29 未熟(side 司)
あの人がどうなったかというと、またSNSで全肯定してくれる支持者、フォロワーと呼ばれる何十万人に対して可哀想な自分への同情を誘うようなコメントを出して、今も延々慰めて貰っているようだ。
そんな関係性に何の意味があるのか、俺には良くわからない。何が楽しいのか、本当に理解はし難いが。それは別々の人間なんだから、仕方ないことなのだろうか。
付き合っていた当時には、俺はあの人のために出来ることはしていたつもりだった。その時、あの儚くも繊細なあの人のことを本当に好きだったからだ。
やがて、考えに付いていけなくなって別れる時は互いに納得して、別れたつもりだった。けど、どうしても冷たくはなり切れなかった。そんな時にもやはり、好きだったからだ。
お前が相手に未練を残すような別れ方をしたんだからと今詰られても、あの時の正解がなんだったかなんて、もうわからない。結果は結果で、再度やり直すことなんて不可能だからだ。
そして、俺の中途半端な優しさが、あの人のためになるとは限らなかった。
あの人も変わらないように、俺もまた変えられない。どこまで行っても平行線で、どうしても分かり合えない俺たちは、近付けば傷付け合うしかない。
もう二度と会わない方が、お互いのために良いことなんだろう。
◇◆◇
とある秋の夜。俺たちはというと、いつものメンバー何人かで高級住宅街に位置する佐久間の家に集まって騒いでいた。
佐久間の父親は不動産を多く所有していて、口座には何をせずとも定期的に多額のお金が入って来るらしいが、あいつはそれで生きていくことは絶対に嫌らしい。都内にあるタワマンに住みたいのに、両親の意向でまだ郊外にある家に帰らないといけないことにも、不満はあるようだ。
それを贅沢な考えだと言われようが、ただ自分の人生を好きに生きるという選択をすることは、誰かに許可を求めるような話でもない。
俺はベランダに出て、一人酒を飲んでいた赤星を見付けた。
「……御曹司、助かった」
「別に良い。俺の祖父の口癖は、権力は困っている誰かに良い事をする為にあるだ。大したことはしていない。気にするな」
「その台詞。世界中の権力者に、教えてあげてくれないか」
「彼らはそれを知りつつやらないことを選んでいる、ただの確信犯だ。その行為には、何の意味もない」
赤星は酒の入ったコップを片手に、月を見上げた。今夜は見事なまでに欠けのない、美しい満月だった。
「御曹司なんて呼ばれていて……伝統的な世襲だなんだと言われてはいるが、うちの真宮寺は実力主義だ。全体が生き残るためには、獅子の子をも引き摺り落とす。俺が使えない後継者だと判断されたら、一族の中で優秀な誰かが選ばれ代わって当主を継ぐことになるだろう」
「御曹司も、随分と……シビアなんだな」
「真宮寺家に産まれたというだけで人生が安泰だと言うなら、それはそれで恐ろしい話だ。上層に無能が蔓延(はびこ)れば、悲劇しか起こらない。大企業で上にまで上がれる人間の目は確かで、そうでなければ、それまでに蹴落とされている。自分の上の立場に立つ人間ではないと判断されてしまえば、それでもう俺は終わりだ。後継者には値しないと切られて終わる。それだけ。本当に、世知辛い世の中だよな」
「……赤星は、怖くないのか」
特に気にした様子もない彼の話を聞いて、俺はどうしてもそう思ってしまった。
何十万人もの従業員が所属する巨大グループを、率いる当主たる者の後継者。誰もが彼の一挙手一投足に、注目する。そして、既に多くの物を持つ彼の転落を願う者だって多いはずだ。
もし俺だったらそんな計り知れない重圧のかかる立場に居ることなど、一日とて耐えられそうにない。
「芹沢。聞いたことはないか? 人が本当に困った時に現れるという、光る救いの手だ。いつもは数多く傍にあるただの手と変わりないんだが、人が救われたいと心から思う時にだけ、それは光り輝いて見えるらしい。それを信じ掴めるかで、その後の人生は変わってしまうとか」
「……俺にとって、赤星の手は確かに光ってたよ」
偶然にこの男が俺の傍に居なかったらと思えば、今でも胸がひりつくようだった。
切羽詰まった状態になった情緒不安定な雪華さんが、あれで黙ったのは彼女が絶対的に逆らえない存在であるこの赤星が居たからだ。
自暴自棄になった雪華さんは、あの後だって自分が気に入らないからという自分勝手な理由で水無瀬さんに対し、また何かを仕掛けたかもしれない。
「なあ、芹沢。人生のすべてが上手くいくなんて、それは有り得ない。誰だっていつか必ず、落ちぶれる時が来る。俺は、そういう時。俺を知る誰からも見えるような、光っている手になりたい。これをバカバカしい、絵空事だと思うか? 俺は、自分ではそう思わない。やりたいことは、とりあえずやってみなければ、その先がどうなるかなんて、誰にもわからない。不可能だと断言されようが……未来は誰にも読めない。どこかで……一人で泣いている奴が居れば、俺は救いの手を伸ばしてやりたい」
「お前は……人の上に立つ器を、持ってるよ」
その時に心から、思った。
赤星は彼さえ居れば大丈夫だろうと、不思議と誰もに思わせる魅力を持っているからだ。
それは、決してこの男が受け継ぐ血だけのせいではない。性格の問題なのか、彼が持つ理想のせいなのか。ただの一般市民である俺には、理由はわからなかった。
「はは。お偉い先祖を持った、自分の力で手にした訳でもない権力しか持たない。張りぼての御曹司の戯言だ……力なき者が誰かを救うことを願うなど、烏滸(おこ)がましい。俺は頭の固い、ごちゃごちゃうるせえのは、全部下に置いていく。自分が行けるところまで、上にまで上がるぞ」
赤星は、そう言って上を仰ぎ見た。
彼が今見えているのは、今視界に映る夜空に輝く星でもなければ月でもない。自分の思い描く、理想の未来なのかもしれない。
「……じゃあ、俺はお前が落ちぶれた時には、手に蛍光塗料でも付けとくか」
「は……? なんだよ。頭からその蛍光塗料、ぶちまけてやろうか?」
冗談にひとしきり二人で笑ったら、遠くの方にチカチカと瞬く飛行機の光が見えた。遠く何処か遠くへと、誰かを乗せて飛んで行く。
「誰もが不可能だと思っていることだって、挑戦してみなければその結果はわからない。お前の言う通りだ。俺だって、そう思うよ」
「ははっ、まじで? お前。知ってたけど。俺のこと好きだな」
赤星は楽しそうにして、いつものように笑った。
「赤星くらい、人に情がある奴は、きっと居ない。誰もが、お前が上に立つことを望むだろう」
そう、だから。もし彼が人を切るときは、それだけの苦渋の決断をしたと、誰もが納得するだろう。
「……俺も、芹沢のことが好きだよ。お前はすべてに恵まれているというのに、本当に真面目だから。誰かが傷付くより、自分が傷つくことを選ぶから。それほどの素晴らしい顔を持って産まれて来たのなら、俳優になれよはマジで思うけど。芸能界も法曹界も……大変さレベルでは、似たようなもんか。お前。そんな感じで、面倒くさい派閥の中で上手くやれるのか?」
「あそこは、法律の解釈の問題で大体学閥らしいから。それに、それこそ入ってみないとどうなるかなんて、わからないだろ?」
赤星は俺の言葉に、それもそうかと肩を竦めた。
「違いない。ま。お前には守るべき大事なみーちゃんが居るし、何があったとしても自棄にはならないだろ。無理そうなら、弁護士に転向したら良い。俺の会社で雇ってやるよ」
「それは、ありがと……水無瀬さんって、なんであんなに理解不能なんだろ。次に何を言い出すのか、俺みたいな常人には、とても想像がつかないんだけど」
どうしても可愛い恋人の思考を理解仕切れないという悩みを俺がそう漏らせば、赤星はまた笑いながら言った。
「本当に。お前は大体、頭で考え過ぎなんだよ。あの子とは真逆だから、それで相性が良いんだろ? 過去の出来事にずっと囚われていたお前を救える光る手は、多分世界であの子だけだった。よく見つけられたな。お前は間違えずに、握れたんだよ」
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