「足の裏」の話(下)
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曰く。その男は、子供のころから己の皮膚を食べる癖を持っていたらしい。
何かの拍子でささくれ立った、指先の皮。お風呂に入った後の、ふやけた皮。
そういった物をぺりぺりと噛み剥がし、そのまま咀嚼する事がやめられなかった。
中でも踵の少し硬い皮が好物であったらしく、歩き難くなる事も厭わず踵に針を刺し、捲って食べていたようだ。
……そんな彼が成長し、性を意識し始めた時。その視線は、ごく自然に女性の足を追っていた。
好みの女性を見た時、顔や乳房よりも足に興味が向いた。
彼女の足の皮は、どのような食感なのだろう。どのような匂いがするのだろう。
その小さな興奮はやがて確固たる欲求に育ち、彼の心に根付いていた。
だが、その性癖は公に受け入れられるものではなく、それが満たされる事は終ぞ無かった。
彼の欲求は日々募るばかりであり――そしてとうとう、爆発してしまったのである。
「――いや、女の子に何聞かせてんのあんた」
自分でも驚く程トゲトゲした声で、その話を遮った。
するとインク瓶は電話の先で鼻を鳴らし、これまたトゲトゲした声を投げ返す。
『詳しく説明しろって言ったの、君だろ』
「いや言ったけどさ。言ったけども……えぇ……?」
車の後部座席。革張りの背もたれにぐったりと寄りかかり、呻く。
窓の外に流れる朝空を眺めるものの、先の話で抱いた気持ち悪さを払拭するには至らない。
私は車の運転手をちらと見ると、無断で窓を開けて外の風を取り込んだ。
――私が『足の裏』に追いかけられた一件から、既に五日が過ぎていた。
『足の裏』が爆散した後、気絶した私はインク瓶が手配した車に回収されたらしい。
目が覚めた時、私は自宅の布団に寝かされており、ボロボロの足は包帯でぐるぐる巻きにされていた。
見た目こそ重傷であったが、実際は皮が剥がれただけだ。
私の身体が常人より丈夫な事もあり、一日二日で杖があれば歩けるまでには回復していた。
そして一区切りという事で、療養中は先延ばしにしていた『足の裏』に関する説明をインク瓶に求めた結果、聞かされたのが先程の気持ち悪い話であった。ガッデム。
『――で、どうする? 僕としてはここで切っても良いけど』
「…………短く纏めて、スパっと」
『足の裏』については気になるが、だからって変態の嗜好を長々説明されたくも無い。
窓を閉めつつそう頼めば、インク瓶は小さく笑って頷いた。
『顛末として男は盗みを働いて、逃げる最中に車に撥ねられて亡くなったそうだ』
「……近くの靴屋で靴の中敷きを盗んだ人が居る、ってのは友達から聞いた」
『皮に見立てて食べてたのかな……ともかく、その撥ねた車は強いライトを焚いてたらしい。事故現場には、男の足裏の影がくっきり焼き付いてたなんて噂もあった』
「だから、足の裏……?」
私の足に執着し、その皮を食べ、そしてライトを嫌がる『足の裏』――。
その正体としてはこれ以上なく相応しいものだと思ったけれど、インク瓶は肯定せず、鼻を鳴らした。
『集めた噂や記録をそれっぽく繋いだら、そんな感じになったってだけさ。作り話の域は出ない訳だから、これこそが真実なんだと決めつけるのはよしてくれ』
その場しのぎの誤魔化しとも取れる言葉だったが、その声音は至極真面目なものだった。
彼はオカルトの背景を語る時、酷く慎重になる。気圧されるように、私もこくりと頷いた。
『それでいい。真実と定められた噂話は、そのうち妙な力を持ちかねない。こういうのは、何となく「ふーん」と流すくらいが一番だ』
「ん……まぁ、モヤモヤはそこそこ晴れたし、それで満足しとく。……ありがと、色々」
説明だけでなく、『足の裏』から助けてくれた事も含めた礼を言えば、忍び笑いが小さく聞こえた。
見透かされたのだろう。何となく気恥ずかしくなった私は、逃げるように通話を切り――その寸前、『ああ、ちょっと待って』と引き留められた。
「……なんだよ」
『いや、こっちからも聞きたい事があってね……君さ、最近不審者とかに逢ったりしたかい?』
「は?」
あんただが?
一瞬ヘタクソなジョークかとも思ったが、話し方からするとそういう訳でも無さそうだ。
「……なに急に。大切な事なの、それ」
『いや……前に僕が言った事、覚えてるかい。君が「常に見られている」状態にあるって話』
「変な出来事を引き起こすきっかけになりやすいってヤツだろ。だから目を逸らさずにどーのこーの、あんだけ言われたら忘れないよ」
うんざりと返す。
彼曰く、どうやら私は血筋からしてオカルトの――『異常』の呼び水となりやすい性質であるのだそうな。
私自身の行動、触れた物、そして抱く感情や向けられる視線の一つでさえ、『異常』に対しての強い刺激となり得るらしい。
とある事件でその傍迷惑な血が目覚めた際、そこら辺は何度も言い含められたのだが――と。そこまで思い出し、インク瓶の言わんとする事を察した。
「……え、まさかそういう事? マジで?」
『可能性の話さ。だけども……ねぇ?』
怪しい人を見たら、すぐに逃げなよ――インク瓶は労わるようにそう残すと、通話を断った。
嫌な話を聞いちゃったよ。
私は何とも微妙な表情を浮かべ、溜息と共に頭を抱えた。
五日ぶりに足を踏み入れた教室は、そんなに前と変わらなかった。
むしろ杖を携え現れた私こそが一番の変化である。驚くクラスメイトを適当に捌きつつ、自席で授業の準備を始めていると、向かいに女子が一人立つ。
「うあぁ、マジで足ケガしてる! だ、だいじょぶ? 杖使うほど悪いん?」
陸上部の友人だった。
いつもの明るい調子はなりを潜め、その表情には大きな心配が滲んでいる。
向き直り、安心させるように笑みを浮かべた。
「や、ちょっと痛むくらいだよ。傷は残んないって話だし、そんな心配しなくてもへーきへーき」
「なら良いんだけど……アタシと別れた後に事故ったんでしょ? お店誘わなきゃよかったって後悔ヤバくってぇ……」
呻くようにそう吐き出し、近くの机にぐてっと突っ伏す。
適当に軽い事故に遭ったという事にしていたのだが、結構な気苦労をかけてしまっていたらしい。何だか逆にこちらが申し訳なくなった。
私は彼女を励ますべく、更なる元気アピールを試みようとした。その時。
「……ん?」
ふと、友人の視線が下を向いている事に気が付いた。
足の怪我を見ているのだろうか――最初はそう思ったが、それにしてはどうも目つきがおかしい。
何というか、どこか熱っぽいような。
それでいて、どこか寒気を感じるものであるような……。
「…………」
私は、オカルトから常に見られ続けている。
そしてそれらは、私に向けられた感情や行動に乗っかる形で動き出す。
……インク瓶から聞いた話が正しければ、『足の裏』が動き出した引き金はロクでも無いものである筈だ。
そう、例えば……『足の裏』ゆかりの場所に彼と同じような性癖を持った奴が居て、そいつの情欲に刺激された――とか。
そしてタイミングからして、あのスポーツ用品店とそこに居た誰かが容疑者な訳で。
「…………」
足に巻いた包帯を直すフリをして、ちらと素足を曝け出す。
無論、ふくらはぎの無事な方。
私はそれをこれ見よがしにぷらぷら振り、すかさず友人の顔を窺って――。
「……ひっ」
――私の足を凝視するその形相と言ったら、もう。
容姿柄その手の視線に慣れている私でさえドン引く程のアレであり、身の危険を感じるまま物理的にもドン引いた。
「はぁ~……ケガしててもやっぱイイ足してんね~。今言うのもなんだけどさ、ほんとケガ治ったら陸上来てよ~。お詫びにシューズもプレゼントするからさ~、ね?」
「……え、遠慮しまーす……」
うっとり呟く友人から目を逸らし、懐の小瓶に指を這わせる。
私は鞄でそっと足を隠しつつ、再び逃げの算段を立て始めていた――。
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