【私】の話(中③)

3




『何してんだ、オマエ』



 明け方。

 朝露に濡れ、濃い緑の匂いに包まれた雑木林。


 まだ若いクヌギの樹の根元でじっと身体を丸めていた私に、その声はかけられた。



『ああ、生きてんな。で、どうしたんだ、こんなとこで』


「…………」



 返事はしないし、目も向けない。

 しかし声の主はまるで気にする様子は無く、年を重ねた男性を思わせる、腹底に響く声で続ける。



『散歩……じゃあなさそうだな。家出か?』


「…………」


『それとも何かやらかして逃げて来たか? だったら早いとこ頭下げに戻った方がいいんじゃあないか』


「…………」


『無視かね。視えてるクセに』



 ほんの僅かに、指先が跳ねた。


 それに気付いたのか何なのか。声の主は小さく含み笑いのような音を出すと、くるりと私に背を向けた。

 ゆらゆら、ゆらゆら。必死に固める視界の端で、広がる翼が小さく揺れる。



『気を付けなねぇ。こんな非力な小鳥ならともかく、猛獣みたいのが相手なら視ないフリも……いいや、そも視えなくとも意味無いこと、あるから』


「…………」


『それじゃあな。また遭う時にはちぃとは擦れて、ちゃあんとおハナシしてくれよ』



 ――まぁ、それまで猛獣にやられないよう頑張ろうな。お互い。

 声の主はまた笑ったような音を出すと、翼をはためかせて私の前から飛び去った。


 ……抜け落ちた小さな羽根が舞い踊り、私の足元に落ちる。

 拾わずじっと眺めてみれば、色形からしておそらく雀のものだった。



「……、……」



 そのまま暫く、無言の時がただ過ぎる。


 ……私が最初から最後まで何も話さなかったのは、声の主を無視していた訳じゃない。

 単純に怖くて、意味不明で、身体が動かなかったのだ。


 だって、そうだろ。

 あんな――あんな鳥の形すらしてない雀モドキを相手に、どんなおハナシしろってんだ。



「……っ……」



 数分か、数十分か。

 うっすらとした木漏れ日が私の顔に差し込む頃になって、ようやく肩から力が抜ける。


 ……ほんと、何なんだよ、ああいうの。

 強く引き結ぶ唇の下で、カチカチと音が鳴っていた。







 私が『うちの人』から逃げ出して、一夜が経った。


 恐怖と罪悪感で半ば錯乱状態に陥っていた私は、『うちの人』の視線の届かない場所を求め、街中を随分と走り回ったようだった。


 逃げ出した直後の数十分の間の事はよく覚えておらず、どこをどう走ったのかもハッキリしない。

 我に返った時には見覚えの無い路地裏に汗だくで蹲っていて、近くの電柱に書かれていた住所を見てどんだけ遠い所に来たんだと我ながらちょっと引いたくらいだ。


 ……だが、それだけ離れた場所に来ても、背中に感じる冷たい視線は消えなかった。


 だって、あいつらはどこにだっているんだ。

 表通りを歩く人々や民家の中、果ては通り過ぎる車の中からもヤツらの視線を感じる気がして、私は忙しなく周囲の様子を窺い続けた。

 ただ怖くて、逃れたくて。あの無表情が無いかどうか、追い立てられるように街のあちこちを見回して、視界の隅々にまで気を配り、目を凝らし、そして、



 ――そして、そこでようやく、私は私の世界に『異常』が紛れ込むようになっている事に気が付いた。



 まず視つけたのは、とある自販機の下。


 突然、背後から沢山の小銭が転がる音を聞いたのだ。

 まだ冷静では無かった私は、『うちの人』かと振り返り……そして、それを視つけてしまった。


 指だ。人間の指。

 それも一本二本ではなく、数十数百もの指が集まり虫の脚のように蠢いて、自販機の下で小銭を弄んでいる。


 ……まるで、意味が分からなかった。

 そのあまりにも気持ちの悪い光景に、私は少しの間恐怖も罪悪感も忘れて立ち竦み――やがて、そんな私の足元に小銭が一枚転がって来た。


 何の変哲もない十円玉。

 視れば、小銭を弄んでいた自販機下の指の全てが動きを止めていた。

 まるで、私がどんな行動をとるのかを待っているかのように。



(…………)



 ――当然、私は一目散に逃げ出した。

 あの真っ赤なぐしゃぐしゃと、似た気配を感じたのだ。


 あの時と違ってすぐに身体も動いてくれたし、自販機下の指も追って来る事は無かったから、逃げ切る事自体は簡単だった。


 ……だけど、それで即座に落ち着ける訳もなく。

 真っ赤なぐしゃぐしゃの時と同じくらい混乱した私は、何度も何度も背後を振り返りながら、無駄に長い距離を走り続けた。


 先の反省や、『うちの人』との件もあり、その足取りは必然的に人気の無い方へ無い方へと寄って行く。

 そして人の少ない田舎エリアまで走って、やっと私は一息つけて――でも、そこでもまた『異常』なものを視つけてしまった。


 道の先に続く街灯の荒い光。その中に一つだけ、光を装った暗闇が混じっていた。


 ……自分でも何を言っているのか分からないけど、そうとしか表現できないものがそこに在り、私がやって来るのを待っている。

 どうしてかそれが分かってしまった私は、感じる怖気のままにまた逃げ出した。


 だけど、そうして逃げた先にも似たようなものが数多くあった。


 通りがかった道角に立つ、カーブミラーの中。

 休耕田となり、雑草が生え放題となっている大きな田んぼの真ん中あたり。

 あちこちに流れる川のうち、一番細いものにかかる橋の下――。


 それらは何の変哲もない風景の中に素知らぬ顔で混じり込み、本当なら誰の目にも留まらないまま、日常の裏に張り付いていた。



 ――なのに、何で私は分かるんだ?



 昨日の名残か夜空は曇り、月も隠れてどこもかしこも真っ暗な筈なのに。

 私のこの眼はどうしてか、そこに潜む『異常』を憎たらしいほどによく視分けた。


 そしてそこまで眼にすれば、イヤでも受け入れざるを得なかった。

 あれこそが、あの『異常』達こそが――きっと、あかねちゃんが『オカルト』と呼んでいたものなんだって。


 ……本音を言えば信じたくないし、理解も心底したくない。

 それでも、絶え間なく私を襲い続けるこの恐怖が、そんな否定の意思を完膚なきまでにすり潰していた。


 ともかく、そうしてそれらを視つける度、私は少しずつ田舎エリアの道を逸れ、離れていった。


『うちの人』の居ない場所へ。オカルトの視えない場所へ。


 ただそれだけを考えて、ずっとずっと一晩中を走り続け――とうとう限界を迎えたのが、私が今居る雑木林の中だった。






「…………はぁ」



 ゆっくりと、息を吐く。


 クヌギの樹に手をつき立ち上がろうと試みるけど、足が震えて上手くいかない。

 夜からずっと走り続けてたからって事もあるんだろうけど、それよりも精神的なものが大きい気がした。


 ついさっきこの雑木林で遭遇した雀モドキ。

 そして、ここに来るまでに視てしまった、幾つものオカルト。

 アレらの存在に頭の中がぐちゃぐちゃに掻き乱され、それが足にまでキているのだ。



「……何なんだよぉ、マジでぇ……!」



 立ち上がるのを諦め、再び樹の根元で身体を丸める。


 どうして、こんな事になったんだろう。

 何でいきなりあんなのが視えるようになったんだ。いや、いっそ全部幻覚で、単に私の頭がおかしくなっただけじゃないのか。

 いやでも、実際アレで『うちの人』が死んで――ああ、そうだよ、その事どうすんだよ。私のせいであの金髪死ん……。

 ……で、でも、今は、あの人には悪いけど、今はあかねちゃんが、けど街行ったら『うちの人』も、いや、それどころかオカルトも、つーかこの街どうなってんだよ、あんなのがこんなに、これじゃもう探すどころじゃ、バカ諦めるな、怖い、けど行かなきゃダメで、でもどこ探しゃいいんだ? 当てが無いの変わらんし、てかもう家に帰れない、『うちの人』に合わせる顔が、この年でホームレス、違う、んな事よりあかねちゃんが、だけど実際もうどうすりゃ――



「う、ぁ、うぐ、うぅぅぅぅぅぅぅ……」



 ――もう、もう無理だよ。私の許容量を超えている。


 頭の中がぐるぐる空転し、着地点を見せない。何もかもが訳分からんし意味分からんし信じられんしどうにもならん。

 もう何も考えたくない。全部全部投げ出して、このままずっと蹲ったままでいたかった。



「……く、ぅ」



 ……でも、それが出来ないって事も分かってる。


 今の私が逃げられるものなんて、何一つ無いんだ。

『うちの人』やあかねちゃんの事は当然として、オカルトだってきっとそう。


 今さっき遭った雀モドキで思い知らされたばかりだ。

 どんな辺鄙な場所に隠れたって、見ないフリしたって、アレらは何も気にせず私へと近づいて来る。

 私の意思なんて関係ないんだ。アレらはもうとっくに、私の世界の中に居る――。



「ぅ、ぅぅ……ぁ、あかねちゃぁん……」



 自分でもビックリするほど弱々しい縋り声が零れた。


 ……思えば、全部本当だったのだろうか。

 視えるとか視えないとか、霊感アピールとか、あの心霊写真とかだって、私が信じてなかったそういうの、全部。


 だってオカルトが実在するなら、あかねちゃんのそれだって実在するんじゃないのか……?


 勿論、まだ信じられない気持ちはある。

 けれど、そういった話を今までみたいに鼻で笑って切り捨てるなんて、私にはもう出来なかった。


 むしろ、こんな事になるんだったら、彼女の言葉にちゃんと耳を傾けておけば良かった――なんて掌返して後悔している自分も居て、その浅ましさに唾を吐く。



「……こんな、だったの? あかねちゃんの、景色……」



 彼女の視ていた世界も、今の私が視ているものと同じだったのかな。

 真っ赤なぐしゃぐしゃとか、あの雀モドキとか。危険だったり意味分かんないものが蠢く世界を、ずっとずっと生きていたのだろうか。


 もしそうだったとしたら――やっぱり私に『オカルト好きのあかねちゃん』を理解するのは無理そうだった。



(……あんなのが好きとか、視えてて普通に過ごすとか、普通に無理だって。襲われて、逃げなきゃで……ひ、人も殺すようなの、どうしてたんだよ……?)



 あの『異常』達を眼にしながら毎日を平然と過ごし、あまつさえ飛び付いていたあかねちゃんは、どれだけタフな物好きだったんだろう。

 オカルト相手に一体どのように立ち回ればあんな自然に振舞えるのか、まるで想像がつかなかった。


 特に、昨日の真っ赤なぐしゃぐしゃみたいな追っかけて来るタイプとか、どうやって対処していたんだ。それも、いつも傍に居た私に何も悟らせずに。

 本当は視えてなかったとかじゃなきゃ、回避も何も不可能だろ……と、あかねちゃんの霊感(自称)を再び疑い始め……。



「――ん?」



 そこで、妙な引っ掛かりを覚えた。


 ……なんというか、間違い探しで一番簡単な間違いを見落とした感じ、みたいな。

 そんな所在不明の違和感が突然に沸き上がり、私の思考に根を張った。



(……何? 何だこの、変な…………)



 しかし肉体的にも精神的にもヘトヘトな今、私の頭もいつもの数倍すっからかんになっている。

 当然すぐに思い当たる訳もなく、じっと地面を眺めながら、錆ついた歯車のように軋む思考をゆっくり回し、



「――……あっ!?」



 ガチン。

 頭の中で、歯車の噛み合う音がした。



(そうだ、そうじゃん……こんなのが実在して、私がこうなったってんなら、あかねちゃん居なくなったの、これ――)



 ……私はこれまで、あかねちゃんの失踪を常識の範疇で考えていた。

 ケガをして動けないとか、変質者に襲われたとか……監禁とか、そういった理由で帰って来られなくなってるんだと思っていた。


 でも――その当たり前の考えこそが、的外れだったんじゃないか?


 本当はそんな現実的な理由じゃなくて……そこからずっと離れた理由で……。

 つい昨日まで鼻で笑って切り捨てて、一切の検討すらしていなかった、バカみたいな可能性――。



「――オカルトの、せい?」



 ……言葉にすれば、あまりの陳腐さに顔を覆いそうになる。

 だけど昨日の夜を越えた今の私には、それがこれ以上無く筋の通った真実に思えてならなくて。


 自覚する。私の視点には、オカルトの実在というアホみたいな前提が致命的なまでに欠けていた。



(だって、そうだよ。あかねちゃんが夜中に家を抜け出したのは、きっとオカルト探しをするためだろ。なら――実際に遭ったんだよ。自然公園で、何かに)



 それが、真っ赤なぐしゃぐしゃのようなヤバいのだったとしたら。

 追いかけられて、傘を捨てて逃げて、だから自然公園に居なくて、それで、


 ――干からびた『うちの人』の死体が脳裏をよぎり、強く頭を振った。



(違う……! きっと無事で、逃げ続けて、どっかに隠れてるんだ。あかねちゃん、私の何倍もオカルトに詳しいし……そう、霊感だってあるから、ヤバいのへの立ち回りだって慣れてる筈で。もしかしたら、前得意げに話してた……何だっけ、異界? とか裏側? とかそんなとこに居るかもで、だから今だって絶対平気。そうに決まってる……!)



 ……さっきその霊感(自称)を疑ったばっかりなのに、もう縋るのかよ。

 心のどこかでそんな自嘲が聞こえ――同時に、変な悪徳宗教とかにハマる人達の気持ちを少しだけ理解した。


 自分じゃどうにも出来ない、答えの出ない問題の解答欄を、オカルトという万能トンデモワードで埋めていくのは凄く楽で、爽快感すら伴った。

 今だってそうだ。オカルトに縋って信じるあかねちゃんの無事は、オカルトを否定していた頃のそれよりよっぽど強く響いている。


 根拠もないのに安堵ばかりが湧き出していて……それに流されたらダメになるんだろうなと、うっすら察した。



(と、とにかく、自然公園に行ったあかねちゃんが何かに遭ったとして……それは何だ? それさえ分かれば、あかねちゃんの居場所だって――……、っ!)



 ハッと、例の噴水池を思い出す。


 そうだ、あそこで私が体験した事は、今思えばオカルトとしか言いようのないものだった。

 未だ身体にこびり付く激痛と灼熱が蘇り、堪らず口元を抑えた。



(うぇ……い、いやでも、あん時のがオカルトだったとして……それで居なくなるって事にはならない、よな……?)



 もし私と同じ事があかねちゃんの身にも起こったのであれば、きっと即日発見されている筈だ。

 私と同じく血と吐瀉物に塗れ、病院に運び込まれ、そしてあかねちゃんママにこっぴどく怒られて、今頃は外出禁止を言い渡されて自宅に軟禁されていた事だろう。


 ……そっちの方が、良かったなぁ。



(それに、傘が落ちてたのはあの広場近くの道って話だし……たぶん、噴水のヤツじゃない)



 じゃあ……他に何かが居たっていうのか?


 空を睨んで当時の記憶を思い出してみたものの、他にオカルトを視た記憶はない。

 過去にあかねちゃんが自然公園のオカルトについて何か語っていなかったかを振り返っても、該当はナシ。というか真面目に聞いていなかったせいでよく覚えていない。クソがよ。


 そうして、また後悔に苛まれそうになった時――やっとこさ絞り出された記憶があった。

 ……正直、今は振り返りたくない記憶だったけれど。そんな場合じゃないと我慢した。



(……去年の夏休み前だっけ。あかねちゃんと一緒にあそこに行って――で、アレに出くわして……)



 アレとは勿論、『うちの人』の事である。


 とある雨の日、いつものようにあかねちゃんのオカルト探しに付き合って、小屋で休憩していた時にばったりヤツらとかち合った。

 そして私の大事な友達をあんなのに関わらせたくなくて、急いで逃げ帰ったのだ。


 小屋であかねちゃんと過ごした時間があんまりにも心地よかったから、それとの落差をよく覚えている。



「…………」



 ……そう、覚えているんだ。


 あの時、ヤツらは八人ほどで集まって、池のほとりの一部分を囲んで見下ろしていた。

 雨が降ってたし、小屋の中に居た私と距離が遠かったから見難かったけど、そこには変わったものは何も無かったと思う。


 ――少なくとも、その時の私の眼には何も映っていなかった……筈で……。



「……、……」



 自然、眉間にシワが寄り。

 それに伴い、昨夜の出来事も蘇る。


 ……あの時死んでしまった『うちの人』の青年は、間違いなく真っ赤なぐしゃぐしゃが視えていた。

 でなきゃ、あんな行動はしないだろう。


 いや、それだけじゃない。その後に来た『うちの人』は皆、彼の死に何ひとつ取り乱していなかったように見えた。

 いつもの無表情のまま、死体の処理や周囲の跡片付けを黙々と行っていた。


 まるで――それが自分達の仕事なのだと言うかのように。



(……知ってたって? オカルトの存在とか、そういうの……)



 あの時は考える余裕も無かったけど、改めて振り返ってみるとそうとしか思えない。

 明らかに全員オカルトの情報が共有されていて、ああいった場合に対するマニュアルか何かがあったんじゃないかと穿ってしまう、そんな光景だった。


 ……あの金髪の青年も、それを知っていたのだろうか。



「…………」



 ゆっくりと腰の裏側を見下ろせば、そこには青年に渡されたコンビニ袋がくしゃくしゃになって丸まっている。

 結局、昨夜からずっと持ったままだった洗濯済みの衣服達――それを見る度、彼の落ち窪んだ眼窩がフラッシュバックし、胃の底がせり上がってくる。


 そうして呻き声にも似た細い息を吐き出しながら、私は地に額がつくほどもっと深く身を丸め、



「……く、そ……でもぉ……!」



 だけど、堪えて。唇を噛んで頭を持ち上げる。

 ……そう、今の私の考えが正しければ、罪悪感に潰されそうになっている場合じゃない。


 だって、もし、もしもだ。


 私にとっては気持ち悪いだけだった『うちの人』が、オカルトに関して何らかの知識を持っている集団なのであれば。

 あまつさえオカルトを視認できる人間が多く居て、何かしらの後処理までしているような、そんなヤツらであるのなら――。



(――あの雨の日の公園で、あいつら何を視てたんだ?)



 何も無い池のほとりを大勢で囲んで、地面を見下ろしていたアイツら。


 ひょっとしたら、単に私が視えなかっただけで、本当はあそこに何かが居たんじゃないか。

 あの噴水池のものとも違う、ヤツらがぞろぞろ集まらなきゃいけないようなのが、あそこに。


 ――あの時、あかねちゃんもそれを視てた、よな?



「……………………」



 憶測だ。

 それも、突飛な妄想と言われても否定できないようなヤツ。


 だけど現実自体が既に突飛な事になってんだから、あり得ないって否定もまた出来る筈が無くて。


 ――手掛かりを、捉えた気がした。



「……ああぁぁぁ、もおぉぉぉ……っ!」



 もう一度足に力を込め、どうにかこうにか立ち上がる。

 今度は上手くいった。少し体力が回復したのか、それとも根性が入ったのか。まぁ動けるのなら、どっちでも良い。



 ――私はこれから、『うちの人』に公園のオカルトについて聞き出しに行く。



 ……本当にあそこにオカルトが居たのかは分からないし、居たとしてもそれがあかねちゃんに繋がる保証もない。

 そもそもアイツらがまともに喋ってくれるかどうか。詰問した所で何も反応してくれず、ただただ無言でいるさまが目に浮かぶよう。


 でも、だからって見ないフリなんてしてられない。



(――少しでも可能性あるなら、やるんだっつーの……!)



 そう、どんな事でも、考え付いた事は何だってやるって決めたのだ。


 ……罪悪感はまだ重たいし、合わせる顔も見つからないまま。

 自分から会いに行くのは本当にイヤで、怖いけど――それでも、向き合わなくちゃいけない。


 ――だって、あかねちゃんは、まだ居ないままなんだから。



(……金髪の人の事、まず土下座して謝ろう。謝り倒して、拝み倒して、そうしてオカルトの事何とかして聞いて……それでもやっぱり無視されたままだったら、もう、アレだ。全員ぶん殴って、蹴り倒して、無理矢理にでも喋らせる……!!)



 それが謝る奴のする事か?


 僅かに浮かんだそんな疑問を投げ飛ばし、自棄っぱちになってそう決めて。

 私は着替えの入るコンビニ袋を乱暴に拾い上げると、木々に手をつき歩き始めた。







 私は本当に遠い所まで逃げ続けていたらしい。


 えっちらおっちら雑木林から抜けた先で見た地名は田舎エリアの端の方で、殆ど森林エリアに片足を突っ込んでいる場所だ。

 徹夜でこんなとこまで走り続けてたなら、そりゃ足もガクガクになるわ。まだ上手く力の入らん膝をぽかりと叩く。



(流石に帰りもとかやってらんないよ。どうする、タクシーとか呼んでみるか、それとも……い、いっそ『うちの人』に――……、お?)



 そうして取り出したスマホを睨んでいると、目の前に長く続く田舎道の先に小さくバス停の姿が見えた。

 少し傾き錆ついた何ともボロ……味わいのある感じだったけど、近くの雑草は最低限の整備がされており、まだ生きたバス停である事が窺えた。



「……あー」



 チラリとスマホと見比べて、そそくさとバス停の方に駆け寄った。

 時刻表を見てみれば、およそあと十分弱もすれば一時間に一本のバスが来るらしい。私はスマホをポケットの中に突っ込んだ。



(……とりあえず、街ん中行ければいいでしょ。その内何人か見つかる)



『うちの人』は本当にどこにでも居て、そこらの人々の中に紛れ込んでいる。

 人の多い場所に行けば、自動的に見つけられるだろう。


 もしかしたら、これから来るバスの中にも居るかもしれない――と、思った瞬間腹底が重くなり、私はぐったりとしゃがみ込む。キッツイ。



(……バス停、かぁ)



 そんな憂鬱な気分から逃げるという訳じゃないけれど。

 溜息を連発しつつ時刻表を眺めている内、自然とあかねちゃんとの出会いを思い出す。


 街中のバス停で待っていたら、突然引っ張られたり泣きつかれたり。今振り返っても大分へんてこな出会い方だった。


 だけど私にとっては、ずっと心に残っている素晴らしい思い出のひとつだ。

 その記憶に浸っていると、心があったかくなってくる。同時に、沈んでいた気持ちが少しずつ上向き始め……、



「――……」



 その最中、ふと思う。


 あの時のあかねちゃんの様子は、あからさまに変なものだった。

 その事について深く考えた事は無い。私を前に挙動不審になるヤツなんて珍しくも無かったし、あかねちゃん本人も緊張してただけと言っていたから。


 ……でも、今改めて考えてみると。

 オカルトの前提が差し込まれた今の視点で考えると――あかねちゃんの行動の見え方も、少し変わってしまう、ような。



(……怖がってた、気がすんだよな……)



 私が腕を引っ張るあかねちゃんごとバスに乗り込もうとした時、彼女はどうして泣き出したのだろう。

 今まで私は、私とお喋りしたくて必死になってくれてたからと思い上がった解釈をしていたけど……それにしては、変な風に怯えていたような気がしなくもない。


 ……何を、視て?



「……………………」



 その時、遠くから車の音が聞こえた。


 視線を向ければ、遠くの方から近づいて来る古い外観のバスが見えた。

 これから私が乗る予定のバスだろう。じっと眺めている内にバス停の横に停まり、空気の抜けるような音を立ててその扉が開かれた。



「……、……」



 ゆっくりと立ち上がり、バスの中を見る。


 何の変哲もない、よくあるバスの内装だ。

 少し急な段差の先に乗車券の機械と精算機があり、その奥にある運転席から運転手のおじさんが私の方へ顔を傾けている。


 場所が場所だからか、乗客も二人ほどしか居ない。

 探している無表情も見当たらず、複雑な気持ちで息を吐き……ふとした窓越し、後方座席に座るゴツイ丸眼鏡をした青年と目が合って、なんとなくフードを深くした。



「……あのう、乗らないんで?」


「あ……乗り……ます。すんません」



 そうして観察していると、怪訝な顔をした運転手にそう急かされた。

 私は軽く頭を下げ「…………」一呼吸の間を置き、タラップに足を乗せた。


 背後でまた空気の抜ける音がして、軋みと共に扉が閉まる。


 ……どうしてだろう。

 問題は無い筈なのに。視える範囲に『異常』は何も無い筈なのに。


 私を引き留めるあかねちゃんの声が、鼓膜の裏にいつまでも残り続けていた。



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