肆 四国征伐
四国周辺の元明智領を光秀と相談して我が物にした徳川家康は、長宗我部征伐のため、長宗我部の領地である讃岐、伊予、土佐、阿波のどこから攻めるかで迷い、家臣を召集した。
「長宗我部征伐の足がかりに讃岐、伊予、土佐、阿波のどこから攻めるか、誰か意見はあるか」
「無いのであれば、私が」
宿老の本多正信が手を挙げた。
「良かろう。では正信、申してみよ」
宿老の本多正信が意見を述べた。
「まず、本拠地の土佐は最後にしたほうがよろしかろう。最近まで敵の河野通直の領地であった伊予から攻めたほうが良いと思われます。敵地であったところではまとまった軍でも烏合の衆も同然。しかも、その足軽共も、元親に忠誠を誓っていることも無いと思われます。それはつまり、元親ごときのために命を捨てたくないということでございます。その者たちを撃破すれば、敵の士気が落ちるは必定。そのため、伊予から讃岐、阿波、土佐と攻めれば敵は滅ぶ、若しくは降伏してくるでしょう」
「さすが正信殿」
周りの将は正信の案を褒めた。それは、この作戦が失敗したら自分の責任になりたくないため、意見を述べないのであろう。
「では、正信の案を採用とする。」
「待ってくだされ」
光秀が少し場を止めた。
「では、光秀。述べてみよ」
だが、光秀が発言しようとすることを、変な理由をつけて拒むものも少なからず居た。
「殿。この輩は謀反人にございます。長宗我部に通じてる可能性もありますぞ。謀反人が言う意見は信用なりませぬ。やはり、佐渡守殿の意見のほうが良いかと」
宿老の平岩親吉が妬みのような言葉を吐いた。
「親吉。お主は何を光秀に向かって妬いておるか」
「新参者ゆえ。しかも、光秀はこれまで恩あった主君を討ち果たすどころか、その子供まで襲撃して殺したのですぞ。そのような者の言うことなど聞いてはなりませぬ」
「良い。光秀の意見を聞くぞ」
家康は、己より領地の多かったにも関わらず、臣従してくれた光秀を信頼していた。
家康は、平岩親吉の讒言のような言葉に耳をふさぐような動きをした。その姿は、親吉を煙たがっているようにも見えた。
「かたじけなし。私は、正信殿と考え方は同じですが、攻める順番が違うのです。」
「攻める順番?」
本多正信本人も意味がわからなかった。
「はい。土佐の者共は自分の地を必死になって守りましょうが、その他の地はあまり守るのに必死になれないでしょう。なぜなら、讃岐と阿波は十数年ほど前は敵地、伊予に至ってはほんの最近まで敵地であり、敵は慕われないことのほうが多いからでございます。そのため、土佐を先に落としたら、そこから戦を有利に進められまする。私は、土佐から、そこから先はご自由に、と考えております」
「なるほど」
「流石でございます」
最初に意見を述べた本多正信も光秀の案を褒めた。
「光秀殿の案の方が勝機があるかと」
本多正信は自分の策より光秀の案の方が良いと述べた。
「勝機ならば正信殿の案でも高かろう」
平岩親吉が本多正信の案を褒めた。
「勝機という問題ではない。勝利も大事だが、被害を少なくして勝つことが重要だ」
親吉の考えを、家康は切り捨てた。
「では、光秀の案を採用ということで良いな」
「ははっ」
光秀は、このまま功が続いていき、宿老から妬まれることを危惧した。
長宗我部元親は攻められる前から焦りを見せていた。当たり前である。日本の全てを牛耳っているとも言える勢いを持っていた光秀が、家康に降伏したのだ。元親のみならず、全国の大名に激震が走った。長宗我部家の中でも、徳川派の者、長宗我部派の者とで血を流してしまったこともあったのだ。
光秀が家康に臣従したと知ると、元親は鎧と陣羽織を身にまとい、軍議を行った。
「光秀が徳川に降っただと!?家康め、死んでも降伏せんわ」
「・・・・・・兄上、それは城を枕に討死するしか選択肢は無い、ということでしょうか?」
元親の弟である香宗我部親泰が問うた。
「ああ、家康ごときに屈する膝など無いわ」
「そこまで言わなくとも・・・・・・」
元親のもう一人の弟である吉良親貞がため息をついた。
その後、元親はこう言って兵、家臣たちを鼓舞した。
「良いか!家康の軍勢に膝を屈した者は厳罰に処す!」
「兄上、それはいくらなんでも言い過ぎです!」
香宗我部親泰が兄に対して諌めずに怒った。
「それほど、我らの主君にはふさわしくない人間なのだ!」
元親も、親泰同様怒っていた。というよりも、今の元親は怒り狂っているとでも言ったほうが良いだろう。
元親は昔から強情っ張りであった。信長が四国攻めを計画していた頃、光秀が元親の元へ織田家と同盟を組んではどうかと提案をしに行った。だが、一時はうまく行ったが、元親の急な考えの変化で、光秀の努力虚しく、長宗我部は織田家に徹底抗戦する姿勢を見せた。このことは、信長にも、所詮は鳥なき島の蝙蝠、と揶揄された。
「信長ならまだ考えてやったが、家康なぞ比べ物にならんわ」
「兄上、惟任光秀様がお見えになりました」
「惟任め・・・・・・!」
元親は渋々会いに行った。そこには、元親の知らない光秀が座っていた。
「どうかされたか?」
光秀の様子に、元親は何か、前にあったときとは違う雰囲気を感じた。
「なんのことであろうか」
「信長に従っていた頃のお前は、まるで誰かを、もしや信長を呪っているかのように、墨のように黒目の中が真っ黒だったが、今のお前は黒目の中に一筋の光を感じる」
元親が墨のように目が真っ黒と思うのも仕方のないことであった。これは、信長の折檻であろう、と元親も少しわかっていた。
信長の折檻、暴挙の話は周辺大名に響いていた。比叡山延暦寺の焼き討ち、諏訪での折檻、伊勢長島一向一揆の農民皆殺し。特に、仏教弾圧から派生したものが目立っていた。
「それが何か?」
だが、光秀の態度はその信長の折檻をも、忘れているようであった。元親が疑念を抱くのも無理はなかった。
「それほどいいか、徳川殿は」
徳川家康という人間について、元親は少し興味を持った。
「ああ。味方にいてあれほど頼もしい、心強いお方はいない」
「そうか」
「だが、敵を決してお許しにならぬ」
「・・・・・・」
元親は、光秀の言った敵が己であることを理解していた。
「味方に優しく、敵に苛烈。」
「・・・・・・」
元親は、家康の方が信長よりも落ち着いて奉公ができると確信した。信長は家臣への折檻が日常茶飯事と伝わっていた。そのため、家臣たちは信長の顔色をうかがって震えながら生活しているとも聞いていた。
少なくとも、家康はそのような人物ではないことは理解した。だが、自分の領土をその者に献上してまで臣従するには、何かが足りなかった。
「降伏するなら今のうちですぞ」
悩む元親に、光秀が臣従を持ちかけた。
「どういう意味だ」
「この期を逃したらもう降伏しても貴殿が首を打たれるは必定。ご兄弟である香宗我部親泰殿、吉良親貞殿、子息の信親様や盛親様は転封か少しばかりの謹慎、蟄居は免れませぬやもしれませぬな。既に、貴殿の次男である香川親和殿は我らに通じております」
光秀は元親が情に流されやすい人間であることを知っていた。そのため、兄弟・子息を名指しし、その者たちに不利益なことを告げた。香川親和の降伏も、本当のことであった。元親に不利益なことを伝えて、上手く降伏してもらおうと考えていた。
光秀は降伏は無理でも、同盟を組んで、協力体制をとってはもらえないかと考えていた。
元親は、こうした光秀の真意を汲み取ったのか、光秀の目を二、三秒間見つめると、こう言った。
「・・・・・・わかった。無駄に兵や長宗我部を死なせたくない。降伏いたす。それ故、惟任殿には権大納言家康様にとりなしてほしい」
元親は、己の判断、強情一つで家全体を滅ぼすくらいなら、と降伏を決めた。
「わかり申した。では、これにて」
元親は、降伏すると決めると、呼び方を徳川家康か徳川殿から権大納言家康様に変えた。
四国征伐は、何も戦がなく、調略と交渉のみで終わった。しかも、長宗我部は兵、武将、全て何も失わなかった。だが、戦うことこそが生き甲斐と感じている一部の将は、長宗我部降伏を交渉一つで終わらせた光秀に不満を持った。
駿府城に帰参し、家康に長宗我部降伏のことを伝えた光秀は、家康が立ち去るときに何かを呟いたことを聞き逃さなかった。
「侍従元親め。無理難題を押し付けてきよるわ」
それを笑いながら言っていたのを見て、無理やり所領を没収するなどのことはしないと感じた。
実際、長宗我部は本領安堵となった。その代わりに、元親は四国全土の絶対の安全を任された。
胸をなでおろす光秀に危機が迫っていた。
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