気の持ちよう
#1
花びらの大半が散り落ちて、残骸のようになってしまった桜並木。この風景を見ると春が終わったと感じる。
体をなでるような爽やかな風が、開け放たれた窓から室内に流れ込んできて、黒く染まった千春の心を洗い流してくれるようだった。
「ちーはるっ!聞いてんのか?おーい!」
せっかく心が綺麗になっていくのを感じていたのに、窓の外の光景を遮るように、視界いっぱいに篤の顔が映し込まれる。
「聞いてるよ。篤が女の膝裏フェチだって話だったよな」
「そんな話はしてねぇよ!いや、好きだけども…じゃなくて、五月と言えばなんでしょうか、って話だよ」
適当に言った言葉で篤のフェチが判明してしまったが、篤の話の内容はそれよりも下らない質問であった。
「五月か…運動会」
「いや、そういう季節だけどさ」
「こいのぼり」
「子供かっ!」
「新茶」
「しぶっ!いきなり回答が渋くなったな。正解は『ゴールデンウィーク』でした」
「それがなんなんだよ」
以前もこんなやりとりをした事があるな。そんな事を思い出した千春であったが、同時に嫌な予感を感じた。
「よくぞ聞いてくれた。大型連休だぞ?せっかく遠出できるチャンスなんだから、遠征で他県の心霊スポット巡りしようぜ!」
「そんな簡単に言うけどな、許可を取るのだって時間がかかるんだぞ?」
「むふふ。実はもう許可は取ってまーす」
いつもは千春に面倒な事は押し付けるのに、今回は篤が進んで仕事をしている。これは明日は大荒れだな。ため息を吐きながら篤のスマホの画面を見る。
「
紗月とは篤の五つ上の姉なのだが、この姉も篤と同じように癖が強い。何度か千春は会った事はあるのだが、確か今は転勤で他県に行っているという話を篤がしていた事を覚えている。
「よく見ろよ。ほらこーこ!」
そう言いながらスマホの画面に指を当ててくる。
「清流旅館…?これって座敷童で有名な旅館、だよな?」
日本には『座敷童』という妖怪が存在する。座敷童と言えば、岩手県。そう考える人も居るだろう。だが、実を言うと座敷童というのは、全国各地に居る、らしい。そんな中で一番有名なのが、座敷童に会えると言われている清流旅館である。
「すごいだろ?ゴールデンウィークに予約を取れるなんてこんな事ないぞ?」
ドヤ顔で話してくる篤を冷めた目で見ながら千春は言う。
「篤は何もしてないだろ。紗月さんのおかげだろ」
というのも、清流旅館の予約を取れたのは、紗月の広い交友関係のおかげである。オカルト情報誌の会社に勤務する紗月は、主に心霊やUFOといったオカルトに関する取材などを仕事内容としている。
当然、座敷童が出る旅館として有名な清流旅館にも、何度も取材に行った事があり、旅館のお偉いさんとも知り合いである。オカルト好きな姉が、清流旅館に泊まってみたい。そう思うのは自然な事だろう。
その伝手で今回、旅館を予約していた客がキャンセルになったという連絡が紗月に入ったわけだ。しかし、どうしても紗月は外せない予定があるらしく、泣く泣く弟である篤に譲ったという事である。
「姉の手柄は弟の手柄みたいなもんだろ。そんで、勿論行くよな?」
「ジャイアンかよ。まあ、確かに気にはなるけど…俺はあんまり座敷童を信じてないんだよな」
「はぁ?それって存在自体を信じてないって事か?」
「そっちじゃない。見たら幸せになるとか、男は出世して、女は幸せな結婚・妊娠が出来るってやつ」
なにも千春は理由もなく座敷童の伝説を否定しているわけではない。座敷童と呼ばれる妖怪のようなモノは存在すると考えている。だが、視たら幸せになる。そんな事が果たして本当にあるかどうかは疑問である。
千春も人に害を与える霊が居る事を知っている。現に篤はその被害にあっていたのだから。だが、害を与える霊が居るのならば、福を与えてくれる霊が居てもなんら不思議な事はないはずである。
しかし、千春はそうは考えていない。
単純に千春がそんな幽霊を視た事がないからだ。そもそも、視るだけで幸せになる妖怪が居るのであれば、日本人はもっと幸せであろう。恐らくだが、座敷童を見た人が後に成功した、良い事が起こった。それは気の持ちようだと考えている。
『土曜は丑の日』という言葉をご存じだろうか。
土用の丑の日にうなぎを食べるため、うなぎの旬は夏だと考えている人が多くいるようだが、実はうなぎの旬は冬である。
5月頃から天然うなぎはとれはじめ、12月には漁が終了する。とれ始めの時期の天然うなぎは冬眠明けで身がスカスカ、脂もほとんどのっておらず美味しくない。
エサを食べ出して脂がのってくるのは8月以降、いちばん脂がのって美味しくなるピークがその後なのだ。秋から冬にかけて、10月から12月が天然うなぎの旬で、特に水が冷たくなり始める頃の天然うなぎが美味しいのである。では何故、『土曜は丑の日』という言葉が生まれたのであろうか。
理由は『人気がないうなぎを捌きたかった』というわけである。
うなぎ屋は何とかしてうなぎを売ろうとして、江戸時代の発明家である平賀源内に相談を持ち掛けると、源内は「本日丑の日」と書いて店先に貼ることを進めた。すると、「丑の日にちなんで『う』から始まる食べ物を食べると夏負けしない」という風習があったことから、うなぎ屋が大繁盛し、それを他のうなぎ屋もまねて習慣となったという。
つまりはただの販売戦略である。このような事から、座敷童も旅館側による販売戦略の様な物だろうと千春は考えていたのである。
「千春は夢が無いな。そんな事ばっか考えてるから目つきが鋭いんじゃねぇか?」
「確かにそうかもな。篤みたいに頭空っぽにして過ごしてみたいよ」
皮肉には皮肉に返す千春であった。
口ではこんな事を言っている千春であるが、座敷童というモノに興味があるのは間違いない。内心、ワクワクしながらその日をまつのであった――
◇
清流旅館の場所は東北の岩手県に存在する。千春たちの住んでる場所から高速で7~8時間の距離。だが、それは比較的スムーズに車を走らせた場合である。
時はゴールデンウィーク初日。世の中の父親が年に数回あるかどうかの『家族サービス』をする時期である。当たり前だが、千春たちは渋滞に捕まっていた。
「これは暗くなる前に旅館に着くか怪しいな」
「そうだな。まあ、そんな焦る旅じゃないんだ。ゆっくりと行こうぜ」
「へいへい。そういやさ、千春って座敷わらしみたいな良い幽霊?を視た事ないって言ってたじゃん?じゃあ、逆にどんな幽霊だったら視た事があるんだ?」
この二人は高校からの付き合いではあるが、千春からその辺の話を詳しくは聞いたことがない。
「そういや言ってなかったか?そうだな――」
千春も正直その辺の事は良く分かっていない。というのも、あまり幽霊が視えるという人に出会った事がないし、出会ったとしてもお互いの意見が食い違う事が多々あるからだ。
だが、一つだけはっきり分かっている事がある。それは千春に害を与える霊は視える。という事だ。
逆に言えば、それ以外は視えない。もしくは見えづらいという事でもある。
「じゃあさ、座敷童が居る旅館に行って、視えなかったら良い霊。視えたら悪い霊って事でいいのか?というか、なんでそれだけはっきり分かってるんだよ」
「まあ、そういう事になるな。それはアマネさんに言われたんだよ。なんだかんだ言って、あの人は本物だろ?そのおかげで篤が無事だったんだから」
そう言いながら、この間の宗教施設での事を考える。あの時の篤は普通では無かった…それに、夢で見たあの女性と同じ仕草を篤はしていた。
千春はあの女性の事を息子の元奥さんだと思っていた。だが、アマネから『篤には別の女性が憑いている』と言われた事や、先日の篤の人差し指を口に持っていく仕草。これらの事から予想すると、あの夢に出てきた女性は篤に憑いている女性なのでは?つまり、アマネの言葉を借りるなら『神』という事になる。
アマネの言う通り、篤に危害が及んでいるわけではないが、その状況がずっと続くかどうかは分からない。
窓の外の景色を見ながら、早くアマネの師匠が来てくれることを願う千春であった――
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