12 守銭奴の魂


「ベンヴォリオ・リージがジョバーネの正体だったんだ……」


 フィルベルトが呆気に取られていると、ニルダは神妙にうなずいた。


「なるほど、技術は大したものだったわ。年の功なのね」

「そこ!?」


 今は納得より驚くところだろう。しかしニルダは容赦ない言葉を浴びせた。


「それでも売れない、と」

「工房主になるには、芸術の才能だけじゃ駄目なのさ」


 ヒヒヒ、と店主は嫌な笑い方をした。そういう男がいるからこそ裏稼業が成り立つのだ。


「リージは商人上がりでしょ。自分を売り込めなくてどうするのよ」

「本人に言ってやれよ。ほら、来たぞ」


 後ろをアゴで指されてニルダは振り向いた。戸口から入って来たのは薄汚れた服でモジャモジャ髪の、老いた男だった。

 背の曲がったゴロンとした身体つき。暗い眼差しで先客の少年少女を見やる。死んだような目だった。


「おいベンヴォリオ、こないだのお前の仕事をお気に召したって客だぞ。よかったな」

「こないだって、どれだ」


 ベンヴォリオは持ってきた包みを店主に押しつけた。解くとジョバーノとは全然違う雰囲気の絵が出てくる。言われるがまま、どんな画風でも描けるのだろう。新しい依頼品を検分しながら店主は言った。


「ジョバーノっぽいやつさ」

「あんなもの」


 ベンヴォリオは喉の奥からケッと侮蔑にまみれた一声を吐き出した。


「馬鹿だから欲しがる。くだらん」


 描いても作っても評価されることがなかったせいで、世をひねたのか。その物言いにニルダはイラっとした。


「じゃあリージさん、あなたが描きたいのは何?」


 ニルダは高飛車に問い、ベンヴォリオを睨めつけた。窓を背に、逆光の中ニルダが笑む。

 身長はニルダの方が低いのに、見下ろすようなのはどうしたことだろう。ベンヴォリオは居丈高な少女を凝視して動かなくなった。


「他人を真似る技はともかく、表現すべきものは何なの? 人に叩きつけたい芸術はあるの? あなた自身をさらけ出して、作品で人の心をぶん殴ってみせなさいよ」


 何故か上から目線で告げる少女。

 突然のことにベンヴォリオは目を丸くし、ニルダを睨み返すばかりだった。だが次第に、身体がふるふる小刻みに震え出す。


「ねえ、言い過ぎだよ」


 これはまずい。焦ったフィルベルトはニルダの腕をつかんだ。そのまま戸口に引っ張っていく。


「失礼。リージさんに訊きたいことがあったんだけど、明日また大人も一緒に来るようにするから」


 ここで暴力沙汰にでもなってはいけない。フィルベルトはニルダを守ることを優先して逃げ出した。ニルダも抵抗せず、引きずられていく。

 外で待っていた護衛のベトに駆け寄り、フィルベルトは大きく息をついた。


「ニルダ、危ないだろう? なんだってあんなこと言うのさ」


 ニルダを庇うようにして三人で歩き出す。後ろを気にすると、戸口からベンヴォリオが半身を出してのぞいたのがわかった。そのただならぬ気配に、騎士であるベトですらゾッとする。

 何があったか知らないが、フィルベルトの様子を見るにニルダお嬢さんはたまにらしいとベトにもわかった。


「だってえ……リージの奴、めちゃくちゃ鬱陶しくない? あと店主の方も腹が立ったんだもん」

「まあ僕だって苛ついたけど」

「つい、煽り倒したくなったのよねー」

「……それで、あれ!? どこの芸術の大家たいかかっていうセリフだったけど!?」


 ニルダは芸術などわからない。

 だがああもウジウジと、いい歳した爺さんに拗ねられると蹴飛ばしてやりたくなる。さすがに蹴れないので、それっぽいことを言ってウサ晴らししただけだ。


「ごめんてば」

「ごめんで済めば、騎士団はいらないんだよ!」


 呆れるフィルベルトに怒られて、ニルダはちょっと反省した。それでもブーブー言い返す。


「あんなに卑屈にしなくていいでしょ。どうせ画風を真似るなら堂々と技術を誇りなさいよ。ガシガシ贋作を量産して大儲けするぐらいの気持ちでいけばいいんだってば!」


 頬と鼻をふくらませてニルダは力説した。その光り輝く守銭奴の魂にあてられてフィルベルトがげっそりする。

 そしてベトは無反応を装いつつ不安に襲われていた。このお嬢さんはいったい――アレッシオもフィルベルト坊っちゃんも、何か騙されているのではなかろうか。




 せっかくベンヴォリオ本人を見つけたのに、ニルダの暴言で今日はそれ以上の収穫が見込めなくなってしまった。ドゥランたちの方はどうなっただろう。

 ニルダを宿に送り届ける時間まではぶらぶら街を見物して過ごした。楽しくはあったのだが、フィルベルトはずっと切り出せない一件を抱えて逡巡していた。

 色鮮やかな組紐。ニルダにと買い求めたのに、気恥ずかしくて渡せていないのだった。


 ずっと友人でしかなかったけど、今日はフィルベルトなりに頑張った。エスコートして、リードして、頼れる男性であるところを少しは見せられたと思う。

 でも贈り物となると照れてしまう。しかも身につける物だなんて、恋人めくから。

 ニルダには恋愛などという意識が一切ない。誰に対しても。

 そこに一石を投じて二人の関係が変わるのは怖い。そして男性からの贈り物としての意味をまったくスルーされたら、もっと居たたまれない。

 ズボンのポケットに入っている組紐を手で確認して、フィルベルトは小さなため息をついた。


「送ってくれてありがとう。明日は私たち、リージの方を何とかしちゃうから。フィルはお祖母様と過ごしてね」


 向こうに宿が見えた所で、ニルダはそう言って立ち止まった。

 仲介屋での喧嘩腰はどこへやら、身内への気遣いはできるのがニルダなのだった。今日のフィルベルトの気づかいだって、ちゃんとわかっているつもりだ。恋心には気づかなくても。


「……明日も、会おうよ」

「うーん、じゃあ夕方! どうなったか報告するね。あ、なら、うちの馬車でお館まで行ってもいい? お父様にも上からの景色を見せるの!」


 それじゃ二人きりにはなれない。そうフィルベルトは思ったが、言い出せなかった。


「んじゃ、そういうことで!」


 にっこり笑ったニルダは手を振り、くるりと歩き出した。

 何も言えないフィルベルトを微笑ましく眺め、ベトはそっと口添えする。


「渡さないんですか」

「え……」


 フィルベルトは顔を赤らめてうろたえた。それを正面から見ないように、ベトは気を遣う。


「私は馬車を呼んできます。この辺りで待っていて下さい」


 ベトとアレッシオは仲の良い同僚だ。彼がニルダの婚約者なのもわかっている。だがそれが家同士で決まったばかりの話だということも知っていた。

 ならばこの、初々しい少年の想いを大事にしてあげてもいいんじゃないか。


「――うん。ありがとう!」


 頑張れ、坊っちゃん!

 ベトの心の応援を背に、フィルベルトはニルダを追った。そしてベトはその首尾を祈りながら馬車を呼びに行った。


 ――しかし。

 馭者と共に戻ってきたベトの元にフィルベルトは姿を見せなかった。そしてまた、ニルダの行方も杳として知れなくなったのだ。


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