今宵、蒼き影が月と舞う

おやくるーず

1話『己が蒼炎にて、汝を打ち祓いましょう』

「人よ、月光の照らせぬ暗闇に入ることを禁ず。一足入らば生きて出られぬ。――そは魑魅魍魎の巣食ふ逢魔ヶ刻おうまがときなり」



      ◇



 俺がこの世で最も大切なもの。それは――平穏で、退屈で、代わり映えのしない日常だ。


「それじゃ、行ってきます。父さん、母さん、由比ゆい


 登校の準備を済ませた俺は、靴箱の家族写真に向けてそう言ってから家を出た。


 高校2年生となって早3週間ほど。桜は散ったが春の陽気はまだ残っている。


「おー……おはよ、陽斗アキト


 近くの駅から電車に乗り込めば、男子生徒の1人がこちらに手を挙げた。


「おはよ、アキラ。なんだか眠そうだけど、大丈夫か?」


 天然パーマの茶髪と三白眼さんぱくがんで普段から怖い印象な彰だが、今日は一段と機嫌が悪そうに見える。


「あー……ちょいと寝坊しちまった。ふぁあぁ……」


 気怠そうな声で答えつつ、彰は大きなあくびをした。


「また夜勤のバイトか? 給料いいからってあんま無茶すんなよ」


「考えとく……」


 そんなことを言っていれば、すぐに高校の最寄り駅へ着いた。


 電車の中ではよく話す俺と彰だが、ひとたび駅から出ると喋らない。なぜなら、アイツには可愛い可愛い彼女がいるからだ。


「おはよう彰くん! 今日は眠たそうだね〜」


「おはよ〜。ちょっとバイトがな……」


 甲斐甲斐しく介護する彼女を見て、俺はそっと安堵の息を吐く。


「ま、彼女さんが面倒見てるなら大丈夫かな」


 わざわざ俺が気にすることもないだろう。そう思いつつ、俺は数歩先でイチャつく2人を見つめていた。


「おはよ」


「いてぇっ」


 と、背中に衝撃。ジンジンする背中の痛みに顔をしかめながら背後を振り返る。


「朝っぱらから人の心配って、相変わらずお人好しね」

 

「そういうお前は朝っぱらからギラギラしてるな、凪咲ナギサ


 俺の言葉に、女子生徒――凪咲は勝ち気な笑みを浮かべた。


 ブリーチを入れた色素の薄いボブの金髪と、カラコンだろう茶色の瞳。ユルユルに着崩した制服や身に着けたピアスと、凪咲は派手な容姿を好んでいる。


「そういうアンタは特徴のない、モブみたいな格好よね」


「うっさいな、ワザとだよワザと」


 彼女の言うとおり、俺の容姿は彰や凪咲と違って特徴がない。普通の黒髪黒目で顔も普通。強いてあげるなら、髪をツーブロにしてることと少し体つきが良いくらいか。


「でもアタシはモブなアンタが目立てる場所、知ってるわよ?」


 そう言って、凪咲が切れ長の瞳で上目遣いをする。内側にカールの入った金髪と同じ金色のピアスが、目の前で左右に軽く揺れた。


「……なんだよ」


 先が読めたので、ジト目になりながら凪咲を見つめる。返ってきた言葉は予想通りだった。


「ズバリ、運動部」


 思わず大きなため息をつく。


「まだあの顧問の人たち、諦めてないのか」


「アンタ、運動神経だけはやたら良いものね?」


 言外に答えを求める凪咲に、俺は空を見上げた。

 

「……時間あるなら、やってたかもな」


「ふぅん」


 さして興味も無かったのだろう。そこで凪咲は会話を打ち切った。


 こうして俺の『日常』は過ぎてゆく。いつも通り登校して、授業を受けて、友達と駄弁って、当たり前の日常。


 傍から見て、俺の日常は平穏だろうか。見ていて退屈だろうか。代わり映えしないものだろうか。――そうであれば良いと、心から思う。



     ◇



「腹が減った」


 それが目覚めの第一声だった。


 時刻は午前1時過ぎ。お腹が盛大な鳴き声をあげて俺は目が覚めたが、


(ちょうど、家には何もないんだよなぁ……)


 明日、買い物へ行くつもりだったのが裏目に出たらしい。


「仕方ない、コンビニに行くか」


 軽く上着を羽織ると玄関へ移動する。そのままスニーカーを履いて立ち上がり、いつも通り家族写真へ顔を向けた。


「んじゃ行ってきます、みんな」


 一言そう言ってからマンションの外へ出る。ここから最寄りのコンビニまで20分ほど。体を温めるついでに軽く走ろう。


(今日は妙に暗いかと思えば、月が雲に隠れてるのか)


 住宅街のため灯りが少ないのも合わさって、かなりの暗さだ。


(イヤホンでも持ってくるべきだったかな)


 にじり寄る恐怖感にゾワゾワと背筋が震えて、ふと記憶が浮かび上がる。


『夜更かしは駄目よ。夜中に起きてると、鬼に食べられちゃうんだから』


 それは寝る前に母さんがよく言う口癖だった。いま思えば子供を早く寝かしつけるための、良くある脅し文句だったのだろう。


(にしても『鬼に食べられる』なんて、母さんもえげつないこと言ってたもんだよ)


 懐かしさに笑みを浮かべながら走っていると、不意に視界が一段と暗くなった。顔を上げれば、僅かながら光を放っていた月が分厚い雲に遮られている。


 恐怖が体を蝕んでいって……それを振り払うように駆ける速度を上げて――


 ――赤。


「ん?」


 見えたその色は、あまりに恐ろしくて。


「何ださっきの……?」


 足を止めて視線を横に向ければ、小さな公園があった。だが先ほどの赤色はどこにも見当たらない。


「…………」


 危険だぞ、止めておけ。行くな。


 心の中ではそう思っているのに、俺は公園の中へフラフラと入り込んでいく。


「夜中の公園って、暗いな……」


 街灯の光が無いため、一寸先すら見えず恐怖がジワジワと上ってくるのを感じた。


「……何してんだろ。暗い所が怖いとか子どもかよ、アホらし」


 嫌な予感が止まらない。


「やめだやめ、早くコンビニに行こ」


 思わず誰もいないのにそう独りごちて、公園の外へと踵を返し――


 ――赤。


「……ぁ?」


「Grrrr」


 距離1m先に『巨大な鬼』がいた。


 ソイツは全長3mほどの体躯で、額から巨大な角が2本生えている。肌は真っ黒で、所々に赤黒い色の紋様が走っていた。何よりも異質なのが、血をぶち撒けたように


「は、あ?」


 思考がうまく定まらない。『巨大な鬼』という現実味のなさに、理性が現状を理解してくれなかった。


 視界の中で、その鬼が真っ黒でやけに図太い右腕を振り上げる。明らかに不味い状況の中、俺の理性はフリーズしたままで――それでも、本能は生きていた。


「Gyarrr!」


「ぅわぁッ!?」


 極太の腕が振り下ろされる直前、俺の両脚は自然とバネのように大きく跳ねて後ろへ飛び退く。次の瞬間、剛腕が轟音を鳴り響かせて地面を砕いた。


「な、なんだよ。なんなんだよこれ……!」


 咄嗟の行動で奇跡的に俺は一命を取り留める。


「ぁ、ぅ……」


 しかし地面に着地すると同時に腰が抜けて、もう体中の力が入らなかった。


「Grrrr――」


 攻撃を避けられたことがよほど嫌だったらしい『巨大な鬼』は、青筋を立てて唸っている。


(ぁ……終わった)


 悟る。俺の人生はもう終わりだ。何も成し遂げられないまま、何も出来ないまま、俺は死ぬ。


 ――本当に?


「ぃ、嫌だ……!」


 震える体を何とか使って、尻もちをついたまま後ろへとずり下がる。


 死ねない。死にたくない。


(まだ、死ぬわけにはいかない!)


 それでも現実は残酷だ。


「Grrrr」


 『巨大な鬼』は俺を嘲笑うようにゆっくりと俺へ近寄り、再び右腕を勢いよく振り上げる。


「ひっ……!」


 避けることも、守ることも出来ずに俺の命は尽き――


「――そこまでよ」


 瞬間、蒼炎。


「なん、だ……?」


 煌めく蒼い炎が地面から溢れて、俺と『巨大な鬼』の間に壁を作った。


「Gyr!?」


 蒼炎を前にした『巨大な鬼』は悲鳴じみた声をあげると、大袈裟なほどに後ろへ飛び退く。次々に巻き起こる非現実的な光景を前に、混乱する俺の目の前で――


「ぁ……」


 ――蒼き月が舞い降りた。


「良かった、ちゃんと間に合ったようね」


 白を通り越して銀に輝く長髪と、どうにも本物らしい銀色の。着ているのが純白の着物というのも相まって、彼女の印象はとても儚い。


 それはまるで、崇高な職人が手塩を掛けて作り上げた、ひとつの芸術のように美しい女性だった。


「こんな夜半やはんに人間が外を出歩くなんて……。せめてライトの1つでも点けなさいな」


「え……? ゃ、ぁ、あの……す、すみません」


 蒼き光を放つ瞳に魅入られ、呆けたように謝罪してしまう。そんな俺に絶世の美女はため息交じりに視線を『巨大な鬼』へと向けた。


「細かいことは後よ。貴方は下がっていなさい」


 ピシャリとそう言われて、俺は何とか動く体で後ろへとずり下がる。


「Grrrrrr」


 蒼炎を警戒してか手を出してこない『巨大な鬼』に、女性は妖しく微笑んだ。


「お前の相手は私よ、”邪鬼じゃき”。――あの人間より、私のほうが美味しそうでしょう?」


「Gyarrrrrrッ!」


 挑発された『巨大な鬼』――”邪鬼”は言語化できない不愉快な鳴き声をあげると、女性へと突っ込んでいく。


(このままじゃあの女の人が……!)


 迫りくる巨躯を前に身が竦む俺だったが、女性は右手を掲げて一言呟いた。


「――【野太刀・霖雨リンウ】、ここに創起そうき


 彼女の言霊に合わせて、周囲の蒼炎が渦を巻いて集い――彼女の右手に一振りの刀が象られる。


 霖雨リンウという銘の刀は、全長3尺ほどの野太刀。持つだけで苦労するはずのそれを、女性は当然のように片手で構えてみせる。


うぬが蒼炎にて、なんじを打ち祓いましょう」


 その言葉とともに、彼女は邪鬼へと自ら飛び込んだ。

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