第42話 境界線 5【G2-5】

 その晩、あてがわれたホテルに戻ると、二人はたっぷりとシャワーを浴びて、食事をゆっくりととり、資料には目を通さず、そのままベッドに向かった。おやすみ、と言葉を交わすと二人は泥のように眠った。



 聡司が目を覚ますと、いつもと同じ和装姿の彩芽が電気ポットの説明書を読んでいた。聡司は寝坊したか、と時計を確認するが朝の7時だ。寝坊どころか予定よりはやい目覚めだがあまり眠りすぎるのもよくない。


「おはよう、彩芽」

「おはよう。よく眠れた?」

「よく眠れた。長旅と情報の洪水で疲れてたみたいだ」

「わたしも同じかな。ぐっすり寝てた」

「目覚ましに熱い茶を飲もう。手伝うよ」

「ありがとう」


 そんなやり取りをしながら、二人は淹れたての茶をすすりながら、今日の予定を考える。部屋の中にこもって資料に目を通すよりは、長距離の旅をしたのだから街歩きしながら考えたい、という結論になった。ホテルの近くには緑の多い大きな公園もあれば、ショッピングモールなどもあった。飲食店も充実しており、暇をすることはなさそうだ。朝食を軽く済ませたあと、行きたい場所のリストを端末に保存して、二人はホテルを出た。



 通りを歩くと営業を始めた店や準備している店がある。通勤のピークは過ぎたのか、私服姿の人々で通りはにぎわっていた。はぐれないよう聡司が彩芽に手を差し伸べると、彩芽は握り返して、


「街が目を覚ましていくよう」


 彩芽の感想に聡司は頷く。街が活気づいていくこの時間は聡司も好きだった。まだ時間はあるので二人は変わりゆく街を歩いていく。

 窓越しに飾られている服やカバンを見て似合いそう、かわいい、値段が、などと他愛もない言葉を口にしながら通りを抜ける。そのころには心地よい疲労が身体を包んでいた。時間も少し早いが昼にはちょうどよさそうだった。


「今のうちにお店に入ろう」

「少し、はやくない?」

「混雑してからだと困るからね」


 候補のひとつであるイタリアンのお店に二人は入る。店員に店内かテラス席がよいか聞かれると、彩芽は日の光が楽しみたい、といった。店員は快く、テラス席へと案内してくれた。


「こんな感じなんだね」


 席に座ると目立たないようにあたりを見渡す。金属製のフレームの椅子と大きなパラソルが備え付けられたテーブルが等間隔で並べられている。クッションは生地が丈夫だが、十分に綿がつまっているらしく、座った身体を程よく包んでくれる。


「これは、ちょっと冒険したかもしれない」

「冒険?」


 怪訝な表情で彩芽は聡司を見つめる。彼はメニューを手に取って、内容をよく確認してから、ほっとした調子で、


「そうでもないかもしれない」



 ずしん、と低い音が響く。何事だ、とテラス席から立ち上がると、人が波を作って走ってくる。聡司の端末が、ほかの人々の端末が警報を鳴らし始めた。


「噂すれば影か」


 ようやく、聡司が状況を飲み込んだころには、彩芽は席から離れ、音のほうに向けて蝶を放っていた。彩芽は聡司のほうを振り返り、


「ええと、宝城さんに連絡とって。わたしは、前に出て引き付けるから」

「わかった。君が大暴れしてもいいようにしておくよ」

「大暴れは、しないから」


 その台詞を置き去りにするように彩芽は大きく跳躍。放物線を描き、パニックを起こした人波の向こうへ消える。聡司は端末で宝城を呼び出す。


「今、魔法乱用者が――」

『だいたいは知っている。対応チームが急行中だ。が、3分かかる』

「3分……僕らで時間を稼ぎます」

『ぶっつけ本番だが頼んだよ』


 いつの間にか胸元にとまっている青い蝶に向かって話しかける。


「許可は得た」



 男を中心に殴ったような跡があちらこちらにあった。建物の壁、看板、ガラス、アスファルト、街路樹などなど。破片の飛び散り方から考えると、男の疑似魔法は殴った時の衝撃を任意の位置で発生させるもののようだ。人にあたった形跡がないことに彩芽は安堵した。


「……なんだ、お前は」


 不意に男が問いかけてくる。なんだ、と聞かれたのなら名乗ればいい、と彩芽は、


「はじめまして、弦本 彩芽です」


 名乗り、深くお辞儀する。男は返事として無言で拳を飛ばしてきた。顔をあげた彩芽の顔面に力が飛び込んでくるが、手前でそれは風にそよぐ草の音に消えた。男は取り乱さずに右と左の拳を放つ。その衝撃を遠くに飛ばすのが彼の魔法だ。しかし、打撃は透明な壁にぶつかり、草や色とりどりの花びらが散る。守りに問題がないことを確認した彩芽は男に向かってゆっくり歩く。


「待て、なんだ、お前は……」


 彩芽は答えない。


『テクニックジェネレータを狙え。光を放っているアクセサリだ』

『どうすればいい?』

『外すか、壊すかすればいい。壊すのに力はいらないはずだ』

『わかった』


 男を見ると、左右の手首のリングに埋め込まれた宝石が赤い光を放っている。リミットが制限されている証だ。彩芽は足を止め、自分の後ろに蝶を放った。物陰を通して蝶たちが男に向かって飛んでいくが、パニックを起こしつつある男は気づくのが遅れた。気づいた時にはもう遅い、両手首に蝶が止まり、口吻をジェネレータに突き刺す。同時にテクニックジェネレータがぴし、と音を立てて崩れていく。


「な……」


 彩芽が近づいても男は何も抵抗はしなかった。立ち尽くす男の横に彩芽も立って、対策チームが到着するのを待つことにした。


「少し、お話しませんか?」


 男はまわりには聞こえない声で何かを言った。意味を理解して彩芽は微笑んだ。

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