3 ナメられたら勝ち


 大人しく、控えめに、楚々として。

 司祭の前でそんな少女を装っていたニルダは、フィルベルトと教会を出て歩くにつれ弾むような足どりに変わった。

 

「ふ、ふふ。うへへへ。あははは」


 思わず妙な笑いがもれた。どう聞いてもお上品ではない。横でフィルベルトが困ったような笑みを浮かべた。


「ニルダ、目立つよ」

「だってだって! 見事に釣り針に掛かったんだもん」


 ニルダは楽しげにクルリと一回転した。石畳にひるがえる上着スラコッタの裾を、フィルベルトが眩しそうにする。


 彼にとってニルダはいつも、鮮やかすぎる少女だ。

 振り回され、驚かされ、巻き込まれ。

 でもそれが嫌ではない。今日だってニルダの誘いが嬉しかった。たとえそれが釣糸のような役割だったとしても。


 踊るのをやめたニルダは、つと歩み寄り軽くフィルベルトを抱きしめた。


「ありがと、フィル」


 くしゃ、とした笑顔で礼を言うとすぐに離れる。フィルベルトは目を見開いて固まってしまった。


「いい結果を待ってて。じゃね!」

「あ……!」


 商会まで送って行くつもりだったのに途中で駆け出していかれ、取り残されたフィルベルトは立ち尽くした。

 身体にニルダの腕の感触が残っている。

 幼い頃からのこの距離感をフィルベルトの方は微妙に感じ始めているのに、ニルダは気づいてくれなかった。



 ***



 釣り餌に食いついた司祭は、いそいそとペンデンテ商会を訪れた。奥方様所有の『受胎告知』を拝見させてくれ、との御所望だ。

 ニルダはニヤリとし、計画を後押ししたエドモンドはあまりの簡単さに苦笑いした。その二人を、当主であるドゥランは忌々しげに睨む。接客するのは結局ドゥランなのだ。

 そして絵画を大事にしている当事者とされたニルダの母、ルチェッタも応接室に同席する。

 ルチェッタは優しい瞳に聡明な輝きをたたえる女性だ。控えめにふんわり着たスラコッタ。低く結った髪。いかにも聖母に帰依していそうなご婦人だ、と司祭は思った。


「ご覧になりたいとおっしゃるのは、こちらの絵だと思いますが……」


 運ばせた絵画を示して、ドゥランは何とか真面目な顔を保った。笑いをこらえているのではない。くだらなくて、うっかりすると「ケッ」と吐き捨てそうなのだ。


「おお、これは美しい!」


 待たされてソワソワしていた司祭が乗り出す。

 確かに良く出来た「ジョバーノ風」絵画だが、疑いはしないのだろうか。ここまできたらドゥランだって種明かしせず突っ切るつもりなので余計なことは言わないが。


「知人が買い求めた物なのです。妻が気に入りまして、我が家に」

「ほう、奥方様はお目が高くていらっしゃる」

「とんでもございませんわ。絵の事などわかりませんけど、ただ心惹かれましたの」


 慎ましく言うルチェッタに司祭は大きくうなずいた。


「それでよいのです。美しいものは美しい。そう感じる心が大事なのではありませんかな?」


 得々と語る司祭にドゥランは目を細めた。

 よし、ならジョバー作でも、気に入れば構わないってことだ。


「教会には『ピエタ』があると娘に聞きました。これと似た作風で、とても美しかったと感激していましたよ」

「そう、あの時お嬢さんは感動して絵に向かって祈りましたな。あれもジョバーノなんですよ!」

「ジョバー……」


 なんとなく語尾を濁してしまうドゥランだったが、ルチェッタはおっとりと微笑んだ。


「ジョバーですの? それは娘が見惚れても無理ありませんわね」


 ルチェッタのこの発言を、司祭は物を知らぬ婦人のものとして鼻で嗤った。この母親のせいでニルダも誤った名を記憶しているのだと判断したのだ。

 わざわざルチェッタが口に出したのは、こちらの認識は「ジョバー」だという念押しなのだが司祭は気づかない。

 こんな母娘の元に名作が置かれているのは芸術に対する冒涜である、と司祭は思った。これは自分の所蔵するべき品だと。


「不躾なお願いと承知の上で申し上げたい。こちらの絵画を、教会にお譲りいただけないでしょうかな」


 司祭は一応チラリと絵の署名を確認した。それだって A.Giovan…となっている。暗い隅でかすれて読めないけれど、司祭はそれがジョバーノの作品と信じて疑わなかったのだ。




 売買契約を交わし、司祭はホクホク顔で帰っていった。

 ニルダが嬉しそうに父に抱きつく。ドゥランは娘の詐欺まがいがバレなかった安堵で弱々しくニルダを抱き返した。エドモンドは監修した計画が成功し満足の笑みをもらす。そしてルチェッタは、傲然と高笑いした。


「お母様のお芝居ったら!」


 ニルダがルチェッタを振り向いてニヤニヤする。外から聞いていたのだ。不遜に微笑むルチェッタの目に、先ほどまでの慎み深さは皆無だった。


「お芝居だなんて。その場に相応しく振る舞うのは女性のたしなみよ、ニルダ?」

「ルチェッタ……」


 ドゥランの眉が八の字に下がった。

 この妻は、娘よりも手に負えない。否、ルチェッタがだからニルダがなのだろう。自らの血の薄さを恨めしく思ってドゥランは肩を落とした。


「もう、こんな騙すような事はやめてくれよ……?」


 もし詐欺と認定されれば、縛り首だ。疲れた声で言うドゥランだが、ニルダは冷たかった。


「誰が騙したの? 本当のことしか言っていないのだけど」

「そりゃそうだけどな!?」


 ドゥランは憮然とする。

 司祭には、ジョバーノに良く似た作風のジョバーという画家の絵を見せただけだ。

 描いた画家の本名が何だろうと、画名がジョバーなのは自由。ジョバーの絵だと言っているのに女子供の不勉強と嗤うのも司祭の勝手だった。

 こちらに嘘は何もない。都合よく信じたのは、向こう。

 人は見たいものしか見ないから、そう誘導すれば勘違いを真実と思い込む。それを狙ったニルダの勝ちだ。


 それにしてもあちらから売ってほしいと言い出したのは助かった。でなければルチェッタが「もう飽きたし、どなたかに譲ろうか」とわがままを言う手筈だったのだ。


「本物のジョバーノなら最低三十リレぐらいになる絵よね。それを二十七で買い叩いていくんだから、司祭様も相当なものよ?」


 ニルダはブツクサ言うが、その交渉を粘ろうとドゥランは思えなかった。気が引ける。二十五を提示されて七まで上げただけで萎えた。

 美術品の値段など評価次第、所有者の裁量次第。知っているが、意図的に誤解させたのだから快哉を叫ぶ気にはなれない。ドゥランは真っ当な商人なのだ。

 しかし彼の妻は臆面なく言ってのけた。


「税をいくら納めてると? 少しくらい取り戻したって罰は当たらないわ」


 アデルモは教皇領だ。アデルモ伯に納めた税の内ある程度は教皇庁に渡り、そこから所属の司祭に給金が支払われる。絵画に注ぎ込む余裕がある高給取りならば、かまわないはず。そのルチェッタの論法にニルダがうなずく。

 母と手を組んで父親を黙らせると、ニルダは会心の笑みをもらしたのだった。


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