26 安奈の家
一樹と別れた俺と安奈は、電車に乗って、自宅の最寄り駅まで帰ってきた。今日は最初から送るつもりだったので、一緒に家に行くと、安奈がこう切り出した。
「ねえ、達矢。うち、寄っていかない?」
「ああ、いいよ。お父さんとお母さん、居るの?」
「ううん、二人とも出かけてる」
「そっか」
久しぶりに、安奈の両親にも会いたかったのだが。俺は広い玄関に通され、きちんとスニーカーを脱いで揃えた。うちの狭いマンションとは違い、安奈の家は大きな二階建ての戸建て住宅だ。
「何か飲む?」
「甘いものがいいな。何かある?」
「ココアがあるよ」
「じゃあそれで」
リビングのソファに座り、俺は大きな欠伸をした。ここに座るのも久々だ。小さい頃は、よくお互いの家を行き来していたので、一階の様子には見覚えがある。キッチンでココアの準備をしている安奈を尻目に、俺は勝手にテレビをつけた。特に面白みのないワイドショーや、再放送のドラマが流れているだけだった。俺はテレビを消した。
「音楽でも流そうか?」
マグカップを二つ持ってきた安奈がそう言った。
「じゃあ、適当に何かかけて」
俺が言うと、安奈はスマートスピーカーに呼びかけて、最近流行りの女性ボーカリストのポップスを流し始めた。お気に入りらしい。マグカップをローテーブルに置き、安奈は俺の隣に腰をおろした。
「一樹、いい奴だっただろ?」
「うん、そうだね」
最後の方は、会話も弾んでいた。別れ際に、ラインの交換もした。きっと一樹も、安奈のことを気に入っただろう。そうだ、安奈と一樹の組み合わせもいいかもしれない。
「なあ、安奈。一樹はどうだ?」
「どう、って何が?」
「ほら、本当の恋人探し。一樹は運動やってて活発だし、いい彼氏になると思わないか?」
安奈はむっと口元を歪ませた。
「いい人だとは思ったけど、付き合うかどうかは別」
「ふーん、そっか」
どうやら大原のことが尾を引いているらしい。体育会系は安奈の好みじゃないか。それなら、帰宅部の面々はどうだろう。
「優太……は芹香のことが好きだからアレだけど。拓磨や香澄はどうだ? そうだ、香澄にはネイルもしてもらったしな」
むむっ、と余計に口元にしわを寄せた安奈は、黙ったままココアを口に運んだ。それから何も言おうとしてこないので、俺からペラペラと喋る形になった。
「俺の友達だったら、彼氏候補としてもとっかかりができていいと思うぞ。付き合っているフリをしていることも、俺から話せばいいし。それで、誤解を解いてから、親密になってさぁ……」
そこまで話すと、安奈が遮った。
「達矢。どうして達矢は、わたしを誰かとくっつけさせようとするの?」
「そりゃあ、恋人のフリを解消するためだよ。いつまでもこんなことしてるの、互いにとっても辛いだろう?」
すると、安奈は真っ直ぐに俺の目を見た。いつも見ている顔だが、そう真剣に来られては何となく気恥ずかしい。安奈は言った。
「ねえ、達矢。もしかして、好きな人いるの?」
俺はごくりと唾を飲み込んだ。嘘を言ったところで安奈にだけはバレる。だから、正直に打ち明けた。
「……うん、いる」
安奈は俺から目を逸らした。そして、ココアの入ったマグカップに目を落としたまま、聞いてきた。
「それって、誰か聞いてもいい?」
俺は迷った。この聞き方は、どういう意味なんだろう。そして、ここで芹香の名前をあげてもいいものか。あげたら、どんな反応が返ってくるだろうか。俺は幼馴染を信じることにした。安奈なら、きっと応援してくれる。
「芹香」
思い切ってその名前を出すと、安奈はぱちくりとまばたきをして俺の顔を見た。
「えっ、芹香ちゃん?」
「なんだ、意外か?」
「てっきり千歳ちゃんかと思ってたから……」
ああ、そうか。ここで納得がいった。小説を先に千歳ちゃんに貸したことにあんなに怒ったのは、俺が千歳ちゃんのことを好きだと勘違いしていたかららしい。偽の彼女なりに、妬いていたのか。俺は笑った。
「千歳ちゃんは、ないない。妹って感じだから」
「じゃあ、芹香ちゃんなんだね?」
「うん。今のところ、全く脈ないけどな。優太っていうライバルも居るし」
俺は苦笑いをした。それから、安奈に芹香への想いをぽつぽつと語った。今日、映画の原作本を買ったのも、芹香との会話の糸口を探すためだとも話した。改めて自分の想いを口に出すのは照れることでもあったが、相手が安奈なので緊張はしなかった。
「なあ、安奈。応援してくれよ、俺と芹香のこと」
「……うん。応援する」
「さすが、俺の幼馴染」
安心した俺は、安奈の頭をポンポンと撫でた。びくり、と身体を震わせ、安奈は言った。
「芹香ちゃんのことが好きなら、わたしにそんなことしちゃダメだよ」
「そうだな。今はフリしなくてもいいわけだし」
何だか肩の荷が一つおりたような気がした。ココアを飲み終わり、俺はそろそろ帰ることにした。
「じゃあ安奈、これからよろしくな」
「うん、わかった」
安奈は満面の笑顔で俺を見送ってくれた。
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