白の狂姫

神在月ユウ

第1話 雪姫の生い立ち

 白野雪姫しろのゆきが生まれたのは、ちょうど雪が降り出した頃だった。

 大病院の医師であり経営者でもある父・雅之まさゆきと、看護師を退職して家庭に入った母・真尋まひろとの間に生まれた一人娘である雪姫は、両親に愛情をもって育てられた。

 雪姫自身、経済的なことを理由に我慢を強いられたことはなく、事実、蝶よ花よと育てられた。欲しいものは与えられ、やりたいことは全てやらせてもらえた。

 夫婦仲も大変よく、雪姫の教育環境は問題なかった。

 経済的に恵まれ、両親に愛され、雪姫は可憐な容姿に育っていった。

 あるとき、そんな理想の家庭は崩れ去った。


「あなた、何を考えてるの!」


 そんな母の怒声を、初めて聞いた。

 雪姫が小学生のときのことだ。


 初めて、風呂以外で父の前で裸になり、同時に父の裸を見た。下腹部の形が風呂のときと違うこと以外は、父の様子は変わらない。いつもの優しい父だった。

 一糸纏わぬ雪姫の体を優しく撫でる父の様子は、いつもよりも息が荒かったように思う。触れられるのは、くすぐったい感覚が強かった。下半身に顔を近づける父の行動に「汚いよ」と言っても、「汚くない。綺麗だ」と即答する父に対する感情は、当初理解できないものだった。しかし、夜『母にしていること』と同じことをしていると理解したとき、これまで漠然としていた『大切にされていた』という感覚が、より一層具体的に感じることができた。

 自分は父に必要とされている。

 自分は与えられるだけでなく、与えることもできるのだ。

 そこに、雪姫は自負を感じるようになっていった。


 この習慣が母に露呈したとき、雪姫は初めて母の憤怒の声と表情を見たと思う。

 おしどり夫婦だったはずの二人の関係は一気に冷え切った。

 大きな屋敷に住んでいたため家政婦が住み込みで働いていたが、夫婦間でのやりとりはほとんどなくなり、必要なやりとりは家政婦を介して行われた。

 雪姫は母から「もう父に近づかないように」と距離を置くように言われ、父からは「お父さんを癒してくれ」と近づくことを迫られる。

 傍から見れば板挟みの関係なのだろうが、雪姫はあまりそうは思わなかった。

 むしろ、夫婦間のやりとりがないことで、雪姫は『母にできないことを自分はできている』と、父との関係を誇りさえしていた。


 やがて、母の父に対する怒りは雪姫にも向けられるようになった。

 中学生になり、雪姫の体つきが女らしくなっていること。それに対して自分が相応に老い始めていること。それを痛感し、夫からは求められない自分と、反対に倫理観に反してでも求められる娘の存在が、「娘を守る」から「邪魔な娘」へと考えを変えさせた。


 母から雪姫への当たりが強くなったころ、父が急逝した。

 そして、事前の根回しをしていたのか、専業主婦をしていたはずの母・真尋が、病院の経営者となった。

 どんな根回しが行われたのか、金を積んだのか、それとも弱みでも握ったか、はたまた『女』を使ったのか。

 雪姫にはその辺りの事情はわからなかったが、母が大きな経済力と併せてある程度の権力まで握ったことだけは理解した。

 一部では母が父を殺したのではないか、という噂が立った。元々看護師だったのだから、薬物にも知識がないわけではない。元々の職場である病院にも顔を出していたこともあったから薬品を入手することも可能だったのでは?と毒殺疑惑が持ち上がったのだ。警察の検視では毒物の検出も事件性もないと結論付けられているが、事実がどうなのかはわからない。


 雪姫は父の死を悲しみはしたが、思ったよりも喪失感が薄いことに気づいた。

 学校ではその容姿と自信に満ちた態度からカーストのトップであり、男子生徒からは「かわいい」「付き合いたい」と好意を抱かれている。それは中学から高校に進学しても変わらなかった。

 父がいなくても、自分は多くの人間に必要とされている。

 その自信が、自分を必要としていた父の喪失を上書きしたのだとは、雪姫自身気づいてはいない。良くも悪くも、自分を必要としている人間がいるうちは、寂しいという感情とは無縁でいられたのだった。



 これは、そんな家庭環境の少女に向けられた殺意と、その報復の物語。

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