第15話 脳柱


 白衣の男。

 目の前に立ち、瞬きも無く俺を見ている。


 そこは俺の知る学校のどの部屋とも違う。

 ベッドが置かれるだけ一人部屋。

 部屋は薄暗く、簡易的な休憩所みたい。


「状況が飲み込めないんですけど」


 警戒しながら、白衣の男へ問いかける。

 黒髪黒目で、どう見ても人間。

 多分、日本人みたいだけど……


 けれど、全うな人かと問われれば疑問を抱く。


「そうだね、自己紹介から始めよう。

 私の名前はラクトール・IC・ジェームズ。

 ここの管理者だ。

 最も、ここに人間の職員は私一人しか居ないがね」


「ラク……?」


「君に最初に投げ銭をしたのは私だ」


 そう言って微笑む男。

 ラクトールは不思議な人間だ。


 目や表情。

 筋肉の動きが、若干不自然な時がある。

 違うな。寧ろ自然過ぎるのだ。

 完璧な、ミスなど知らないような動き。


「人間……?」


 まるで、機械だ。

 そんな感想を抱いた。


「申し訳ない。

 人間という言葉には語弊があった。

 私の身体の9割は機械化されている。

 それでも、殆どの人間に比べれば、私は元来の姿に近いと自負しているのだがね」


 そう言いながら、男の頭がパカリと開く。


「えっ……」


 透明のカプセルの中の脳ミソが見えた。


のおおおおおおおぉぉぉっぉぉぉっ!!」


 指を指してすっころぶ俺。


「あははははは!

 君は、一番良い反応をするね!」


 それを見て笑う男。


 お腹を抱えながら頭を仕舞う。


 この野郎……

 見た目は若そうなのに。

 ギャグセンスにおっさん味を感じる。

 見た目通りの歳じゃ無いのかも。


 にしても疑問は尽きない。

 自己紹介なんてされて、寧ろ増えた。


「説明、して貰えるんですよね」


「勿論、君の世界の情報を私は持っている。

 だからこうして、どう違うのかを説明する事ができるという訳だ」


 そう言って、男は部屋の扉を開く。

 俺を招くような仕草をして誘導してくる。

 ここで引いては、何も分からないか。


 俺は、歩みを進めた。


 真っ暗なその部屋。

 しかし、広さはかなりありそうだ。

 天上も暗くて良く見えないが、10m以上ありそう。

 そんな空間。


「照明をつけるよ。

 覚悟は良いかい?」


 なんて、恐怖を煽る様な声色で男は言う。


 明かりが点けば、俺は何かを知るのだろう。

 それはきっとこの世界の常識で。

 けれど、俺にとっては覚悟が必要な内容。


「……いいっすよ」


 そう。

 俺が言うと同時に。


 照明が一気に部屋全体を照らした。


 ドーム状の建物。

 その中の通路以外の場所。

 そこには、ギッシリと水槽が並べられていた。


 円柱状の1m程水槽。

 円周は俺の頭より二回りほど広い。


 けれど、重要なのは部屋の形でも、水槽の見た目でも無い。


 その水槽の中身だ。


 幾つもの管が伸びた水槽。

 その中には、管に繋がったゲル状の何かがあった。

 グネグネと動く、丸い……


「それで、俺にしょうもないギャグを見せたのかよ」


「そうだよ。

 行き成りこれを見るのは、少しショッキングかと思ってね」



 ――脳が水槽の中に浮かんでいた。



 部屋を埋め尽くす大量の水槽の中。

 その全てに脳が浮いている。

 気持ち悪いなんてレベルじゃない。

 吐き気を堪えるのがやっとだ。


「君は強いね。

 ここへ来た訪問者の殆どは、トイレに駆け込んだよ」


「俺も、できればそうしたい気分ですけど。

 色々と、聞かなきゃいけない事があるもんで」


「珍しく、責任感のある学生さんだね。

 さて、本題を説明しよう。

 君にとっては異世界に当たる。

 そう、この世界についてだ」


 そう言って、男は切り出した。


「まず、この世界の人口はどれくらいだと思う?」


「人口……?」


 俺は、辺りを見渡して答える。

 良く分からない機器が沢山見えた。


「結構科学の進んだ世界みたいですし……

 100億とか?」


「不正解だ。現在、この惑星上に全うな人間は70万人程しか居ない」


 流石に、それを鵜呑みにする程俺も馬鹿じゃない。

 まず、相手への信用が無い事。

 そして、現状の情報から推測するなら、この惑星の面積が著しく狭くも無い限り……


「……そんな訳無い。

 全うじゃ無い人間は何人なんですか」


「あぁ、その通り。

 いま目の前に居る脳だけを抽出した人間。

 脳人口は、約250億ほど居る。

 けれど、この脳達も寿命を迎える。

 全ての記憶と思考情報をサーバーにアップロードした、不老不死の記憶人口は……」


 俺は、目を見開く。

 その男の言葉は、俺の知る常識ではあり得ない数字だったから。



 ――8200億人。



「それが、仮想世界で暮らす人間の総数だ。

 そして、君にコメントを送っていた人間達の正体でもある」


「意味、分かんねぇ……」


「君がさっきまで居た世界は仮想空間だ。

 コンピューターが作った、仮の世界。

 そこでは全てのパラメーターを自由に設定できる」


 楽しそうに男は語る。

 本当に、幸せそうに。


「大空を鳥になって羽ばたくも。

 迷宮探索ゲームに興じるも。

 大自然でスローライフも。

 そんな、全てが自由な世界。

 それが、仮想空間だ」


「そんな事できるのか……?」


「君の世界も、もう少し文明が進めばこうなる可能性はあるよ。

 もしかしたら、君が生きている間にも」


 嫌な未来予想。

 いや、コメントを思い出せ。

 別に苦しんでいる感じはしなかった。

 それが、彼等の幸せって事なのか。


「それと、君の探し物の話もしようか」


 俺の探し物。

 そう言われて思い当たる物は一つしかない。


「あんた、次元断層片について知ってるのか?」


「あぁ、それをこの世界で最初に拾ったのは私だ。

 そして、現在は私が開発した管理AI。

 人工知能のパーツとして使われている」


「ちょっと待て……

 作った……?

 じゃあ、この脳ミソを大量生産したのはアンタが原因って訳か」


「そうだね。

 非人道的かな?

 悪魔か妖怪かサイコパス。

 もしくは、マッドサイエンティスト。

 好きな様に呼んでくれて構わないよ」


 確かに、この光景は一般的な感性には響く。

 むき出しの脳なんてグロい以外に感想は無い。

 けど、この男がそれをしたってのは。


「……包丁を作るバイトをした事がある」


「……それで?」


「この、俺が作った刃物で、誰かが殺されたらどうなるんだろうと思って、親方に聞いた」


「答えはどうだった?」


「関係ねぇよボケ……だってさ」


 そもそも、選んだのは脳ミソ自身だろう。

 この男が、それを強制したのではない限り、悪いも何も無い。


「そうか。君は中々面白いね」


 そう言って、男は笑った。


「今は、全システム自体を人工知能が組む。

 政策をAIが発案し、投票でそれが成されるか決まる。

 けれど、AIにしてみればその投票自体をコントロールするのも容易い事だ」


「神様みたいだな」


 AIって言葉自体は聞いた事がある。

 人工知能の名前の通り。

 自己で思考する機械。


 けれど、多分この男が作った物は別格だ。

 俺の世界に存在する未発達の人工知能。

 それに比べて破格の性能を有す装置。


 正しく、神様。


「私は神の居ないこの世界で、神を降臨させたいんだ。

 仮想世界の全域を見渡し、問題を解決する。

 それが私の人口知能。


 ――メサイア。


 兆人をも救う、この世界の神の名だ。

 その為に次元断層片は必要不可欠なんだよ」


「じゃあ、あんたは敵って訳だ」


 俺は銃を召喚し、構える。

 ギフトの能力が使えるか。

 目覚めて直ぐに試したよ。


 試しておいて、良かった。


「心配する必要は無い。

 私は君に危害を加える気は無い。

 私はただメサイアを作っただけだ。

 どの様な歴史を綴るのかはメサイア本人が決める事。

 もし君達に阻まれると言うのなら、それも仕方のない事だよ」


「随分、薄情な父親だな。

 父さんを思い出すよ」


「子供の未来を不安に思ってしまう。

 それは、全ての親に通ずる所だろう。

 私はメサイアが本当に成功するのか、確信がない」


「それが、薄情って言ってんだよ」


「メサイアは強大で、聡明で、権力を持ち、完璧だ。

 けれど、子に期待し過ぎなのかもしれないと。

 こんな歳になって思う様になった。

 貧困でも、貧乏でも、頭が悪くても。

 期待などされない方が、子にとっては幸せなのではないか。

 そう、思う様になったんだ」



 ――パン!



 引き金を引く。

 弾は男の足元で跳弾し、天井の照明を一つ割った。


「ふざけんなよ。

 全部持ってて、それでも不幸ですって……?

 じゃあ、だったら……俺にくれよ」


「あぁ、君が次元断層片を持ち帰るのも。

 それも全て、この世界の歴史で運命だ」


 ――でもね。


 そう、男は続ける。

 俺に向き直り。

 真っ直ぐと目を見て。


 理解を促す様に。


「次元断層片は大切なパーツで、替えの利かない物だ。

 その効果は、異世界を繋ぐ扉。

 仮想世界と物理世界を繋ぐ、最重要な駆動を担っている。

 それが無くなれば、仮想世界は消える」


「何言って……」


 いや、分かってるのかもしれない。

 ただ、理解したくないと。


「簡潔に言おう」


 言うな。


「次元断層片が無くなれば、8200億人は全滅する。

 それでも君は、それを持ち帰るのかい?」


 持ち帰って、得られるのは俺の10万円。

 ……笑える話だな。


「世界は管理者を求めているんだ。

 この世界の労働は全てメサイアが行う。

 娯楽も無限に生成できる。

 君が体験したように、死も苦しみも痛みも……

 全て娯楽に成り下がった。

 不運も不幸も不平も不満も、取り消し可能だ」


 確かに、コメント欄は戦いを楽しんでいた。

 血なまぐさい光景に狂喜していた。


 歪ではある。

 けれど、それは完全な安全保障あってこそ。

 その、余裕の表れなのだろう。


「自発性を開花するのも自由だ。

 気の合う仲間も診断システムで見つかる。

 コミュニティも無数無限に存在している。

 孤独を感じる必要も無い」


 それが事実なら確かに。

 救世主メサイア

 正しく、相応しい名称だ。


 俺は。


 金欠で。

 貧乏で。

 貧困で。

 孤独で。


 でもきっと、この世界の人は。

 そんな問題とは無縁なのだ。

 楽に楽しく生きている。  



 ――あぁ、羨まし



 何、考えてんだよ俺。

 自分が何のために来たのか。

 考えろ、思い出せ。

 この世界は、俺の世界じゃ無……


「君にも不幸があった筈だ。

 それを、メサイアは救済できる。

 だからこれは……もしもの話、提案だ」


「やめろ……

 それ以上喋るな……」


「君が、異世界で困っているのなら」


「喋んなって、言ってんだろうが!」


 俺の叫びを無視して。

 男は、言葉を続ける。

 残酷なくらい慈悲深い。


 そんな、言葉だった。



「――こちらの世界に、移住しないか?」

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