14 長かった夜


 ベンヴォリオ・リージの自宅に踏み込んだアレッシオとベトはあっという間にリージ父子を制圧した。さすが騎士団員だ。


「ニルダ!」


 室内を見回しながらドゥランが蒼白な顔で叫び、ニルダは呆然と返事する。


「おとうさま……」

「ニルダ、無事か?」


 台所に隠れるようにしている愛娘にドゥランは駆け寄った。


「ニルダぁぁ」


 ドゥランはへたり込んで娘を抱き寄せ、泣きそうだった。ペタペタと手でニルダを確かめて頬ずりする。ニルダはさすがに抵抗した。


「ちょ、やめ、てよ」

「だってお前ぇぇ」

「おヒゲが痛いって言ったでしょ!」


 さっきまでフィルベルトに抱きしめられていて、今度は父親。何だか微妙な気分だ。

 必死で探し出した愛する娘に拒絶され、ドゥランはこの世の終わりのような顔になった。だがニルダにしてみれば何というか、逢瀬の現場に踏み込まれたような居心地の悪さだったのだ。さらには一応婚約者であるアレッシオまでいる。どうして、と疑問が頭を駆けめぐっていた。

 何これ、修羅場ってやつ?


 リージ父子をふんじばり、アレッシオとベトもこちらに来た。ニルダはハッとなってベトに訴えた。


「フィルの手首の手当を」


 大きな怪我はないのだが、縄で乱暴に縛られて血がにじんでいた。


「大したことないよ。まずは犯人とこの部屋をどうにかしないと」


 気丈に状況判断するフィルベルトに、大人たちは周囲にあふれる画材と絵画、美術品を見回した。

 人が暮らす場所というよりは、工房のような部屋だった。



 ***



 ニルダとフィルベルトが姿を消した。

 そう気づいたドゥランとベトは、血の気が引き手足が冷たくなるのを感じた。二人に何かあったらと思うと胸が締めつけられる。

 しかもフィルベルトの立場を考えれば、アデルモ伯とダルド侯の外交問題にもなりかねないのだった。

 何とか無事に身柄を確保しなくては。


 ベトの証言から、立ち寄った仲介屋におもむき脅すように情報を取る。

 昼間の時点でニルダがベンヴォリオにたどり着いていたと知って、ドゥランは髪をかきむしった。娘の無駄な行動力が恨めしい。しかも余計な事を言って恨みを買い、ベンヴォリオがニルダを追って行ったかもしれないと聞き顔色を失った。

 ならばフィルベルトは完全なとばっちりだ。最悪じゃないか。

 これは場合によっては商会存続の危機、あるいは死んで詫びるまである。ドゥランはそう覚悟して、夜闇の中ベンヴォリオ宅に向かったのだ。


「……で、どうしてアレッシオ様が?」


 助けに踏み込むまでの経緯を聞いて、ニルダは隣に膝をつきこちらを気遣う婚約者を見上げた。アデルモにいたはずの人が何故現れたのだろう。


「元はといえば、うちの家令の不始末だ。ニルダに任せておけないだろう?」


 アレッシオはアデルモから単騎馬を駆って来たのだそうだ。

 父男爵からマルツェロの逃亡を報され、ダルドの実家に立ち寄る可能性に賭けたという。ベンヴォリオの居宅も男爵からの情報に入っていたのでとりあえず向かってみたら、ドゥランたちに出くわしたのだ。


「ニルダに応えるためにも、マルツェロは私が捕縛したかった」


 アレッシオはそっと手を伸ばし、ニルダの乱れた髪をなでる。いやいや、だからそういうのやめてってば。


「君が行方知れずだとお父上に聞いて心が凍ったよ。何かあったらどうしようかと」

「えーと私たち、まだそんな関係じゃないですよね?」


 頬をひきつらせながら立ち上がろうとしてニルダはふらついた。嗅がされた眠り薬のせいか。


「ニルダ!」


 気遣わしげにニルダを抱きとめるアレッシオにフィルベルトは怒りをおぼえた。だがフィルベルトの方も今は身体がきかないのだ。


「彼はニルダを害するつもりはなかったよ」


 ベトに助けられて立ったフィルベルトは、縛られているベンヴォリオを指した。大事な女神として手足をゆるく縛るぐらいの扱いだったのだ。

 今もニルダを燃えるような目で見つめていて気持ち悪い。その執着は誤解だとニルダは叫びたくなった。


 父子の話を盗み聞いて知った事を簡単に説明する。

 ニルダを女神ムーザと崇めるベンヴォリオ。横領した金の遣い途である古美術品の回収に来たマルツェロ。

 そんな二人を囲んで今後について協議したが、果てしなく面倒くさかった。


 婦女子の誘拐は問答無用で斬首だ。そして横領は絞首。だが罪を裁くには被害の把握と被害者の確定が必要だ。

 今回、誘拐の被害者はアデルモ伯の息子であり、横領の方はアルベロア男爵だった。そしてダルド侯爵領内で犯罪が行われていたことになるので、三領主の折衝が求められると思う。


「もうそんなのどうでもよくない?」


 ニルダはうんざりして言い放った。手続き的な正しさはそうなのだろうが、まどろっこしい。要は被害が回復され、加害者に罰が与えられればよくないか。


「私とフィルはかすり傷だったのよ。それにここにある美術品を売れば、男爵家の損害はある程度戻せるでしょう?」


 美術品を売る、の言葉にマルツェロが悲痛なうめき声を上げた。だが横領犯の感想などどうでもいい。

 売ったところで足りるかどうかわからないが、やらないよりマシだ。ついでにその売却をペンデンテ商会が請負えばいいと言うニルダは、こんな目に遭ってもちゃっかりしていた。そこで幾ばくかの利益を出す気満々なのだった。


 そういうのは私刑というんだぞ、とドゥランもフィルベルトも思った。

 だが領主同士の争いに発展するのはごめんだった。内々で何とかする方向にしたい。なので犯人たちはダルド侯に内緒でアデルモに連行することにした。もちろん殺したりせず、どうにかして働かせ利用するのだ。

 無駄なく、美味しく。それがニルダの目指すところだった。




 もう夜が明ける時間だ。フィルベルトが館に戻らないことで騒ぎになっているのではないだろうか。ドゥランはそう思ったが、ベトは目を泳がせた。


「侯爵様も夫人も……ご自由に過ごされてますから」


 言葉を濁すが、奔放に遊んでいらっしゃるので甥っ子のことなど気にしないのではないか。その行状に慣れている祖母の方も同様だろう、と。


 そんな館に戻る前に、フィルベルトはふと気づいてポケットを確認し、青ざめた。

 組紐がない。

 ニルダに渡そうとしていた贈り物。慌てて床を見回すが落ちてはいない。ここに運ばれる途中で紛失したのかもしれなかった。


 フィルベルトは深くうな垂れた。もう嫌だ。

 自分は何もできなかった。無力だった。

 ニルダを助けることもできずに共に拐われ、助けが来るのを待つしかできなかった。そして弱ったニルダを支えたのは婚約者であるアレッシオ。自分は何の力も持っていないのだ。

 忸怩たる想いを抱えてフィルベルトは馬車に乗った。



 そして帰宅したフィルベルト。果たして「ご友人と一緒に雲隠れ。夜明けにお戻りになりました」と報告したベトに対し祖母君は、「あらあらまあまあ」と笑うだけで何のお咎めもなかったそうだ。

 それでいいのか。

 後で聞いたドゥランは呆気にとられたのだった。

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