第14話 決戦・常世・情緒

 ロストがキングワームと死闘を繰り広げている間、ロックとレクは古城の奥へと進んでいた。トロントとの戦いで負傷した二人だったが、リュジュ相手にタメを張れるのは彼らのみ。

 やがて二人は三階へと上がり、薄暗い小部屋を巡回していく。所々に蜘蛛の巣が張られていて、質素な雰囲気がフロア全体に漂っていた。人の気配を感じなかった二人は、いよいよ四階へと足を運ぶ。

 ここで状況は一変した。階段を登り終えた瞬間、広い廊下の向こうに大きな扉が見えたのだ。

「……レク」

「ああ、あいつだ」

 不安な気持ちを誤魔化すように口を出したレクとロック。二人は背中に装備していた剣やハンマーに手をかけると、大廊下に足を踏み入れた。薄暗い大廊下を、二人は並んで歩いていく。

 二人の察知能力が、扉の向こう側いる存在を明白にする。

 この扉に近づいてはいけないと……本能レベルで進む事を拒絶するのだ。

 しかし引き返す訳にいかない。

 やがて大扉の前に差し掛かり、それをゆっくりと開けていく。そして二人は、遂に決戦の広間へと辿り着いた。


「んあ?! お前ら……誰だ?」


 その広間にはリュジュ将軍と、この戦いの引き金となったマーキュリー博士の助手であるレントが、退屈そうに二人を待ち構えていた。


「殲滅隊のレク・オーギュラリだ。マーキュリー博士はどこだ?」

「殲滅隊ッ?! あなた達……あのトロントを倒したのか?」

 不満げに眉を寄せる青年、レント。彼は、広間に物寂しく置かれた大椅子に座っていた。

「ああ、そうだな。お前ら、もう終わりだぞ。諦めて大人しく捕まりな」

「クッ! 誰が……誰がお前らのような低俗な人間どもに捕まるもんかッ!!!」

 レントはロックの挑発に激怒する。

「まあまあ落ち着けって。どうせワイが片付けるんだから……心配すんなよ」

 そう言ってリュジュは左腰から細剣を抜いた。

「「……」」

 彼が剣を手に持った瞬間、部屋全体に並々ならぬ緊張感が走る。

 白と黒のタイルが交互に並べられた床の上に立っている二人。彼らの額に汗と血が流れる。

 ふとレクの腹部に、電流のような痛みが駆け抜けた。四日前の襲撃事件で負った刺し傷が、今になって開いたのだ。

 一方ロックもトロントの戦闘で、あばら骨を何本か折った。息を吸うたびに、吐き気を促すような激痛が全身に響く。

 二人とも満身創痍だった。この状況で、敵軍最強とも言えるリュジュ将軍を相手にするのは、絶望的だった。

 勝敗は一目瞭然。二人の状態を察知したレントは満足そうに足を組む。

「リュジュ、さっさとこいつらを殺して地下牢に行くよ。殲滅隊の最高戦力はこの二人だけだ。こいつらを殺せば勝ったも同然。博士を連れて国境を超えるよ」

 レントの声は勝利を確信したような余裕のある声色だった。目の前の二人を殺すなど、造作もない。安心した様子で頬を緩めていた。

 しかし、レク達に対して剣を構えていたリュジュが、そんなレントに向かって呆れたように声を出した。

「いや……違うな」

「……は?」

 レントの額に、筋が入る。

「……のか? この魔力を」

「さっきから何言ってるんだ?……あの二人の事を言ってんの? 確かにあいつらは強いよ。トロントを倒したAランク隊員のレク・オーギュラリとロック・ラグナロクだ。でも……あなたなら楽勝でしょ?!」

 少しイラついたように話すレント。ところがリュジュは、そんな彼を無視して憑りつかれたように見ていた。半開きになった大部屋の大扉を。先程の余裕のあったリュジュの顔に、力が入っている。

「……来るぞ」

「………?」

 その時だった。


 コンコンコンコンコン……


 扉の方から足跡が聞こえてくる。

 それを聞いたレントは、目を細めて暗闇を凝視する。

 レクとロックも、思わず振り向く。

 やがて扉の向こうに広がる闇から……二人の影が姿を現した。

「……えッ?」

 その時、その場にいた全員の胸が詰まった。

 死亡したと思われていた人物が目の前に現れ、自分達に刃を向けているのだ――実験体の生存が確認できて喜ぶ者、複雑な心境を胸に抱える者、純粋に目に映る事実に対して驚愕する者。

 ロストが蘇った事で、再び運命の歯車が動き出した。

「……ロスト? リボン」

 零れたような声でレクは言う。

 それに対してレントは、興奮した様子で語った。

「はは! やった……生きてる。僕の実験はまだ……終わってない!!」

 ロストを睨みつけるリュジュ。

 それぞれがロストに対して特異な感情を秘めているようだった。そんな中、ロストは背にしまってある十字架剣に、手を伸ばした。

「レントさん、さあ教えてください。僕に何をしたんですか? あなたの目的は何ですか?」

 ロストは真剣だった。

 なぜ自分が実験体にされたのか。

 自分は何のために存在しているのか。

 彼は自己の存在価値を確立したい一心で、レントに尋ねた。

 レントは目を細め、拳を膝に突き立てた。

「ちぃ! 調子に乗るな、実験体! 僕のお陰であなたは生きられてるんですよ! 僕達があなたの身体の中に……」

 そう言って彼は椅子から立ち上がる。

 ロストの胸が詰まる。大扉の向こうから、冷たい風がひゅーと流れ込んできた。


*   *   *


 

「僕達が十年前、氷の大陸で発見したのは……紛れもなく天魔の心臓だったんだ」

 ロストは自分が何を聞かされているのか分からなかった。凍ったように、身体が固まる。

「おいおいそんなの……」とロックが周りに助け舟を求めるみたいに、目を動かす。がレクは思いつめたような顔をして、身振りもしない。

 レントはそんな彼らを無視して話を続ける。

「そこで僕達は心臓の研究を始めた。あらゆる状況を試し、実験を繰り返した。そこで僕達は、ある一つの結論に辿り着いた。彼の心臓は‘世界を根本的に変える力がある‘」

 レントの話を聞きながら、ロストは自分の胸に手を当てる。

「でも問題はここからだった。僕とマーキュリー博士には研究の目的に大きなズレがあったんだ。僕は、この発見はもっと大きな事に使えると思った。人類の未来の為とか、そんな安いもんじゃなくて……きっと、もっと高次で…美しくて…そう! まさに神に触れるような、万物を超越した気さえ感じたんだ!!! なのに……それなのに!!! あの女はッッッッ!!!!」

「だからか!」

 突然、ロストが叫んだ。

「だから、マーキュリー博士をしたのか」

 レントは目を細くして、ロストを見た。

「なんで……僕が監禁してる事を知ってるんだ……」

「自分の先生の魔術すら知らないんですね、レントさんは」

 呆れたようにロストは言った。

「うるさい!!」レントは、力強く怒鳴る。

「何も知らないくせに、分かったような事言いやがって! 僕はずっとこの世界を恨んでたッ! この世に神はいない!! 救世主も、運命の人も、英雄も、この世界にはいないんだッ!! だって魔術を持たない僕に暴力を振るった父を、神は見過ごしたんだからねッッ!!! 誰も僕が生きる事を肯定してくれなかった!!!」

 レントは見せびらかすように、焼き印で作られた偽りの紋章を見せた。

「天魔の心臓を発見した時、僕は感じたんだ……僕自身の使命を。この世界を……ぶち壊すっていう崇高な天命をなッッ!!! なのに、それなのに……マーキュリー博士は、僕の作戦に賛同してくれなかった。全て、あの人が悪いんだ!!」

「……狂ってやがる」ロックが、呆れた様子を見せる。

「いいか、ロスト・アルベルトギフテッド。お前の身体は僕のものだ。僕は必ずあの実験を完成させる! 僕の計画が完了した時、お前は死に……そして再び、

「「「ーーッ!」」」

 驚きを隠せないロスト達。

「天魔が、復活する?」

「ああ、その通りだ。そもそも何で僕達が被験体にお前を選んだと思う? 勿論それはお前が犯罪者だからだ。でもな……問題はそこじゃないんだよ。左手を見ろ」

 そう言われたロストは、自分の左手に目を向けた。

 そこに映るのは、不可解な謎の紋章の印だけ。

 話の流れが読めなかったロストは、首を傾げる。

「その紋章だよ。その紋章は紛れもなく‘テイム‘の紋章だ。君が十二年前に出会った少女の魔人と結んだテイムさ」

「でも、僕はテイムをした覚えなんてない」

「ああ、それもそうさ。何せ、街が丸ごと消えるような戦いだったんだから。記憶が曖昧になっても仕方ない」

 思わず、ロストは頭を抱えた。

 次々に明らかになってゆく真実。

 自分の心臓が、天魔のものだったこと。

 サーガとロストは、十二年前テイムを結んでいたこと。

 情報が多すぎて、飲み込まれそうだ。

「テイムは素晴らしい魔法だ。二者の絆によって、不可能をも可能に出来る。魔力の供給や、魔術の交換、生命力の循環など……まだまだ分からない事が多い。そこで僕は考えたんだ」

 興奮したように、レントは語る。

「君の身体だったら、上手く天魔の心臓に適応できるのではと。身体が拒絶反応を示さずに、心臓が身体の一部として機能すると予測したんだ、テイムの力によってね」

 ロストが心臓移植を受けるずっと前から、この実験は他の死刑囚を実験体として行われてきた。ところが被験体の拒絶反応が強すぎて、成功したことはロストを除いて一度もなかった。

 そんな時、マーキュリー博士が天才的な閃きで思いついたのだ。テイムを利用しようと。

「そしたら、結果は大当たり。十年の時を経て、君は目覚めた。人間と悪魔のハイブリットとして。マーキュリー博士は、ここで実験を終わらせようと思ってた。でも僕は違う……あれほど貴重は心臓を、安々とお前に渡す訳がないだろう!」

「じゃあよ! 一体お前は何が目的なんだ?」

 怒ったように、荒々しい声でロックは言った。

「だから言ったろ? 天魔を復活させるんだよ。今、君の身体の支配権は、君自身にある。左手の紋章が、そうさせてるんだろ。だからね、逆に言えば……もしテイムを強制解除できれば、身体の支配権は天魔に移ると思わないか?」

「でもそんな事したら、他の死刑囚みたいに拒絶反応が起きて、僕の身体は死ぬぞ」

「いいや、その心配はない。そもそも、どうして僕は四日前まで君に手を出さなかったと思う? どうして十年もの間、君を放置したと思う? 待ってたんだよ僕は。君の身体が、紋章を介せずに心臓に馴染むまでね」

「……もしかして」

「君の身体はもう心臓に適合してる。お前だって分かるだろ? この半年で身体能力が飛躍的に伸びた筈だ」

 言われてみれば、ロストの身体能力の向上は目を見張るものがある。

 例えば四日前の襲撃事件。リュジュに大敗したとはいえ、神童と謳われたリボンと同様、弾丸を切り裂いたり飛び回ったりしていた。

 ロストの魔力が異常に増加しているのも、天魔の心臓が原因である。

 彼の身体が、少しづつ天魔に近づいてきているのだ。

「いや……テイムの解除は術者本人の意思がないとできないぞ」

 レクが探るように述べる。が次の瞬間、レントは少し笑って、自慢するみたいに反論する。

「はは。お前達は何も分かってないんだな。なぜ僕とシロ帝が協力関係にあると思う? あの国には、お前達の言う不可能を実現させるような、がいるんだよ」

「……そんな事が」

 唖然とするレク。

 そんな彼に反して、レントは目を吊り上げて自己主張を繰り広げる。

「僕は思うんだ。真に野蛮な生き物は魔獣じゃない、人間だッ! 神なき文明に光はない。人間は自らの理性で、無意味なものに価値を創造出来ないんだ。理解できないもの、無意味だと感じたものは容赦なく切り捨てる。社会の為なら、会社の為なら、国の為ならと言って、平気で人権を侵害する。こんな世界は歪んでるッ! 今こそ必要なんだッ! 全ての人間が恐れ慄いて、世界の支配権を譲り渡すような……神の如き存在がッ!!!」

 ロスト達は呆然とレントを眺める。ロストは自分の胸に手を当てて、固まったように停止していた。

 そんな中、レクが背中に装着していたショットガンに手を伸ばすと、銃口をロストの頭部に向けた。

「レ、レク先輩? 何をしてるんですか?!」

 驚くリボン。

「要はロストを殺せば、天魔は復活しないんだろ? レント」

「た、確かにそうだ。でも心臓は死なないぞ」

「ああ……でも、それで充分だ」

 レクは鋭い眼光でロストを見つめる。

「レク先輩、いいですよ。僕を殺してください」

「ねぇロスト、何言ってんの? 私は今の話全然分かんなかったよ。心臓とかテイムとか……そんなもんに命を落とす必要なんて無いでしょう!?」

「リボン、ごめんね」

 ロストはどんよりとした声でそう言った。それと共に、レクは引き金に人差し指をつける。

 本気で撃つ気なんだ……

 とリボンが思ったとき、


 バンッ!!!

 

 ショットガンは発泡された。

 ところが……

「……え?」

 その弾丸はロストに当たっていなかった。

 いや……レクがわざと外したのだ。

「ロスト、お前は世界を滅ぼす力を持ってる。俺は天魔の恐ろしさを嫌という程、

「だったら、どうして……」

 ロストは、困惑する。

「だけどな……残念ながら俺は、その他大勢の為に、部下を殺せるほど合理的な思考力を持ち合わせていないんだ。これ以上、目の前で仲間が死ぬのは耐えられない」

「でも僕が……万が一、暴走でもして」

 ロストが言い終わる前に

「掌握しろ。そして強くなってくれ。俺の意見に異論はないな、お前ら」

 圧をかけながら、レクはリボンとロックに尋ねた。

 リボンはすかさず首を縦に振り、ロックはトロント戦の借りを返すという口実でレクに合意した。

「ロスト、多数決だ。話はこれで終わり。そういう事だから……

 そう言って、レクはロストの肩を叩く。ふと、ロストはレクの方を見る。

 その時、ロストは思った。

 レクは元々、自分を殺すつもりはなかったのだと。そして態々この話を持ち出したのは、僕が自殺する事を防ぐ為だったのだと。

 ダクト上官が評価していたように、ロストは勇敢だった。自縛魔やリュジュといった格上相手にも、怯まず剣を振り回していたからだ。

 けれども、それは勇気から生まれた行動ではなく……自分の死を意味付けする為だった。元々ロストは、自分が死ぬ理由を探していたのだ。

 そしてレクは、その事に気づいていた。ロストが死にたがっている事を。

 だから彼は、念を押すように、『自殺するな』と釘を刺したのである。

「俺達のやる事は一つ、お前らを捕まえることだ」

 レクは黒刀を先端をレント達に向けた。

 ロック、リボン……そしてロストも戦闘態勢に入る。

 そんな彼らを見ていたレントは、リュジュに抹殺を命じた。リュジュは眉一つ動かさず、その命名に軽く会釈する。

「悪いがお前ら、ワイの為に死んでくれ」

 雰囲気が変わる。

「【終焉豪火しゅうえんごうか】」

 先陣を切ったのはレクだった。

 彼の刃が紫色の炎を纏う。

 トロントの結界をも打ち破った、高火力な付与魔法。

 ところがリュジュはそれを……


 で受け止めた。


「なッ!」

「ん〜多少は強くなったね」

 刹那、リュジュの剣先がレクを襲う。紙一重のタイミングで、レクはリュジュから離れる。しかし、リュジュが彼を逃す筈がない。

「魔法というのは、こう使うんだ」

 リュジュの刃から、同じく紫炎が着火する。円を描くように飛来した炎は、リュジュの左腕を焼き切った。

「うぅ……あッ!」

 あまりの痛さに、思わず剣を床に落としてしまった!

 一瞬の隙……

 リュジュが次の一手を仕掛ける。

「まずはお前からだ、オーギュラリ」

 奴の剣が横一文字の如く、レクの首に迫る。

 殺される……そう覚悟した時、


「させるかッッ!!!」


 ロストの声だ!

 そして次の瞬間、凄まじい紫炎がレクの視界を覆った。

「ロストッ!」

 炎は蛇龍のように滑らか動きで、リュジュに乱撃を繰り出す。龍の牙がロストの剣舞に呼応して、進みゆくのだ。

 リュジュは少し焦ったような顔つきで、後退しながらその連撃を捌いていく。

 間違いない……リュジュを追い込んでいる。

 自分達も加勢せねば——闘志に燃えるロックとリボンが、ロストと一緒に、リュジュを重心とした三角形を描くように、二人の元へやってきた。

「お、おいまさか、あなたが負ける訳ないよねッ!」

 少し心配した素振りを見せるレント。

 四人は炎と火花を散らしながら、圧倒的なスピードで部屋中を駆け巡る。

「お前たち! ここで決めるぞ!」

 ロックのハンマーに黒いモヤが宿る。全ての魔力が込められたのだ。

「はい! 勿論ですよ!」

 それに続いて、リボンも槍を紐のようにしてリュジュを狙う。

 全員が渾身の一撃をリュジュに畳みかけるつもりなのだ。

 これなら倒せる——そう強く思ったロストは、より一層魔力を放出して、刀を斜め右に振り下ろそうとする。

 三方向から追撃させるリュジュ。

 防御に隙ができる。

 勿論ロストは、その隙を見逃さなかった。

 紫の炎刃が奴の首を切り裂く……その時、


「……違う」


 刹那、途方もない"己の死の予感"を感じたのだ。敵に振りかざした攻撃が、全て自分の身に跳ね返るような感覚に襲われたのである。

 刃が通らない。結界に塞がれる。

 むしろ殺されるのは、こちら側だ!

 咄嗟にそう判断したから、ロストは刹那の間に【終焉豪火】を取りやめ、代わりに【風光ふうこう】と呼ばれる風に関する付与魔法を発動した。

 鞭みたいに唸る風の曲線が刃から放たれ、その風はリュジュを取り巻くロックとリボンの溝打ちに強く当たる。

「みんなッ! 逃げてぇ!!」

 大声で、ロストは叫ぶ。

「ロストッ!」

 リボンは、青ざめたような顔をした。

 ロストの魔風は、あっという間に二人を突き放す。

 しかし、肝心のロストが駄目だった。

「ーーッ!」

 途端、ロストの視界は死を告げる紫炎で染まり、身体を袈裟斬りにされたと思ったら、その炎は激しい轟音と光を放って、ロストを遠方へと吹き飛ばした。

「ロ、ロスト?」

 膝をつきながら、震える声でリボンが呼ぶ。

「あーあ、嗅覚は良かったんだけどな……スピードが足りなかったか」

 リュジュは、肩に剣を乗せる。

「おい! あいつを殺すな!」

「あ? 別に心臓が回収できればいいだろ? ワイは四人相手にしてんだ。少しは黙っとけ……戦場を知らねぇド素人がよ」

「くっ……お前ッ!」

 レントは顔を真っ赤にした。

 皆、ロストが死んだと思い込んでいる。

 が、この程度で負けるほど、ロストの修行は甘くなかった。

 何百回もアップに殺され……

 何万回も魔力枯渇を起こし……

 Aランク級の魔物を何十体と倒してきた。

 数え切れないほど打ちのめされたけど、数え切れないほど立ち上がった。

 だから、今回もロストは、再び立ち上がる!

「効かないよ、そんなの」

 上半身の裸体を晒しながら、ロストは土埃の中から再び姿を現した。

 リュジュの紫炎によって、上の服が燃やされてしまったのだ。

 筋のように割れた腹筋。

 程よく整った両腕の筋肉。

 発達した背筋と肩関節。

 しかしどこを見ても"切り傷"が見当たらない。先程リュジュの紫刃に直撃した筈なのにだ。

「ん? もしかして……お前、使えるんだアレ」

「あぁ、アップに教えてもらったよ」

「へぇ〜あいつがね、随分成長したもんだな」

「??」

「まぁいい。少し面白くなってきた」

 そう言って、リュジュは腰にかけた鞘を投げ捨てた。

「なぁ〜結界を破壊するには、どうしたらいいと思う?」

「魔力でゴリ押すか……もしくは、をぶつけるか」

「そうだ。二つ目のやり方も教わったんだな」

 リュジュは感心したように言った。

 魔力は空気中の摩素によって生み出される。そして魔素は微笑の粒子であり、"波"でもある。

 故に魔素の果てである魔力も、同等の性質を持っており、特定の波形で作られた結界を破壊する為には、その波形を打ち消すような反対の波を帯びた魔法を繰り出せば良いのである。

 けれど魔力の波形をコントロールするのは、とても難しい事である。

 前提条件として、魔力を"波動"として可視化する必要がある。

 人間は感覚的に魔力を感知しているが、実際に見るのは、光速を視認するほど難である。

 ロストが部屋に入る時、リュジュだけが彼の存在に気付いていた。

 ロスト達がリュジュと戦っている間、ロストだけが彼の策略に気づき、二人を遠方へと逃した。

 これらは全て、魔力を"見ていた"から行えたのある。

 修行山でアップが言っていた『工夫』とは、この事だったのだ。

「少し本気出すか……」

 彼の紋章が光り始めた。兜の印が付いた円形型の紋章だ。

「魔術か……」

 気を引き締めるように、ロストは吐く。

 リュジュの身体は紋章の光に包まれると、やがて強大な魔力を発するようになった。魔力の波形が大きくうねり、そして変化する。その白銀のような光が、リュジュの皮膚に溶け込んでゆく。

「安心しな。ワイの能力は至って単純だ。【身体強化】だ」

「…………」


「さあ、始めるぞ。決戦の開幕だ」


 と、リュジュが言った途端、彼は猛スピードでロストにやって来た。紫炎と紫炎が激しい轟音を鳴らしてぶつかり合う。

 剣をしなやかに振りながら、互いに攻守を目紛しい速さで切り替える。それはまるで鳥の戯れのようで、アクロバットに展開しながら部屋を駆け回る。

「……クゥ」

 リュジュの動きは明らかに速くなっていた。結界を溶かす炎。触れるだけで……皮膚が焼けてしまう。

「【電雷ライトニング】」

 リュジュの剣先に青の電撃が迸る。ロストは紙一重のタイミングで受け身を取るが……

「なッ!」

 強力な振動が全身に伝わり、身体が吹き飛ばされる。視界は無造作に反転し、気がつく頃には、目の前に地面があった。

「うッ!」

 頭を強くぶつける。

 結界が反動を減らすが……既にリュジュは次の攻撃を打っていた。

【風光】と【終焉豪火】の二つの魔法を組み合わせた炎風えんふう

「さあ、お前はどう捌く?」

 すくさま攻撃を弾き返そうと、ロストは【終焉豪火】を発動させるが……その時、彼は悟る………


 これでは威力が足りないと——…。

 


 負ける……。



 しかしその時!


「【重鍵ロック】」


 炎の螺旋に被弾する直前で、ロストはふわりと宙に浮かんだのだ。

「あ、ありがとうございます」

 しかし安心するのも束の間、リュジュは次の一手に出る。彼の刃に雷が宿ると、まるで蜘蛛の巣のように部屋全体に広がり、ロスト達に襲い掛かったのだ。

 ロックの魔法が解けたロストは、直ちに【終焉豪火】で身を炎に包む。外界から踊り出る雷を必死に捌く。

 ところがその時、ロストの耳に強烈な叫び声が飛び込んで来た。

「うわぁぁぁぁぁぁ」

 それはリボンの声だった。彼女の【終焉豪火】はまだ未熟で、炎の色はオレンジ色のまま。あのままだと雷に全身を焼かれてしまう。

「リボンッ! 今行く!」

 重々しい剣を振り回す。【終焉豪火】で全方位から来る電撃を流しながら、リボンの元へ駆け寄った。あまりの熱に腕が焼け切れそうだ。

「リボン、伏せろ!」

 円形型の紫炎が、周囲に燃え上がる。これで敵の攻撃から身を守れる。

「ロスト……」

 彼女の瞳に映るロスト。それが妙に輝いて見える。

 ところがリュジュの猛攻は、これで終わりではない。

「ならこんなのはどうだ? 【次なる一手に我の限界をお示しください——閃電岩炎帝フルグライトエンペラー】」

【終焉豪火】と【風光】と【電雷ライトニング】を組み合わせた複合魔法。三つの付与魔法を同時に使うという複雑な事をするため、ルーティーンとして詠唱を行う必要があるのだ。

「リボン、僕の後ろにいるんだッ!」

 ロストもリュジュと同様に、【終焉豪火】と【風光】を組み合わせた複合魔法を仕掛ける。紫炎と雷が融合したリュジュのビームとロストの魔法が、激しい轟音と火花を散らしてぶつかり合う。

「ーーッ!」

 全身が焼き切れそうだった。ロストはロックとレクに助け舟を求めるが、二人とも【電雷ライトニング】を捌くのに必死で手が空いていない。【閃雷岩炎帝フルグライドエンペラー】を発動しながら、リュジュは【電雷】で二人の動きを止めているのだ。なんて……器用な術なんだろうか。

 ロストはリュジュの魔力枯渇を待つしかなかった。

 流石にこれだけ魔法を使っていれば、魔力が持たない筈。

 このまま堪えれば……という甘い考えが、ロストに一瞬の隙を生んでしまう。

 気付けばリュジュはロストの間合いに入り込んでいた。【閃雷岩炎帝】を剣に纏い、接近線を仕掛けて来たのだ。

「クゥ……」

「おいおい、ワイはただの【身体強化】だぞ?」

 反応が遅れたロストは、雑な体勢で十字架剣を振り下ろしてしまう。間一髪の所で直撃は免れたが、熱線と爆風が二人を包み込む。


「ぐわぁぁ!!」


 放物線のように飛ばされる。なす術なく天井まで飛来するが、その天井をも二人は突き抜け、ふと下を見ると、古城の天辺に付けられた時計台が目に映った。

 西の地平線から大きな太陽が見える。

 なぜだろうか……身体が軽い。



「はぁ……」




 ロスト達は、空にいた。

 リュジュに飛ばされ、ここまで来てしまったのだ。

 つまり………このままだと脱落死する。


「ロストォォォォ!!!」


「リボンッ!」


 すぐさまロストは、風を司る魔法【風光】を発動する。しかし……反応しない。何も起こらない。【風光】が発動しない。

 どうしてだ?

 魔力だって枯渇していないし、脳内詠唱だって行ったのに。

 焦るロスト。次なる策を練るが……


 その時!

 


「……えっ?」

 


 刹那、ロストの瞳に思いがけない光景が映り込む。

 アップから譲り受けた十字架剣。

 Sランクの魔獣と魔石から作られた強力な魔剣が………



  刀身の真ん中を裂け目として、のである。


 だから、魔法が発動しなかったのだ。


「リボンッ! 捕まれ!」

 手を伸ばすロスト。自分が下敷きになるように、リボンを抱く。二人の身体が放物線の頂点に差し掛かると、落下速度はどんどん加速していき逆風が強くなった。

「ぶつかるっ!!」

 焦ったようにリボンが声を出した時、二人は地面に激突した。その瞬間、生々しい金属のような音が庭園に響く。

「あぁ……」

 体の……感覚がない。結界を纏った背中は衝撃をかなり軽減したが、無傷では済まされなかった。全身の骨がボキっと折れたような、地獄みたいな痛みを感じる。あまりの痛さに……声すら出てこない。

「ロストッ? 大丈夫?!」

 青ざめた顔で、リボンが彼の体から身を下ろした。麗しい瞳でロストを見つめる。

 周囲に目を配ると、先程キングワームと激戦を繰り広げた庭園が広がっていた。

 まさか……ここまで飛ばされてしまうとは。

 痛みに慣れていたロストは、リボンを支えにして、ゆっくりと上半身を起き上がらせる。

 早く……助けに行かないと。

 ロストの中で焦りが募る。

「リボン、頼みがあるん……」

 と言いかけた時、


「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」


 突然、リボンが鋭い金切り声をあげた。

 何事だっ?——ロストは彼女の視線の先を見る。


…………………………




…………………




………

 


 血だらけになったレクとロック。

 そんな二人を担ぎながら、

「おー二人とも生きてる。凄いね」

 嘲笑うように、リュジュが扉から現れた。


「……レク、先輩?」絶望したように、目を見開く。まさか……まさか……死んでしまったッ? 

「ああああ……あぁぁぁぁぁぁ…………そんな………」

「おい、勝手に絶望すんなよ。トドメは刺してねーよ」

 そう言ってレクとロックを下ろすと、再び鞘から剣を引き抜いた。

「リュジュ、さっさとケリをつけるぞ。やれ」

 冷淡な声色で、レントが言う。

「リ、リボン……逃げるんだ」

 もはや……勝ち目はなかった。ロストの魔剣は壊れ、リボンも槍を手にしていない。

 戦うための、武器がないのだ。

「み、見捨てる訳に行かないでしょ!!」震えた大声で、リボンが叫ぶ。ロストの身体を引きずる。

「あ〜見苦しいな〜諦めろ」

 容赦なく近づくリュジュ。

「なぁ〜一つ教えてくれよ。お前の心臓……魔剣で刺したらどうなる?」

「ーーッ!」

「おい。彼の心臓は貴重だ! 傷つけるな」

 怒鳴るレント。しかしリュジュは、そんな彼に目もくれない。

 こいつは……ロストの心臓をぶっ刺す気なんだ。ロストが死んでしまう!

「そ、そんな事させる訳ないでしょう!!!」「やめるんだぁぁぁぁぁぁリボン」ロストの忠告も虚しく、リボンが壊れた十字架剣を握る。

 そして飛び込もうとした時……

「あ〜哀れだな」


 風の斬撃が、リボンの体を鮮血に染まらせた。

「あぁぁ……リボン?リボン?お、おい」リボンが倒れる。

 無数の斬撃に切り込まれたその体は、流血と共に弱っていく。

「早く立てよ、ロスト。お前が戦わないと、本当にその娘、殺すぞ」

 迫り来るリュジュ。

「……ごめんロスト。わたし……あんたの事勘違い……してた。足手まといで………ごめんね。わたし……自分が強いって……調子乗ってた………お風呂の件……ごめんね」

 彼女の声が、か細くなった。呼吸が浅く、息を吸うたびに肺が苦しそうに上がってくる。口や鼻、腹部……至る所から赤黒い血がドロドロと流れ出ている。






  彼女の瞼が、と閉じた。





「あああ……あああああ………そ、そんな………」

 リボンが……死にかけている。この絶望的な状況下で……勝ち目のない負け戦の中で……。

「リ、リボン……リボン、頼むから寝ないでくれ!」




「さあ決着の時だ、ロスト」

 卑しい声が聞こえた。

 ロストは重たい瞼で、彼を見る。

 リュジュは勝利を確信したみたいに、剣を肩にかけていた。

「やっぱり……僕じゃ、、、ダメなのか」

 頭に浮かぶのは、無数の記憶。リリンやサーガと過ごした日々や、殲滅隊での戦い。つい先程まで一緒に過ごしたアップとの修行。

 まだやりたい事はあった……。もっと皆と話したかった。もっと強くなって、もっと人を助けたかった。マーキュリ博士やレントがくれた、二度目のチャンスを蔑ろにしたくなかった。

 でも自分の身に宿るのは、いつ暴走するかも分からぬ怪物の心臓。もしかするとリュジュの言う通り、あいつに心臓を刺された方がいいのかもしれない。どうせ死ぬなら、この心臓も道ずれにして死のう。


「………」


 ロストは、覚悟を決めた。

 折れた十字架剣を握り、再びリュジュと対峙する。

 せめて時間稼ぎでもしよう。

 そして、心臓もろとも地獄に落ちてやる!


「うわああああああああ」


 渾身の叫びで、リュジュの元へ飛んで行った。

 型も何もない、雑な上段斬り。


「あーあ、お疲れさん」


 リュジュの口元が、揺らりと動く。

 だがロストはそんな事気にせずに進み続けるが、奴の目先まで接近した時、彼の刃は終わりを告げた。





 ……時間稼ぎにも、

 ならなかったのだ。



「あ…ああ」

 見てみると、リュジュの刃が自身の心臓を貫通していた。今のロストは魔剣を持たず魔術も持たない、ただの人間。魔力で固めた結界も、重なる戦闘と落下が与えた損傷のせいで弱っていた。一撃で決着が着くのも不自然ではないのだ。

「リュジュッ!!! 貴様、何をやってんだ!! お前にやる金はないぞ!!!」

「構わん」

 リュジュはレントの激怒を跳ねのけた。

 目先の利益と、人類の存亡にかかわる脅威の排除。この二つを天秤にかけた時、前者を選ぶほどリュジュも落ちぶれてはいなかった。

「クッ……」

 ロストの口から鮮血が流れる。急速に弱っていく。

 もう終わりだ――そう思って、リュジュが剣をロストの胸から引き抜こうとした、その時。


 突如、リュジュの右腕が、

 剣を握っていた、彼の右手が。


「………はっ?」


 そこには、この世で最も存在してはならない怪物が、漆黒の前髪を靡かせていた。


*   *   *


 ロストの身体に変化が訪れる。剣に貫かれた皮膚は瞬く間に回復し、引き締まった筋肉が更に熱を帯びて進化していく。

 危険を感じるリュジュ。地面に落ちた剣を足で掬い上げ、左手で握るが……

「なっ!」

 剣を取った瞬間、リュジュは腹部に強烈な痛みを感じる。彼の【身体強化】など、もはや意味を成さず……リュジュは呆気なく遠方の城壁まで蹴り飛ばされてしまった。

 人類が誇る最強クラスの剣士、リュジュ。そんな彼が瞬殺されたのである。

 もし普通の人間がこの場に居合わせていたら、誰もがロストを畏怖するに違いない。

 だが、神なる存在を待ち望んでいた……レントは一味違う反応を見せた。


「あぁ、凄すぎる」


 レントは唯一人、ロストだった存在に心酔しているようだ。すぐさま彼はロストの下に跪く。

「あぁぁ、あなたが天魔様ですね」

「誰だ? 貴様は」

「私はレントと申します。あなた様の返り咲きを心よりお待ちしていた者です」

「…………」

 天魔は何も答えず、右手に握られていた十字架剣に目をやった。

 ちゃんと話を聞いて下さるのだろうか?

 少しの不安を抱くレント。彼は話を再開した。

「存じ上げているかもしれませんが、あなた様のお体は今、大変複雑な状況となっておりまして……」

「この紋章のことだろ?」

 天魔は己の左手に宿る紋章をレントに見せた。

「は、はい! その通りでございます」

 目を輝かせながら、レントは答えた。

「そこで私に一つ、ご提案があるのですが……」

 少し間を置くレント。一方天魔は、十字架剣の刀身に夢中だった。

「その紋章を破壊できる奴を知ってます」

 そう答えると、天魔の体がピタッと止まった。

 そして漸くレントの話に興味を持ったのか、視線を刀身から彼に移した。

「もし紋章を破壊できれば、その体は全てあなた様のものです。ここは一つ、私に協力してくれませんか?」

 深々と頭を下げた。

 暫し、沈黙が流れる。

「………悪くない」

「…………」

 折れた刀身の先を指で擦る。すると折れた先端部分から、刃が

「………で、ではぜひ!」

 レントは目を見開いて、心を高揚させながら頭を上げた。

 待ち望んだ神との対話。遂に願いが叶う!


 ようやく報われた——そう思った、その時。


 レントは、全身を十字架剣で引き裂かれた。


「……あぁぁ」


 血塗れになった上半身を見ながら、彼は倒れ込む。困惑の目を天魔に向ける。

「………どう、して?? 悪く……ない、って……仰ったでは……ないです、か?」

「あっ? 悪くないって……この剣のことだが?」

 怪訝な顔で天魔が答えた。

「そ、そんな……でも、紋章は?」

は破壊しなくていい。俺には俺のがある」

 絶望したような顔で、レントは彼を見た。

 この時、レントは思った。

 自分が生み出したのは……救済の神ではなく、ただの悪魔だったという事に。

「俺に殺されるだけ、感謝しろ」

 天魔が剣先をレントに向ける。

「や、やめ……た、頼むリュジュッ!! 僕をこいつから護っ……」

 言い終わる前に、その刃は彼の首を切断した。地面に流れゆく血液。

 それらを一瞥すると、天魔は顔を空に向けた。そして大きく息を吸って……

「良い匂いがするな」





 そう言って、彼が見たものは……

 他ならぬ、リボンだった。



 瞬間、十字架剣に黒炎が迸る。

 彼はそれを握りながら、ゆっくりとリボンに近づいて行く。

 相変わらずリボンは、意識を失っている。

 このままだと……殺されてしまう。


「……死ね」


 遂に、彼の魔剣は振り下ろされた。



*    *    *


 昼過ぎの時間、リビングのソファに腰を下ろし眠っていると、時間を忘れてしまうことがある。目を覚ました時、時計を見ても時間が分からず、まるで海に漂流した航海士のような気持ちになる。

 ロストもそんな感じだった。瞼が開いた時、まず感じた事は違和感だった。自分は何をしていて……どこにいたのだろうか……。目を覚ますと、ロストはレクのリビングにいたのだ。

 時刻は、夕方だろうか。窓の外を見ると、オレンジ色の空がブルアワーに変色している。リビングは全体的に薄暗く、物音一つしない。どうやらレクもリボンも、外出中のようだ。

「はあ」

 気怠い気分を吐き出すように、溜息をした。体がとても重くて、再び睡魔が襲い掛かる。

 これは、駄目だ。顔を洗おう。

 睡魔を取り除くため、ロストはソファを支えにして立ち上がった。歩く事すら億劫だったけど、仕方がない。

 そうして顔を上げ、窓の外を一瞥しブルアワーの空を凝視した、その時。

「……はっ?」

 窓に、自分の顔が映った。互いの顔を貶すように、反対側のロストは彼を睨みつけていた。

 鼻はひん曲がり……目元は赤く膨れ上がれ……頬は紫色に変色している、悪魔のような顔面。

 これは……一体誰なんだ? 

 思わず、ロストは自分の頬に手をやる。鏡に映る手は、確かに変色した吹き出物に触れている。だがロストの手に、そんな感触はなかった。

……待って、くれ。

 動機が酷くなる。胸の奥の振動が、鬱陶しいほどに加速していく。何かを急かすような動機なのだ。

……頼む、止まってくれ。

………はあ

………はあ、はあぁ、はあぁぁ、はあぁはあぁはあ………

「うわあああああああああああああ!!!!」

 頭のネジが外れたみたいに、ロストは発狂した。己の醜さを声でかき消すが如く。

 しかしその声は呆気なく、家具や壁に吸い取られてしまう。音がしない。誰かの吐息も……話声も……鳥の囀りや、草木が風に揺れる音すらも……全くの無音だった。むしろその残酷な沈黙が、彼にはうるさく思えてしまう。

 もう駄目だ! さっきからうるさいんだ!

 黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ!!!

「うわあああああああああああ!!!」

 叫べば叫ぶほど、自分が何者か分からなくなっていく。

 名前は?

 性別は?

 年齢は?

 職業は?

 いや……そんな事は、どうでもいいんだ。

 自分の存在意義が分からない。なぜ今、ここにいるんだ。どうして息を吸うんだ……。

 全てのインクが混ざり合ったような感覚に墜ちていく。

 ロストはその場に倒れ込んだ。悶え…足掻き……身体をミミズのようにくねくねと捻り、髪の毛を草むしりのように引っ張った。

 渾身の力で引き抜いたら、髪の毛は千切れるだろうか。

 静寂がうるさかったから、ロストは藁にも縋る思いで……

 何回も…何回も……何回も………何回も、髪をむしり続けた。

 自分の呼吸音が、リビングの壁にすき込まれるばかりだった。

 それから一分くらい経って、ようやくロストは飽きて、再び眠くなった。

 これは……きっと何かの悪夢だ。寝れば、解決するだろう。そう思ったロストは、黒の革製のソファにしがみ付くと、頭を廊下側に向けて瞼を閉じた……と思ったら、彼の目は開いたままだった。全身から冷や汗をかき、血の気が引いた気分になる。

 なぜなら、窓の向こうから馴染みある女性の声が聞こえて来たからだ。馴染みあると言っても、彼は彼女のことを知らない。人間の声は思えない程掠れていて、エッジの聞いた母音が、まるで亡者の鳴き声のようだった。

「……ロストちゃん。ロストちゃんロストちゃんロストちゃん。ドウして……アンな事、したの? わたし、スゴく痛かったなァェェェーーーーーー」

 ロストの顔が青ざめていく。声の主と思われる女性の顔が、世にも恐ろしいものだったからだ。両目が潰れ、頭はカルデラみたいに抉られていて……。

 その声は、ロストの叫び声のように消えゆくと思いきや、窓を貫通して壁全体に反射した。まるでこの建物自体が、彼女の悲痛な叫び声を強調するかのように。

 彼女は窓を叩きつける。ロストはそれを凝視する。

「……ロストちゃんロストちゃん。どうして、私を殺したの……痛いよ、苦しいよ……目が痛いよ……助けてよ」

 彼にはこの女の正体が思い出せなかった。殺した?……しかし身に覚えがない。

 そうだっ! きっとこの人は、キチガイなんだ……。

 間違いない。自分には何の罪はない。誰も殺してないんだ……ハハ、ハハ。ボクは大丈夫……。

 こんな風に正気を保とうとするが、女は真剣であった。次々に窓を叩いて、大口を開けながら、眼球のない窪みでロストを睨む。真っ黒で真っ赤な、空虚な球体で。

「……ロストちゃんロストちゃん。なんとか言って。私はつらいの……ロストちゃんのせいで私は死んだの。全部ロストちゃんが悪いの……ロストちゃん、私と一緒にこっちに来てよ……寂しいよ」

「…………はっ」

「ねえねえ……何で無視するの。お願い、何とか言って……アァ、苦しいデす……目が、メがイタい。あああああ……ロストちゃんロストちゃん」

「……ああ、頼むから、だま、ってくれ」

 遂に気がおかしくなったのか、ロストは頭を抱えてしゃがみ込んだ。血が出る程、髪の毛を引っ張る。

 窓の外にいたのは、その女だけじゃなかった。夕日に照らされた草花。その真っ黒な汚い地面から、数え切れぬほどの人間が生え上がってくるのである。肉は絶え……あばらの骨が見え……顔面は穴が貫通していたり目が潰れていたりしていて……無間地獄を見てるようだった。

 悪魔の化身か、亡者の果て姿なのか、そのような言い難い存在の彼らは、一堂に窓をバンバンバンと叩きつけるのである。そして誰も彼も、みな口々にロストを罵倒する。

 意味が分からなかった。なぜ、これほどまでに存在否定や人格否定されねばならないのか。顔も名前も不明な、赤の他人のお前らにロストの何が分かるというのか。だが、彼らはまるで全ての真理を司った神や悪魔、もしくは世紀の天才科学者や哲学者のような口ぶりで、ロストを断罪する。

 我慢が出来なくなったロストは、いよいよ発狂する。

「うわあああああああああああああ」

 右耳をギュッと握って、引きちぎる。皮膚や繊維が切れるムシッとした音が鳴る。血が潮吹きのように、彼の耳から飛び出る。……イタい、物凄くイタい。

 しかし責め苦は終わらない。まるでそれが頭に染み込んだみたいだ。

 血だらけになりながら、ロストは床を這う。リビングを出て、廊下に移動する。窓から遠ざかる。しかし声は聞こえてくる。とにかく、逃げたかった。ここから去りたかった。

 だからロストは扉の前に立ち、ドアノブに手をかけた。

 扉が開く。






「……えっ」

 そこに広がっていたのは、かつての中庭だった。



 サーガに治療を受けて、晴れた夜の庭で走るリリン。彼女は綺麗な金髪を靡かせながら、満面の笑みで地面を走っている。

 そうだ……この顔が、支えだったんだ。

 あの日、サーガを匿うことを選んだ。この選択肢は、間違いなく悪手だった。きっと、この日を境に運命の歯車は変わってしまったんだ。もし通報していれば、マーキュリー博士の心臓手術も受けずに済んだ筈だ。十二年前、誰も死なずに済んだのだ。

 だけど……身勝手だけど、この笑顔には勝てなかった。どうしても……妹を走らせてやりたかった。

 長生きさせて、やりたかった。

 もし、己の選択肢を否定したら……彼自らが、この笑顔を拒否した事になる。あの時、サーガを匿うという選択肢を選んだから、ロストは彼女の笑顔を見る事が出来たのだ。

 今更ながら、ロストはその事に気づいた。

「……サーガ?」

 いつの間にか、ロストの隣にサーガがいる。

 ロストが呼んでも、彼女は反応しない。腕に触れようとしても、指が腕をすり抜ける。

 サーガの真意は分からないままだ。彼女の生死も不明だ。

 十年前、何があったのか、それすらも思い出せない。けれど、サーガと結んだこの紋章のお陰で彼は生き延びている。彼女との絆が強いから……この紋章は天魔の心臓をも抑制しているのだ。

「ははははは」と嬉しそうに、リリンは笑った。久しぶりに聞いた気がする。懐かしい声色。

 ロストはそんなリリンに吸い寄せられるように、外に出る。暗い夜の庭の中で、彼はゆっくりと草むらを踏んでいく。

「ははははは、見て! お兄ちゃん」リリンはロストを見れないみたいだ。目の焦点が合っていない。まるでホログラムのような彼女を、彼は目の前で眺める。

「リリン」

 そう呼びかけても、その声は届かない。でも、ロストは穏やかな表情でリリンの笑顔を見つめる。そして決して触れることのできない頭部に、右手を乗せる。リリンは楽しそうに草いじりをしている。それは呆れるほど可愛くて、思わず肩の力が抜ける。

『ふぅー』と息を吸って、ようやく口を開いた。

「ごめんな、今までずっと。頼りない兄ちゃんで。もう……そっちに行きたいよ」

「……」

「でも兄ちゃん、まだやる事があるんだ。この命尽きるまで、図太く生きてみようと思う」

 やはり、その声は届かなかった。でも……十分だと、ロストは思う。こうやって妹の笑顔を思い出せて満足したのだ。

 ロストは立ち上がり、リリンに背を向け、再びレクの家に入る。旧友の仲であったサーガを通り過ぎ、あのリビングに戻るのだ。リビングに入ると、相変わらず亡者の声が壁に反響していた。忌々しい罵詈雑言が鳴り響き、彼の精神を破壊しようと躍起になる。

 一瞬だけ後ずさりする。でも直ぐに立て直す。夕日が沈みかけ、薄暗くなったリビングを一歩一歩進んでいく。亡者達が血まみれの手で叩きつける庭の窓。

 ロストは大きく息を吸って呼吸を整えると、その窓を全開した。

 その瞬間、ナイフのような言葉の弾丸がロストを襲った。顔も名前も分からない不特定多数の人間が、ロストに向かって批判の雨を降らせるのだ。


 シンプルに死ね。

 どうして、こんな奴生かすんですか? 早く殺してください。

 こいつ、魔術ないんだってwwゴミじゃんwww

 あの~弱者人間は無価値なんで、さっさと駆除してください。

 無能が生きる価値って何ですか?

 こいつの妹、病死だってwww呪いじゃ~んwww

 犯罪者の妹は死んでも同然。なんなら、臓器でも売って社会貢献してください。

 いや……この写真見ろよ、まあまあ可愛くねwww

 レイプ! レイプ! 男の性処理道具になってください。うちのムスコが待ってます。

 この男、学校でいじめられてたらしいよ。やっぱ、いじめの被害者側って何かイカれてんのな。

 空気読めない系でしょ? うちのクラスにもいるんだよね~マジむかつく。死んでくんないかな?


 ロストを地面に引きずり込もうとする亡者達。彼を狙う言葉の刃が、彼の服を千切りにする。やがてロストのシャツとズボンとパンツは全て切り刻まれ、彼は丸裸になった。亡者達は罵詈雑言を放ちながら、彼の裸体に絡みつく。赤黒い血で塗れた手が、次々に地面から生え出る。地獄の亡者の残骸が。

 その絵図は、まさに地獄だった。ロストは彼らに飲み込まれ、地面に沈んでゆく。

 ゆっくりと、ゆっくりと落下していくのだ。

 しかし、次の瞬間……状況は一変する。


「【終焉豪火】ッ!」


 そう詠唱した時、ロストの体から紫炎が辺りに広がった。空虚な空間から十字架剣が出現し、ロストは剣を使って彼らを一網打尽にしていく。

 ロストは何も言わず、顔色も変えず、ただ純粋に目の前の亡者を焼き殺す。

「こんな世界……僕には必要ない」

 【風光】と【終焉豪火】を掛け合わせた紫の火災旋風が、レクの家を飲み込んでゆく。ロストは頭上に円を描くように、剣を振り回した。刃の動きに反応して、紫炎は分厚い層をなして周囲を焼き払っていく。もはや、亡者など怖くない。いつの間にか、彼らの声が聞こえなくなっていた。

 しかしそんな中、ただ一人だけ。あの人の呼ぶ声だけは、ロストの耳に届いた。

「ロスト君!」

「マーキュリー博士ッ!」

 炎の渦の外側で腕を振るマーキュリー博士。相変わらず彼女は白衣を着ていた。

「ありがとうございます! マーキュリー博士」

 途端、この世界が歪んでいく。バケツの水に入り込んだ絵の具のように、視界の輪郭がぼやけていく。


「さあ、始めるぞ」

 ボソっと、呟いた。


*     *     *


 ロストの姿をした天魔は、修復された十字架剣に黒炎を纏いながら、リボンの元に近づく。リボンは相変わらず、意識を失ったまま。レクもロックも戦闘不能であり、誰も天魔を止められない状態であった。

「死ね」

 かくして、アップから受け継ぎし十字架剣【残罰刀ざんばつとう》】が振り下ろされ——…




  なかった……。


「はっ?」

 寸前のところで、彼の刃は止まる。ロストの体が天魔の意志に反して、硬直していくのだ。

「クッ……」

 天魔は自身の左手に目を向ける。見てみると、サーガとテイムを結んだ証明である黒龍の紋章が、光り始めていた。

「なるほど……五分しか、持たぬのか……」

 天魔は納得したように呟いた。少しの笑みを浮かべて、剣を地面に落とす。

 諦めたのか、それとも不可抗力だったのか、天魔は目を瞑りその場に倒れた。リボンを前にして、意識を失ったのだ。荒れ果てた庭園に風が吹き、二人の前髪がそよぐ。静寂が、流れる。

 その時だった……川に溺れた人間のように、掠れた呼吸を鳴らしながらロストは目覚めた。

「……あっ」

 彼は汗を搔いていた。悪夢を見ていたせいか、心臓を刺されたせいか、ロストの息使いは荒かった。

「リボンッ」

 まず目についたのは、意識を失っていたリボンだった。ロストは寝ぼけたアホ面から血相を変えて、彼女に身を寄せる。リボンは弱ってはいたが、魔力の波動はしっかり流れている。魔力の波が循環しているということは、生きている証拠だ。

「はッ……」

 安堵したように溜息をつく。周囲に目をやると、死にゆくレントが視界に入った。レントの身体からは全く魔力を感知できず、そもそも首を切断されていたので手の施しようがなかった。レントはロストの敵だ。けれども、今ロストが生きられているのは、マーキュリー博士とレントがいたからだ。

「僕が、殺したのか……」

 そう呟いて、ロストは己の左胸に手をやる。その心臓は逞しく動いていた。出来る事なら、レントは殺さずに普通に逮捕したかった。同じ非魔術師として、何か分かり合える部分があったのでは……と、ロストは思ったからだ。

 少し感傷的になるロスト。疲れ果てた幼児のように、視点を一か所に固定して思考を止める。集中力が下がってゆく。

 ところが、ロストにそんな暇はない。感傷に浸っている場合ではないのだ。

 なぜなら、まだ、戦いは終わっていないからだ。

「やっぱお前、ここで殺した方がいいな~」

 遠方の瓦礫の山。壊れかけた城壁の間から、右腕をもぎ取られ疲弊しているリュジュが立ち上がった。天魔の一撃を受け、彼の体は満身創痍であった。しかし流石は元将軍。凄まじい速度で魔力を循環させ、止血させている。利き手じゃない左手で刀を握り、その刃をロストに向ける。

「お前さ、自分が害悪だって分かんねーの?」

「……」

「もし世界中の魔人がお前の存在を知ったらどうなると思う? もしレントのような、その心臓を悪用するような奴がいたらどうする?」

「……」ロストは口をギュッと閉じる。彼の表情が険しくなる。


「もし、お前のせいで、自分の仲間が死んだらどうするんだ?」


 ビクッと彼の耳が動く。

 倒れ込むリボンやレク、そしてロック。首と体が引き放されたレント。

 それらを見て、表情が沈んでゆく。そんなロストを、リュジュは詮索するようにジロジロと見つめる。

 反論しないロスト。見兼ねたリュジュは、呆れたように次の言葉を紡ごうとする。が、その時……。

「背負うよ、全て」とロストは言った。

「……はっ?」とリュジュは漏らす。

「お前、立場理解してんの?」

「うん、理解してるよ。僕がどれだけ危ない存在で、どれだけ死ぬべきか」

 リュジュの意見は正しいと、ロストは思っている。この国の国民は、ロストを嫌い死刑を望むに違いない。場合によっては、彼自身の手でリボンやレクを殺めてしまうかもしれない。十二年前とは比較にならない程の、大災害を生み出すかもしれない。

 どうしようもなく、彼の’生きるという選択肢’は合理的でない。

 けれども、ロストは決めた。果てしなく身勝手で、救いようのない愚かな選択だと分かっているけれど、もう一度だけ間違った選択肢を取ろうと。

 どうあるべきか……ではなく、自分がどうしたいか。

 ’すべき’……ではなく、’したい’か。

 リリンの笑顔を見たかった。リリンの病気が治って欲しかった。一緒にご飯を食べたかった。

 アップの隣に立てるような男になりたかった。友達が欲しかった。誰かと放課後の時間に遊びたかった。

 お母さんに死んで欲しくなかった。お父さんは借金を残して欲しくなかった。

 もっとレクやリボンと暮らしたかった。もっと強くなりたかった。高校時代のリベンジがしたかった。

 本当は彼女だって欲しいし、強い魔術だって欲しかった。アップみたいに、選ばれし人間にだってなりたかった。

 どうしよもなく貪欲で、愚かな心。自分勝手な思考回路。望めば望むほど、自他共に傷つけ合う。けれど、望むことを諦められない。

「背負うってどうやるんだよ」

「……知らないよ。でも、罰は幾らでも受けてやるから」

 【残罰刀】に紫炎が迸る。

「僕は、進み続けるよ。罪と一緒に」

 刹那、リュジュの視界からロストが消える。見てみると、さっきまでロストが立っていた地面が抉られている。

「【終焉業火】」

 その声が、背後で響く。束の間、ロストはリュジュの後ろを取っていた。寸前のタイミングで避けるが、押し切られる。

 リュジュは右腕を失っている。故にロストの連撃に対応できない。

「【閃電岩炎帝フルグライトエンペラー】」雷、炎、風の三つの魔法を組み合わせた大規模魔法が、ロストを襲う。焼き切れそうになるが、炎の隙間を【風光】でこじ開ける。

「無理だ~この距離では、何もできんぞ」

 ロストの体を囲むように、炎と雷の風の斬撃がやってくる。その一つ一つに強力な魔力が込められていて、今のロストの力では対応しきれない。

 チェックメイト――リュジュが勝利を確信した、その時。

「【風光】」

 ロストは自らの身体に風魔法をかけ、瞬発的にリュジュとの間合いを詰める。中距離からの【閃電岩炎帝フルグライトエンペラー】を出し抜け、一気にリュジュの所へやってくる。

「ーーッ!」

 流石のリュジュも焦る。利き手でない左手一本で、雑な上段斬りを放ってしまう。勿論ロストが、そのような隙を見逃す筈がなく――…



  リュジュの刀身は……

             二つに折れた。


 瞬間、リュジュの付与魔法が解け、紫炎や青の雷は空気に溶け込んでいく。

 彼は呆然と立ち尽くして、その行く末を眺める。魔剣が壊れたということは、戦う武器がなくなったのと同然だ。まだ【身体強化】が残っているが、損傷した右手を回復させるのに必死で、魔力が魔術の発動まで行き届かない。

 勝負は決した……ロストの勝ちだ。

「ワイの、負けか」

 捨て台詞のような、リュジュの言葉。力尽きたのか、折れた刀身を地面に落とした。

 彼の魔力がどんどん低下していく。

 殲滅隊との激しい戦い。天魔による大損傷。そして魔剣の崩壊。幾多の要因が重なって、彼はようやく諦めたのか、その場に倒れた。生きてはいるが、非常に弱っている。

 反撃はないだろう――そう思ったロストは、彼から目を背けた。

 周りを見渡すと、人らしき気配は一つもなかった。早く前線の状態を皆に伝えなければ……。

 ロストはリュジュを含めた四人を山のように背負うと、庭園の門を抜けた。門の先はレクが制圧した先程の大通りに繋がっている。その大通りを進むと、ロストから見て左側に教会が見えてきた。あそこで休憩しようか――とロストが思った矢先、聞いた事のある女性の声が聞こえてきた。

「ロストッ? 生きていたのか」

「チャオ先輩……」

 二軍のリーダー兼マーキュリー軍団の指揮官を務めたチャオだ。至る所に血痕が見られ、黒の眼帯にまで血が付いていたが、重傷を負った感じではなかった。

「チャオ先輩、この人達を」

 すぐさまロストは、彼らを地面に寝かせる。

 レク達を見たチャオは大声で号令を発すると、教会の反対側すなわち大通りの右角から、殲滅隊と思われる人達が駆け寄ってきた。彼らは慣れた手つきで、レク達を運んで行く。

「他の部隊はどうなってますか?」

「ある程度は制圧した。安心してくれ。君こそリュジュ相手によく戦ってくれた。感謝する」

 そう言うと、チャオはロストにも治療を受けるよう後続部隊へと促そうとした。

 ところが……

「すみません。僕は古城に戻ります」

「んっ? なら私も一緒に」

「いえ、僕一人で大丈夫です」

 呆然とするチャオを置いて、運ばれていくレク達を一瞥して、ロストは再び古城へと歩き出した。右手に十字架剣を添えて。

 すると突然、その右手を誰かが掴んだ。

「せめて……コー、トでも着なさい……」

 その手はリボンのものだった。微弱ではあるが、意識が戻ったみたいだ。

 彼女が着ているコートはロストのコートだ。キングワーム戦の直後に、ロストがリボンに着せてあげた黒のコート。

「ありがとう」

 ロストは少しだけ微笑むと、リボンのコートを脱がせた。

「じゃあ行ってきます」

 もう一度チャオの方を見る。彼女は心配そうな顔をしたが、ロストはそんなチャオに構わずコートを着る。かくして、ロストは出発した。




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