陸 仕上げ

 家康包囲網に加わった島津義久を倒すべく、家康は本多正信、明智光秀を招いて軍議を開いた。

「島津義久を討とうと思うのだが、その前に目障りな奴らが幾人も儂の前に盾突いておる。そのものたちをいかが・・・・・・」

 家康の言葉を遮り、正信が問うた。

「殿、お待ちを。光秀殿、宇喜多と毛利の屈服には失敗はいたしましたでしょうか」

「毛利は失敗しましたが、宇喜多は世の中の読める男でありました」

「輝元より年下にしてはわかっておる男よの」

「ということは、備前・備中・備後は手に入ったと」

「そういうことになりますな」

「ではまず、毛利を屈服させる。それを足がかりとし、九州を攻める」

「では、儂の家臣である黒田官兵衛をお使いくだされ」

「ああ、毛利屈服失敗の汚名返上の好機とせよ」

「ははっ」

 軍議は順調に進んでいた。

「では、毛利を攻め滅ぼしたあと、秋月、鍋島、大友を倒し、島津を攻めると」

「そういうことじゃ」

 だが、一つ、正信が反論した。

「家康様、お待ち下さい。無駄に兵を死なせたくありません。ここは、降伏の遣いを差し向けて済むのであればそのほうが良いかと」

「なるほど。穏便に済ませられるところは穏便に済ませようということだな」

「御意」

「では、九州の全大名に降伏の遣いを差し向けよ。策はそれから考えることといたす。光秀が秋月、鍋島を、正信が大友を、それぞれ言って参れ」

「ははっ」

 秋月には光秀が、鍋島には官兵衛が行くこととした。

「秋月左兵衛尉種実殿、本領安堵にいたします故、家康様に従ってはくれないでしょうか」

「儂は城を枕に討ち死にする所存じゃ」

「そうでございますか・・・・・・では、御免」

 秋月はうまく行かなかった。

 最後の望みは官兵衛となった。

「鍋島加賀守直茂殿、本領安堵にいたします故、家康様に従ってはくれないでしょうか」

「鍋島では天下を狙うには力不足。よし、最早趨勢は決したぞ。権大納言殿に鍋島は徳川に従うととりなしてくれ」

「ありがたきお言葉にございます。これで私も、胸を張って家康様の元へ戻ることができまする」

 官兵衛は、鍋島直茂を降伏させることに成功した。

 大友宗麟は、正信が来るなり、これ以上無いもてなしをし、ご機嫌を取った。

「我が大友はの、一月に一回くらい島津に侵攻されてもう一大名として生きて行けぬやもしれぬ。誰か儂を救ってはくださらんだろうか」

 宗麟は、正信の前であからさまに徳川家を頼るような態度を取った。というより、媚びた。

「ならば、本領安堵にいたします故、徳川家に従ってはくれないだろうか」

「まことか」

 待っていましたとばかりに宗麟は話に食いついた。

「ええ」

「こちらの方こそお願いいたす」

「いいお返事がいただけました」

 帰る途中、光秀と官兵衛と正信は合流した。

「どうでしたか」

「儂は無理であった」

「秋月は名門ですからな」

「意地があるのでございましょう」

「大友はうまく行ったぞ」

「おお」

「流石でござる」

「光秀様には可哀想ではありますが、実は私も」

「鍋島もうまく行ったのか」

「官兵衛殿は流石だな」

「儂ごときの家臣として居るには惜しい才」

「何を申されるか」

「そういえば、宇都宮はどういたしますか」

「ああ、宇都宮鎮房のことでございますな」

「宇都宮鎮房とは誰じゃ?」

 光秀は、己の知らないことは早いうちに知っておきたいという性格である。そのため、当時珍しかった鉄砲も、最初は興味本位だったが、この頃は百発百中になるまで腕を上げていた。

「名門ということを掲げて領民に暴力を振るう大悪人でございます」

「名門らしくないな」

「本当にそうですな」

「だから今度、捕らえようと決心いたしました」

「それが良い」

「では早速、明日早朝にでもいたしましょうか」

 宇都宮鎮房は官兵衛にとって厄介者であった。領民に暴力を振るって、金銭を強奪するだけでなく、先月はついに黒田家に与えられた唐津城を乗っ取り、農民から年貢を九公一民と搾取を行っていた。

 その鎮房を捕らえると言っているのだ。誰も反対するはずがなかった。むしろ、殺されても仕方がないと世間から疎まれていた。少なくとも、唐津城の領民は、今まで何回も一揆を企てていた。

「場合によっては殺すやもしれませぬが」

「それくらいやらねば奴もわからぬであろう」

「そうじゃそうじゃ」

「では、遠慮なく」

 鍋島直茂が降伏してから福岡城を与えられた官兵衛は、城に戻り、寝室に入り、考え事をした。

「宇都宮鎮房をなんとかしておびき出し、誰にも知られぬように殺すしか無い。だが、相手は名門の宇都宮家の系統。迂闊な殺し方をすれば、黒田の名は落ちる。それどころか、それを雇っている家康様にも悪評が立つ。それだけは避けねば」

 そこに、官兵衛の嫡男の長政が尋ねる。

「父上、何をそんなに考えておるのですか」

「宇都宮鎮房を殺したいのだ」

「前々から厄介者と言っていたあの?」

「そうじゃ。迂闊な殺し方をすれば黒田の名がすたる。それだけは避けねばならぬ」

「では、攻め滅ぼせば良いではないですか」

「それがそうは行かぬのだ。奴が奪った城にはな、この福岡城よりも多い兵を派遣しておったのだ」

「攻め滅ぼすことは難しい。ですが、父上の軍略をもってすれば・・・」

「そうか、それは良い。考えておらなんだわ。長政、ありがたい」

「もったいなきお言葉」

「奴を滅ぼしたら城は長政にくれてやる」

「ありがたき幸せ」

 長政は喜びながらその場を離れていった。

「だが、これが本題ではない・・・・・・」

 島津征伐、その前哨戦となる秋月征伐と毛利征伐も、官兵衛は忘れていなかった。

「いや、でもよく考えれば宇都宮鎮房征伐に成功すれば秋月征伐や毛利征伐に回せる兵も多くなる。まずは宇都宮鎮房征伐を成功させよう」

 官兵衛は、早朝手を回し、唐津城にいた鎮房は殺された。殺したのは、鎮房に福岡城から無理やり連れて行かれた栗山善助であった。唐津城は、再び官兵衛のものとなり、城は約束通り長政に与えられた。福岡城と唐津城の連合軍は秋月家の立花山城を落とした。秋月種実は徳川家に降伏した。

 そして、種実を与力として、官兵衛は初めての総大将として毛利征伐を行った。最初の目的地は、毛利家の本拠地である吉田郡山城であった。

 その数、なんと四万。毛利軍も、一万弱の兵は用意していたが、それは種実が降伏しないことを前提とした話で、種実が降伏した今、毛利家の近辺に助けてくれる者はいなかった。

 援軍に出せるとしても、少し離れた月山富田城の五千である。だが、それを足しても官兵衛の軍には及ばなかった。

 しかも、毛利家が月山富田城と同じ五千の兵を置いていた福光城が、宇都宮、秋月を攻め滅ぼした徳川家の勢いに降伏したのだ。しかも、城主は毛利一門の吉川広家であった。

 広家は、吉田郡山城、月山富田城の両城から「裏切り者」と罵られ、父で月山富田城主の元春からも散々に誹謗された。

 だが、広家の寝返りが毛利征伐に重きをなした。これによって、月山富田城の五千は動けなくなり、結果、輝元は城を捨てて薩摩へ逃亡、月山富田城の吉川元春は、息子と同じように徳川家に降伏した。

 このとき、月山富田城にいた小早川隆景は、元春を説き伏せ、月山富田城を降伏させたことを家康から称賛され、官兵衛の執り成しによって伊予国の主となった。

 その頃、光秀は、親戚である筒井順慶の死に泣き崩れていた。

 島津義久は、秋月種実が降伏したと知り、激怒した。

「秋月種実め!あの大言壮語は何なのだ!自分の城を攻めた敵は殲滅してみせるとまで豪語したくせして!」

 憤慨しだしたら島津一門で切腹するなどと言いかねないことを知っている弟の義弘は、兄を諌めた。

「怒ってもこの状況は変わりませぬ。しかも、秋月が降伏したということは北九州は全て徳川の手中に落ちたことになります。その上、ここに毛利輝元殿がいるということは毛利が持たなかった証拠。毛利が落ちたということは、山城から西にいる徳川の敵は我らだけとなります。つまり、孤立無援なのです。降伏すれば悪いようにはせぬ、と福岡城の黒田殿も言っておられます故、降伏してもよろしいかと」

「会って殺されぬであろうか」

「黒田殿の言ったことが嘘なのであればまた盾突けばよいかと」

「それもそうだな」

「いかがいたしましょう」

「降伏する。だが、それを示すにはどうしたら良いだろうか」

「剃髪して、出家する意志を示してみては」

「名案だ」

 その直後、義久は剃髪し、降伏するとの書状を家康宛に出した。

 それを見た家康は狂喜乱舞した。

「まさか島津が降伏してくれようとは」

 その後、家康と義久は無二の親友となった。

 その頃、徳川と北条の関係は、既に破綻寸前であった。

 その北条は、徳川との関係を修復することなど最早考えていなかった。

 家康は、北条がその気なのを知ると、自らは大軍を率いて小田原城を攻め落とすことを決めた。それには、支城を落とすことが肝要だと感じ、幼馴染の北条氏勝が籠もる韮山城を攻めた。氏勝は、家康の大軍を見るなりこれは勝てないと感じ、降伏し、韮山城を明け渡した。

 当主は北条氏直であったが、北条の政治を牛耳っていたのは氏直の父の氏政だった。その氏政は、一門である氏勝が寝返ったことを知ると、大激怒した。

「一門を見捨て権力者に降るとは何事ぞ。皆の者!逆賊北条氏勝を討ち果たすのだ!」

「殿!」

「どうした、小太郎」

「箕輪城の北条安房守氏邦が徳川に降伏しました!」

「氏邦まで・・・・・・」

 上杉は既に徳川家に降伏していた。氏邦は、上杉景勝や直江兼続が率いる大軍に攻められ、氏邦も大軍を残して降伏した。

 その上杉軍には、連合軍として家康とは数々の戦で功を競ってきた前田利家が加わっていた。

「氏邦に氏勝・・・・・・裏切り者があふれるほどに出てきおる。開いた口が塞がらぬわ」

 氏勝や氏邦などの裏切り者が出てくる中、河越城の北条氏照は奮戦していた。だが、城内にいた大道寺一族の裏切りに遭い、河越城を追い出された。

「重臣である大道寺まで寝返った・・・これでは新参者など信用できなくなってくるわ」

「殿!」

「また裏切りか!」

「はい。今度は山中城の北条左馬之助氏規が」

「氏規が?」

「はい。一門の裏切り三人目です!」

「そうか・・・・・・」

 氏政はもう誰も信用できなくなっていた。陸奥の南部信直、羽後の秋田実季、陸前の伊達政宗、出羽の最上義光、常陸の佐竹義重らは、既に徳川家に降伏していた。

「もう誰の援軍も望めぬのだな・・・・・・」

 北条氏政は、自分の気を落ち着かせようと連子窓に近づいた瞬間、連子窓を埋め尽くすほどの大軍がいた。その状況を見て、氏政はそろそろ諦めたほうが良いかもしれないと感じた。

「何万の大軍で来ておるのだ。徳川は」

 翌日、氏政は家康に降伏を申し入れた。

「小田原城だけは残してくださらぬだろうか」

「わかった」

「ありがとうございます」

「ただし」

「小田原城が残るなら何でもいたしましょうぞ」

「ほう。なんでもと申したな」

 家康はほくそ笑んだ。

 それに気づかなかったのは、氏政への災いとなった。

「ああ。男に二言はない」

「では、氏政殿、氏照と共に父親の元へ行くが良い」

「まさか」

「ちゃんと言わねばわからぬか。切腹じゃ」

「家康殿。気でも狂ったか」

「狂ってなどおらぬ。場をわきまえて、いたせ」

「狂ったか、雑魚が!」

 場をわきまえていたせとは切腹を命じた相手に対しての家康の口癖である。

 翌日、氏政と氏照は、小田原城内で切腹した。介錯は二人から見て弟で、家康の幼馴染である氏規が務めた。

 その時、津田信澄は、その生涯を閉じていた。

 慶長二年八月二十八日、室町御所で室町幕府第十五代将軍がその生涯を閉じようとしていた。

「義尋を呼んでくれ」

「ははっ」

「父上・・・・・・」

「まろはもう今日死ぬかもしれん。その前に言っておきたいことがある」

 義昭の嫡男である義尋はうつむいたままで話を聞いている。

「義尋よ。そこまでまろが見苦しいか」

 義尋は飲んでいた茶を吹き出した。図星だったのである。

「とにかく、まろの望みはただ一つ。明智光秀の討伐じゃ」

「明智・・・・・・光秀」

「ああ。まろに恩がありながらまろに背いた逆賊じゃ」

「わかりました」

「頼んだぞ」

 義昭はそのまま息を引き取った。

「高次。高知。まずは光秀の暗殺を試せ」

「あ・・・・・・暗殺にございますか」

「それは・・・・・・」

「あ?今俺変なこと言った?何?」

「なんでもございません」

「ではとにかく行って来い」

 室町御所を出た京極高次、高知兄弟は、光秀の暗殺にあまり乗り気ではなかった。

「無理なこと言われるよな。義尋様」

「うむ。家臣にも喧嘩腰だしな」

「もうこの際幕臣辞めるか」

「おお!それは良い」

「では儂は徳川様の家臣である今川氏真様と仲が良い。氏真様にとりなしてもらおう」

「頼みましたぞ。兄者」

 駿府城に入った高次は、氏真に徳川家の家臣になりたいと伝えると、家康様にとりなしてみるという話になった。

 そこに高次の同僚であった光秀が合流し、氏真と光秀のとりなしで、徳川家の中でも高い位で仕えることができた。

「流石氏真殿と、光秀殿。お話が早い」

 無事、京極高次、高知兄弟は徳川家の家臣となった。

 この頃、家康の天下統一は完成した。

 あとは室町御所のみとなった。光秀は一万の兵を率いて松尾山に陣を敷いた。これは義尋に対する我が首欲しくばとってみよとの挑発である。

 義尋は単細胞な人間である。室町御所にいる十万の兵を全部光秀殲滅に仕向けた。

 この状況に流石に一万に十万は勝ち目がないと感じた家康は、井伊直政、本多忠勝、榊原康政と共に五万の兵を引き連れて援軍へと向かった。

 だが、時、既に遅し。家康の援軍が到着した頃には光秀の軍は壊滅していた。

 家康は、義尋の軍九万に総攻撃を仕掛けられ、五千の損害を出した。

「家康様、九万対四万五千、勝ち目はありませぬ」

「殉死してくれるか」

「は?」

「まさか・・・・・・切腹する気では」

「うむ・・・・・・場合によってはな」

 松尾山に陣を敷いた家康は、義尋の軍に虫の通る穴なく囲まれていた。

「最早これまでか」

 家康は短刀を握った。それを腹に突きつけたその時であった。

 光秀が今まで足利義昭・義尋親子の悪政に苦しめられた領民、無理やり信長包囲網に参加させられた本願寺の僧侶、義尋の暴力に耐えかねた幕臣とその軍、計十万を超える軍勢が足利の全部隊に突撃した。足利軍は慌てふためき、逃亡する者まで出た。そこに光秀はつけ込んだ。

 裏切り者が出たぞと名指しをせずに叫んだのだ。足利軍の兵たちは互いを疑い、同士討ちをしだした。そこを光秀の軍と家康の軍が挟み撃ちにしたのだ。足利軍は容易く崩壊した。明智軍、徳川軍両方合わせて二万の被害しか出さなかったが、足利軍は十万の兵が全滅した。

 義尋は室町御所に火を放って逃亡した。旧幕臣であった三淵光行、真木島昭光は関ヶ原での獅子奮迅の活躍を敵ながら高く評価され、徳川家に登用された。

「家康様、帝からの使者がいらっしゃいました」

「帝から?身に覚えはないぞ」

 家康は帝からの使者、山科言経に会いに行った。言経は、もともと家康の家臣であったが、朝廷で帝のもとで働く身となった。

「家康様、お久しゅうございます」

「久しぶりじゃな、言経。帝が儂にということじゃが何用だ?朝敵になるようなことをした覚えは無いのだが」

「家康様、お喜びくだされ。世に安寧をもたらしてくれたことを帝は大層お喜びじゃ。それ故、家康様を征夷大将軍に任命いたすとの由」

「儂を征夷大将軍に・・・」

「お受けなさるか」

「お受けいたす」

「では、どこに幕府を開くかを考えておいてくだされ」

「それならもう決まっている」

「ほう」

「江戸じゃ」

「江戸?」

「かの太田備中守道灌殿が江戸城を建てたあの江戸じゃ」

「何故江戸なのじゃ」

「武蔵国の江戸周辺は今はもう荒れておる。それを少しでも復興するため、本拠地にする。その本拠地を、幕府の本拠地ともしたいのだ」

「では、今日から家康様は江戸幕府初代征夷大将軍徳川家康でおじゃる。これからも世の安寧の為、帝のために粉骨砕身働いてもらいたい」

「ははっ」

 家康が幕府を開いた。それに対し、多くの家臣が喜ぶ中、面白く思わない者もいた。

 羽柴秀吉の遺児、羽柴秀頼である。

 一年後、賤ヶ岳の戦い以降光秀の軍師として活躍した天才軍師黒田官兵衛は、その生涯を閉じた。

 家康は、年頭の挨拶に秀頼のみが来ないことを疑問に思い、羽柴家は徳川家に盾突くと感じた。

 そのため、布石がほしいと感じた。

 家康は正信と光秀を呼び寄せた。

「何でござろうか」

「羽柴を滅ぼしたい。そのための布石がほしいのじゃ」

「なるほど」

 今や、光秀と正信は、軍略や調略が得意、かつ考えることが似ていたため、馬が合ったところから今では徳川家臣団の中で無二の親友となった。

「まず、正信はどう思う」

「典型的な謀反の疑いがよろしいかと」

「なるほど。では、光秀はどう思う」

「は。家康様、方広寺の鐘が秀頼によって再建されたことはご存知でしょうか」

「ああ。知っておるぞ」

「その方向時の鐘に『国家安康 君臣豊楽』という刻印があるのはご存知でしょうか」

「知っておるが、それが何だと言うのだ」

「それを布石にするのです」

「いかようにしてだ?」

 光秀の言うことがわからない家康と正信が口を揃えて問うた。

「国家安康は、家康様の家と康の字を切り裂いておりまする。某、姓名学というものの中に名の文字を切り裂いて入っている四字熟語は不吉、場合によっては呪縛にもなると」

「羽柴が儂を呪おうとしていると」

「しかも、羽柴は近頃朝廷から豊臣という姓を授かったそうにございます」

「豊臣」

「君臣豊楽にはその豊臣の字が入っておりまする。しかも、あとに続く文字は楽という字。豊臣が繁栄し、徳川を呪い、滅ぼそうとしているという魂胆ではないかという言いがかりをつけるのはどうか」

「よくできておるし、一理ある」

「姓名学というのがそれらしいですな」

「では後日、大坂城まで行って参る」

 これによって、豊臣と徳川の間に亀裂が入ることとなる。

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