◇間章:敗北if(エルダーリッチ・エヴィル)後編

 自らの首に迫りくる凶刃。それを躱せないことを悟ったシヅキはぎゅっと目を瞑り────


「ぎっ────……あ? 首……は、付いてるなぁ。わたし今斬られたよね……?」


 ほんの一瞬で痛みが無くなったことに疑問を抱いたシヅキが目を開くと、そこは一面真っ暗な空間。見下ろせば、自らの身体だけが暗闇の中に浮かんで見えた。

 シヅキは思わずぺたぺたと自身の首に触れるが、切断されたはずの首はしっかりと繋がっている。


 首の破断は超高速のスリップダメージを伴う、事実上の即死ダメージのようなものだ。ほとんどのプレイヤーの場合、断たれた瞬間にHPが尽きてしまうだろう。

 だが、今やシヅキのHPは常識の範疇に無く、首を断たれても少しの間は生存が可能となっている。

 身体を失いながらもHPは残っているその状態が『死亡以外による行動不能』と判断されたためにフェイタリティフェーズへ移行したのだ。


「これ、もしかしてトロールチャンピオンのときのアレみたいなシーンチェンジかな? つまり……残忍処刑タイムってことだぁ。ひえ~…………いったいなにされちゃうんだろ……」


 フェイタリティフェーズの効果により、直前に切断されたはずの首は綺麗に繋がっている。だが、それを喜べる状況ではないだろう。今から始まるのは痛苦に塗れた地獄の責め苦なのだ。


 ……そう、今は喜んでいる場合ではないはずだ。だが、この先に待ち受ける痛苦を想像すると、シヅキの頬は紅潮し、胸を打つ鼓動が高まっていく。

 昂った身体を鎮めようとしたのか、シヅキの手が自然な動きで下腹部へと伸び────途端に暗転が明け、辺りの景色が一変した。


「あらざんね…………は?」


 シヅキは自身がうつ伏せに腹這いの状態で首と両手首を拘束された状態であることを認識し、思わず気の抜けた声をあげた。

 首が固定されているために正面以外は見ることができないが、状況からしておそらくこれは斬首台……所謂ギロチンに掛けられているのだろう。眼前にはエルダーリッチ・エヴィルが静かに佇んでいる。


 ────なんだそれは・・・・・・。ふざけているのか。ギロチンなど、痛苦なく死を与えるための器具ではないか。

 自らに科せられた手ぬるい・・・・処刑法、シヅキは猛烈な怒りが沸き上がるのを抑えきれなかった。


「んのっ……器具を使った処刑っていうならもっといいのがあるでしょ! ほら、牛とか、縄とか……そういうのにしてよ!! こんなっ……これじゃ苦しみなんてほとんどないじゃん! ふざけんな!!」


 シヅキは目の前の敵に対して衝動のままに吠え立てた。眼前に佇む憎き骸骨、その顔面に今すぐ拳を叩きこんでやりたい。

 ぎゃんぎゃんと喚き散らすシヅキを尻目に、エルダーリッチは緩やかに左手を持ち上げた。

 台が軋み、続いて何かが高速で擦れる音。


「かっ…………」


 なおも喚き続けるシヅキの首を目掛け、漆黒の刃・・・・が落ちていき……その細い首に突き立った。


 首と手首に感じる熱と痛み。本来一瞬で過ぎ去るはずのそれは、シヅキには、まるで時間が引き延ばされたかのように長く、長く感じられ────


「あ゙……………!? ぎ、ぃ……っ!?!?」


 否、引き伸ばされたように感じているのではない。首を分かつ刃は、斬首されたはずのシヅキを今尚蝕み続けている。

 刃は確かにシヅキの首を貫通した。しかし、未だシヅキの首は落下せず、視点は当初と変わりない。

 焼けるような激痛はいつまで待っても鮮明なまま。首には今も刃が刺さっているはずだが、何故か酸欠による思考の混濁は起こらず、ただ純粋な痛苦だけが延々とシヅキを嬲り続ける。


「は……っ!? ぁ…………!?」


 自身に何が起きたのかも分からないままぱくぱくと口を開閉させ苦しみから逃れようとするシヅキを眺め、エルダーリッチはかたかたと顎の骨を揺らがせた。

 だが、それを嗤った・・・のだと判断できる余裕は今のシヅキにはない。特に反応がないのを確認したエルダーリッチはつまらなさそうに自らの顎を撫で、鷹揚に錫杖を振るう。

 その途端、シヅキを苛む痛苦が瞬く間に消え去った。


「はっ、あっ! はぁっ……はぁーっ…………。なっ、なに、今の……?」


 シヅキの問いに答えず、エルダーリッチは再び錫杖を振るう。するとその杖の先から闇が大量に噴き出し、シヅキの視界を完全に覆った。


「な、なに……? なんなの……?」


 度重なる不可解に、シヅキの心に不安が満ちる。先ほどまでギロチンに文句を付けていたとは到底思えない、余裕のない姿。だが、まだ冷静に自らの置かれた状況について考えるだけの気力は残っていた。


 先ほどシヅキに対して行われた行為、それ自体は斬首刑で間違いはないだろう。過程に疑問はない。だが、その後に起きたこと……結果だけが不可解だ。

 シヅキに首を断たれた経験はない……先ほどの戦闘までは無かったが、少なくとも人は首を断たれれば数分と生きてはいられないはずだ。

 いくらシヅキのHPが高くとも、精々数十秒保つかどうかのはずだ。それ以前に急激な失血で意識が混濁、急速に気が遠のくのではないだろうか。あんなふうに首に鮮明な激痛を延々と感じ続けるなど、まずありえない。

 それに、今のシヅキは五体満足だ。もしかしたら一度断たれた後再び繋げられたのかもしれないが、アンデッドが回復魔法を使うというのもイメージに合わない。そうである以上、最初から首は切断されていない・・・・・・・・・・・・・・と考えるのが正しいのだろう。


 おそらく……先ほどのギロチンは何か魔術的な手段であり、対象者に傷を付けずに痛みや苦しみだけを与えるようなものだったのだ。そう考えると全ての辻褄が合う。

 なにより先ほどの戦闘、その敗因はエルダーリッチの飛ばしてきた実体を持たない黒い刃・・・・・・・・・・なのだ。きっと、あの魔法の変形……という体裁で、肉体を傷付けず痛みだけを与えられているのだろう。


「は、は……。なにそれ、やばいな…………」


 闇の中、シヅキの首を拘束していたギロチンが解け、別の形に作り替えられてゆく。その最中、両手の拘束は後ろへと回り、首を引き上げられ強制的に立たされる。最終的に、シヅキは後ろ手に縛られ、強制的に直立を強いられる格好となった。


 靄のような形を取っていた闇が、収束し、確かな実体を有した物品へと変じていく。やがてそれはシヅキを包囲する立体物になり────沢山の針が内側に付いた、両開きの扉のようなものを視界に捉え、シヅキは思わずその物品の名を呟いた。


「アイアンメイデン……えっ、これも痛みだけ? 死ぬことすら許されず? ……まじかぁー。これわたし耐えられるかな……」


 シヅキは努めて軽口を叩くが、ぴくぴくと引き攣る口角が内心の余裕の無さを表していた。

 ……だが、エルダーリッチはその強がりを気に入ったらしい。かたかたと顎の骨を鳴らし、錫杖を軽く動かした。

 その動きに合わせて黒一色のアイアンメイデンが解け、一瞬の後、再び確かな実像を形作った。…………その内にある針を、倍の数に増やして。


「あっこれダメだ。流石に無理、ちょっと待っ────」


 増えた針を見てシヅキの顔からさっと血の気が引いた。たまらず停止を要求するが、それを聞いたエルダーリッチは満足そうに首を縦に動かし、さっと左手を持ち上げる。

 支配者製作者の合図に従ってアイアンメイデンの開閉部が滑らかに動き────その内に備えられた長大な針が、シヅキの身体に一切の容赦なく突き刺さった。


「い゙っ──あ゙っ! は、ぁ゙っ……!!」


 肉を穿ち、臓腑を貫く鋭利な痛み。シヅキは喘ぐように息を吐き出し、全身を苛む痛苦を必死に耐え忍ぶ。

 肉体の損壊を伴わない、純粋な痛み。失血が起こらないためにその痛みはいつまでも鮮明なまま。肉を、肺腑を穿たないがために本来あるべき異物感は無く、呼気に血が混じることもない。


「づぅっ……ぐぬ゙ぬ…………」


 そう、この黒い刃は痛みしか与えないが故に、それは単調で、甘美とは到底言い難いものとなる。痛苦としては下の下だ。

 故にシヅキは屈しない。この程度・・・・で屈してたまるものか、その一心で歯を食いしばり痛みを堪える。

 全身を刺し貫かれるのは既に経験しているのだ。あの鏃が体内を蹂躙する痛苦と比べれば、こんなものは大したことではない。


「は、はっ……こ、の゙っ……程度…………な、の?」


 黒色のアイアンメイデンは頭部部分の覆いが開かれたままで、シヅキの視界は未だ通ったままだ。シヅキは無理矢理口角を吊り上げ、眼前に佇むエルダーリッチへ挑発を敢行する。


 正直に言えば、シヅキのこれは強がりでしかない。たとえ内臓の損壊に伴う喀血や不調、肉をかき分けられる異物感がなくとも、全身を刺し貫かれるというのはそれだけで凄まじい激痛だ。

 『耐えられるような痛苦は痛苦とは認めない』。シヅキはその信条だけを支えにして、泣き叫びたいほどの激痛を必死に耐えているのだ。


「ん゙、ぎっ……ぎ、ぎ…………」


 シヅキはしっかりとエルダーリッチを見据え、視線を動かさず睨み付ける。こんなお遊びは早く終わらせろ、もっと絶望的な痛苦を寄越せ。そんな祈りにも似た激情を、無言の圧に乗せて突き付けた。


 そんなシヅキの様子を見たエルダーリッチは何を思ったか、しきりに顎を撫でている。そして、大きく振り上げられる錫杖。

 術者の指示を受け、アイアンメイデンを形作っていた闇が解れかき消える。それに伴いシヅキの肉体を貫いていた黒い針も消え去り、再び実体を持たない靄の形態に戻った。

 ……そう、シヅキは責め苦を耐えきったのだ。


「はぁっ……どんな、もんじゃい……!!」


 闇に閉ざされた視界の中、シヅキは一人達成感に満たされていた。そうだ、自分はあんなもの・・・・・に屈するような安い女ではないのだ。自分を落としたければ、もっと凶悪なモノ・・・・・を用意してもらわねば困る。


 傷一つない肉体、疲弊した精神。思考が変な方向に向かい始めたシヅキの身体が、手を捕らえている闇に引き上げられて宙へ浮く。

 ほどなくして闇が再び何かの形を取ったようだが、今回は全周が隙間なく覆われており、シヅキの視界は完全に真っ暗だ。


 今のシヅキは直接的な拘束が外され、閉ざされた空間限定であるがある程度自由に動くことができた。

 空間内の寸法は左右は両肘を突き出してもぎりぎり届かないくらい、上下は膝立ちで頭が天辺に付くかどうかといったところで、前後はそれなりに余裕のある楕円形。前方の中空に、何か棒のようなものが一本備え付けられている。


 手探りで内部の形状を把握し、前方にある棒……管楽器の吹き込み口のような、中が空洞の呼吸口に触れた時点でシヅキの疑問は氷解した。

 これは所謂"ファラリスの雄牛"────内部が空洞の金属の牛像に罪人を閉じ込め、外から火で炙る処刑器具────というやつだろう。ギロチンからアイアンメイデンと、ここまで全て処刑器具つながりで来ているのだ、おそらくは間違いない。


「あー……きっついな、これは…………」


 狭い空間内に、シヅキの弱音が反響する。エルダーリッチの視線があったからこそ強がりを通せたという側面もあるのだ。完全に闇に閉ざされた閉所、しかもこの後訪れるであろう・・・・・・・・・・苦難も予想がついている状況では、どうしても心が萎れてゆくのを抑えられない。


 シヅキが沈痛な表情で次の工程加熱を待ち構えていると、不意に足元から冷気を感じた。


「うわつめたっ、は? 何?」


 シヅキは床に付いていた手を離し、両膝を腕で抱き込むような形で座ることで接地面積を極力減らすように心掛けつつ、前方にある管に掴まってバランスを取り始めた。

 その間にも、足元から感じる冷気はどんどん強まっている。


「あぁー、氷と闇が主体っぽいエルダーリッチが炎使う処刑をやるのもイメージに合わないとは思ったけど……つまりは逆ファラリス? えっ、それ、炎と比べたら痛苦としては微妙では……? 緩慢に死ぬだけに思えるんだけど」


 自身のぼやきが管を通って反響し、歪な鳴き声のようになって外部へと大きく響いているのを耳にして、シヅキは顔を顰めた。


「この仕掛け、多分滑稽さを楽しむ趣旨なんだろうけど……むざむざ向こうの考えに従うっていうのもなんか癪だな……。よし、意地でもこの呼吸口は使わないでやろっと」



    ◇◇◇


 霊廟内の一室、まるで氷のような青白い景観の部屋に、牛の鳴き声のような異質な音が響き渡る。

 ボオ、ボオと短い周期で断続的に鳴る音。それは闇の牡牛に閉じ込められた罪人が必死に外の空気を吸おうとする動きが、呼吸口……管を通る過程で変質したものだ。



「すぅ、はっ……すぅ、はっ……すぅ、はっ…………」


 シヅキは全身を苛む極寒の寒さを少しでも和らげようと、手に持った────最早癒着して手からも口からも離れなくなった管から、外界の空気を必死に肺へと取り込んでいた。


 最初はまだ良かった。闇に閉ざされた空間は酷く冷え込み、四肢は震えたが、しかしそれだけだ。痛みがあるわけでも、ましてや不調が出たわけでもない。

 内部の温度が低下したことによる気圧差か、管からは暖かい空気が僅かに流れ込んでいた。それを胸いっぱいに吸い込めば、きっと冷えも多少はマシになっただろう。

 それでもシヅキにはプライドというものがある。たとえ強がりだとしても、自ら言った『管を利用しない』という制約を守ろうと意地を張った。


 最初に問題が起きたのは肺だ。ただ息をするだけで、耐えられないほどの痛みが胸を襲った。


 次は足。冷えた身体を少しでも温めようと動いた瞬間、ばきりと音を立てて足の指が千切れた。凍てついた床面に長時間触れていたことで末端はとうに凍てつき、生物的な柔軟性を失い床に張り付いてしまっていたのだ。

 重大な欠損にもかかわらず全く痛みを感じなかったのが、余計に恐怖を感じた。


 次は腕。足指の欠損を確かめるために片手を管から離そうとしたとき、手のひらの皮が剥がれ肉が露出した。こちらもあまり痛みはなかった。


 全身の震えが止まった辺りで、シヅキの心は恐怖に屈服した。


「すぅ、はぁっ……すぅ、はっ……すぅ、はっ…………」


 外部に繋がる管。当初はただバランスを取るために掴んだだけで、管自体を使う気はなかったが……その気になればすぐにでも管に口を付けられる体勢だったのは、今になって考えれば幸運という他ない。無我夢中で管に縋り付き、外の熱を含んだ空気で肺を満たした。

 まるで救いの手のようにも思えた。泣きたくなったが、そのときには、既に顔もほとんど凍ってしまっていた。故に、涙は流れなかった。あぁ、寒い。


 緩慢な死など、とんでもない。これは────地獄だ。


 音も光もない空間は容易に人の時間感覚を狂わせる。シヅキはここに入れられてからもう十時間は経ったような気がしていたが、しかし改めて考えてみれば、まだ一時間ほどしか経過していないような気もする。

 ……死ねるまでには、あとどれくらい掛かるだろうか。


「すぅ、はっ……すぅ、はぁっ……すぅ、はっ…………」


 シヅキには自死という選択肢もあった。だが、それはプライドが許さない行いだ。せめて、どうしようもなく心が折れてから仕方なく選ぶ、そんな最後の手段にするべきだろう。

 ……そうして悩んでいるうちに、いつの間にか身体に力が入らなくなっていた。今のシヅキには、舌を噛み切る力すら残されてはいない。


 小刻みな呼吸。体の大半が凍り付き、肺を膨らませることができなくなったが故の苦肉の策。それですら、連動して体の何かが砕ける音が響くが、今のシヅキにはそれも聞こえていない。

 常人ならとうに死んでいるような状態だが、しかしシヅキには膨大なHPがある。目が凍って見えなくなる前、最後に確認したときはまだ6000Ptほど残っていた。死は、未だ遠い。


「すぅ、はぁっ……すぅ、はっ…………」


 全身の感覚がほとんどないのは幸いだろうか。だが、痛みはなくとも魂を凍てつかせる寒さだけは感じている。今やそれだけが、自身がまだ生きていることを示す道標だ。

 全身の感覚は既に遠く、光はとうに失われた。耳すらもう聞こえない。気が狂いそうだ。


 ああ、どうか……早く死なせて欲しい…………。



──シヅキの現在HP:3261/8160──

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