異女子
変わり身
「足の裏」の話(上)
オカルトとは何ぞや。
そう問われた時、多くは『胡散臭い作り話』と答えるだろう。
技術発展の著しい現代社会。この地球上に蔓延るオカルトの多くは科学によって解き明かされ、万人が納得できる理屈の枠内で語られる。
魔法、呪い、占い、怪談、幽霊、魑魅魍魎の妖怪変化――そんなものは全てまやかし。
それらを信じてるのは子供か夢見がちな人で、普通の人は彼らを馬鹿だと笑うのだ。
かつての私もそうだった。
霊感があると嘯くクラスメイトを鼻で笑い、くだらないと切り捨てる。そんなヤな奴だった。
正直、色々あった今でもその反応は間違っているとは思っていない。
自分から霊能自慢をする奴にロクな奴ぁ居ないのだ。少し前にソイツがやらかしたアレコレでそれは身に染みているし、むしろぶん殴ってでも止めてやるべきだったとも思っている。
……ただ、まぁ。
「――ちょっとくらいは話聞いて、知識持っとくべきだったよなー……」
完全に陽が落ち、人気も無くなった夜の道。その隅っこ。
電灯が切れかけているのか、明滅を繰り返す自動販売機の上に蹲り、私は愚痴と一緒に溜息を吐く。
上から道の先を窺えば、そこには夜闇だけが広がっているように見えた。
……でも、違う。よく見れば、地面には小さな影が幾つもある。
人の足の裏みたいなそれらは、見ている内にも更に数を増やし続け、ひたりひたりと私の隠れる方角へ近づいてきて――。
「んひぃ!?」
衝撃音。突然、自動販売機が大きく揺れた。
おそらく、『足の裏』に蹴られているのだ。
バンバンという衝撃は何度も続き、自動販売機もグラグラと前後に振れる。
「ちょ、待っ、ぬおおおぉぉぉ……!」
焦った私は身体全体で自動販売機を抱え込み、落っこちないよう必死に踏ん張る。
そうして乙女の尊厳を捨てた叫びを上げ、そのまま暫く耐え忍び――やがて、激しく明滅していたライトがパチンと安定を取り戻す。
散々に叩かれ続けて、配線がいい感じにアレしたのだろう。
同時に衝撃と音も止み、周囲に静けさが戻り。すぐ傍にまで迫っていた『足の裏』も、いつの間にか綺麗さっぱり消え去っていた。
「……ひ、ひっ、ひっ……」
無意識の内に喉が鳴る。
無論笑いなどでは断じて無く、恐怖から来るひきつけである。
そう、今の一幕で分かって貰えると思うが、私は現在進行形でオカルトの襲撃に遭っている。
これをまやかしと笑い、くだらないと吐き捨てていた頃の私は何と幸せな馬鹿野郎であったのか。
乱れる呼吸を必死になって整えながら、私は無知で無力な自分に向かって毒づいた。
1
経緯を話そう。
その日、学校での授業を終えた私は、友人と共にスポーツ用品店に訪れていた。
陸上部期待の星である彼女はシューズの買い替えを予定しているらしく、私はそれに無理矢理付き合わされたのだ。
「……こういうとこで買いたいのとか、別に無いんだけどなぁ」
「タマ吉、全身真っ白けだけどおひさま平気なんだろ? 運動神経メチャ良いんだからさぁ、アタシとお揃いの靴で走ろうぜ~?」
「ヤだよ、ガチのスポーツとかやる気無いって知ってんじゃん」
どうも彼女は私の素晴らしき健脚に目を付けているらしく、隙あらば陸上部へと勧誘してくるのだ。
今回この店に連れて来たのも、まずは道具から興味を持って貰おうという狙いだったのだろう。
押し付けてくるシューズを素気なく押し返せば、彼女は渋々と引き下がった。
「ちぇ。まぁでも、お店見てる内に気が変わるかもしんないしさ。アタシの用が済むまで試しにぐるっと見てきなって、ね?」
「えー、マジで興味ないん……って、居ないし」
彼女の指さすまま展示されているシューズを見回していると、気付けば一人取り残されていた。
相変わらず強引な娘である。私は小さく溜息を吐き、彼女の言葉に従って手近な一足を手に取った。
「……いや、善し悪しとか知らんて」
結構なお値段がする辺り、良い素材を使ってはいるのだろう。
しかし私にはどこが優れているのかよく分からず、すぐに棚に戻して店内をぶらつく事にした。
と言っても、並んでいるのは撥水ウェアや筋トレ用品ばかりで、私の興味を引くような物は何も無い。
数分後には散策も止め、休憩スペースにてぽちぽちとスマホ弄りに精を出していた。
「まーだ、かかんのかなー……」
適当に買ったジュースをズコズコ啜りつつ、シューズの試着をしている友人を眺める。
今日は特に用事もなく、暇を持て余していたので付き合うのは構わないのだが、徹頭徹尾興味の湧かない空間に居続けるというのも辛いものがある。
……いっそ彼女の目論見通り、興味を持てそうなスポーツでも探してみる?
悪すぎる居心地にそう血迷った私は、再び店内を散策しようと立ち上がり――。
「……んぉ、っと?」
上げようとした足が、動かなかった。
まるで、靴底が床に張り付いたかのよう。靴を脱ぎ、素手で引っ張るがビクともしない。
接着剤でも踏んだか?
それほど愛着も無い学校指定のローファーだが、この場で使えなくなるのはとっても困る。
徐々に焦り、どうにか床から引き剥がそうと苦心して――突然あっさりとすっぽ抜け、入れていた力のまま転びかけた。
「うわっととと……と?」
そうして露になった、靴が張り付いていた場所。
そこに、小さなシミが浮いていた。
ぐずぐずと、どろどろと。
どす黒く蠢き濁る、二つ並んだ足の裏。
誰の物かも分からず、ただ人間の物とだけ分かるそれらは、私の見ている前で床に吸い込まれるように消え去った。
「…………」
……明らかな異常現象ではあったが、見間違いとは思わなかった。
その時私の心にあった物は、大きな恐怖と少しの諦観。
ああ『また』か、と。そう思っていたのである。
*
三週間と少し前、私はとあるオカルトに巻き込まれた。
あの時何が起こっていたのか、アレが私に何をしたのか、正確な所は未だに把握していない。
確かなのは、あの日を境として私の日常にちょくちょく『意味の分からないもの』――オカルトみたいな『異常』が割り込むようになった、という事だけだ。
幽霊だか妖怪だかも定かでは無いそれらは、通り過ぎる小鳥のように人畜無害な物から、牙を剥く猛獣のように有害極まる物まで多岐に渡る。
さて、今回の『足の裏』は一体どちらなのだろう。
叶うならば小鳥タイプであって欲しいが、あのどす黒い濁り方は猛獣タイプである気がしてならなかった。
「何だ、結局靴も何も買わなかったのか……」
「うん。やっぱ陸上とかあんまりな~って、はは、は……」
友人の買い物も終わった帰り道。私の足を見ながら零されたボヤきに適当な返しをしつつ、背後を見る。
すると、少し離れた場所の地面には例の『足の裏』があり、明らかに私達の後をつけていた。
(ああぁぁ……ほんとヤダ、ほんっとヤダ……!)
人の姿が無いまま、ヒタヒタと『足の裏』だけが刻まれ続ける光景は酷く不気味であり、私の恐怖をよく煽る。
今すぐにでも全力で逃げ出したい所であったが、友人の存在がそれを許さない。
短絡的な行動は、自分では無く周りを危機に晒すのである。
「……どした? 後ろに何かあんの?」
友人の目が背後を向くが、『異常』を視認できる人間は限られている。何も見えず首を傾げる彼女に、私は何でも無いと首を振った。
「それより聞きたい事あるんだけどさ……さっきのお店、前に何かあった?」
「うん? どゆこと?」
「いや、床にね、黒いシミが広がってるとこあって。何かぶちまけたんかなーって」
今回の『異常』の原因は、間違いなく先程のスポーツショップにある筈だ。
ふんわりカマをかければ、友人は怪訝な表情で首を傾げ、
「ん~、店員さんは特に何も言ってなかったけど――ああでも、ちょっと前に不審者が出たみたいな話は聞いたかな……?」
「……誰か死んだ? その血とか?」
「いや殺人とかじゃなくて、何か売りもんの靴の中敷きが沢山盗まれてた事があったらしい」
「は? え、高く売れたりすんの、そういうの」
「まさか。女児用とか女性用の靴ばっかりって話だから、そういうアレだったんじゃないか?」
変態じゃねーか。それもすげー特殊な性癖のやつ。
何かもう聞きたくなかったが、嫌々ながらも先を促すと、友人は困ったように顎を擦った。
「いやアタシも店員さんからちょろっと聞いただけだし、詳しくは知んないよ。後はまぁ……その犯人が店から逃げる途中で事故って死んだ、とか聞いたっけかなぁ」
「結局死んでんじゃん……!」
事件の内容といい犯人の顛末といい、明らかに『足の裏』との関係性が窺え、ゾッとする。
友人は静かに青ざめる私に気付く事無く、私の足をじろじろ眺め、
「靴の中敷きだけ集めて死ぬとか、報われないよなー。実際に興味あったの、ナマ足だろうに」
「その同情いる?」
その変態の無念が形を成したとでもいうのだろうか。
色々と危険度の上がった気のする背後の気配に、私はビクビクと警戒を深め――やがて家路の分かれるT字路に差し掛かった時、友人の手が小さく振られた。
「そんじゃ、また明日な。入部届は朝イチで出しといてくれよな~」
「だから入んねっつーの。んじゃね」
手を振り返し、平静を装って見送った。
『足の裏』は動かない。
鼻歌混じりに去っていく友人に付いて行く様子も無く、狙いは私だけなのだと察する。
「…………」
無言。
私と『足の裏』しか居ない道端に、少しずつ嫌な気配が増していく。どろりと濁った、ヘドロの匂い。
本当は今すぐにでも友人を巻き込み、恐怖を共有したかった。
でも、そんな事をしたって誰も救われない。二人揃って酷い事になるだけ。
泣きつくべきは、別に居る。
「…………」
スマホを取り出し、そいつの番号を呼び出した。
私はあいつが嫌いだ。でも、こうなった以上は仕方が無い。
背後への注意を切らさないまま、応答を待つ。
一回、二回、三回、四回。続くコール音に苛立ちが募り、息が震える。
何してんだ、早く出ろよ。早く、早く、早く……早くっ。
そうして焦りに胃を絞り上げていると――やがて、ぷつりとコール音が途切れた。
やっと繋がった。私は安堵に息を吐き、通話先の彼に泣き言を叩き付け――。
『――かかと、ちょうだい』
――あいつじゃない。
耳元で聞こえた知らない声に凍り付いた瞬間、背後で地を蹴る音がした。
「っ――」
思わずスマホを取り落とした。でも、拾っている暇は無いと本能的に悟る。
勢い良く迫るヒタヒタ音に総毛立ち、一拍遅れて駆け出した。
「ヤだ、うそ、うそでしょっ……!?」
反射的に鞄を投げつけるが、シミ相手では何の意味も無く。
私は声にならない悲鳴を張り上げ、自慢の健脚でオカルトとの鬼ごっこを開始したのであった。
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