第2話
「いや、本当なんだって!」
放課後。遅刻の件でこっぴどく叱られ終えた二人は部室へ向かっていた。
その途中、ユウの嘘のような本当の話にエイジは聞く耳を持たずにいた。
「そりゃ、ルミちゃんを俺に取られたくないのはわかるけどさ。まさかそんな嘘をついてまで彼女を悪く言うような奴だとは思わなかったぜ。後、嘘つくならもうちょっとマシな嘘つこうな」
ぽんと肩を叩かれたユウはその場に立ち尽くし、過ぎ去っていくエイジの背中をぼおっと見つめる。
確かに心の声が体に現れるなんて馬鹿げた話、自分がエイジの立場なら簡単に信じないだろう。だとしたらどうすれば信じてもらえるのか。有耶無耶な気持ちになりながらも、見えない出口を探すようにしてユウは再び歩き出す。
先に部室の前に着いたエイジはドアを開けようとしたとき、丁度目線の辺りの高さについた正方形のすりガラス越しに二人のシルエットを捉えると、ノブを捻る手をピタリと止めた。
一人は同じ部員であるルイであることは確定だとして、あともう一人……。
「……まさか」
エイジの頭に学校一厳しいと言われる生徒指導部長の顔が過る。バレれば即退学をも免れない持ち込み禁止物のオンパレードであるロッカーの中身を見られたら……。考えただけで息が詰まりそうになる妄想が現実になるように、すりガラス越しに一人がロッカーの方へ歩いて行くのが見える。
エイジは慌てて大声を上げながら凄烈な勢いでドアを開いた。
「ちょっと待ったぁぁぁぁぁぁ──! って……、へ?」
「……」
見覚えのある綺麗な黒髪を目にしたエイジは、叫声を一瞬にして素っ頓狂な声へと変え、何故かそこにいたルミは驚いた表情で振り返った。
一瞬にして場が凍り付く中、中央に無造作に寄せられた三つの机の内の一つに座り、持参のノートパソコンで作業をしていたルイはタイピングの音だけが無情に鳴り続ける。
「一体、何を待つというのか」
その凍り付いた場の上をスーッと滑らすように言葉を吐いたルイは、掛けていた眼鏡のブリッジをくい、と上げ、再びタイピングに戻る。
「あ、いや、その……。っていうか、何でルミちゃんがここに⁉」
「彼女は僕たちの演奏を聴きに来た。どうも自己紹介の時ににえらく自己主張が強い人間がいたらしく、そいつに興味を持って来てみようと思ったみたいだ」
エイジはふと空席の机の上にあった紙に目をやると、そこには整った女性の筆跡で今まさにルイが言った旨が書かれた紙が置いてあった。
そこへ事情も知らず遅れて入って来たユウは、エイジ以上に驚きその場に直立する。
「な、なんで増田さんが」「いやぁ、これは失礼致しましたレディ。今すぐに準備いたしますので、もう暫くお待ち頂けますか?」
困惑するユウをよそに、プロポーズするかの勢いで跪き、怜悧な眼差しでルミを見上げるエイジ。
それにルミは慣れたように満面の笑みで応えた。左腕に言葉を添えて。
『ほんと、扱いやすい男』
「あ……」
全く状況が掴めないまま茫然と立ち尽くすユウに、すかさずエイジの檄が飛ぶ。
「何突っ立ってんだ、演奏だ、演奏!」
気がつけば、理路整然な理由でしか動かないルイでさえ既にベースを担ぎ、黙々とチューニングを行っている。ユウはその行動を不可解に思いながらも、ドラムスローンに腰かけ、ドラムのチューニングを行うエイジに駆け寄り、ダメもとでルミの左腕を指差した。
「ほらエイジ、あの左腕のとこ……」
「お前まだそんな言ってんのかよ。いいから早くチューニングしろ。ルミ様を待たせんじゃねぇよ」と顔を向ける素振りすら見せなかったエイジの断固たる姿勢に、半ば諦めるようにして訳も分からずギターを担いだ。
「曲は?」
「こんな美人が観客なんだぞ。あれしかねぇだろ⁉」
そう意気揚々と言い終わると同時に、右スティックで二度叩かれたハイハットシンバルを皮切りにフィルインが始まる。そのイントロを耳にしたユウは反射的にコードを抑え──それまでの有耶無耶を薙ぎ払うようにして弦を弾く。
アンプから飛び出す音がユウの体を纏っていく度、乗り気ではなかった気分が掻き消されるように高揚していく。それは発足当初からユウの切実な希望により、何百回と練習を重ねてきた曲であった。
「涙の中にかすかな灯りがともったら」
目を瞑ったユウは考えずとも口が覚えている歌詞を、手紙を綴るようにして紡いでいく。
その第一声の歌声を聞いたルミは息を止め──気が付けば演奏以外の情報を全てシャットアウトするように目を閉じていた。
ユウの歌声は他の同世代男子の平均よりは高かったものの、今のロックバンドのトレンドがそうであるような、若者が好む中性的な歌声ではなかった。が、ユウの歌声にはそのどんなアーティストたちにもない哀愁と、それを矛に自分と外界を隔てる見えない壁をぶち破り、直接心に語りかけるような力強さが同居していた。
そしてその歌声を一身に浴び、例外なく心打たれたルミは、無意識の内にユウの声を追うようにして歌詞を唱える自分がいることに気づき──同時に心の中で一つの強い願望が芽生えていた。
無我夢中のまま演奏を終え高揚感に包まれていた三人は、いつものように余韻に浸る間もなく、ルミの反応を伺う。するとルミは、机の上に転がっていたボールペンを徐に手に取り、紙に執筆を始めた。
<入部したいんだけど。サイドギターとして>
てっきり曲の感想だと思った三人は一瞬拍子抜けするも、興奮冷めやらぬ様子のエイジは即座にドラムスローンから立ち上がり、高揚そのままに返事を返す。
「も、もちのろん‼ 大歓迎だよ‼ ツインギターの方が幅広がるし、何よりこのバンドの華がもう一つ増えるし! お前等もいいよな⁉」
「僕は一向に構わないが」
「ユウも、もっと部員欲しがってたもんな⁉」
「え……、まぁ、そりゃそうだけど……」
「いよーし、決定! 改めてようこそ、我が軽音部へ!」
そう言いながら、じゃれあう中学生のようにエイジはユウの頭をくしゃくしゃと乱暴に撫でる。
部室に入れば、なぜか転校生がそこにいて、訳も分からず演奏し、たった今、その転校生の入部が決定した。その自分の理解の範疇を超えたスピードで巻き起こる現実にユウは感情が追い付かない。
ルイもきっと同じはずだと思い目をやる。しかしそこにあったのは、いつも通り飄々とし立ち尽くすルイの姿だった。
そんな男性陣を横目にルミはペンを握る。
<突然なんだけどさ>
相変わらず綺麗な筆跡で記された文字。気になるその続きを促すように、エイジは小刻みに首を立てに振る。
<君たち、プロになる気はある?>
「「「……え?」」」
全く予想もしていなかった角度から飛んできた唐突な問いに、三人は鳩が豆鉄砲を食ったような表情を浮かべる。先程まで何食わぬ表情だったルイまでも。
「プロって、つまり……」
<自分たちの演奏でお金を稼いで生活していくの。高校卒業した後も、死ぬまで一生ね>
言葉選びと先程までとは違う力強い筆跡。そして何より、毅然たる表情から揺るぎない信念が垣間見えると、自然とエイジの表情も引き締まっていく。
「いやぁ、俺のドラム捌きが心に響いたのはわかるけどさ。さすがに俺たち、そこまで真剣に音楽やってないっていうか……。それにプロのミュージシャンとして生きていくの結構厳しいって聞くよ?」
美女を前すれば無条件でイエスマンになるエイジもさすがの無理難題に難色を示すと、ルミは徐に鞄からスマホを取り出し一枚の写真を表示する。
「い、いつそれを……」
そのロッカーの中が激写された写真を見たエイジの顔は徐々に青ざめていく。
「お前さんが来る前だ」
「来る前って、いたなら何で止めなかったんだよ⁉」
「何が入っているか聞かれ、何が入っているかがわからなかったからだ。開けて正解だったよ。開けないと説明できないものばかりだったからね」
「こいつ……ッ!」
不毛な言い争いを背にルミは鞄を肩にかけ、颯爽とドアの方へ向かう。
「ちょ、ちょっと待って! ……俺、プロになります! プロになって、ルミちゃんの欲しいもの全部買って上げられるぐらいビックになります! お前らもそうだよな⁉」
半ば半強制的に放った宣言により足を止めたルミは、不自然に作られた満面の笑みで振り返り、三人の前まで戻る。
<ルイ君は?>
「僕は結構。卒業後は大学に行ってやらなければならないことがあるからね」
「は、薄情者っ! 俺の高校生活がどうなってもいいのかよ⁉」
「僕には関係ない。第一、そんなもの大量に持ち込んだ自分が悪いことを理解してもらいたい所だが」
「くぅ……っ」
涼しい顔で正論を叩き込まれたエイジはぐうの音も出ない。
<そっか。じゃぁ、あの話はなしってことで>
しかし、さらっと書かれたその一文で、その余裕に溢れた表情が目に見えて変わっていく。
「それとこれとは話が別では……」
<残念。あれ、もう廃盤なのに>
「ぐぬぬ……」
脳内で起こる激しい葛藤。次第に額から垂れる汗。同時に崩れていく表情は、一年の月日を共にしてきた二人でさえ初めて見るものであった。
「や、やらさせて頂きます」
「ちょっ、ルイまで……」
狙った獲物を次々と自分のものにしていくルミは、最後のターゲットに照準を合わせる。
<で、君は?>
本能的な危機感を覚えたユウは、自分だけは飲み込まれまいと咄嗟に視線を逸らし、深く息を吸う。
「そんなスケールの大きい話、急には考えられないよ。もしなれたとしても、ずっとそれだけで食べていけるとも限らないし。というか、そもそも何で増田さんは──」
甘い匂いが鼻を撫でると同時に、口に当たった何かに言葉を遮られる。
「……」
コンマ数秒遅れ、自分の視界の全てがルミで埋め尽くされていることを知る。
そして自分の口を塞き止めているそれが彼女の唇であると認識したとき、ユウの思考回路は完全にショートした。
その刺激的且つ猟奇的な光景を目の当たりにしたエイジは口をあんぐりと開け、直立不動のままゆっくりと後ろに倒れる。
<一億だから>
唇を離した直後、平然とした顔でそう書き記す。
「……え」
<私のキス代、早く返して>
「キス……代?」
<払えないなら貸ね。で、今から私が時給一万円で雇ってあげる。これであなたの一億時間は私のもの。でしょ?>
あたかもその契約が正当なもののように言ってのけるルミ。
対し正常な判断能力を奪われていたユウはゆっくりと頷き、告げられた世界一不当な契約に無意識のまま判を押した。
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