6 売られた喧嘩


 ランザ男爵からの借金の申し込みと縁談。どちらも保留していたら、数日して正式な書面が来た。縁談の方だ。本気でアレッシオと結婚させたいらしい。


 一介の商家の娘に貴族から求婚。しかも相手は大口の取引先だ。非常に断りにくい。

 そこにつけこんで縁を結べば資金援助も引き出せると踏んだのだろう。だがニルダを知る者から見れば愚策だ。

 家同士を結ぶ道具。金蔓。

 そう扱われたニルダが大人しくしているはずもない。



「アルベロアの産品の扱いが無くなっても、ウチはやっていけるよ。何とかするさ」


 申し込みがあってすぐ、ペンデンテ商会共同出資者であるエドモンドは言った。ランザ男爵領アルベロアとの取引が消滅した場合の経営見通しを早々に計算したのだった。縁談お断り前提だ。

 何とかする、とは頼もしい。だがドゥランは憂鬱な顔だった。


「債務不履行まで織り込んだか? かなりの損失だよなあ」


 債務不履行、つまり借金を返さないという宣言。向こうが万策尽きればあり得る話だ。そうなるとこちらは泣き寝入りするしかない。


「そんなの駄目よ」


 ニルダは顔色を変えた。損、とはニルダが一番嫌いな言葉だった。だがドゥランは娘に微笑んでみせる。


「駄目じゃないぞ。お前の人生がかかってるなら、幾らか踏み倒されたとしても仕方がないさ」

「そうだよ、ニルダ」


 エドモンドも優しくうなずく。


「僕のニルダが嫌なものを、無理強いできないだろう?」

「いや、俺のニルダなんだが」


 父親とがニルダの所有権を争って視線をチカリと合わせると、母親のルチェッタが冷たく言った。


「ニルダはニルダよ。あなたたちのものじゃないわ」


 二人を冷ややかにめつけて、ルチェッタは娘を正面から見据えた。


「さあニルダ、どうする? あなたの結婚だもの、あなたが選んでみせなさい」


 言葉は突き放して聞こえるが、ルチェッタはニルダを愛している。娘が不幸にならないよう、どの道を選んでも手は貸すつもりだった。だって面白そうだし。

 眉を寄せて考えていたニルダは、しばらくして顔を上げた。


「この話、受けるわ」

「ニルダ」


 ドゥランは血相を変えた。娘を差し出すような事、できるわけがない。だがニルダはフンとせせら笑った。


「婚約は、する。で、破棄してやるの」


 娘の攻撃的な物言いにドゥランはポカンとした。


「何言ってんだ、おまえ」

「貴族サマ相手だから断りづらいだろうだなんて、舐めたマネされて黙ってられないでしょ。頭、下げさせたくない?」


 ルチェッタの瞳がキラリと光った。エドモンドはクスクス笑い出す。


「いいねえ。僕もそう思うよ」

「だからランザ男爵に恩を着せるか、弱みを握ればいいのよね? 何もないようなら……弱みを

「そういうこと。偉いわ、ニルダ」


 我が意を得たりとルチェッタは満足の笑みを浮かべた。つまり男爵家をしまえ、と。喧嘩腰もいいところだ。


「いや、また何かでっち上げる気か?」

「人聞き悪いわね、お父様」


 人聞きが悪くてもそういうことだ。

 だが、そこまでしなくても何かしら出てくるのではないかとニルダ以下、ここにいる四人全員が考えた。だからこそ財政が悪化したわけで。そこを突きとめて、それをネタに脅せば向こうから泣きついてくるのではないか。

 ドゥランは渋い顔で決断した。


「わかった。その線で進めるなら、まずはネヴィオの仕事だな」


 ネヴィオもぐら

 彼はペンデンテ商会の諜報担当者だ。いろいろな情報を探り出す、商売に不可欠な人員だった。今回はやや私情が入る任務だが、責任重大だ。


「――私も、アレッシオ様に接触してみようかな」

「おや、会いに行こうだなんて、アレッシオ君はいい男だったのかい?」

「まあね」


 ニルダの思案にエドモンドが茶々を入れる。ニルダは鼻をひくつかせてみせた。


「この話に不満そうだったから。わりとマトモっぽいし、男爵家の内情を聞き出してみるわ」


 ランザ男爵はペンデンテ商会全員に喧嘩を売ったのだ。

 こちらも商人、売られたものを買うのにやぶさかではない。だが、できれば値を吊り上げて買い戻させたいところだった。



 ***



 男爵の次男坊と婚約した上で、それを破棄して鼻をあかしてやる。ニルダにそう宣言されたフィルベルトは青ざめた。


 海に近い、小さな低い丘。

 そこに建てられた領主館に珍しく訪ねて来たニルダの用向きは、あんまりな話だった。

 海は穏やかにきらめいている。だが、なだらかな坂を館から街へと下りながらフィルベルトは立ち止まってしまった。内緒の事だからと人の多い館を出ていてよかった。


「で、でもでも、上手く婚約破棄できなかったら、アレッシオと結婚することになるんだよ!?」

「そうなったら、男爵家の実権を握っちゃえばいいじゃない」


 それはそれで面白いし私に損はない、とうなずくニルダに、フィルベルトは珍しく怒った顔をした。


「ニルダは、アレッシオが好きなの?」

「別に。まだ何も知らない人だし」


 ケロリとした答えが返ってきてフィルベルトは脱力した。

 結婚なんだから、そこには男女のあれやこれやがあるのだ。もう少し何というかこう、と思うのだが。

 

「あ、見た目は悪くなかったな」


 つけ加えられたが、それはフィルベルトも知っている。アデルモの騎士団員ということは、領主であるリヴィニ伯爵、つまりフィルベルトの父が街の治安維持のために編成した小騎士団の一人なのだから全員が知己だ。


「男爵家の次男ってだけで、アレッシオ様本人はただの傭兵騎士よ? たいして稼いでもいないくせに、ありがたく嫁入りなんてしないってば」


 ケラケラとニルダは笑った。

 とはいえ騎士は十分に安定した公僕なのだが、ニルダにかかると「稼いでいない」になるのか。無職のフィルベルトは肩身が狭く感じた。


 ニルダは結婚など毛ほども考えていない。商人の小娘と侮られ軽んじられた意趣返しという目標に、真っ直ぐ向かっている。

 ニルダのその勇ましい生き方を、フィルベルトは尊敬の眼差しで見つめた。



 ***



 アルベロアに戻ったランザ男爵にペンデンテ家から書簡が届いた。ニルダへの求婚に応じるとの内容だ。

 ただし結婚そのものはニルダが十五歳になってから。そして男爵家の財務立て直しのためにペンデンテ商会から顧問を派遣すること。それが条件だった。


「娘の嫁ぎ先のこととなれば本気で取り組むだろう。思った通りだ」


 満足げな男爵に沈痛な面持ちで頭を下げたのは、現在男爵の家令を勤めるマルツェロという男だった。


「このような事態になったのは、私の力不足でございます」

「いや仕方ない。農産物は天候に左右されるものだし、加工品に競合する産地が出てくるのもあり得ることだ」


 鷹揚に使用人を労ってみせるランザ男爵に、マルツェロは無表情のまま頭を下げた。

 アルベロアの産品は順調なはずだとニルダは言ったが、どうも男爵の認識は違うらしい。そしてマルツェロもそれを否定しなかった。

 床を見つめて動かないマルツェロ。そのなでつけた髪が一筋、額に落ちた。


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