勇者ヒーロー物語 〜三嶋幸樹の章〜

IZA

第1話 三嶋幸樹という勇者

 御使い


使者を意味する語であり、キリスト教では主の使いとある。日本語訳聖書にはこの語を採用しているものもあり、神から与えられた使命を忠実に果たすのが彼らの役割である。

そしてその役割を担っている人々が、現代にもいた。


「ふんぬぬぬっ!」

雨井陽歌は一人、自身が愛用していた玩具を乗せた三方の前で唸っていた。

そこに彼女の幼馴染である三嶋幸樹が通りがかった。

この当時二人は未だ齢十二歳、小学六年生である。

尋常でない幼馴染の様子に幸樹は思わず声をかける。

「ヨウ?どうかしたのか?」

「こうちゃん…今、集中してるから…!」

あぁ、そういうことかと幸樹は腑に落ちた。

そしてまたか、とも思っていた。

彼女のこのような奇妙な動作は一カ月以上に及んでいた。

見かねた幸樹がまたぞろ声をかける。

「才能無いんじゃね?」

「うるさいなぁ!」

堪えきれなくなった陽歌は立ち上がり幸樹の方を睨んだ。

邪魔された事と侮辱された事が余程腹に据えかねたのか、地団駄を踏みながら憤った。

「吉祥会の人間が!才能無いなんてありえないから!」

「俺だってそうだし、神様に見初められるかは関係なくね?」

「じゃあ才能無いとか言って邪魔しないでよ!」

陽歌はひとしきり言い切ると再び三方の前に座り直し唸り始めた。

「なーヨウー」

幸樹の声に今度は反応することなく、陽歌はひたすら座禅でも組むかの如く座して微動だにしなかった。

もう誰の声も聞こえていないのだろうと思い幸樹はその場を後にする。

「あいつも諦め悪いというかなんというか」

幸樹は廊下を歩きながら一人呟いた。

「しっかし献上式ってそんな難しいもんなんかね?てっきりあっさり終わるもんだと…あれ?」

幸樹は特訓場で真剣を振るっていた男を見みかけた。

彼より四つ程年上で兄貴分のような男、木平修三だった。

「修さーん!」

幸樹は小走りで彼の傍に駆け寄る。

修三は幸樹に気づくと刀を鞘に納め息を整え振り返った。

「幸樹。壮健のようでなによりだ」

「修さんも。遠征終わったんですね!」

「あぁ。長旅だったが、これはこれでいいリフレッシュになるぞ」

修三は二週間程度、御使いとしてのお役目を果たすため出張していた。それが昨日終わったので今朝方帰ってきたところだった。

修三は幸樹の頭を雑に撫でる。

「なんだか見ないうちに男前になったか?」

「うぉ、たった二週間じゃ変わりませんて!」

「はっはっは!お前もそろそろ誕生日が近いだろう?欲しい玩具とかあるんじゃないか?」

「あ!じゃあこの前CM見たかっけーのがあるんです、それ欲しい!」

「よし!いい子にしてたら俺が買ってやろう」

「やり!」

無邪気に喜ぶ幸樹の頭を再び修三は撫でる。

血の繋がった兄弟ではないが、幸樹は修三に懐き修三はそんな幸樹を実の弟のように可愛がっていた。

「そう言えば、陽歌の献上式はその後どんな様子だ?」

「さっきもやってたんですけど、うまくいってないっぽいんですよね」

「まぁ献上式は大抵失敗するものだ。半分以上の人間は最初は上手くいかないもんだぞ」

「え!?そんなに?」

「あぁ。だからな、幸樹。お前ももうじきだろう?もし失敗しても落ち込むことは無い」

修三は幸樹を励ます意図でそう言ったが、幸樹は先程までの陽歌の事を気にしていた。

「で、でも陽歌のやつはもう一カ月近くやってますよ?」

「こればかりは人によりけりだからなぁ。一発で成功する奴もいれば一生成功しない者もいる。まぁ長い目で見るしかあるまい」

「そういうもんですか…。あの、修さんの時はどうでした?」

「うん?ふふっ、俺か?俺はなぁ…」

修三は足元に置いてあった鞄を持ち上げると、したり顔で幸樹の方を向いた。

「一発だ」


 献上式

御使いには特別な力があった。

或いは、その力こそが御使いを御使いたらしめているともいえる。

献上式とはその力を得るための儀式である。

吉祥会という組織に属する人間の一部は十二歳を迎えるとこの儀式を行い御使いとなる。

「で、あるからしてぇ、御使いとなるためには献上式は非常に重要である故それを努々忘れることなきよう邁進に励み──」

「話なげーよじっちゃん」

「黙らっしゃい!」

自室に戻った幸樹は祖父の話を聞き流し携帯ゲームで遊び始めた。

見かねた幸樹の祖父・三嶋春行は盛大にため息を吐いた。

「はぁ~ぁ、わかっておるのか幸樹。献上式は、いわば天井におわす神々との唯一の交信の儀でもある。我らの信仰心と共に大切な物を神様に捧げ、その報いとして慈悲深き神様がお恵みを下さる、ありがた~い、大変ありがたぁ~~い──」

「それもう百回は聞いた」

「これで八十七回目じゃバカ者!」

(律儀に数えてんじぇねーよ)

春行の怒声にも幸樹は全く動じずゲームに没頭していた。

この光景も八十七回ほど繰り返されている。

「幸樹。お前ももう十二だろう。いよいよ献上式が近づいとる。献上式が近いということは、御使いになる日も近い。つまりお役目を果たす日が近づいとると言うことじゃ」

春行は重く、そう告げた。

こう語る彼もまた、御使いの一人である。

彼は既に六十年近く御使いとしての任を続けている。

御使いのお役目は、御使い達本人にしか知ることはできない。

「儀式が成功すると踏んでお前にはあらかじめ言っておこう。御使いのお役目とその歴史は、お前が想像するより遥かに重く険しい。おまけに世間の誰からも理解されぬ。だがな、幸樹」

春行は幸樹の傍まで近づくと肩に手を置き、静かに言った。

「迷うことだけはあってはならん。お前が守りたいもの、守るべきものを常に考え続けろ。それが生き抜く唯一の方法だ」

「なんか、哲学みたい」

「御使いとしてお役目を果たし続けていれば嫌でも考えるようになる。お前の父親もそうだったからな。ま、今のお前にはまだ早いだろうがな」

春行は立ち上がると静かに部屋を出て行った。

幸樹は春行の言葉を理解はしているが腑に落ちてはいなかった。

それは彼が未だ御使いとしての役割を何も知らないこともあるが、最も大きな要因は、幸樹は一度も他の子供達が当たり前に通っているような学校に行ったことが無く、世間を全く知らないことにあった。

幸樹は、吉祥会の外の世界を知らない。

生まれてからずっと吉祥会に属し、勉学も修行も一般常識も全て吉祥会が用意したカリキュラムに従って教え込まれていた。

だからこそ、幸樹は春行が口にした「守るべきもの」がなんのことなのかわからないままでいた。

「守りたいものはまだしも、守るべきものなんて何?っつー話なんだけど…」

幸樹がそう呟いても、その部屋には既に誰もいない。

虚しくゲーム音だけが響いていた。


 幸樹の父親は御使いだった。

だが幸樹が生まれて間もなく父親はお役目の途中で命を落としたため、幸樹は父親の顔を写真でしか知らない。

子供だからと死に瀕した際の詳細も教えられず、ただ立派であったと口伝されたのみである。

故に幸樹にとって御使いとは、そしてお役目とはよくわからないが恐ろしいもの、落命する可能性のある危険なものという印象しかない。

先ほど口うるさかった祖父春行もお役目は尊いもの、立派なものと漠然としたポジティブイメージしか話さないためやはり詳細はわからない。

生を受けて十一年と十一カ月が経ち御使いが多くいる環境で育ってきたにも関わらず、幸樹は御使いの事をほとんど知らない。

いや、むしろ世間から断絶された環境下で育ってきたため世の子供達より物を知らないと言ってもいいだろう。

義務教育の必要最低限のことを教えられたのと、多少の玩具を買い与えられたことを除けば幸樹や陽歌を含む吉祥会の子供達は全員似たような境遇だった。

(俺もあと一ヶ月、かぁ…)

だが、十二歳になると献上式を行う資格を満たす。

儀式を成功させ晴れて御使いとなれれば、お役目を果たすため御使いや吉祥会に関わる詳しい内容を学校の授業と似たような形式で習っていくことになる。

幸樹は、十二歳になるその日を待ち望んでいた。

父親が何故死んだのか。

御使いとは?お役目とは?吉祥会とは?

何も知らないまま俗世から離れた環境に身を置く生活に違和感を抱いていた彼にとって、献上式は別の意味で重要な儀式だった。

(絶対成功させて見せる!)

幸樹は決意を固め、床に就いた。


 幸樹の一日は六時に起床するところから始まる。

始めに作務衣に着替え隣接する吉祥会所有の寺、吉祥寺に赴き自身の持ち場に着くと三十分ほどかけて掃除を行う。

掃除が終わった後は朝課がある。

本堂に集まると釈迦に対する供養の経、仏教の神々への諷経を約一時間かけて行う。

その後食堂に集まり、精進料理を食してからそれぞれの務めを果たす。

幸樹や陽歌のような学生は講堂に集まり授業を受ける。

無論他の生徒も講師も全員吉祥会所属の人間だが、授業の内容は世間一般の学生と同じく義務教育を学ぶ。

大人たちの場合は御使いであるかどうかで日中の活動内容が変化する。

御使いであれば御使いとしての使命を果たし、そうでない者は作務や日中諷経、吉祥会の運営に関する事務作業などにそれぞれ従事する。


 吉祥会の特徴として、年齢の幅広さが挙げられる。

幸樹や陽歌のような小学生から、春行のような高齢者まで年齢問わず一堂に会し先程までの一連の務めを果たしている。

吉祥会は大乗仏教の一宗派から派生した宗派だが今では独自性が強まり既存の宗派とは毛色の異なる教学を持っていた。

所属する人間の年齢層の広さもこうした独自性に由来していた。

吉祥会に所属する人間は外部の人間が出家する場合と、元々吉祥会所属の者が子供を授かる場合のどちらかが大半であった。

幸樹と陽歌は両者とも後者のパターンで、生まれたときから吉祥会の人間として育てられてきた。

故に二人とも仏教思想の持ち主なのだが、必ずしも将来の進路が住職であるかというとそういう訳でもない。

繋がり自体は薄いが吉祥会は便宜上国が管理・運営している。表向きは釈迦を信仰対象としながらも禁止されている神仏混淆が根強く残っているのは国が吉祥会を特別視している故だろう。

だが法治国家が特定の宗教や派閥に傾倒してはならないという考えから予算の一部が国から補助されることを除いて国が干渉することはほとんどない。

しかし、吉祥会で教養を学び一定以上の学力があると証明できれば高校の範囲までは吉祥会で学び修めることが国から認められている。

従って高校までを吉祥会で学び、大学進学を機に吉祥会を辞しそのまま世俗に流れていく者も毎年一定数いた。

また御使いの場合はお役目の都合上大学進学を待たずに吉祥会を一時的に離れるケースもあり、吉祥会は人の出入りに関してはかなり緩い。

それ故に吉祥会はあまり組織のことについて子供たちに教えるような教育はしていない。

国が予算を補助していることを表向きにしていないことや御使いのお役目についての口伝禁止もあるが、一番は吉祥会で生まれ育った子供たちに過度に思想を植え付けるような行為を上部の人間は良しとしなかったからだ。

人が流出しやすい体制があるからなのか、人が流出するようになってから体制が整ったのかは定かではないが現吉祥会は非御使いの人間に対しての束縛は無かった。

故に子供たちはいずれ選択を迫られることになる。

御使いになれなかったとき、自分は吉祥会に残るのか否かという選択を。

だが、御使いとなった場合は───


「こうちゃん、もう来週でしょ?」

「ん?」

「献上式!来週が十二の誕生日でしょ?」

「あー、そういやそうだな」

学生としての務めを終え今は自由時間。

吉祥寺本堂に隣接する宿坊にて二人はいつものように愛用の玩具で戯れつつ駄弁る。

授業が終わった後の二人のルーティーンとなっていた。

「こう様」

「なんだその呼び方……うひっ!?」

幸樹が陽歌の方に顔を向けると、陽歌は薄目で睨むように幸樹を見ていた。

顔色は悪く覇気も全く感じられない情けない顔だった。

「ま~さ~か~私を置いて一人御使いになったりしないよ~ね~…?抜け駆け厳禁~…」

「そうはいくかよ。てかそんなこと言うくらいならさっさと献上式成功させろよ」

「できるもんならとっくに成功させてまーすー!」

「はぁ…うるせぇ…」

床に大の字になり両手足をバタつかせる陽歌に幸樹はついため息を吐いた。

最初の献上式から二カ月近くたった今も陽歌は献上式を成功させていない。

そのことがすっかりコンプレックスになってしまったらしく、幸樹の献上式の日が近づくにつれて陽歌は幸樹に対してエールと呪いの言葉を交互に送るようになっていた。

幸樹は情緒不安定になる幼馴染を見て献上式に対する不安より陽歌の精神を気にするようになっていた。

「しょうがねぇなぁ」

幸樹は立ち上がると自身の愛用の玩具が沢山入っている箱を漁り始めた。

「ん?どうかしたの?」

「待ってろ。確かこのへんに……お、あった」

幸樹は剣を象ったボロボロの段ボールの玩具を陽歌の目の前に掲げた。

「それって…」

「覚えてるか?俺らがお互いに玩具を作って相手に送った──」

「勿論覚えてるよ。もう五年前、とかかな」

陽歌は幸樹が持っていた段ボール製の剣を受け取ると、慈しむように眺めた。

「大事に持っててくれたんだ?」

「そんなんじゃねーよ。捨て方がわかんなかっただけだ」

「これは燃えるゴミでしょ?」

「うるせー」

居心地悪そうに幸樹は体全体を揺らす。

「……俺は、ソイツを献上式で使うつもりだ」

「え?これ?」

「おう」

「………なんで?」

「はぁ!?」

キョトンとした様子の陽歌に幸樹は捲し立てようとするも肝心の言葉がうまく出てこない。

「だって献上式って大切な物を神様に捧げる儀式でしょ?他にも一杯玩具とかあるのに、なんでこんなオンボロ?」

「そ、れは……物は試しっていうか、その…数ある中の一つと言うか…」

「え?何?」

陽歌は立ち上がり幸樹を目線を同じにした。

耳を澄ませるような動作を取るも、幸樹はより口ごもってしまい聞き取ることは困難を極めた。

「と、とにかく俺はお前から貰ったソイツで献上式やるから!返せ!」

「あ」

幸樹は言い終わると陽歌が抱えていた剣を奪い取り箱の中に戻した。

背後から陽歌が歩み寄ってきているのを気配で感じるも、文字通り顔向けできるような状態ではなかったためそのまま顔は箱の方へ向けていた。

陽歌は幸樹の耳元に顔を近づけ、呟いた。

「頑張って。勇者様」

「な!!そ、ソレ──」

幸樹は反射的に陽歌の方へ振り返った。

陽歌は先程までのような弱った様子など一切ない、年相応の無邪気な笑顔で立っていた。


献上式当日


吉祥会で生まれ育った子供たちは十二歳の誕生日に献上式が執り行われる。

この儀式が成功すれば御使いとして認められ、御使いとしてのお役目を果たす責務を負うようになる。

儀式は本堂で行われ、参加者は本人と住職の二人のみで行われるのが通例である。

このような最少人数で行われる理由として、御使いに関する情報漏洩を防ぐ意味があった。

もし儀式が成功すればそのまま住職から御使いやお役目に関しての説明が行われる。

そこにこそ、幸樹が御使いを目指す理由があった。

法衣と袈裟を着用し、厳かな雰囲気の中幸樹は住職・大江野門前の前に座る。

「昨日は、よく眠れましたか?」

ゆっくりと、優し気な声が幸樹の耳に届いた。

住職と二人っきりでの会話など初めてであり、幸樹は献上式とは別の緊張を感じていた。

「は、はい!本日は私のような浅学菲才な身にお時間を割いていただき誠に──」

「大丈夫です。緊張しないで、楽にしてください」

言葉通り、門前は自然体で穏やかな雰囲気を崩さなかった。

それとは対照的に幸樹は背筋を伸ばし切り慣れぬ袈裟の着心地に足を浮かしていた。

「なんなら足を崩していただいても結構ですよ?」

「そう言うわけには!」

「おや、幸樹さんは存外律儀な方なのですね。陽歌さんは待ってましたと言わんばかりに楽になさってましたよ?」

「は、はは…」

(あいつマジか!)

昔から陽歌は妙なところで大物ぶりを発揮していた。

それも彼女の家系が吉祥会の中枢であり、幼少の頃より立場ある身分であったことも関係しているのだろうが、彼女の振る舞いは単純に生来の性分に依るところが大きかった。

「さて、幸樹さんのお時間をこれ以上頂いてもいけませんので、始めましょうか」

「よろしくお願いいたします」

門前と幸樹が互いに深く礼をし、門前は経本を掲げ読み上げていく。

「昔日、空より来るは───」

祝詞は十分程度に及び、読み終わると門前は一息つき幸樹を見据えた。

「では、幸樹さん」

「はい」

幸樹は膝元に置いてあった段ボールの剣を両手で目前に掲げる。

それを見た門前の表情が和らいだ。

「それが、献上物……幸樹さんの大切な物ですか?」

「はい」

幸樹は目を閉じると地祇へ、天神へ祈りを捧げた。

献上式において最も重要なのは何を捧げるかではない。

神々への信仰心を有するかどうかである。それを示すため献上式では各々の大切な物を持ち寄り、神へと捧げる。

ある者は写真。ある者は携帯。ある者は手紙と、献上品は様々でそこに物価や希少性が鑑みられることは無い。

重要なことはあくまでも神々への信仰心と、大切な物を捧げられるだけの覚悟である。

幸樹は最低限、献上式の重要な要素を抑えていた。

だが、だからといって必ず御使いに選ばれるわけではない。

ただ条件をクリアするだけなら陽歌をはじめ過去の多くの修行僧達が御使いになれたはずだ。

足りない何かがあった。

「……………幸樹さん」

幸樹は門前の問いかけに体を揺らすも、答えることはしない。

否、答える気力が無かったのだ。剣を掲げること既に十分近く経っているにも関わらず何一つ変化していないからだ。

幸樹は直感的に儀式は失敗したのだと察した。

だがそれを認めてしまっては、この先一生御使いになれる日は来ないだろうという不安が幸樹の心を蝕んでいた。

「………私は、まだ──」

「父君のことですか?」

心の中を覗かれたような感覚を覚え反射的に顔を上げる。門前は至って穏やかな顔つきで幸樹を見ていた。

「確かに御使いになれなければ、御使いに関することの多くを知ることは出来ません。ですが…今の幸樹さんは、御使いにならない方が貴方の為と思います」

「何故!?」

「貴方は、大切な物を守るため大切な物を捧げる覚悟はありますか?」

先程までとは打って変わって険しい表情、声音で幸樹に問いかけた。幸樹はその迫力に呑まれ、そしてそれ以上に問いかけに面食らっていた。

大切な物を守るために大切な物を捧げる?矛盾している。

「どういう……意味ですか?」

「幸樹さん。我らが神はいつも我らを見守ってくださっています。努々お忘れなきよう」

門前はそう言うと立ち上がり、静かにその場を後にした。

「あ、お待ちください門前様!」

我を取り戻し声をかけるも、既に門前の後ろ姿は見えなくなっていた。

一人取り残された幸樹はただ頭の中で考えることしかできない。門前に問われた覚悟、そして御使いになることの意味を…到底導き出せるとは思えない解答を模索し、しばらくその場から動けずにいた。


 献上式を終えた幸樹は講堂に向かっていた。

今日は平日であり、献上式に参加する幸樹以外の子供達は普段通り講堂で授業を受けている最中だった。献上式が終わったら講堂に向かうよう言われていたため、幸樹は指示に従い教科書が入った鞄を手に歩く。

だがその足取りは非常に重く、とても授業など受ける気分にはなれなかった。

(なんか、初めてサボりてー気分……)

今まで一度も欠かすことなく出席してきた講堂での授業。だが今日、幸樹は初めて講堂へ向かうのをやめ外へ出た。

今の幸樹にとって吉祥寺は居心地の悪い空間以外の何物でもなかった。別に誰に何を言われたわけでもないし、バツが悪くなるような事をしたわけでもない。

無論御使いになれなかったことは残念だが、チャンス自体はあることも知っている。修三に言われた通り最初から上手くいく方が稀なのだと割り切ってしまえばいいだけだ。

だからこそ、落ち込む理由は他にあるのだと幸樹は自覚していた。だがそれにどう対処すればいいのか幸樹にはわからなかったのだ。

門前から覚悟を問われ、幸樹はそれから逃げた。

御使いに選ばれなかった理由は単純明快だ。それ故に門前の言葉が頭の中で繰り返し響いていた。

足元がおぼつかないまま吉祥寺の外の世界を彷徨う。平日はまず外出などしないため公道に車行き交う当たり前の景色すらも幸樹には新鮮に映った。

「平日の外…なんか変な気分だ…」

幸樹は想像しながら歩いた。

父親が生きて御使いとしての使命を果たしていた時、そして自分も御使いになり共にお役目を果たしている姿、陽歌や修三、仲間達と共に切磋琢磨し続ける毎日を。

ぼんやりとそんなことを夢想しながら歩いていると寂れた神社に辿り着いた。吉祥寺が寺であることを考えるとかつての商売敵ともいえる。

だが今の幸樹には些細な事で、何の躊躇いもなく境内に踏み入る。

鳥居を越えるとまるで異界に入り込んだような感覚があり、神社全体が寂れたからこそのある種の神聖さを纏っていた。

参道を進み本殿と思しき建造物に至る。例に漏れず朽ちており、所々に苔が生えていた。

「神様ね…じゃあ献上式が上手くいってたら、ここにいた神様とも何かしらやりとりできたのかね」

幸樹は自嘲気味にそう呟き、鞄の中に入れていた玩具の剣を取り出す。献上品としての役割を果たせなかった剣を見て、ある一幕を思い出す。


幼いころの幸樹と陽歌は娯楽が少なく、テレビに一日中首ったけだった。

そんな時、テレビでヒーローものが映し出されていた。そこでは主人公は勇者となり世界を絶望に染め上げようとする魔王に仲間たちと共に戦いに挑む様子が映っていた。

まだ幼い二人にとってテレビの向こうに映る勇者は正しく格好良いヒーローの姿そのもので、すぐに真似をした。

「ワハハハ!愚かな勇者達よ、お前たちもこの世界に絶望するがいい!」

「負けてたまるか!この命に代えてもお前を倒す!必殺~天・空・斬~!」

「ぐああぁ!!や~ら~れ~た~……ガクッ」

「やったー!よし、もう一回だヨウ!またいい必殺技が浮かんだんだ!」

「ちょっと!順番こでしょ!?次私が勇者やるんだからその剣貸してよ!」

「え~!?次も勇者やりてー。やっぱ格好いいもん」

「私が作ってあげた剣なんだから私に使う権利がある!」

「む~…そうかもだけど……あ、そうだ」

幸樹は陽歌が作った段ボールの剣を脇に置き見様見真似で複製していく。

「じゃじゃ~ん!ヨウはこれ使え」

そう言って幸樹は陽歌に作ったばかりの剣を渡した。

「え、え?」

「勇者が一人なんて誰が決めた!俺たちは二人で勇者だ!」

「それじゃあ魔王いないじゃん」

「その方が平和で良いだろ」

「そうだけど~…」

「そうと決まれば早速俺達だけの必殺技を考えるぞ!まず──」


幼かったからこそ出来た遊び。だがあの時からずっと幸樹にとってこの剣は、二人が勇者である証のように思っていた。そう、この剣は大切な物で、だからこそこれを捧げれば必ず献上式は成功するだろうと思っていた。

なのに現実は──

「二人とも、勇者になんかなれなかったな……」

手に持っていた剣を少しの間眺め、鞄へとしまう。不意に冷たい風が頬を撫でたように感じ顔を上げた。


本殿の奥で黒い何かが、こちらを覗いていた。


(………なんだ?黒猫?)

本殿の中は影になっていて様子などほとんどわからないが、赤い双眸が絶えず動いていることだけはわかった。そして幸樹は薄々黒猫だと思っていたものは猫ではない『何か』であると思い始めていた。

なぜなら両目と思しき赤い二つの球が、明らかに幸樹と同じ目線にあったからだ。四足歩行の猫ではとても自分と同じ目線などなるわけがない。

その考えに至った途端急激な不安と怖気に襲われた。良くない『何か』が目の前にいる、そう直感した。

「な、なんだ一体……」

幸樹は出来る限り刺激せぬよう体の向きは変えぬまま少しずつ後退りした。凶暴な動物なら背中を見せるのは危険だとテレビで見たことがあったからこその判断だが、何より目の前にいる『何か』から目を離す勇気が無かった。

そして『何か』に日の光が当たり、その全貌が明らかになった。

「え?……は、灰?」

目の前にいる『何か』はまるで灰、あるいは煤がそのまま人の形を模したかのような見た目をしていた。朧気だが手、足のような形をした部位まであり二足歩行で幸樹に徐々に近づいていた。だがスピードは遅い。

走ればすぐにでも振り切れてしまいそうだが、目を離して本当に問題ないのかの判断だけが出来ずにいた。

その時、風が吹き『何か』の一部が風に乗って舞い上がり──

幸樹に向かって襲い掛かろうとしていた。

「え!?うわっ!」

「こうちゃん!」

背中を掴まれたかと思いきや強い力で引っ張られ転ばされる。そのおかげで寸前で飛んできた黒い粒子を避けることができた。

幸樹は顔を上げると、背中を引っ張ったであろう人物を視界に捉える。

「ヨウ!?なんでここに!」

「それはこっちの台詞!ていうか怪我してない!?」

「あ、あぁ…大丈夫だけど」

案の定と言うべきか、陽歌が立っていた。陽歌は『何か』を睨みつけるようにし、段ボールの剣で威嚇するように構えていた。

「なんでそんなものを…」

「い、いつでも献上式できるように」

「まだ諦めてなかったんかい」

「うるさい!そんなことどうでもいいから早く逃げる!はああぁぁ!」

陽歌は叫ぶと同時に玩具の剣を振り上げ『何か』に向かっていく。

「はぁ!?それで戦うつもりか?」

「感じない!?こいつ、何かすっごくヤバい気がするの。ここで、倒す!」

言い終わると同時に剣を『何か』に向かって振り下ろした。当たると同時に『何か』は霧散しその周囲の空間が黒ずむ。

「た、倒した…?」

「わかんないけど…とにかく、今のうちにここから離れて──」

その直後、先ほどまで散っていたはずの黒い粒子は凝集し、一回り大きく体を形成し始めた。

陽歌はそのことにまだ気づけていない。

「ヨウ!!」

「え?きゃあ!」

幸樹は全力で走ると陽歌の後ろに立っていた『何か』を鞄にしまっていた玩具の剣で切り付ける。

それは再び霧散し、同じように周囲が黒ずむ。しかし先ほどと違い黒い空間が明らかに広がっていた。

幸樹と陽歌は『何か』は殺すことが出来ないと悟った。

「俺達じゃ倒せねぇ、今すぐ外に……え!?」

幸樹は陽歌の手を取り鳥居へ向かうも、その周囲にはいなかったはずの『何か』が三、四…否、こうしている間にも増殖し二人を待ち構えているかのようだった。その赤い双眸はやはり二人を見つめるかのように蠢いていた。

「な、なんで?」

「なんとか強硬突破できないかな?」

「それは危険だ!あんなにいちゃ……」

幸樹は陽歌の方を振り返り、そして視界の端に捉えてしまった。先程まで霧散していた黒い粒子が集まり、三メートル近くの巨体となった『何か』が立っていた。

「離れろ!」

「うっ!」

巨体となった『何か』が拳のような部位を振り上げ、二人に向かって振り下ろした。


ドゴォ


「え?」

「な、なんて威力なの?」

ぎりぎりの所で躱した二人が見たものは、地面が大きく抉れてできた穴だった。灰の塊のような見た目であり、加えてあっさり霧散したことから攻撃能力自体はほとんどないと思っていた二人にとってこの光景はあまりに絶望的だった。

巨大な『何か』は再び拳を振り上げる仕草を見せた。

「や、やばい!」

「でも、あっちにも──」

いつしか、二人の周りを取り囲むように大量の『何か』が立ち、にじり寄ってきていた。

(もしかして、ここで死ぬのか?)

幸樹だけでなく陽歌もそう思ったのか、目に涙を浮かべ座り込んでいた。

幸樹は目を閉じ考える。

どうにかして陽歌だけでも救い出せる方法は無いかと。この状況を逆転するだけの策は無いものかと考え………ある答えに至る。

「ヨウ、もう大丈夫だ」

「こう、ちゃん?」

「お前は俺が助ける。俺はお前の勇者だから」

幸樹は玩具の剣を力強く握ると大量の『何か』に向かって走り出した。

「こうちゃん!!」

「神よ!もしおわしますならどうか、力を!!」

幸樹は力強く叫び、それ以上に祈った。

幼少の頃の大切な思い出の品であるこの剣を、二人の思い出の証を捧げます。だからどうか、陽歌を守れるだけの力を。

祈りを込めて玩具の剣を振り上げた。


剣は光り、眩いまでの輝きを周囲に放つ。


そして振り下ろされた剣は一体の『何か』を両断し、黒い粒子を散らばせることなく光で包み込み消し去った。

「こ、こうちゃん……その姿は?」

「あ……」

幸樹は陽歌に言われ、自身の姿を眺めた。

その姿はまるで古来の侍を想起させるような戦装束であり、手に持っていた玩具の剣は本物の剣に変わっていた。

紅く、火を纏ったかのようなその衣装は当然自分が持っているはずのないもので、何故このような姿になったかわからないが、心当たりはあった。

「これが、御使いの……姿?」

恐らくだが、献上式が土壇場で成功したのだろう。少なくともそうでなければ今のこの状況は説明できないし、実際それに賭けていた。

だが本当に成功するとは思っておらず、またその変化に驚き呆ける。

「こうちゃん、後ろ!」

「くっ!」

幸樹は反射的に後ろを振り返り刀を振る。すると先程の巨体が振り下ろした拳にぶつかりよろける。そこに大量の『何か』が一斉に襲い掛かる。

「くそ、数が多い!」

幸樹は近づいてくる『何か』を次々切り倒していくも、徐々に数に押されていく。

(このままじゃ…)

「私が助ける!」

その声が幸樹に届くのと同時に幸樹の目の前にいた『何か』が霧散していく。そして玩具の剣を携えた陽歌が幸樹を守るように傍に立った。

「ヨウ!?ここは危険だ!どうして──」

「言ったでしょ、抜け駆けは許さないって」

陽歌は腰を落とすとそのまま『何か』達の群れに飛び込んだ。

「これからは私も助ける!だって私たちは二人で、勇者だから!!」

その叫びと同時に剣が、陽歌の体が光に包まれる。そして現れた本物の剣が一体、また一体と『何か』を切り付けていく。

姿も幸樹同様に変わり、青を基調とした侍を想起させるような戦装束を身に纏っていた。

「やああぁぁぁ!」

彼女の生来の運動神経の良さ故なのか幸樹よりも早く、力強い太刀筋が次々と『何か』を捉えていく。

「ヨウ…やっぱ、お前も勇者なんだな」

幸樹は刀を握り直すと、陽歌に続くように『何か』の群れに飛び込み切り倒す。

「「はああぁぁぁ!!」」

二人の咆哮が神社に響き、先ほどまで辺り一面を覆いつくす程いた『何か』は既にほとんど消滅していた。

「はぁ、はぁ、はぁ…」

「こ、これであとは……あのでっかい奴だけだね」

二人は巨大な『何か』を見据える。その巨体もまた、二人を見つめている…ように見えた。

幸樹と陽歌は隣り合わせに立ち、刀を構える。

「まるで本当に、魔王に立ち向かう勇者だな」

「せっかくだし必殺技とか叫んでみる?」

「それはやらない」

巨大な『何か』は拳を振り上げると、やはり二人に向かって勢いよく振り下ろす。二人はそれを刀で防ぐ。

「ぐっ、重い!」

「負け、ない!!」

陽歌が叫ぶと同時に『何か』の拳が両断され、そのまま右腕が切り裂かれる。すかさず幸樹は『何か』の足元に滑り込み両脚を切断した。

『何か』は大きくバランスを崩し倒れこむ。

「やああぁぁぁ!!」

「はああぁぁ!」

陽歌が前から、幸樹が後ろから『何か』を挟み込む形で同時攻撃を仕掛ける。


刹那、『何か』は自身の体の一部を爆ぜさせ黒い粒子を辺り一面に充満させる。


「な!?」

「え、うわ!?」

二人は反射的に立ち止まり飛び退こうとするも黒い粒子は二人に襲い掛かるように集まり──


「動くなよ二人とも!!」


目の前に、突如大きな矢が飛来した。

その矢は『何か』を貫き、周囲の黒い粒子も巻き込んで淡い紫色の光を放った。

聞き覚えのある声に幸樹と陽歌は声の方へ振り返る。

鳥居の下で弓矢を番え二人と同じように戦装束を纏った修三が立っていた。

「修さん…」

「お二人も遂に献上式を終えましたか」

「え!?門前様まで」

修三の背後から門前が姿を表した。その顔つきは穏やかで微笑んでいるように見えた。

「では、二人にはお話しする必要がありますね」

幸樹と陽歌は悟った。もう御使いのお役目を果たす人生に、この身を捧げなければならないのだと。

「御使い、そして吉祥会が守ってきた世界の話を」


時には勇者、ヒーロー、救世主、希望、光──

様々な肩書きがありながら、決して歴史の表舞台に立つことの無かった者達。

これは大切な物を守る為、大切な物を捧げながら戦った御使い達の物語。

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