2-3

 端末を操作して通話を開始した松本は、六条院にも聞こえるようにスピーカーホンをオンにする。そして、周りの人間に向かって、唇に人差し指を当てて静かにしているように、とジェスチャーをすると端末に向かって話を始めた。

「もしもし?」

『ああ、ようやく話せるよ。久しぶり、と言ってわかるかな。三年前に一度お世話になったね』

 相手は変成器で声を変えていたが、松本にはピンとくるものがあった。電話口に向かって問いかける。

「氷室か?」

『御名答! さすがだ』

 電話の向こうからは氷室のはしゃいだような声が聞こえた。六条院は聞き覚えのあるその名前にくちびるを噛んだ。松本はトントン、と自分のくちびるを指で叩いて、六条院にくちびるを噛むのをやめさせて、通話に戻った。

『でも今は、氷室よりは虚口と呼ばれることが多いから、そちらの名前で呼んでくれたら嬉しい』

「やはりか。じゃあ改めて虚口、単刀直入に訊くが俺としたい話の内容は?」

 松本の問いかけに、氷室――改め虚口は不満そうに言う。

『野暮だなあ。本題に入る前にもう少しおしゃべりしようよ』

「あいにくと俺は暇じゃない」

『〈アンダーライン〉支部でのんびりしてるのに?』

 その言葉は的確に松本を刺した、と六条院は思った。だが、松本は一瞬で立て直す。

「支部がのんびりしてるなんて誰が言ってるんだ? それなりに忙しい」

『人気者は大変だね』

「おまえも中々忙しいんじゃないのか。猫の手ならぬ子どもの手を借りているようだし」

『あれは、彼らが優秀だからだよ。きちんと対価も支払っていたしね。彼らもいい小遣い稼ぎができていたようだし、win – winだったよ』

「違うだろ」

 松本は静かに言った。静かだが、確実に怒っているとわかる口調だった。虚口の手口は、犯罪を犯罪と認識していない子どもを上手く煽って使い立て、用が済んだらなにもケアをせずに放り出す、そのようなやり方だった。

「使い捨てられる便利な道具として使ってたんだろ。大人よりも子どもの方が、手懐けるために必要な金は少ない。だから、そうやってうまく使ってた。三年前からまったく変わらないな」

『きみも、三年前から変わらないな。いや、もっと前から変わらないのかな。米澤博士も上手に〈成功例〉を作ったものだ』

 ふふ、と虚口は小さく笑った。

「そうだな。あの人は上手に俺を作った。だからこうやっておまえとは違う立場で話ができる」

『そうかな。きみとぼくは存外近しいところにいるかもしれないよ』

「百歩譲っても過去形だな」

『やれやれ、きみも頑固な人だ。よし、では仕方がないからお望みの通り、本題に入ってしんぜよう』

 やや芝居がかった言い回しで、一度言葉を切ると、虚口は『単刀直入に言うよ』と前置いて再び話を始めた。

『米澤博士の研究結果を閲覧したい』

「それをどうして俺に? 俺自身が持ってると本気で思ってるのか?」

 米澤の研究結果、というのは国家機密に指定されている研究だ。およそ五十年前、都市国家〈ヤシヲ〉成立前に起きた〈世界を滅ぼす〉大戦において、人体強化プロジェクトが立ち上げられた。そのプロジェクトの先頭にいたのが、米澤だった。

国家機密に指定されたあと、研究内容やレポートは八条院家(米澤は八条院家の研究機関に所属していた)に返却され、現在は厳重に保管されている。機密度が非常に高いため、閲覧許可を取得するのもかなりの時間と手間を要する。

『きみこそぼくの要望を最後まで聞いてほしいな。ぼくが見たいのは紙や電子の数字や文字じゃない。研究結果そのものだよ』

 虚口は軽快に言う。対して松本の顔は険しくなるばかりだった。

「それも、俺に言う話か?」

『当たり前だろう。きみが言ったんだぞ。「あの人は上手に俺を作った」って』

「……」

 松本の沈黙に、六条院が「大丈夫か」と無音で声をかけた。彼を安心させるために松本は口角を上げる。

「お断りだ。そんなことのために俺と、残りの四人はいるわけじゃない」

『四人、ね』

「四人、だ」

 松本以外の〈欠陥品〉はヒトとしてのDNAを持たないことを揶揄した言い方だった。松本は侮辱的な発言をぴしゃり、と封じると「ところで」と話を続けた。

「おまえはどうしてこの研究結果を知りたがる? もうこんなものを利用する機会もないし、価値もない過去の遺物だ」

『価値のない過去の遺物? きみは自分のことをそう思っているのか?』

 松本の問いに虚口は心底驚いたように言った。

『――人間が人間を創り変える、それ以上に魅力的で刺激的なことがこの世にあると思うか?』

 陶酔するわけでも、熱に浮かされるわけでもなく、静かな口調で虚口は言った。その言葉に松本も六条院もぞっと背筋に冷たいものがはしるのを感じた。思わず腕を見ると鳥肌が立っていた。

「そんなことがまかり通る世の中だと本気で考えているのか?」

『いいや。考えていないからこうやってこっそりきみにコンタクトを取っているんだろう?』

「どこがこっそりなんだ。大々的にハッキングまでしておいて」

『それはまた別だ。あれくらいしないとこちらの本気がきみに伝わらないだろう?』

 確かにそれは当たっていた。あのメッセージがあったからこそ、こうして虚口からの連絡を受けている。松本はぐっと拳を握りしめた。

『ま、今日のところはこれくらいで。また連絡するから、ぜひ考え直してほしい』

「時間があれば考えを変えると本気で思っているのか?」

『はは、やはり米澤博士は本当に上手にきみを作ったな。ますます知りたくなった』

 ではまた、と虚口は電話をかけてきたときと同じように軽快な口調のまま通話を終了させた。途端に静かになった部屋に松本と六条院の二人分の呼吸だけが響く。職員たちは気を利かせて部屋を出て行っていた。

「今ので、よかったですか?」

 訊ねる松本に六条院は黙ってうなずいた。松本はほっと胸をなでおろした。

「最善、とまではいかないかもしれぬが、悪くはなかった。ただ、今の会話から一つだけ心配する必要があることが出てきた」

「そうですね。特別監視下にある彼らが標的になる可能性があるのはいただけません。下手をすると脱獄を手引きされます」

「特別監視下にある〈欠陥品〉四体の保護強化を連絡しておこう」

「よろしくお願いします」

〈アンダーライン〉はまさかを想定して動く組織だ。加えてこれまでの経験から虚口はやると言ったらそれくらいのことは平気でやるだろう。だたし、脱獄を手引きされた〈欠陥品〉四体が簡単に人間の言うことを聞くかどうかはまた別だ。

「ただ、なぜ今頃そなたに連絡を取ってきたのかは疑問に残るな」

「そこは俺も不思議なんですよ。もしかすると単純に三年前の事件のほとぼりが冷めるのを待っていただけかもしれませんが」

 うーん、と二人で考えこんでしまったが、鑑定結果の受け取りを待っていた職員に声をかけられて、慌ててその場から離れた。


「――ひとまず保護強化は叶った。これでしばらくはなんとかなると思うが、」

 二時間後、〈アンダーライン〉第三部隊の執務室で六条院が言う。眞島は端末越しに支部からの参加だ。松本の言を受けた梶と東風が奔走したおかげで最短時間での保護強化が叶っていた。

「問題は、そなただな」

「そうですね。隊舎からは出ない方がいいですよね?」

 問いかけた松本に、六条院は考える。保護施設で過ごすか、〈アンダーライン〉隊舎で過ごすかの二択になるが、前者を選んだ場合はほかの保護対象への危害が加えられる可能性が高くなる。要するに、実質一択だ。

「しばらく、隊舎で暮らすしかないだろうな」

「懐かしいですね。配属されたばかりのことを思い出します」

 昔を懐かしむ松本に六条院はわずかに笑った。その時期を知っている梶と東風もほほえんだが、端末の向こうの眞島からは不思議そうな気配がした。

「眞島副隊長には向こうでの勤務期間が長くなって申し訳ないですけど」

『いえ、お構いなく。ここも副隊長職以上の人間がいなければ機能しませんし、松本副隊長の身の安全を最優先にするべきです』

 眞島の言葉に松本は「ありがとう」と礼を言った。

「あれ?」

「どした、東風」

「要するに、松本副隊長以外の保護対象に危害が及ばなければいいんですよね?」

 東風の確認にその場の全員が首を縦に振った。

「隊長の家じゃだめですか? 別に松本副隊長、何かの事件の被疑者ってわけじゃないし、実際ここ数日は隊長の家にいたんですよね?」

 首を傾げつつ発言をした東風に松本はうん、と首を縦に振った。

「まあそうだな。でも今回は隊舎が正解だ。個人の家より組織の中心。こっちにいた方が何かあったときに迅速に動ける」

「そうだ。わたしひとりでは手が及ばぬことが多すぎるゆえ、こちらに残ってもらった方がよい」

「なるほど、わかりました」

 だが、臆することなく考えを口にしたところはよかった、と六条院は東風を褒め、東風も嬉しそうに笑った。

行動の方針、捜査の手順や方法など〈アンダーライン〉に所属していれば決めることがたくさんある。少しでも早く正解にたどり着くためには、階級や部署に囚われず、気がついたことを言うべきだというのが六条院の考えであり、日ごろから隊員に言い聞かせている成果だ。

『――ところで、』

 眞島が話題を変えるべく口火を切った。

『ずっと気になっていましたが、今回の事件の背景にいる〝虚口〟とは何者ですか?」

「オレにも教えてください」

 眞島同様、三年前に松本が足に大けがをした事件を知らない東風が言う。

「俺が説明しますか? それとも隊長がします?」

「わたしは補足をする。まずはそなたから話すべきだ」

「了解です」

 松本は腕組みをし、どこから話せばいいかな、とつぶやいた。そのまま少しの間考えたのちに話を始めた。

「まず基本情報から。本名不詳、年齢は三十代、性別は男、住所や家族構成も不明。通称が〝虚口〟だったり〝氷室〟だったり、と定まらない。おそらくすべてネットワーク上で使っているニックネーム。個人情報がほとんどなく、よくわからない人間だ」

 加えて外に出てくる際には必ずサングラスと帽子をかぶっているので、都市国家〈ヤシヲ〉が誇る顔識別監視カメラの恩恵にもあずかれない。

「虚口って言われてもわかんなかったっすけど、氷室と同一人物なんすね」

「そうだ。自称・実業家……というか、若くて才能がある人間を見つけると「あなたの才能を気に入った」なんて声をかけて投資をし、〝仕事〟と称して犯罪まがいのことまでさせている。この間のハッカーの少年がいい例だ。ほかにも、そういう人間を多数手元に置いていると俺は思っている」

 松本の説明に横から六条院が補足をする。

「そしてその投資のための資金をどこから調達してくるかといえば、違法薬物売買と特殊詐欺やデジタル詐欺だ。松本の言う三年前の事件ではこの違法薬物の保管庫を検挙したが、氷室本人までは逮捕できなかった」

 当時のことを思い出したのか、黙って話を聞いていた梶が苦々しい顔をした。

「ま、その話は追々な。今回のやつの目的はおそらくさっきの通話で本人が言った通りだと俺は思う。例の研究結果については八条院家が厳重に管理しているので、迂闊には手を出せない。だが、研究結果の現物である俺は比較的簡単に接触できるところにいる」

 松本はそこで一度口をつぐみ「やつは俺に接触して何がしたいと思う?」と訊ねた。話を聞いていた梶、東風の二人は互いの顔を見合わせ、端末の向こうの眞島は黙り込んだ。

「そこから先はわたしが引き取ろう」

 六条院の申し出に松本は「では」と話を委ねた。進んで話したい内容ではない。

「おそらく虚口の下に医師資格を持った人間か、生物学に明るい人間がいるのだろう。そう言う人間がいれば、現物の検体さえあればいくらでも調べられる。まして、治癒能力も高い彼らだ――ここまで言えば、もうわかるだろう」

 話を聞いていた三人はしん、と静まった。顔色を変えていないのは六条院と松本だけだ。

『松本副隊長は平気なんですか』

「ん? まあ気分のいい話ではないけど、予想はつくから」

 眞島の問いに松本はさらりと答える。

「しょうもない人間が多いなって話」

「……本当ですね」

「そして、そういう人間たちは得てして先のことを考えてない。そうやって生み出された実験体たちが何をどう思って生きていくのか知らない。そんな人間に利用されたくねえよなあ」

 最後の一言は独り言の体を取っていたが、まぎれもない本音だとわかるものだった。

「尽力します」

東風が発した言葉に、その場の全員が首を縦に振った。

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