24 言い分

「あのさ。姉ちゃん。この前にかっちゃんから、聞いた……なんか、俳優みたいな外見の男に、騙されてるんだって?」


 久しぶりに会いたいと呼び出されて渋谷のカフェへと赴けば、互いの近況をひとしきり話した後、神妙な面持ちで私の二つ下の弟銀河は話を切り出した。


 銀河は生来頭が良くて、特に努力もせずに現在藤大生。そんな彼ではあるんだけど、実は高校時代からの友人と趣味でバンド活動も平行してやっている。


 楽器の練習やライブの予定なんかで時間を取られしまいそうなものなんだけど、銀河は本は一度読んだだけで記憶してしまえる。だから、勉強というものは時間を掛けて反復して暗記するものでもなかった。


 短めの赤い髪に釣り目気味の三白眼、往年の神バンドのヴィンテージバンドT。姉である私が言うのもなんだけど、あまり彼氏候補として友達には紹介したくない外見はしていた。


 けど、中身は慎重派のビビりだし普通に良い子だ。こういうバンドマンの反逆児な悪っぽい雰囲気に、自分の中身が真逆だからこそ憧れているだけなんだよね……。


「もうっ……一体、何聞いたの? 私は何も、騙されてなんてないから。かっちゃん、そんな事言ってたの? 私と付き合ってた時には、自分が浮気して別れることになった癖に。今になってそんな風に私と彼氏とのことに口出しするなんて、意味がわかんないんだけど」


「あの時は……姉ちゃんが受験勉強で忙しくて、寂しかったから、魔が差しただけだって、そう言ってたよ。姉ちゃんは小さい頃からずっとかっちゃんのこと、あんなに好きだったのに。一回間違っただけだっていうのに、許せないの? もう一回くらい、チャンスをあげたら良いじゃん」


「絶対に、嫌だよ……それだけ好きだったからこそ、そういう事をされた私が深く傷付いたって思わない? それに、もう……今更だよ。私はかっちゃんのことを、もう好きじゃないの。だから、やり直したいって言われても無理だよ。一人の男性として全く、好きじゃないもん」


 言い終わった私が目の前にあったミルクティーに口を付けると、銀河は大きな溜め息をついた。


 そうしたいのは、二十歳過ぎても家族に恋愛関係を口出しされた私なんだけど……今付き合っている芹沢くんは、誰がどう考えても、文句の付けようのない完璧な男性だということも付け加えて言いたい。


 銀河は自分のスマホを取り出して、SNSでとある女性のアカウントのページを私に見せた。


「これ」


 有名雑誌でモデル活動もしていた綺麗な女性だし、私も彼女の名前だけなら知っていた。


『雪華(せっか)』


 有名なインフルエンサーで、とある俳優とも一時期付き合ったことがあるとか。


 彼女のフォロワーの数は、その辺の芸能人も裸足で逃げ出す桁違いの二十万人だ。ただ彼らの投稿を日々楽しみにしている一般人とは、かけ離れた世界の住民。多分、彼女が踊ったりする動画には「彼氏のタイムラインには、出て来ませんように」と切実なコメントがされてると思う。私だって、思うもん。


 黙ったままでコツコツとディスプレイを叩かれるけど、私には銀河が何を言わんとしているのかが本当にわからなかった。


「……この人が、何? 雪華のことなら、知ってるけど……何が言いたいのか、わからない」


「……あのさ。姉ちゃんと付き合ってる男について、俺も事前に聞いて来た。姉ちゃん。あいつの元カノ。この人なんだって……姉ちゃんみたいな、普通の女の子。飽きたら、いつか捨てられてそれでもう終わるんだよ。それで、大丈夫なの?」


「……え」


「こういう人と付き合ってたってことは、元々こういう人が好きだってことだろ? 今は姉ちゃんみたいな、なんていうの……毛色の変わったタイプが、付き合ってて面白いのかもしれない。けど、その男は日本中の女性の中で自分好みの女を、選べるんだよ。元々、雪華と付き合っていたくらいだし。姉ちゃん。そんな奴にさ。最後に自分が選んで貰えるという、確証はあるの?」


 思いも寄らない情報を聞いて、あまりの衝撃に頭の中が纏まらない。


 私だって芹沢くんには、絶対に前に付き合った人が居ると前々からわかっていた。けど、まさか。才色兼備で、元々お金持ちのお嬢様で、有名な雪華が……元カノだったなんて。


「けど……芹沢くんは、そういう人じゃないよ。私のこと、好きって言ってくれるし、ちゃんと行動でも示してくれるもん。私は芹沢くんを、信じている」


 付き合ってから、今の今まで……芹沢くんを疑うなんて考えたこともなかった。「信じてる」と口にしつつも、銀河の心配している理由は、もし私がこの子なら、同じように思ってしまうはずだ。


 心の中にゆっくりと広がった暗い不安に、今にも押しつぶされてしまいそう。


 ……そっか。親しいゆうくんは、多分雪華と芹沢くんが前に付き合っていたのを知っていた。それを知っていたから「芹沢の元カノのことなんて、知らない方が良い」と、あの時私に言ってくれたんだ。


 知ってしまえば、雪華に勝てるところなんてひとつもない私が……どう思うか……あの人には、既にわかっていたから。


「雪華は高校生時代からモデルとして芸能活動をしてて、都内でも有名人だった。だから、そういう自分の事情で隠さなきゃいけない女と付き合った。やけに姉ちゃんの今の彼氏の女関係を、誰も知らなかった訳だよ……優鷹の法学部で、裁判官志望だって? 本当に、頭良さそうだね」


 芹沢くんのことを知りもしないのに、彼のことを揶揄(やゆ)するような銀河の言葉に、私は眉をひそめた。いくら姉弟だからって、言って良いことと悪いことがある。


「やめて。芹沢くんは、そういう人じゃない。私が、一番に知ってる。銀河も芹沢くんのこと、話したこともないし彼のことを何も知らない癖に、私たち二人の関係に勝手な口出ししないでよ」


 私の機嫌が、最底辺へと辿り着いたのを銀河も理解したのか、慌てるようにして、口を押さえて泣きそうな顔になった。この子は昔から私の後を着いて回る子だったから、こうして珍しく怒られるといつも辛そうにする。


 心配してくれている銀河に対し拒絶するような言葉を言うのは心は痛むけど私だって、譲れるところと譲れないところがあるのだ。


「俺だって……姉ちゃんの恋愛関係に、口出しするとか。気持ち悪いこと、したくねえよ。けど、この女の事を調べてて、つい見ちゃったんだよ……ちょっと。これ見てみてよ。じゃあ」


 そして、銀河は雪華のSNSの画面を閉じて、ある画像を私に見せた。


「……嘘……これ、芹沢くん?」


 薄暗いバーのようなところで撮影されたらしい写真に載っていた男性は、腕と時計しか映ってなかった。


 けど、それなのに芹沢くんだと私がわかってしまうのは、彼のパーツを見るだけで本人だとわかってしまう私の、彼が好き過ぎてしまうゆえの習性のせい。


「これって……時間経つと消える仕様の写真だから。だから、もう雪華のSNSでは今はもう掲載されてない。なんか、やたら匂わせっぽい文言言ってるじゃん? 想い再燃。みたいな。芸能人って、こういうことを良くして叩かれてる。このスクショはもうばら撒かれて、雪華のファンの間でも匂わせじゃないかって騒いでる……元彼。どっかの俳優と、また付き合い始めたんじゃないかって。けど、俺は先に姉ちゃんの話を聞いていたから、ピンと来た。もしかしたらってね」


「……私と付き合う前の……昔に撮った写真かも、しれないし……」


 銀河は顔色をなくした私が言った苦しい予想に、大きく溜め息をついた。


「姉ちゃん。それ、本気で言ってんの? 男の方はどうかわからないけど、この文字を見たら雪華はそのつもりじゃない? この写真の撮影場所のバーって調べてみたら、まだオープンしたばっかりの会員制のバーだった。いわゆる、芸能人御用達の……個室もあるところ。だから、確実に姉ちゃんと付き合ってからも、二人は会ってるんじゃないかって……俺は、思ったんだよ。だから、ちゃんと話しなきゃって……」


「……銀河……ごめん。私もう帰る」


 呆然とした私は財布から千円を出して机に置いて立ち上がり、鞄を手にした。そこまで過剰な反応を見せると思っていなかったのか、銀河は慌てて私の手を取った。


「ちょっと! 待ってよ。姉ちゃん。俺は、心配してるだけだよ。そんな風に、傷付けるつもりじゃなかった。ごめん……泣かないでよ」


 そう言った銀河の手を取って、ある人が私の傍までやって来た。


「水無瀬さんから、手を離せ」


「っえ? 芹沢くん?」


 そこに居たのは私が今まで見たこともないくらいに、めちゃくちゃ怒った目をした芹沢くんだった。確か今日は私は大学の帰りに渋谷で人と会って来ると、彼には連絡していた。


「……来て。目立ってるから。店に迷惑になる」


 カフェの人たちの視線は、修羅場っぽい雰囲気を見せる私たちに、なんだなんだと集中していた。私が涙を流しているということも、もちろん原因のひとつだと思う。


 黙ったまま伝票を取った芹沢くんは何か言い訳をしようとした銀河を無視して、私の手を引いて出口へと歩き出した。


 そして、自分の分と私たちの分の会計をさっと済ませカフェを出ると、ポケットからハンカチを取り出して涙を拭いてくれた。


「っ……芹沢くん……どうして、ここに居たの?」


 私の素朴な疑問に答えることなく、芹沢くんは真剣な目をして私に言った。


「……あのさ。俺は別に水無瀬さんの過去に、拘っている訳でもないんだけど……現状を把握したいから、聞いて置きたいんだけど……元彼って、何人いるの?」


 彼の言葉を聞いて芹沢くんがあらぬ誤解をしていると理解した私は、さっき自分が聞いた疑問を無視されたのも忘れて慌てて言った。


「この前の、一人だけだよ! あれは、私の弟なの」


「あー……あの、バンドTシャツの弟?」


 初めて会った時に着ていたバンドTを思い出したのか納得した顔の芹沢くんに、私は何度か頷いた。


「そうだよ。二つ年下の銀河だよ。芹沢くんがそんなこと言うから、びっくりしちゃった」


「……なんで、揉めてたの?」


 それは、貴方の元カノについての情報と、今も会っているんじゃないかという疑惑を聞いていました。


 元カノの雪華のことを知ってしまった今、私は世界で誰よりも信じていた人であったはずの芹沢くんに、弟から聞いたことを、どう聞いて良いのかわからなくなった。


「なっ……なんでもないよ。姉弟だから、色々あるんだよ」


 私が無理をしてから微笑んだことは、芹沢くんにはすぐにわかったはずだ。何故だか、すごく苦しそうな表情を見せたから。

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