1darker than darkness I
〔D.R 水晶の森美術公園にて待つ〕
彼がステーションにあるホワイトボードでこのメッセージを見つけたのは、既に西の空が黄金色に輝き始めた頃だった。
彼は襟を立てた漆黒のロングコートを羽織り、黒錆色の長い髪を持つ色白の優男である。
普段は黒だが、光の加減で虹のような色を発するサングラスを掛け、癖なのか時々その髪を掻き上げている。
サングラスがあるために顔の作りは良く判らないが、なかなかの色男であるというのは誰の目にも明らかの様で、道行く人々はホワイトボードの前で立ち尽くしている彼を必ずといって良いほど一瞥していた。
溜息を一つ。彼は無言でそのメッセージを消してその場を立ち去った。
吐き出す息が白くなっている。巨大なドームによって外と隔絶され、人間にとって最適な環境に保たれている〝結界都市〟とは違い、日中どんなに良い陽気でも、夜になれば気温は零下を遥かに下回るのだ。
余談だが、〝結界都市〟に住む人々は其処を「市街」と呼び、外は「下界」と呼ぶ。何処か言い得て妙なものだと人々感じていたが。
高級住宅地が並ぶ「市街」には住めず「下界」への家路に急ぐ人々とは全く反対方向に彼は進み、この時間帯に人々は滅多に行かない場所へいくためホームへと向かい、チケットゲートでパスを承認させる。
ホームの壁には誰が描いたのか、一般人には到底理解し難い、落書きとしか映らないであろう絵が描かれており、その下には申し訳程度に作者の名前が書かれていた。
それを手入れする者はいないためか、塗料の所々は剥れ掛けている。また駅員も、その落書き的絵画を取り除くべく努力する気もない様だ。
ホームに人通りはなく、駅員すらいなかった。売店は固くシャッターが下ろされ、その脇には清涼飲料水の自動販売機が灯かりを点滅させながら立っている。
その自動販売機から缶コーヒーを買い、彼はベンチに坐るでもなく只じっと立ち尽くしていた。
やがて列車がホームに音もなく滑り込む。その列車は「市街」へ向かうものではない。「下界」から更に離れた、〝結界都市〟の影響をまだ受けていない「郊外」へ向かうものだ。
この時間帯、列車の中にいる者達はやはり普通の人間達ではない。
頭に端末があり、其処にプラグを接続してひたすらキーボードを叩く〝サイ・デッカー〟。
身体の所々から油圧バルブが飛び出している中古の〝サイバー・ドール〟。
まるで獣の様な姿をしている〝ハイパー・ビースト〟。
奇妙な紋章が刺繍されたローブを纏っている〝魔導士〟等々……
これからなんの目的があるのか、また何処に向かうのか判らないが、彼らは只じっと虚空を見詰めているだけだった。
彼が列車内に踏み込んだとき、それらの人々の視線が一斉に注がれた。
それはほんの一瞬の出来事だったが、気の弱い者だったら卒倒してしまうほどの殺気が込められていた。
だが車内の人々が彼を見たのはその一瞬だけで、そのあとは何事もなかったように、先程と同じように虚空を見詰めており、キーボードを叩く音だけが車内に響き、ことさらその静寂を強調していた。
彼は出入り口のすぐ横の席に坐り、足を組む。そして持っている缶コーヒーをコートのポケットにしまい、続けて胸のポケットから黒革のグラブを取り出して手を通す。そして手首をマジックテープで止め、その手をコートのポケットに突っ込んでじっと俯く。
窓の外からネオンの明りが遠ざかり、列車は「市街」から離れて行く。
そして暫くして列車が止まり、彼はそのステーションで降りた。列車内の人々は、今度は一瞥すら与えない。
彼らが一体なんの目的で列車の中にいるのか、それは誰にも判らない。
そして列車は休むことなくずっと動き続けている。
そう、昼も夜も。
彼らはその列車にずっと乗っている。
何故降りようとしないのか、それは誰にも判らないことだ。
彼らでさえ。
彼らを、人々は俗にこう呼ぶ。
〝トレイン・メン〟――と。
自動改札を抜け、彼はほぼ無人と化したステーションを出た。
既に日は暮れており、〝結界都市〟の影響がまだ少ないとはいえ気温はかなり低い。
そして辺りに遮る物がないために、冷たい風が彼の身体を包み込む様にして吹き抜ける。
ロングコートが風に靡き、その内側に着ている戦闘服と脇に取り付けてある肉厚の蛮刀が露わになるが、既に人通りがないためか、それとも気にしていないのか、それを隠そうともしない。
そうして彼は、メッセージにあった場所、〝水晶の森美術公園〟へと歩を進める。
ステーションから彼方に見える半透明のドーム。それが〝水晶の森美術公園〟。
其処はいつでも開館しており、人々の待ち合わせや時間潰しの場となっている。
そして入場料は無料。だが中にある美術品に傷一つ付けようものなら、即座に防衛兵が現れて全額弁償させられる。
然もその値段は、この世界の会社員一般の基本給五年分だ。
更に全館禁煙で、守らなかった者は放水させられ締め出される。
此処までしても――完全に自業自得なのだが――毎日誰かしらそのような目に遭っているというのが実際だ。
強い風が吹き抜ける中、彼はゆっくりとその場所へと向かったが、ふと、その足が止まる。
そして右手をポケットから出し、人差し指と中指を立てる。手を出した時にはなにも握られていない筈だったが、何故か其処にはナイフが挟み込まれていた。
それを器用に手の中で回し、前方の暗闇へと投げる。なにか重いものがアスファルトに落ちる音がしたが、彼はそれを確認しようとしなかった。その気がないというのが本音だが。
彼は懐から煙草を出して火を点ける。そしてそれ以外の反応はせず、ただゆっくりと煙を
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