不可解な感情

(1)


「お帰り、キリア」

「ただいま」

「どうだった? 会えた?」

「ううん、ダメだった」

「やっぱり……」

「きっと、伝言出してすぐ行っちゃったんだ……。よっぽど私に会いたくなかったのね」

「……止められるから、ね。止めるんでしょ?」

「当たり前よ!」

「もしくは……ついてった?」

「……かもね」

「わたしは……キリアも行っちゃったらどうしようかと思ってた」

「……そっか」

「…………」

「…………」

「……でも、さ」

「ん?」

「……最悪の事態は免れた、と思わない?」

「え?」

「最悪の事態ってのは……バートがりっさんの静止を振り切ってひとりで行っちゃうことだと思う。そしたらきっと、みんなで追いかけてたでしょ」

「……リィルが一緒なら、ある程度は心配ない、ってこと?」

「そういうこと。しっかりしてるからね、彼は」


 *


 キリアとリネッタは、取り敢えずウィンズムの部屋に泊めてもらうことになった。ベッドは二つしかなかったので、ウィンズムは毛布に包まって床で寝ている。

「アンタ怪我してるんだからベッド使ってよ。わたしが床で寝るから」

 とリネッタが主張したが、ウィンズムは譲らず、ベッドとベッドの間のテーブルの下に潜り込んで、さっさと目を閉じてしまった。

(騎士の家を出たって聞いたけど、それでも、ちゃんとレディーファーストなんだ)

 と感心しつつ、ウィンズムには悪いことしちゃったな、と思う。リンツでは医院や宿屋のベッドが足りておらず、ウィンズムは怪我人だからという理由で、優先的にこの部屋を紹介されていたのだ。

(そういや『道の駅』のときも、伯父様がヘンなこと言って、バートとリィル(と王子と伯父様とアリス君)を野宿させちゃったっけ)

 ここに伯父様がいたら、ウィンズムはこの部屋も追い出されるのかな……と思うと、キリアは少し可笑しくなった。


 *


 二人分の寝息を聞きながら、キリアは何度目かの寝返りを打つ。

 背中の下でベッドがぎぃ、と音を立てる。

(眠れない……のは、わかってたけどね)

 話し相手が自分の心だけとなると、どうしても、考えてしまう。自分を置いて首都に行ってしまったバートのこと。リィルのこと。

 そして……明日から、自分は、どうするのか。

(まずは……サラに伝えなくちゃ)

 それはものすごく、気が重いことだけど。


 リンツの長い夜は、静かに、ゆっくりと、更けてゆく――


(2)


 ピアン国民の消えた街。

 代わりに、帯剣した異世界の兵たちが徘徊している街。

 それでも、ここを、『ピアン首都』と呼んで、良いのだろうか――。


 *


 街外れの空き地で、バートとリィルは草むらに足を投げ出して座っていた。ある人物――首都に到着して最初に会った『異世界人』――に、「ここで待っていろ」と指示されたので、待っているのだった。

「なんか懐かしいな、ここ」

 と、バートはリィルに声をかけた。

「そだね。よく二人で『決闘ゴッコ』とかやってたっけ」

 と、リィルが返す。

「あの頃は平和だったな……。そのときは、まさか……ピアン首都がこんなことになっちまうなんて、思ってもみなかったよな」

「ははは」リィルが声だけで笑った。

「そういや……腹、減らねーか?」とバートが言うと、

「確かに」

 リィルはうなずいて足の間に下ろしていたリュックサックの紐を解き始めた。

「昨日の深夜に、乗用陸鳥ヴェクタで夜食食べたきりだもんな」

 リィルはリュックの中から紙包みを二つ取り出すと、片方をバートに手渡した。

「はい、あひるごはん」

「あひるごはん?」

「時間的に……朝には遅いし、昼には早いし」

「初めて聞いたぜその単語……」

 バートは紙包みを破って、中からハムたまごサンドを一切れ取り出して、かぶりついた。

「俺、つくづく一緒に来てよかった」

 それを見てリィルがしみじみと呟く。

「ああ? どういう意味だ?」

「あのまま身一つで飛び出してたら、絶対バート、空腹でどっかで倒れてたって」

 と言って、リィルが笑う。

「う……確かに」バートは素直に認めた。

「そしたら父親をブチのめすどころじゃなかったな……」

 リンツの売店で弁当を三食分くらい買っていこうとか、さすがに黙って行くのはマズイからキリアに伝言くらいは出していこうとか、そういう根回しは全て、リィルが提案して実行してくれたのだった。

「お前にはホント世話んなったよな、感謝してる」

 と、バートが言うと、

「『なった』って」

 リィルは何か言いかけて、ふうとため息をつく。

「……バートって、良い友人持ったよな」

「誰だよ、良い友人って」

 聞き返すと、リィルに無言で殴られた。


 *


「お食事中、すみませんが……」

 背後から声が聞こえ、バートとリィルは同時に振り返った。灰色を基調とした軍服に身を包んだ、赤く長い髪の男――アビエスが立っていた。

「なっ、なんで背後から出てくるんだ!」

 思わずバートは叫んだ。

「おっと、これは失礼」アビエスは優雅に一礼する。

「で、父親はなんて?」

「クラリス様は、王宮の中庭で待っている、と」

「わかった」

「ダメ」

 バートとリィルの声が重なった。立ち上がりかけたバートは、リィルに腕を引っ張られて座らせられる。

「なんでわざわざたった二人で敵陣に乗り込んでかなきゃいけないんだ。クラリスさんに来てもらって、ここに」

 落ち着いた口調できっぱりと、リィルは挑戦的な発言をする。

「なるほど」アビエスは感心したようにうなずいた。

「わかりました、もう一度行って、そう伝えてきましょう」

「手間かけさせて悪いね」

「いえいえ。せっかく、クラリス様のご子息が、こうして自ら出向いて来て下さったのですから」


 *


「アビエスって……」

 二人に背を向けて去っていく後姿を眺めながら、リィルは呟いた。

「案外、話の通じる人だね」

「ああ。色々手間が省けて助かったぜ」

 バートは立ち上がって、大きく伸びをした。

「さて、準備運動でもすっか」

「バート」

 リィルが表情を改めて問いかけてきた。

「正直なところ、勝算、あるの?」

「ある」

 間髪入れずに、バートは答えた。

「俺は勝つぜ」

「根拠は?」

「根拠なんているか! 正しい方が勝つんだ!」

 バートは自信満々で言い切った。


(3)


 バートは抜き放った剣の鞘を地面に落とし、草を踏みしめて歩き出す。空き地の中央には、かつてバートに剣を託した彼の父親が立っている。バートは父に声が届けられる距離まで近付いて立ち止まった。顔を上げて父の顔を見据える。父親の黒い瞳を、真っ直ぐに射抜くように。

「バート」

 クラリスが歩み寄ろうと一歩を踏み出す。それをバートは剣を構えて制した。

「来てくれて、嬉しい」

「はあ? 何か勘違いしてねーか?」

 バートは右腕を水平に伸ばし、剣の切っ先をクラリスに突きつけた。

「俺は、ピアンの剣士として、あんたを成敗しに来たんだ」

「…………」

 クラリスは黙ったままバートを見つめる。

「剣を抜け、父親」

「…………」

「父親は……その剣で何人のピアン兵を斬ったんだ」

「…………」

「いちいち覚えてねーってことか」

 クラリスの沈黙を、バートはそう解釈する。

「ユーリア、お前のこと、心配してた」

「だから何だってんだ!」

 叫ぶと同時に、バートは地面を蹴った。

「はあっ!」

 気合一閃、大きく振りかぶって真っ直ぐに振り下ろす。迷いの無い太刀筋だった。金属と金属がぶつかり合う音が響く。クラリスは息子の一撃を自らの剣で受け止めた。剣を右に払われ、バートは体勢を崩しかけたが、辛うじて踏みとどまる。剣を構え直し、父親をにらみつけて、搾り出すように声を発した。

「俺は……てめーを、許さねー……!」


 *


(ついに始まった……か)

 断続的に響く剣戟の音を聞きながら、リィルは屈みこんでバートの剣の鞘を拾い上げた。

 父と子の戦い。もう止められない。バートは止めたって聞かないだろうから。それはわかっていた。覚悟はしていた。自分がこの場に立ち会えるだけでも上出来だと思っていた。

 でも、とリィルは考える。

(本当に……これで良かったのか……?)


 *


(炎の精霊――!)

 バートは剣を振り下ろす瞬間に短く念じた。炎をまとう刀身をクラリスは余裕でかわす。

(甘いぜっ!)

 バートはすぐに次の動作に移った。もう一度炎の精霊を呼ぶと同時に二撃目を横になぎ払う。予想していなかった二撃目の「火炎斬」にクラリスは驚いたようで、身を引くのがわずかに遅れた。

 飛び散る、赤い液体。バートの剣から血が滴り落ちる。バートは大きく息を吐きながらクラリスとの間合いを取り、剣を構え直した。

 クラリスの右頬がざっくりと切り裂かれ、鮮血が溢れ出していた。それでもクラリスは顔色一つ変えずバートを見つめている。流れ落ちる血を拭おうともせずに。

「バート……。強く、なったな」

 クラリスはゆっくりとした動作で自らの剣を鞘に収めた。顔には穏やかな微笑を浮かべている。

「な……んだよ。顔に傷つけられたくらいでもう降参かよ……?」

 そんなわけない、とバートは直感的にわかっていた。声が震えた。

(なんで剣を収める?! 父親の強さはあんなもんじゃねー……!)

 クラリスは空いた右手を虚空にかざした。見えない何かを掴み取ろうとするように掌を広げ……次の瞬間。

(?!)

 バートは我が目を疑った。クラリスの右手には見たことのないような剣が握られていた。柄から刀身の先までわずかに赤い光を発する大きな剣。さっきまでクラリスが振るっていた剣ではない。

「見せてやる」

 クラリスは赤く輝く剣を両手で構え直して言った。

「究極の、炎を」

 クラリスの顔から笑みが消えた。真っ直ぐに見つめられて、バートは息苦しさを覚える。

(父親の……『気』……?)

 バートは気圧けおされないように、唇を噛みしめ、両の足に力を入れ、剣を握る手にも力を込める。

 次の瞬間、クラリスが動く。バートも反応して動いたつもりだった。

 が――

「!」

 剣を合わせることすらできず、直後、右肩に痛みが走った。

「っ?!」

 バートは呻いて右手の剣を取り落とす。既に視界にクラリスの姿はない。バートは慌てて振り返る。大きく剣を振りかぶったクラリスが目に映る。

「!」

 バートは息を呑んだ。

(――殺られる……ッ?!)


 *


「やめて下さ」

 言いかけて、リィルは言葉を途中で飲み込んだ。

 クラリスは容赦なく刃を振り下ろす。

 バートが、ゆっくりとその場に崩れ落ちる。

 彼の全身を赤い液体が塗らす……

「バート……っ!」

 一瞬だけ、やっぱりキリア連れてくれば良かったと思った。

 リィルは倒れたバートに駆け寄ろうとして、足を止めた。赤い剣を手にしたクラリスが、リィルとバートの間に立ちはだかってリィルを見下ろしていた。

「クラリスさん……」

 リィルは心を落ち着けようと何度か息を吸い込んだ。

「あなたは……なんでっ……」

 声が震える。無意識のうちに左掌に水の精霊を呼び寄せていた。

「水よ!」

 リィルはクラリスに向けてそれを放つ。クラリスは赤い剣を一閃させて一瞬で水の精霊を消滅させた。

「落ち着いて、リィル君」

「お……落ち着いていられますかっ!」

 リィルは叫ぶ。視界に血に染まって倒れたままのバートが映った。――悔しかった。

「君とオレが戦う理由なんて」

「あります」リィルはクラリスを見据えた。

「何でここまでするんですか! 本気で斬るなんて……! バートは……バートは、あんたの、何なんですかっ! あんたは、バートの『父親』じゃないんですか!」

 言い過ぎた、と思った。しかし口は止まってくれなかった。

「そもそも俺が……甘かったんだ! こんな回りくどい……もっと、ストレートに止めればよかったんだ……! バートはどうせ止まらないだろうけど……けどっ…… 俺が……俺がここにいるのは……あなたに斬られるバートを見るためじゃなかったのに……!」

「リィル君」

「?」

「ごめん、リィル君」

「あ、謝るくらいなら……」

「オレは、君が何を言いたいのか、わからない」

「…………」

 ――もっともだ、とリィルは少し我に返った。リィル自身、頭の中がぐちゃぐちゃで、自分で何言ってるのかわかっていなかったのだから。

「君が、ここに来たのは」

 クラリスが一歩歩み寄ってきた。リィルは思わず一歩下がる。

「エニィルに、会うため?」

 クラリスの左手がリィルの右腕に伸びる。

「あなたには関係ないッ!」

 リィルはクラリスの手を振り払い、精霊を召喚しようとした。しかし、クラリスに手首をつかまれて簡単に止められてしまう。ヤバイ、と思って身を引こうとしたが振りほどけない。次の瞬間、クラリスにつかまれた右腕で何かが爆発するような衝撃に襲われた。

「……っ!」

 一瞬、目の前が真っ白になる。立っていられなくなって膝をついた。吐き気がこみ上げてきて草むらにうずくまる。右腕は熱く、ズキズキとうずき……

(な……何をしたんだ……?)

 吐き気をこらえながらリィルは頭の片隅で考える。顔中から血の気が引いていく――。そして、リィルの意識は急激に薄れていった。


 *


 クラリスは気を失ったリィルを背に歩き出した。うつぶせに倒れている息子のもとに屈みこむ。

(早く、医師を)

 バートに応急手当を施すと、その身体を抱え上げ、王宮に向かって歩き出した。

 暫く歩いて、立ち止まって振り返る。草むらに倒れたままのリィルが目に映る。

(――わからない)

 クラリスは首を傾げると、再び王宮に向かって歩き始めた。

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