もしも日本に魔法学校があったら 〜孤高の魔術師 前日譚〜

夏目海

入学編

第1話 24のカプリース

 綺麗に桜の花びらが舞う季節、両親は殺された。その時の記憶がないと言えば嘘になる。しかしそのほとんどが極限まで抽象化された映像にすぎない。隣に息子を連れた薄笑いの男。いかにも優しそうなこの人は私たち家族に声をかけた。体中から吹き出す真っ赤に燃えるような血。赤ちゃんの泣き声は私?辺り一体無音で、吐き気を催すような異様な雰囲気。全ては魔法でできていた。

 

 日本魔法魔術学校から満点での合格を告げられてから早一か月。いよいよ明日は入学式。孤児院を出ていく日だ。全寮制の学校のため、ここに戻ってくることは二度とないだろう。

「高橋さん、聞いていますか?」

「あっ、すみません」

 院長の鋭い口調は夏帆にとって慣れっこだった。夏帆は急いで院長室へと意識を戻した。室内のイギリス直輸入のアンティーク家具と、場に不相応な大きさのシャンデリア、豪華な額縁に入る賞状のようなもの。そして、古ぼけた蓄音機から流れるパガニーニの『24のカプリース』。どれも闇市で仕入れたものであることは簡単に推察された。1つ目に、魔法使いが実効支配する世界“魔法領域”の領域内では既に日本とイギリスの間の政財界の交易は破綻しているはずだということ。2つ目に蓄音機といった領域外(魔法のない一般的な世界)の製品は基本的に魔法使いの間で流通していない。そして3つ目に、怖いもの見たさで気まぐれに孤児院に来訪する政府のお偉い方々にはその一切を隠しているということ。

 この蓄音機は中々のすぐれものだった。領域外のコンサートをライブで聴くことができる使用になっている。

 基本的に人間に魔法使いの存在は知られていないが、何かの拍子でその存在を知るものもいた。ほとんどの人が魔法使いは存在する、と言われても信じる余地もなかったが、一部の人間はそれを利用して商売につなげていた。

 一方で魔法使いはレコードを求めていた。音楽を、魔法を使わずに聴くことを一部の上流階級は好んでいたのだ。魔法を使わないからいいのだ、というのを信じて疑っていなかった。


 院長もその一人だった。そして、蓄音機はおそらく出版社で働く卒業生に都合をつけてもらって買ったものだろう。

 院長は目の前のゆったりとした椅子に深く腰かけ、お団子頭をまるで猫が毛づくろいでもするかのように触った。

「またフラッシュバックとでも言うのですか?ご両親を亡くした時の記憶があるといっても日本魔法魔術学校では通用しませんよ。そもそもその記憶が本当に正しいのかだなんてわからないのでしょう?夢かもしれないのですから」

 夏帆が黙り込むと、院長は紅茶を一口すすった。

「とにかく、その話は他言なりません。それで、話の続きですが、これまでの入試で、最高点合格をしたのは竹内家のご子息、竹内直人。あなたはその方の点数を上回ったのです。竹内家というのは何年にもわたって行政の中心的役割を担う由緒正しいお家柄。摂政を代々勤めていらっしゃったほどです。あなたも魔法史で少し習ったでしょう?」

 夏帆は再びコクリとうなずいた。ドクンドクンと心臓の鼓動が波打ち、足がぶるぶると震えた。院長先生に会うだけでも嫌なのに、二人きりなどなおさらだった。早くこの場から立ち去りたい。

「つまり私が言いたいのは学校に入ってから好奇の目にさらされるのは必然だということです。ただでさえ日本で一番頭の良いプライド高い人たちの集団なのですから。よりによって満点だなんて目立つことを。決してばれないようにするのですよ。もし、あなたが首席だとわかったら、私がどれだけ塾業界から圧迫を受けることか」

 お小遣いしか貰えない貧しい孤児院の子が、合格を掴んだばかりでなく予備校の子たちを上回ったとなれば塾もたまったものではないことくらい夏帆にも理解できた。

 夏帆には類がいた。類は孤児院の卒業生で、ずっと勉強の面倒を見てくれていた。

「あの学校は学費も高く、良家のご子息御息女がたくさんいらっしゃいます。竹内家を筆頭に、大病院や、城ヶ崎財閥のご令嬢などが行く学校なのです。本来、孤児院の子たちが行けるような学校ではないのです。品行方正に。私の名を下げるようなまねは決してしないこと。過去最高点による合格が奨学生としての必要条件でしたが、あくまで国民の血税を使わせてもらっているということを忘れてはなりませんよ。つまり、然るべき時が来たら然るべき手段によって恩返しをしなくてはなりません」

 夏帆は顔をしかめた。

「よくわからないという顔をしていますね。15歳のあなたには無理もないことです。しかし、いずれその意味が分かるときがきます。それにしてもあの学校の試験には実技もあったはず。箒でスタートからゴールまで移動するというものですよね。それなのに満点とは不思議なものですね。毎年タイム測定があると聞いておりますが?」

「はい。でも、瞬間移動を使ったので……」

「何?もっと大きな声で言ってもらわないと聞こえません」

「瞬間移動したので、タイムはゼロ秒だったと思います」

「あなたもうできるの?」

 夏帆は頷いた。

「類が教えたのね?本当に厄介な子なんだから。もしかして日本魔法魔術学校を受験したいと言い出したのも、彼の入れ知恵?」

 夏帆は首を小刻みに振ったが、恐らく院長先生には嘘がバレバレだっただろう。

 その時、タイミングよくドアのノックが鳴ったかと思うと、麦わら帽子に短パンといったラフな格好をした男性が部屋に入ってきた。

「いんちょーせんせ!」

「類、あなたここの子たちに瞬間移動を教えたわね。腕がもげでもしたら私の責任なのよ。高橋さん、もういいわ。下がりなさい」

「おー、ということは誰か成功したね?なっちゃん、俺の教え方は上手だっただろ?」

「類、ゆっくり話をしましょう。あなたはここを卒業したからと言って、自由に出入りしていい身分ではないのです。まず来年度のパンフレットのことですが、実績欄に日本魔法魔術学校を入れることを忘れずに。あら高橋さん、まだいたの?早く行きなさい!」

 院長先生の怒鳴り声に夏帆は体をピクリと震わせると、そそくさと部屋を出ていった。

『辛い時は空想の世界に逃げるんだ』

 類に言われる前から夏帆は好んでそうしていた。魔法を使いこなす私。箒で世界中を旅する私。愛すべき彼ができて、家族に囲まれ、幸せな私。空想は自由で、誰からも干渉を受けない。

『想像して。行きたいところを』

 お菓子ばかりの世界。雲の上の世界。マーピープル……。

『その世界の中へ飛び込むんだ』

 あー、きっと、類が孤児院育ちじゃなかったら。有名な学者になっていたに違いない。あるいは哲学者。院長先生の指示に従って、ジャーナリストとかいいつつ出版社の下っ端なんかに甘んじることなどなかったのだ。

『君は哲学者だ』

 類がそう言った意味が今はわからなくても。

『それも氷のように冷酷な哲学者。僕の願いは君に託した』

 夏帆はぱっと目を開けた。目の前には舞浜の海が辺り一面広がっている。夏帆が来た!と孤児院の仲間たちは言った。

「夏帆!早く!」

 仲間にせかされ、夏帆は岩の上から思いっきり太陽に向かって飛び込んだ。


 翌日。夏帆は大きなトランクを片手に早朝こっそり孤児院を抜け出した。ここでの仲間たちは嫌いではなかったが、これからは住む世界が違ってしまう人たちだ。それに一人学校へと進学する夏帆のことをあまり快く思っていないことなど十分すぎるほどわかっていた。

 孤児院に住むのは夏帆のように両親を失った子ばかりではなかった。親に捨てられた子や、経済的に養育困難で泣く泣く預けられた子もいる。

 知りたがりの夏帆に院長が堰を切らして放った一言はいまだに胸の奥深くに大きな傷として残っている。

『ご両親は殺されたのです!引き取ってくれる親戚がいないからここにいるのでしょう!』

 でしょう、って言われたって……。とその時の夏帆は思った。


 目の前に広がる真っ赤な血。あれは両親の肉体から魂が剥がれた時の傷。


 なぜか小さいころから持っていた家族3人の写真を夏帆は握りしめた。


 9月1日の朝6時。舞浜駅にいる人は夏休みよりもずっと減っていた。いつもはお揃いのTシャツを着たり、被り物をしたりといった人であふれかえっている。一体ここ舞浜に何の魅力があるというのか夏帆にはさっぱりだった。それに夏帆は子連れ家族やカップルを見るのが苦痛で仕方なかった。

 夏帆はJR線に乗って東京駅へと向かった。

 東京駅には魔法使いの領域への入り口がいくつもあった。その中で知っている場所の1つは日本橋に向かう途中の高架下だった。高架の壁にお札のような通行手形をつけ承認されると、壁をすり抜けられるようになる。

 はじめて壁を通り抜けるところを見たのは、類のお見送りの時だった。孤児院は16歳になる年の春に出なくてはならない決まりになっていた。類は魔法使いだけが住む領域の中に仕事を見つけた。

 壁を通り抜けるところを人間に見られるのを恐れたが、類は笑って『人間なんて実際には真実なんてなんも見ちゃいないんだよ』と答えた。

 

 あの時以来の壁。その中はどうなっているのだろう。夏帆は震える手で通行証を壁につけた。待ち時間のたった数秒があまりにも長く感じた。壁がゆらゆらと揺れるように動いた。そこに手を押し当てると、まるで雲を通り抜ける飛行機のように感触なく、するすると入っていく。夏帆はふっと息を吐き、一気に通り抜けた。

 目の前に現れたのは驚くほど細い石畳の路地だった。人1人がかろうじて通れる狭さだ。振り向くとそこには壁がまるで何事もなかったかのように鎮座している。壁には楕円を十字に重ねたようなマークが掘られていた。夏帆はようやく魔法使いの仲間入りをすることができたように感じた。


 小道を通り抜けると、広い大通りと出た。ところ狭しと店が建ち並ぶ石畳の商店街。ここは、魔法使いなら知らない人はいない、アーカート通りだった。

 魔法使いは原則この異空間領域の中で生活をしていた。領域は自由自在に成長を続けており、どこまで広がっているのかは学者の中でも意見がわかれていた。領域の中を進めばもちろん異国にたどり着くことができるが、それは国防上問題が生じる。そのため、各国の魔法使いは、入国手続きに関してなんらかの取り決めをし、国境付近は軍が配置されていた。

 領域外に出るのは簡単だったが、中に入るのには役所での膨大な手続きが必要となるため、基本的には外に出ようとするものはいなかった。

 領域の入口、とされている箇所は膨大にあったが、それがどこにあるか全て把握できている人はそうそういなかった。またどこにどのようにできるかもわかっていない。そのため頻繁に入口に関する調査が政府によって行われていた。一説では全国の主要都市には必ず入口があると言われている。


 アーカート通りには何もかもがそろっていた。教科書、参考書から小説まで揃う本屋、カフェ、ライブハウスや舞台劇場など娯楽施設、銀行、病院。生きていくのに必要なものは全て揃う。そして、夏帆がこれから通う日本の最高学府、日本魔法魔術学校もこの通りの先の湖の畔に存在した。入学式が始まるのは9時。入学式の案内状には直通バスがあるとの記載があったが、さすがの6時には便がなかった。夏帆は学校まで歩くことにした。


 人間の戸籍を持たない夏帆たちにとって義務教育はなかったが、15歳までは保護者の庇護と初等教育を受けることが推奨されていた。しかし、初等教育施設も領域内にある。領域外の夏帆たちは、ボランティアの先生方に国語や算数、魔法の基礎といったものを習っていた。魔法界の進学率は50%ほどだったが、孤児院育ちの人はほとんどが就職した。


 しばらく街を歩いていると、辺りが次第に明るくなっていった。遠くに煙突から煙の出ている家を見つけた。何かのお店のようだった。この時間に人が社会活動しているのは不自然だ。その隣にあるカフェコッツウォルズはまだ閉まっている時間なのに。

 興味本位で、窓から中の様子をうかがった。棚がたくさん並び、木の温もりを感じる店だった。割烹着をきた人が大鍋を力いっぱいかき混ぜている。ポーションプリンスと書かれた看板。恐らく魔法薬のお店なのだろう。

「お店、10時からになります」

 夏帆がふと振り返ると、出勤したてに見える女性が後ろに立っていた。女性は茶髪で1つしばりにし、ピンクのエプロンをつけていた。

「そ、そうですか」

「本日は出来立てほやほやのエンジェルオイルが手に入りますよ」

 にこりと女性は笑うとお店の中へと入って行った。

 夏帆はその場から走るように逃げ出した。夏帆にはエンジェルオイルが何かわからなかった。価格は税抜き1万円。夏帆にとても変えるような品物ではなかった。夏帆は、私たちのような境遇の者に楽しむ権利がある街ではないと察した。


 お店や住宅がようやく減ってきたところに、学校は立っていた。大きなレンガ造りの門には日本魔法魔術学校と金文字で書かれている。

「ねえ、こんなに早くに来たのに二番だった」

 後ろから女の子の声が聞こえたかと思うと、肩をぽんと叩かれた。

「はっ!」

 夏帆は大声を出した。

「そんなに驚かなくてもいいじゃん」

 嘲笑ともとれる笑い声が聞こえた。恐る恐る振り返ると、そこには、制服を身にまとった女の子と男の子。それに、高級そうなピンクのミンクを来たマダムと、燕尾服を身にまとい、威厳のある父親が立っていた。

「私、稲生直美。よろしくね」

 夏帆は軽く会釈をした。

「あそこにいるのはお兄ちゃん。朱雀寮の3年で、J.M.C.に入ってるんだ」

 J.M.C.?

「そっ、そうなんだ」

 直美は不機嫌そうな顔をした。

「お兄ちゃん、優秀だからさ、私に対する親からのプレッシャーがすごかったんだよね。だから、合格できてよかった」

 夏帆は精一杯の笑みを浮かべてうなずいた。

「名前なんていうの?」と直美。

「高橋夏帆」

「夏帆ちゃん?よろしくね。そういえばさ、今回満点合格した人がいるって噂になっているみたいなんだけど誰か知ってる?」

 私だ。そう思いつつ、首を細かく横に振った。

「そうか……」稲生は必死で話題を探しているように見えた。

「夏帆ちゃん、どこ出身?」

「えっと……舞浜」

「都会に住んでるんだね!私は九州。お父さんが競技用箒の貿易会社の社長で。ところで、お父さんとお母さんは」

「あっ、えっと……あとからくるの」

「そっか……」

 だんだんと日が昇り、生暖かい空気にその光が溶け込むようになっていた。潮風も混じるけだるさは夏帆をイライラとさせた。稲生もいつのまにか、同じ塾だった友達のところにしゃべりに行っていた。

 暫くすると、大きく真っ黒な門がギシギシという音を立ててゆっくりと開いた。木製だ。

「入学者の皆さんはこちらへ。保護者の方はここでお待ちください」

 黒いローブを着たショートボブの女性がニコリと笑った。

 一番に来た夏帆が先頭だった。門をくぐると、そこには大きなイングリッシュガーデンが広がっていた。名前はわからないが、ピンクに水色、オレンジと様々な花が植えられ、バラの木がたくさん植えられている。

 小道を進んでいくと、噴水にたどり着いた。真っ白な噴水台にはカナ文字でJapan School of Witchcraft and Wizardry 1915 Haruhito Takeuchi Eric Urquhartと書かれている。

「この噴水、冬にはライトアップされるんだよ」

 女性教師はニコリと笑った。その言い方からどこかボーイッシュでサバサバした印象を受けた。そう思うとローブがとても似つかわしくない気がしてくる。最も正装が似合わない先生のように感じた。

 噴水を通り過ぎたところに、もう一つ大きな門があった。今度は金属製で、茨で封鎖されている。

「朱雀玄武白虎勾陣帝久文王三台玉女青龍」

 女性教師は何やらよくわからない呪文を唱えた。ただそれが西洋式のよく夏帆が用いる呪文とは種類の違うものであることはわかった。

 茨がすっとドアの奥へと消え、門がギギギという音を立てて開いた。左手に小さな長机があり、書類が三つおかれている。その奥には3人、それとそのすぐ近くにもう一人。

「ここで出席確認になります。手前の階段を登った奥の講堂で入学式です。どこでも構わないので、早いもの順に好きな席へと座ってください」

 確かに手前には石造りの大きな階段に赤いカーペットが敷かれていた。

 夏帆はさっそく出席確認の場所へいった。担当したのは若く清潔な男性教師だった。

「名前は?」

「高橋夏帆です」

 男性は机上のファイルをごそごそと調べ出した。

「あった、あった。このお札、大切だからちゃんと持っててね。後で説明あるから」

「ありがとうございます」

 夏帆が受け取ったお札は半紙でできた真っ白で薄っぺらい紙でできていた。筆で高橋夏帆と書かれている。

「それとこれは、入学式の予定表だから」

 夏帆は机から離れ、予定表の中を開いてみた。

 

 日本魔法魔術学校入学式及び配寮の儀

 9時~

 1.開式宣言

   2.奏楽(拍手は行わないでください)

   3.校長式辞

   4.理事長式辞(竹内義人)

   5.マランドール式辞

   6.祝辞

   7.新入生総代宣誓

   8.閉式宣言

 10時~

   1.配寮の儀説明

   2.配寮の儀

 12時~各自休憩(この後保護者の方とはお別れとなります)

 14時~

   1.入寮説明

   2.学校制度説明(科目、単位等)

   3.校則説明(帰省、外出等)

   4.寮長面会

 16時~

   1.学校案内

 18時~

   1.新入生歓迎会及びディナー

   2.入寮及び各寮長による寮則説明会


 丸一日予定がある。なぜ、二日間に分けなかったのだろう。これから始まる長い一日を思うとため息しかでなかった。それに加えなぜか、新入生総代宣言だけ万年筆で書かれている。まるで後から付け足したかのようだ。

 夏帆が階段を上ろうとすると、すぐ近くに立っていたもう一人の女性に呼び止められた。ピンクのスーツにお団子頭にメガネ。見たところ厳しそうな人だった。

「御入学おめでとう。高橋夏帆さん。私は副校長の彩野文です。先ほどの出欠確認で名前を確認させてもらいました。あなたには新入生代表として挨拶をしてもらいたいと思っています」

「あの……何も文章を考えて……」

「こちらで用意したものを読めばよろしいのよ」

 そういうと、彩野は折りたたまれた白い紙を夏帆に手渡した。

「必ず目を通しておいて。新入生代表挨拶、という司会の声がかかったら『はい』とあいさつをして、真ん中の階段から舞台上へ上り、準備ができ次第初めてちょうだい。この紙を見ながらでいいわ」

「わかりました」

 彩野はその返答に満足げにうなずくと、煙をふわっと出してどこかへ瞬間移動をして消えていった。


 9時ぴったしに、入学式が始まった。司会は副校長の彩野文だった。

 式が始まるまでの間、もらった原稿を何度も読み込み、口ずさみ、練習した。でも、足は震えたままだ。間違えたらどうしよう、失敗したら……。夏帆の想像は度を超えて膨らんでいた。

 ざわざわとした会場も『ただいまより』という彩野の声でさっと静かになった。「奏楽。バイオリン独奏。4年玄武寮花森美咲。24のカプリース第24番」

 黒いドレスを着た女性が舞台上に現れると、一礼をした。美しいストレートの黒髪だった。真剣な表情で小さな楽器を肩に置く。あれが、バイオリンというものなのか。

 どこか詰まったような高い音色に素早い弓使い。美しく流れる黒髪。完璧なマリアージュ。そのカプリースという変奏曲に夏帆は魅入り、緊張などすっかり忘れていた。どこかで聞いたことがあるような気もしたが、ついにそれを思い出すことはなかった。それにしても学生とは思えない上手さだ。

「素人に毛が生えたレベルね。オケにも入れないわ」いつの間にか隣にいた稲生がささやいた。

 いくつかの式辞と祝辞を終えた。どれも想像以上に長く、眠くなるものばかりであった。いよいよ次は夏帆の出番。それを知った時、突如思い出したように緊張が現れた。だめだ、心の準備ができていない。気を抜きすぎていた。

「新入生総代宣誓、首席合格、高橋夏帆」

 夏帆は一瞬耳を疑った。辺り一体にざわめきが起きた。一階の入学者席ばかりでなく、2階の保護者席までもだ。その首席合格者を一目見ようと会場は騒然となった。女子だったんだという男子生徒の声や、どこの塾に通っていたのかしらという口惜しさのにじむ保護者の声が聞こえてくる。ずっと隠してきた秘密を、それも院長に口止めされた事実をこの人はいとも簡単にばらすというのか。思わず彩野を睨んだ。彩野の口元はニヤリと笑っているかのようにみえる。

「はい」

 夏帆は立ち上がると、震える足で階段を上り目の前にいる校長を前に宣誓書を読み上げた。

 階段を降りるとき、ちらりと稲生の顔を見た。驚きと騙された様な表情を浮かべている。稲生に限らない。多くの者はそんなぽかんとした表情をしていた。あれが噂の満点合格者かと。あれだけ隠そうとした事実。しかし、この皆の反応が心地良く感じてしまう。そんな自分が嫌で仕方がない。


 入学の儀を終えると、いよいよ寮決めであった。先ほど入り口で案内をしてくれた若いショートの教師が教壇に立った。

「これから、配寮の儀について説明をします。一年生はまず、先導の先生についていってください。入口でもらったお札を必ず手にもってくださいね。日本魔法魔術学校での寮の決め方は陰陽道を用いています。そのお札を火の中へと投げ込むと、新たに色の着いた紙が火の中から飛んで出ます。その色によってあなたの寮がわかります。赤が朱雀、青が青龍、白が白虎、黒が玄武です。陰陽道によって、あなたたち一人ひとりにとって一番吉となる寮が占われます。もちろん、それぞれの寮に性格はありますが、学術的な根拠のあるものではありません。ただ、その寮があなたたちにとって6年間で一番素晴らしい寮となります。陰陽道に間違いはありません」

 陰陽道とはいえど、占いは占い。そんなものを信じて何になる。


 夏帆は朱雀寮となった。気がつくと制服の裏地が朱色に染まっている。2年生の先輩方に連れられ、朱雀寮へと1年生たちは向かった。移動中、夏帆に話しかけようとする者はいなかった。夏帆は気にしないふりをして歩いた。

 校内は、教科書でしか見たことのないヨーロッパのお城のようであった。大きな階段がいたるところにあり、赤い絨毯が敷かれている。先輩は学校の最上階を目指した。最上階につくと長い廊下をずっと歩き、突然ある絵の前で止まった。室内で美しいドレスを着た欧米の女性が指輪に触ろうとしている。それを若い男性が見つめているが、男性と女性では色彩が異なっており、異空間を思わせる。

 その絵の前で先輩は手をかざした。

 ある絵画の前で,手をかざすと、絵画が開き、中に部屋が現れた。暖炉のある、洋室だった。まるで孤児院の院長室のようだ。

「朱雀寮へようこそ。私は6年の立川大志です。今から一人ずつ、寮長との面談があります。名前を呼ばれた人から、奥の寮長室へと向かってください。では、高橋夏帆さんから」

「えっ」

「首席から」と立川は淡々と言って、右へと誘導した。

 絨毯の敷き詰められたところの奥を通ると、扉が1つ。ノックすると、どうぞ、という女性の声が聞こえた。

 扉を開けると、朱色のソファに髪をワンカールにして、カチューシャをした女性が座っていた。

「さあ、どうぞ座って」と女性は優しく微笑んだ。

「朱雀寮長の小道ありさです」

「高橋夏帆です」夏帆は緊張して言った。

「夏帆さんね。よろしくね」小道はこれ以上なくにこりと笑った。その笑顔に夏帆の緊張は少しほぐれた。

「紅茶、飲める?」

「もちろんです」

 机に上に出された紅茶を夏帆は飲んだ。

「式辞、お疲れ様。あれ、副校長によって突然付け足されたのでしょ?大変だったね。でもすごくよかった。あなたがこの寮に入ってくれてとても嬉しいわ。これからたくさんお話ししましょうね」

「はい」と夏帆はぼそぼそとしゃべった。

「あなたご出身は?」

「舞浜の孤児院です」

「ご両親は?」

「殺されました」

「そう」と小道は言った。「あなたにこの面談でお話しておかなくてはならないことがあるの。1つはマナーについて。我が校は上下関係にうるさいの。教室に先輩が来たら基本起立する。立ったときに、腕を制服の中にしまう。ほら、ポンチョみたいになっているでしょ?男性平安貴族のように腕をわっかのようにして、そう、そうやって手を隠すのよ」

 夏帆は言われた通りにすると小道は満面の笑みを浮かべた。

「あと、先輩とは目を合わせずうつむく。あっ、今はいいのよ。寮内でやる必要は無いの。私はこの制度廃止したいの」と小道は言った。「不安ばかりでしょうけど、何かあったらいつでも相談しにきてね。ここのドア、ノックしてもらえればいいから」

「ありがとうございます」

 小道に退席を促されると夏帆は立ち上がって部屋を出ようとした。

「それと」と小道は言った。

「あなたの飲んだ紅茶には告白錠を溶かしていたの。ごめんなさいね」

「告白錠?」と夏帆。

「嘘がつけなくなる薬よ。この面談では入れなくてはならないの。そういう決まり。他の人には内緒。あなただから話すわ」

 この小道はつまるところ自分に逆らうな、と言いたいのだ。

「この学校はね、合う人と合わない人がいる。でもあなたには合いそうね」

 こんなこと狂っている。確かにあの紅茶からは嫌な雰囲気を感じた。それでも気がつかなかった。夏帆は混乱した。なぜなら夏帆は魔力を感じ取る能力のようなものを持っているからだ。類が一部の人間に、能力者がいることを教えてくれた。つまり、ここに魔法が存在するということ、その大小、人の癖、それが感覚的にわかるのだ。心の奥底をぐさりと突き刺し、全身の細胞を極限まで震わせるような感覚がある。それだというのに紅茶に溶かされた薬にはまったく気が付かず、あれこれ話してしまった。悔しい。


 夜は全寮生徒による始業式兼歓迎会が開かれた。集会用の大広間は、教会のように広く、そこに机が4列ほど並んでいた。全校生徒500人近く全員が入れる広さだ。

 ごちそうを目の前にしても、夏帆はまったくもって食欲がわかなかった。周りの人たちも夏帆に話しかけようとしない。暇そうに夏帆は周りを見渡した。舞台の上には先生方がいる。その席の1つが空いていた。

 夏帆の様子を見かねた立川大志が、夏帆の隣に移動して座った。

「あいつは4年青龍寮の竹内直人だよ」

 夏帆は急に話しかけられビクッと震えた。

「そうなんですか」

 目を合わせることができず、答えもたどたどしかった。

「ああ、竹内家の御子息だ」

 立川は、遠くの机でローストビーフを丁寧に食べている男性を指さした。黒髪でストレートの、いかにも優等生の様相をしていた。

「もしかして……」

 ―院長先生が言っていた、夏帆以前に過去最高点で合格した人というのは彼なのだろうか?

「あいつには目をつけられない方がいい。あいつは竹内家の人間だから権力がある。そればかりじゃなくて頭が良く、決闘に強い。噂では3歳で魔力を無効化する呪いを習得したらしい。この学校でマランドール様の次に強いのが、3年の竹内直人、花森美咲コンビと言われている。どちらもJ.M.C.だよ」

「マラン?」

「マランドール。寮長から聞いてない?」

 夏帆は首を横に振った。

「まじか。マランドール様はこの学校で一番強い人のことだ。毎年6月に決定戦が行われる。権力と権威を持つ。他の生徒より位が高い」

「位?」

 夏帆は驚いてあたりを見渡した。その様子に立川は笑った。

「今ここにはいないよ。マランドールは他の人と違ってマントを羽織れる。見ればすぐにわかる。それに今年のマランドール様は、まるで不良のように腰回りにじゃらじゃらとチェーンをつけている。それがかっこいいと本人は思っているらしい。もしかして、J.M.C.も知らない?」

 夏帆はうなずいた。

「教えないなんて寮長も人が悪いね。Japan Magic Club。学校内最大組織さ。部活動みたいなもんだよ。各寮の首席と次席にクラブへの招待状が届く。入れれば就活はまずうまくいく。国内のあらゆる権力者はJ.M.C.出身だから、将来のためにもみんな入りたいんだよ」

 夏帆は何を言えばいいかわからずただうなずいていた。

「花森美咲はあの子だ」

 立川は玄武寮の人たちが集まるところを指さした。

「玄武寮だけど玄武寮ぽくないよね。喧嘩は強いらしいけど」

 夏帆には玄武寮ぽさというものがわからなかったが、見た目で想像はできた。いかにも暴力的でチャラついた人が多い。しかし、その中にいながら花森美咲は品行がある。整った顔立ちに美しい黒髪。ほかの寮生とおしゃべりをしているが、女優のように肌が美しく、それにナイフの持ち方もきれいだ。孤児院にいた子たちとはまるで違う。

「花森美咲は入学式でバイオリンを弾いていた子だよ。プロレベルにうまい。竹内直人が一匹狼なのに対して、花森美咲は、人望がある気がするな。周りにいるのは男ばかりだけど」

 そういう噂でさ、と立川は後から付け足した。

「ところで、高橋さん、君は目をつけられるのは必至ってところか。満点合格者の名前を本当はばらさない予定だったらしいけど、何かの手違いで入学のあいさつをさせられてしまったからね。せいぜい消されないように頑張って。俺も協力するからさ」

 それから学生は夏帆に手を差し出した。

「6年、立川大志よろしく」

 夏帆も立川の手をぎゅっと握り返した。

 大広間の扉がギシギシという大きな音と共に開いた。生徒は全員さっと立ち上がると、その場で頭を下げた。夏帆は初めきょろきょろとしていたが、隣の立川先輩の様子を必死でまねた。扉の向こうから颯爽と現れたのはマランドールだと人目でわかった。マランドールだけが着用を許される、黒くて裾の長いローブを翻し、真ん中の通路を堂々と歩いて行った。身長の低さをヒールの靴でカバーしている。黒髪ロングでぱっつんの前髪は、むしろ恐ろしさを増強させている。異様すぎる光景だった。目の前を黒いハイヒールのカツカツという音が通り過ぎていった。

 マランドールは朱雀寮長小道ありさの前で止まった。

「周り見てみろよ」

 マランドールは小道先輩に言った。

「頭が高いっつうの!」

 ガツンという人を殴る音が聞こえた。夏帆は思わず、体をピクリと震わせた。なんていう学校なんだろう。ここは。

「今夜は寮で謹慎してろ」

 マランドールは小道先輩にそういうと、ふっと鼻で笑って先生たちが座る舞台へと登った。一つ空いていた席はマランドール用だったのだ。マランドールが席につくのを待って、生徒一同が座った。そして食事に手をつけたのを見て、皆一斉に食べ始めた。

「マランドール様、会に遅れたのに謝罪の言葉もない」と立川は小声で言った。「J.M.C.会長には逆らわない方がいい」

「会長?」

「マランドールだ。マランドールの多くはJ.M.C.会長と兼任している。マランドール決定戦で一番成績のよかった5年会員が次期会長になるからね。あいつは玄武寮なだけに暴力的だ。自分の身のためにも、山瀬、山瀬桃美って言うんだけど、あいつがいたら空気になってろ」

 この学校を教えてくれる親しい先輩がいてよかったと夏帆は心底思った。

「にしても、あいつ、小道に何しやがる」と立川は付け加えた。ふと、周りを見渡すと、朱雀寮のほとんどが、拳を強く握りしめ、悔しそうにしていた。

「小道は去年のマランドールを争ったライバル。だから腹いせだよ」

「そうですかね。本当は自由になりたいんやないですか」と夏帆はつぶやいた。その言葉が出てきたことに夏帆自身が驚いた。

 しばらくすると山瀬が立ち上がり、壇上にたった。その様子を見て、再び生徒全員が立ち上がった。

「この際きちんと言っておくが、私がマランドールになったからには、この学校の空気を乱す者を容赦しない。以上だ」

 そう言うと山瀬は退席した。まるでそれが終わりの合図であるかのように先生と学生は食堂をあとにした。お皿は片付けなくても、誰かが片付けてくれるらしい。


 談話室に戻ると、突然、何かが割れる音がした。談話室にいる人全員が音のする方に注目した。

「すいません」

 厨房室から茶髪パーマの女性がコップの破片をもって出てきた。

「直してもらえませんか?」

 談話室にいる人々は聞かないふりをしていた。

「あの……」

「それくらい自分で直せよ」入学式前に会った稲生さんのお兄さんが責め立てるように言った。

 女性は悲しそうな表情をしていた。

「そんな顔しても無駄さ。呪文教えただろ。初等学生でも一人でできるよ」

「そんな堅いこと言わずに……」

「あのさ、竹内。お前は朱雀寮の恥なんだよ。それぐらいできるように練習しろ。ただでさえバカなんだからさ」

 女性は唇をかみしめた。

「悔しかったらJ.M.C.に入れよ」

 稲生は仲間の男子たちと竹内を嘲笑した。

「成績が足りないから親に頼んでJ.M.C.入れてもらおうとしたらしいな。それでも無理だったとか、親にまで見捨てられてんだな。この学校にだって、どうせコネ入学だろ?」

 竹内と呼ばれた女性は破片をゴミ箱へと捨てた。

「もったいないだろ」

「弁償するから」

 女性はにこりと笑った。

「ほらほら、喧嘩はやめて」と朱雀寮長小道ありさが寮長室から出てきた。

 小道が20cmほどの細長い杖を振ると、ゴミ箱の中の破片がつながり、元のコップへと戻った。

「小道先輩!」稲生が言った。

「稲生君、そんなこと言ったら傷つくことがわからないの?夏海ちゃんが困っているのだから、助けてあげなくちゃ。それでこそ朱雀寮よ。夏海ちゃんだって必死で努力しているの」

 小道はにこりと笑った。夏帆にはその笑顔がどことなく不自然に思えた。

「先輩は優しすぎなんですよ、だから」

「だから何?」と唐突に冷たい表情となっていった。

「いえ、なんでもありません」

 夏帆がふと見ると、稲生直美が心配そうに兄を見つめていた。

「さすが小道。あいつがいないと朱雀は崩壊するだろうな」立川が感心したように言った。

「ありがとうございました」

 そういうと涙目の竹内夏海が階段を上って寝室へと戻っていった。

「あの子は3年生の竹内夏海で、竹内直人の妹だ」と一年生に立川は説明した。「初日からこんなところを見せてすまないね」

「いえ、あの女のせいですから」と稲生直美は言った。

 それにしても、この学校に通えるような優秀さがあるのに、初等教育で習う魔法も使えないなんてことあるのだろうか。夏帆は不思議に思った。上下関係と規律に縛られた学校の中に、気まぐれ的な性質を夏帆は見いだしていた。


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