24 本の貸し借り
週末が終わり、登校すると、俺は芹香の席へ近付いた。あの小説を読んだことを報告するためだ。
「おはよう、芹香」
「おはよう」
相変わらず声には冷たさがあるが、俺はくじけなかった。
「電気羊、全部読んだよ」
「ああ、どうだった?」
「映画とはかなり違うんだな。ラストもそうだし、レイチェルの立ち位置も違った」
「そうだね。デッカードの奥さんの存在が大きいからね」
それから俺たちは、しばらく小説について語り合った。うんうん、これこれ。こういうことしたかったの。頑張って読書をして本当に良かったと俺は思った。
「作者の他の作品もお薦めだよ。あたしは図書館で片っ端から借りて読んだ」
「凄いな、芹香」
「そうでもないよ」
ホームルームが始まるベルが鳴り、俺は自分の席に戻った。担任の声を聞き流しながら、俺は先ほどの芹香とのやり取りを思い返して満ち足りた気分になった。こうして、気の置けない友人のポジションを手に入れてから、安奈とは付き合っていないということを打ち明けて、なんていう段取りを夢想しながら、俺は午前の授業を受けていた。
昼休みになり、俺はいつものように拓磨と香澄と弁当を食べた。
「拓磨は今日、バイトだっけ?」
香澄が聞いた。
「ああ。どうした?」
「いっぺん、お邪魔してみようかなぁって思って! 拓磨の働いてるとこ、見てみたい!」
拓磨は露骨に嫌そうな顔をした。
「邪魔はやめろ。第一、入ったばっかりで余裕がない」
「じゃあ、もう少し慣れたら行ってもいーい?」
「まあ、そのうちな」
そんな会話をしていると、千歳ちゃんが一組に入ってきた。
「やっほー!」
「あれ、どうしたの? 千歳ちゃん」
俺が聞くと、千歳ちゃんは小首を傾げて微笑んだ。
「安奈ちゃんが先生に呼ばれて一人になっちゃったから、来ちゃった」
「そっか。まあ座りなよ」
俺は自分の後ろの席を指して言った。そこへちょこんと座った千歳ちゃんは、拓磨の顔を見た。
「初めまして。私、松浜千歳」
「オレは宮塚拓磨。香澄のお客さんだろう、そのネイル」
「そう! 香澄くんってば、上手だよねぇ!」
香澄は腕を組んだ。
「いやぁ、でも実は満足がいっていないんだ、ボク的に。千歳ちゃん、よかったらまた違うデザインでの練習台になってよ!」
「うん、喜んで!」
そうだ、と俺は思い出した。千歳ちゃんが、本を読みたがっていたということを。
「なあ、千歳ちゃん。これ読む? 昨日読み終わったばっかりのSF小説なんだけど」
俺はカバンから文庫本を取り出した。千歳ちゃんは、それを両手で受け取ってくれた。
「うん! ありがとう、達矢くん!」
そのとき、安奈が教室の扉から顔を出した。
「あっ……」
「おーい安奈。そんなところ居ないでこっち来いよ」
俺が促すと、安奈はためらいがちに歩いてきた。なぜか顔が暗い。先生に呼ばれたという用事が、何か関係あるのだろうか。俺は聞いた。
「どうした? 何かあったのか?」
「ううん。何でもない」
安奈は千歳ちゃんと目を合わせた。すると、さっきまでの表情がふっと消えて、やわらかな笑顔になった。
「ごめんね、千歳ちゃん。一人にして」
「いいのいいの。達矢くんたちに相手してもらってたし」
それから、昼休みが終わるまで、俺たちは五人で過ごしていた。放課後は、いつも通り安奈と帰宅だ。電車の中で、安奈がいつもの公園に行きたいと言ったので、そうしてやることにした。
「ねえ、達矢。あの本、千歳ちゃんに貸したでしょ」
ベンチに座るなり、安奈はいきなりそんなことを言い出した。
「ああ、貸したけど……」
「あれ、わたしも読みたいって言ったのに」
「あっ、そうだったな」
安奈は、じとりと俺を睨みつけ、頬をふくらませた。やべっ。これ、けっこう怒ってる。しかし、そこまで怒られるようなことをした筋合いは無い。俺は言ってやった。
「別にいいだろ。順番決めてたわけじゃないんだから」
「でも、わたしの方が先に言ってたはずじゃない? 一緒に買いに行ったんだから」
「そうだけどよ。どうでもいいだろ、そんなの」
ますますむくれてきた安奈は、ブラブラと足を振り出した。
「本当に達矢ってわたしのこと大事にしてくれないよね」
「そうか? 校内ではバッチリ彼氏のフリ、してやってるだろう?」
「そういうことじゃないの」
このまま無視すると、後で面倒なやつだ。俺はとりあえず謝ることにした。
「ごめんな? 安奈。先に千歳ちゃんに貸しちゃって。本当にごめん」
「本当に悪いと思ってる? とりあえず謝っときゃいいとか思ってない?」
この幼馴染には、口先が通用しない。俺は焦った。本当に悪いことだったなんて思っていないのだ。
「……ごめん。悪いって思ってなかった」
正直にそう言うと、安奈は深いため息をついた。
「いいよ。達矢のそういうとこ、分かってるから」
無言の間が続いた。五分くらいして、安奈は自分の中で折り合いをつけたのか、さっと立ち上がった。
「帰ろうか」
「ああ」
まさか、本の貸し借りが発端で、こんなことになるだなんて思っていなかった。相変わらず面倒な幼馴染だな、と思いながら、俺は帰宅した。
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