生きる理由を探して

「……ああ、だいぶマシになってきた」


 しばらく廃棄孔すぐ近くでぐったりしていた俺たちだったが、やがて動き出した。火柱の煽りを受けて吹き飛びこそしたが、結局のところ打ち身擦り傷程度。少し休めば、十分に回復は可能だった。

 仰向け状態から起き上がると、ようやく俺は周囲の状況を確認する余裕ができる。

 廃棄孔の周辺は荒れ地となっており、周辺と比べても高地になっているようだ。植物は生えておらず、土は剥き出し。

 眼下には森と、明かりが見えた。人が住んでいる集落であることは、別にTIPSを見なくてもわかる。


「……あそこが、私の暮らしてた村なの」


 ラプスはため息をつきながら、村を見下ろしていた。


「お前、なんで廃棄孔なんかにいたんだと思ってたが、もしかして……」

「……うん。棄てられたんだ。私」

「……すまん」

「ホントよ! もっと早くさっきみたいな力が使えたら、私だって棄てられなかったかもなのに」


 ラプスはぷりぷりと怒りながら、俺の手の甲をつねる。


「いてててててて! しょうがないだろ、俺だっていきなり右腕になって、困惑してるんだ」

「……あ、そうだ。あなた、何なの? なんで、私の右腕が喋ってるの!?」

「あ、ああ。そうだったな」


 何の説明もないというのは、いささか不躾がすぎるだろう。何せ、人の身体を使っているのだから。


「……俺は、この世界とは別の世界から、転生してきたんだ――――――」


 俺としては意外なことに、「転生してきた」という話は、思いのほかすんなりと話すことができた。何なら、天使という存在にこの世界の事を聞いたこと、ステータスとしてこの世界の生命や情報を見ることができることも、あっさりである。それらの説明に対するラプスの反応は、「ふーん……」くらいであったが。


「なんだ、そんなに驚かないんだな?」

「まあ、そんな奴もいるよね、くらいにしか思わないよ。すごいな、とは思うけど」

「凄い?」

「だって相手の強さとか、見ただけでわかるんでしょ?」

「まあ、そうだな」

「前世から転生かあ。私も、前世とかあったりするのかな?」

「あるんじゃないか? ロクな生き物じゃないかもしれないけど」


 例えば、ピロリ菌とかな。


「前の世界だと、何て名前だったの? 名前あったんでしょ?」

「名前……名前、か……」


 ラプスの問いかけに、俺は窮した。


「……わからないんだ」

「え? なんで?」

「俺には自分の記憶がないんだよ」


 天使に受けた説明のことは覚えている。なので、俺はこの世界に来てから、自分が過去、どんな人間だったかを思い出すことができないでいた。トラックで死んだことはわかっているが、轢かれたという実感はない。なぜなら、俺にそれを伝えたのは天使だからだ。

 同様に、前世ではあんなものがあった、こんな現象があった、という知識はある。だが、どうやって習得したのかは全く分からなかった。


(……記憶をなくす、っていうのはこういう事か)


 確かに、自分は人間だったはずなのだが。デーモンの右腕になってしまったことで、その感覚すら危うい。何とも奇妙な感覚にいるのは確かだ。


「うーん……名前、あった方がいいよね? 【右腕】だと呼びづらいし」

「別に、好きに呼んでくれていいぞ?」

「そう? じゃあ……」


 ラプスはうーんと少し考え、やがて、「閃いた!」と目を輝かせる。


「右腕だから、『ミg』……」

「――――――その名前はダメだぁっ!」


 ラプスの妙案を、俺は覆いかぶさるようにして拒否した。

 あくまで知識だけだが、その名前だけはダメだということが、俺にはよーくわかる。

とりわけ知識の中でも、「著作権」というワードが頭にこびりついていた。


******


「なあ、おい、悪かったよ、機嫌直せって」

「……」


せっかくの妙案を強めに否定してしまったからか、ラプスはむくれていた。異世界の住人にこっちの世界の法律を説いたところで、意味はないのは分かるのだが。一応元前の世界の住人として、その名前を許容するわけにはいかないんだ。


(……それに、仮に俺がそう呼ばれても、反応できる自信ないしな)


 俺たちは廃棄孔付近から移動を始めていた。村に帰るのかと思ったが、下に降りてやって来たのは、村の手前にある森である。


「……まっすぐ帰らないのか?」

「だって、帰ってどうするの」


 ラプスは森の木を揺らしながら、俺の問いかけに応える。


「『弱いから棄てられたけど、強くなって這い上がって来たからまた家族になろう』

って、言いに行くの?」

「それは……」

「言っとくけど、うち、貧乏だから。子供2人養う余裕なんて、そもそもなかったんだよ」


 そして、無能な姉と普通の弟の内、両親は弟を取ったのだ。


「――――――結構、シビアなんだな」

「中下級魔族なんて、そんなもんだよ」


 やがて揺らした木から落ちてきた果実を、ラプスはかじり始めた。真っ黒な皮に、これまた真っ黒な身である。食べた触感は俺も感じるが、正直味もないし、水っぽい。


「……何だ、これ?」

「昔さ、私、この森で魔法の練習とかしてたんだよね。それで、おやつにこれ食べてたの」

「おやつ、か……」


 俺たちが森に来ていた理由は一つ。腹が減っていたのだ。廃棄孔での戦いもそうだが、脱出するまで飲まず食わずだったのである。

 しかして、こんな果実を一つかじったところで、回復する体力などたかが知れている。


「……はあ」


 いや、それ以外にも問題はあった。

 口では澄ました言い方こそしているものの、ラプスの精神的なダメージは深刻なものだった。そりゃあ、親に直接棄てられたら、落ち込みだってするだろう。おまけにさっきまで死にかけていたのだから、精神的な疲労も大きい。


(……この子には、生きる理由がないんだ)


 どんな生き物だって、「死にたくない」という本能はある。だが、それとは別に、生きる理由は必要だ。それも、死への恐怖という後ろ向きな理由ではなく、何か前向きなものが。

 それは夢だったり、誰かのためだったり。ただ死なないために生きているのだけでは生み出せない「活力」が必要なのだ。それがなければ、それこそブロブやドラゴンゾンビと、何ら変わりなくなってしまう。


(……となれば、俺の、生きていく理由は決まったな)


 俺の生きていく理由。それは、「ラプスの生きる理由を見つけること」だ。


 もちろん、彼女が死ねば俺も死ぬ、という事情もある。だがそれ以上に、この少女に何かしてあげたいと、俺自身が感じていた。親に棄てられ、帰る場所のない彼女には、何か別の「生きる理由」が要る。その支えに、俺がなってあげたいと思ったのだ。


「……なあ、行くところがないなら、旅にでも出てみるか」

「え?」

「あちこち、自由気ままにぶらぶらしてさ。せっかく自由になったんだから、

行きたいところに行けばいいだろ」

「でも、どこ行ったらいいかもわかんないし……」

「だからいいんじゃないか。なんだったら、方向決めてずっと進んでみる、とかでもいいんだぞ?」


 俺の提案に、ラプスは少し考えるしぐさを見せた。


「うーん……。まあ、それなら、簡単かも……」

「よし! 決まりだな」


 俺は近くに落ちていた木の枝を拾うと、まっすぐに立てる。


「じゃあ、倒れた方向を目的地にしよう」

「……村の方向だったら嫌だな」

「なに、嫌ならやり直せばいい」


 そんなことを言い合い、木の枝を倒す。倒れた方向は――――――右だ。


「……こっちか。何があるかわかるか?」

「こっちだと……確か、川があったはず。ちょうどいいや。水浴びしてこ」

「え、水浴び!?」


 ラプスの言葉に、俺はぎょっとした。


 そうじゃん。一身同体ってことは……。つまりは、そういう事じゃんか!


「い、いやいや! それは、ちょっと……!」

「でも、どっかで匂い落とさないと。私達、廃棄孔の中にいたんだよ?」

「それは、そうだけど……。誰かと水浴びって、いいのかお前は?」

「何気にしてんの? 別にいいじゃん、私の腕なんだし」


 た、確かに! 俺は今【右腕】。男女の区別なんぞあるはずもない。なんだったらラプスの右腕なのだから、性別的にはむしろ女性、ということになるのか……?


(……いや、でも、うーん……)


 俺の心の中には、一本芯の通った「俺」が存在している――――――。


 ――――――なら俺は、一体、どっちなんだ?


 そんなことを考えている間に、ラプスは川に向かって歩き始めていた。

 もう、さっさと水浴びしたくて仕方なかったのだ。

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