で困ってなければ、だれもその依頼を受けようとはしなかった。
仕事がなくなり切羽詰まっていた私は、あっさりその依頼を受けた。
危険なことはないという噂は聞いていたし、何より金がない。
この手紙の依頼を受けてきちんと成功すれば、手紙が現れたようにどこからともなく報酬が現れるという。結構ハイテクだな、と思った。
私が開いた手紙の内容は、まさに私が求めていたものだった。
――つまり住居と金が保障されている。それも長期的に、だ。
『○○にある家で、同居すること』
そんな言葉で始まった手紙には、身の安全の保障や給金、家事分担などが書き連ねられていた。
もちろん、私はまっさきに思った。
「だれと同居するんだよ」
それが、どこにも書いていなかった。手紙の主はよほどうっかり屋なのか、書きたくないのか。
しかし背に腹はかえられない。身の安全も保障されていることだし、すんごい横暴な臭ぇおっさんを想像して覚悟を決め、指定された住所に向かった。
そして出会ったのが、透明な同居人であった。
「……こんにちは、依頼されて同居しに来た者ですが」
その屋敷はなかなか大きく、かつ荒れていた。これなら魔女だの吸血鬼だの騒がれても仕方の無いみてくれだった。
ギィ……と錆び付いたドアを開けると、どこぞの貴族の屋敷だったような吹き抜けに出た。人っ子ひとり見当たらない。
不意に、奥の扉がギィ……と開いた。この屋敷、全体的に油が足りてない。
中には誰も見あたらず、眉をひそめてるうちにまた扉が閉まった。私が開けたドアから吹き込んだ風の仕業にしては不自然だった。
気になって息を潜めて耳を澄ませると、ぽす……ぽす……というような足音が聞こえた。私には馴染み深い、カーペットの上の足音。
そしてその足音は、始まった時と同じように唐突に止まった。
いる。
それは確信だった。
私に霊感は全くないし野生の勘もないが、なんとなく分かる。
十数歩離れた場所に、誰かが立っている。
心做しか、緊張しているように感じる。家主が緊張しないでくれ、こちとら新米雇われ何某ぞ。
すぅ、と一呼吸置いてから、家主がいる方向へ真っ直ぐ目を向けて口を開いた。
「本日より一緒に住まわせてもらいます。よろしくお願いします」
やはり金、恐怖より金だ。仕事は優先させていただく。
――そんな経緯から始まった同居生活だが、これが意外と悪くなかった。
基本的に屋敷のどこへ行っても問題はなさそうだし、設備はたまに古いものがあるくらいで充実している。
給金は月に一度窓辺に現れ、少し歩いたところに街の賑わった通りがあるため買い物にも不自由しない。
家主は想定外にも透明で人見知りだったが、感情や存在感は非常に分かりやすかった。むしろ、生身の人間相手よりやりやすい。
厄介といえば、人見知りなところだろうか。家主は、こちらに気づかれまいとコソコソ音を潜めて移動するのである。家中カーペットまみれな理由が分かった。
しかし、慣れてしまえば――説明しづらい感覚であるが――家主は非常に感情が豊かで、分かりやすかった。
部屋に恐る恐る入ってこようとしてる時点でドア越しに分かるし、食事当番の時にオムレツを作ってあげた時は激しく揺れるしっぽの幻覚が見えるようだった。
なお、家主が作る料理はあっさり系が多かった。あっさり系が好きというより、材料の組み合わせ方がよく分からないらしい。
透明な家主は、基本的に私の生活圏に近づかない。
かれは北側の塔に生息しているらしいが、そこからあまり出てこないのである。私もそちらへはあまり近寄らない。
ただ、食事の時は必ず一緒に食べる。たまに朝食を食べに来ない時があるが、夕飯は絶対に来る。
そんなこんなで私が夕飯作りに力を入れるようになったのも、当然の流れと言えよう。
何か面白いものは作れないかな、と買い物に街へ出ると、最近仲良くなった果物屋の奥さんにヒソヒソと声をかけられた。
「あんた、向こうの丘の屋敷に住んでるんだろ? 大丈夫なのかい? あそこ、幽霊がいるなんて噂もあるからさ……」
親切な奥さんである。そうか、あそこは幽霊屋敷なんて噂になっているのか。家主のことを考えれば至極真っ当すぎる。
「幽霊とはちょっと違うみたいですが、気楽な毎日を過ごさせてもらってますよ。そこらの宿泊客と比較にならないほど良き同居人です」
騒がしい宿を横目に私が笑ってそう言うと、奥さんから安心したような変なモノを見るような目で見られた。非常に解せない。
同居人の正体はまるで不明である。
存在も感情も透きとおっているのに、正体だけはいつまでも不透明である。
数日後から、街の人達より私に幽霊関連の依頼が舞い込むようになった。
どうやら、そっち方面に強い人だと思われたらしい。
霊感、私は全くないのだが。
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