ぎゃり――
#1
【ストーカー規制法 第2条第1項第1号】
つきまとい、待ち伏せし、進路に立ちふさがり、住居、勤務先、学校、その他その現に所在する場所若しくは通常所在する場所(以下「住居等」という。)の付近において見張りをし、住居等に押し掛け、又は住居等の付近をみだりにうろつくこと。
皆さんは『ストーカー』をされた経験があるだろうか。実は、ストーカー事案の相談件数は全国で約二万件にも上るという。
そして、ストーカーの被害にあっている割合はざっくりとだが、男女比率で言うと男性が二割、そして女性が八割。
圧倒的に女性の割合が多いわけだ――しかし、あくまでも警察に相談した件数なのである。
◇
「ちっ…またかよ」
千春は仕事が早く終わった日は必ず事務所に寄り、編集作業をしてから自宅に帰るようにしていた。
いつものように事務所に寄ると、ポストに淡いピンクの封筒が入っていたのだ。
実を言うと、ここ数か月前から同様の人物から手紙が事務所に届くようになっていた。手紙は一見するとファンレターのようなものなのだが、最初は書いてある内容が「ファンです」から最近では「会いたい」と、いった内容に変化してきていた。
ただの千春たちの事が好きすぎるファンだろうと思うだろうが、封筒には切手、そして消印すらない。勿論だが名前はおろか住所すら書いていないのだ。つまり、手紙は直接事務所に投函されているという事になる。確かに千春たちは事務所の住所を公開はしているのだが、わざわざ手紙を直接投函しにくる理由が分からず、それがまた気味悪さを増長させていた。
手紙を書いている人物が何処に住んでいるかは分からない。恐らく、手紙を直接投函しているくらいだから、そこまで離れていない場所に住んでいるのだろう。幸い、今の所は千春たちの自宅に同様の手紙は届けられていない。
千春は、またいつもの気色の悪い内容の手紙だろうと、読まずに事務所のゴミ箱に捨てて、その日は編集作業をしてから帰宅をした――。
梅雨明けの公式な宣言はまだ出ていなかったが、空は真っ青に晴れ上がり、真夏の太陽が留保なく地上に照りつけていた。
立っているだけで汗が噴き出してきそうな中、千春は編集作業をする為に事務所に向かっている。事務所の鍵を開ける為に鍵穴にカギを差し込むと、いつもならば「ガチャ」っと硬質な音が鳴り響くというのに、その日は無音であった。
「鍵が開いてる…?」
嫌な予感が千春の脳裏を過る。
ここ数か月前から定期的に届く手紙――まさか…。
音がしないようにゆっくりとドアを開けて中を確認する千春。玄関には見慣れた靴が一足脱ぎ散らかされてあった。
「なんだよ…篤か」
篤であった事に胸をなでおろしたと同時に、いつもは昼を過ぎてから来る篤がこんな朝早く来ることに疑問に思う。
狭い室内に入るとそこには、ソファーに寛ぎながら面白い事でも見つけたかのような表情をしている篤が目に映る。そして千春は思う――「嫌な予感がする」と。
視線を篤から落とすと、テーブルには淡いピンクの封筒。
「珍しいなこんな早くに来るなんて…というか、その気持ち悪い顔をやめろ」
「むふふ。千春くん。こんな面白い手紙が来ているというのに、なんで教えてくれなかったのかな?」
「面白い…?いや、中身を見ないで捨てたから知らん」
篤が面白いというのだ。どうせろくでもない事に決まっている――今までの経験からそう判断した千春。同時にこうなった篤は止まらないと悟ったのであった。
「それで、手紙の内容なんだけど――」
千春が聞いていないというのに、手紙の内容を話し出す篤。
内容としては、『〇月〇日の午前2時に〇〇(住所が書いてある)の廃村に来て下さい。廃村の家に幽霊が出ます』という事であった。
「この手紙を送った奴は馬鹿か?行くはずないだろ気持ち悪い」
「いやいや、千春くん。良く考えてみなよ。この手紙の送り主――ストーカーに、会えるチャンスじゃないか。どんな奴か見てみたくはないかね?」
「はあ?ストーカーが来るとも限らないし、何よりこんな手紙を送ってくる奴なんて、頭が狂ってる。危なすぎだろ」
「指定された時間の前に行って俺達は隠れて待つ。そんで、ヤバそうなら逃げれば良いだろ?来なかったら別にその廃村を探索でもすればいいしさ。その廃村については俺が調べておくから良いだろ?」
篤はこのストーカーに興味を持っているのは以前から知っていた。それなのに、適当にゴミ箱に捨てていた千春も悪い。結局、篤の暴走を止める事が出来ずに、指定されていた場所に向かう事になってしまうのだった。
◇
手紙の主に指定された日になり、篤に指定された時間になるが一向に篤は来ない。篤は時間にルーズなのだが、遅れる時は必ず千春に連絡を入れていた。しかし、この日は連絡すら来ない。何かあったのか――そう思い篤に電話をする。
暫くコール音が鳴り響いた後に篤は電話に出る。
「もしもし?もうとっくに待ち合わせの時間が過ぎてるけど、なんかあったのか?」
「ぃや――すまん。なんか、体調がいきなり悪くなってさ…」
電話口からは篤の体調の悪そうな声が聞こえてくる。
「珍しいな。とりあえず、なんか買ってそっちに向かうわ」
馬鹿は風邪をひかないと言う言葉の通り、篤が体調を悪くしている姿など見た事はない。コンビニでスポーツドリンクなどを買い、篤の自宅に向かう千春であった――。
「とりあえず色々買ってきたけど、なんか食うか?」
「助かるわ…けど、あんまり食欲はないんだよな」
篤の顔色は真っ青で、こんな弱々しい篤の姿を千春は見た事がなかった。
「今日は行くのは無理だな」
「いや、大丈夫だって。薬も飲んだし、もう少しすれば良くなるって」
千春は無理矢理にでも行こうとする篤を必死に止めたが、篤も引かない。
「はあ…俺が一人で行くからお前は休んでろ」
「一人は危ないだろ」
千春も別に一人で行きたいわけではない。しかし、このままでは篤が無理をしてついて来るだろう。体調が万全ではない者が居ると、いざという時に足手まといになる。なんとか、篤の事を説得し、一人で問題の場所へと向かう事にした。
篤に目的地である廃村の曰くについて調べてもらっていたので、千春はその場所に向かうルートこそ調べてはいるが、曰くや噂といったものは調べていない。
調べようにも今は時間がない。指定された時間は午前二時…手紙の主が来る前に隠れていなければならないのだ。篤を説得するのに時間がかかってしまった為、少し急いで廃村まで向かうのであった。
◇
カーナビに従い車を走らせる事、約一時間。目的の廃村には車では行くことが出来ない為、山の麓にある駐車場に車を止めて、歩いて山を登って行く。
途中までは舗装されていた道であったが、次第に道幅は狭くなってくる。外灯の無い山道――灯りは千春が持っているペンライト一本のみ。
随分長い事使っていなかったのだろう。ボロボロのアスファルトの上には枯れ枝や落ち葉が薄っすらと積もっている。道の片側は崖になっており、その下には小さな川が流れている。虫のさざめきと、川の音――そして、千春が落ち葉を踏みしめる音だけが聞こえる。
舗装されていた道もいつしか砂利道に変わっていく。どのくらい登っただろうか――スマホのナビからは「目的地に到着しました」と、無機質な声が響いて来る。しかし、見回してみても周りは木々に囲まれていて廃村は見当たらない。
恐らく、廃村になってからかなりの年月が経っているせいか、村は森に飲み込まれてしまったのだろうと、千春は推測する。
意を決して森の中に入って行く千春。伸び放題の草を踏みしめながら森の奥に進んで行くと、少し開けた空間に出た。
頼りないペンライトの光で辺りを照らしてみると、ボロボロに朽ち果てた家が見えるが、その多くは既に倒壊しており、ギリギリ家と呼べるようなものは一つしかない。
しかし、千春にとっては都合が良かった。というのも、わざわざ幽霊が出る家を探す手間が省けたからだ。その家こそが手紙の主が言っていた『幽霊が出る家』なのだろう。
スマホを見ると、午前1時を過ぎた頃。
指定された時間まではまだ少し時間がある為、その家を探索する事にした。しかし、手紙の主がその家に潜んでいる可能性もある。ライトの光を消し、赤外線カメラの映像を頼りに家に向かう。
周りの家が倒壊しているというのに、この家だけは状態が良い――と言っても、いつ崩れてもおかしくない状況なのだが……。
屋根は破れ、菱形に傾いている二階建ての家。縁側から家の中を覗いてみると、全ての床が抜け落ちていて物が散乱している。
「誰も居ない…か?」
今にも崩れ落ちそうな家の中に入る事は危険と考え、外から様子を伺っていたが人の気配は感じられない。どうやらまだ、手紙の主はこの廃村には来ていないようであった。
この廃村の裏手は斜面になっており、太い竹が生えている。そこに潜み手紙の主が来るのを待つ千春。
ライトの光を消したまま竹林に潜むこと数十分――虫の鳴き声に紛れて、草を踏み潰す音が聞こえてくる。
(マジか…本当に来やがった)
先程、千春が通ってきたであろう道からはライトの光が見える。恐らく、あれが手紙を送ってきた人物であろう。その人物は先程まで千春が探索していた建物の中に入って行くのが見える。逆光でその人物の性別は分からなかったが、手紙の内容や筆跡からして女性だろうと、千春は考えていた。
家の中で何をしているのか分からないが、時折ライトの光が家の中から漏れる事から、千春が来ているか探しているようだ。
竹林に身を潜めながら数十分ほどその様子を撮影していると、手紙の主は家の中から出て来て、元来た道を帰って行った。しかし、千春は竹林から動かない。何故なら、手紙の主が戻って来る可能性があるからだ。
手紙の主が廃村から去ってから三十分ほど経った頃、流石にもう戻ってはこないだろうと思った千春は、先程の家をもう一度調べてから帰る事にした。
家に近づいて中を照らしてみると、ライトの光にきらりと反射するものが見える。
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